「ERROR“A”」第1話

あらすじ
謹慎中の傭兵、古洞こどう紡季つむぎは上司の指示で謎の少女毬空まりあと暮らすことになる。
独特な雰囲気を醸す毬空との先行きに不安を覚える紡季だったが、同居を始めた矢先に発覚したその正体は、天使アンジィΗイータなる超常生命体だった。
聖母の素質を持つ人間を捜し出し、聖告者=大天使への昇格を目指す24名の天使たち。毬空はその1人だった。
大天使の席が残り1つになったことで、昇格の儀は血みどろの蹴落とし合いと化していた。疲弊した毬空は逃げるように日本へ来たのだ。
しかし、運命は毬空を逃がさない。
毬空は再び、やがて紡季も、壮絶な聖母争奪戦の渦中へ身を投じることとなる。

補足
世界観
天使アンジィ
観測外領域に住まう超常生命体。9つの階級があり、天使はその最下位。
大天使アンナ
天使の階級の下から2番目。昇格条件は聖告者となること。現在の空席は1つのみ。
聖告者
受胎告知をした天使。これになることは天使にとって最大の誉れである。
大天使候補
最も優秀な24名の天使。聖母を捜すため観測内領域へ降りる。強制参加であり、欠員が出ると次の天使が即補充される。
聖母パナギア
神の代理母となった人間。処女であること以外の条件は不明。
幼母おさなぼ
聖母の素質を持った人間。天使にはこれを見抜く力がある。これを発見した天使は、来たるべき聖告の時のために保護・拉致する傾向にある。
幼母狩り
他の天使が保護している幼母を殺すこと。自分以外の天使が聖告者となることを阻止するために行われる。聖告が完了するまで幼母はただの人間であるため、殺しても罪にはならない。大天使の席が1つしか空いていないため、天使同士の激しい聖母争奪戦が千年に渡り続いている。
天使狩り
天使Χカイが単独で行っている天使の虐殺。完全な無差別であり、現在までに約100名が被害に遭っている。
ラッパ
天使に支給される道具。かつては楽器の形をしていたが、聖母争奪戦が激化して以来殺傷性の高い武器の形状を取るようになる。7つのグレードがある。
ノイズ
人間に認識できない事象。人によって見え方が異なる。過去の人間には光輪ハローなどに見えていたらしい。
TWO WINGS
バージニア州に本社を置く民間軍事会社。
≠haloノー・ハロー
天使を調査・研究する団体。世界各地に支部がある。団体名は日本語で「光輪を持たぬ者」と訳される。

キャラクター
毬空まりあ・クローバー/天使アンジィΗイータ
身長:160cm
武装ラッパ:H形鋼(グレード4)
性格:温厚。現在は鬱気味。昇格に執着が無く、幼母を見つけたことが無い。
経緯:Χこそ聖告者に相応しいと信じ、幼母の保護などに協力していた。幼母を喪い変貌したΧを楽にしたいと考えるが、決心がつかずΘを頼り日本へ逃げた。
古洞こどう 紡季つむぎ
出身:日本 北海道
性別:女性
年齢:27歳
身長:185cm
所属:民間軍事会社『TWO WINGS』
性格:男勝りで社交的だが、有事の際は極度にドライになる。本人には自覚が無い。相棒を手にかけて以来、殺人への抵抗が皆無になった。
特技:裁縫、狭所戦闘
来歴:総合格闘技選手となるために15歳で渡米。18歳で華々しいデビューを飾るも、枕営業を要求したスポンサーを殴り米格闘界から永久追放される。自棄ヤケになりストリートやバーで喧嘩に明け暮れる日々を送るが、20歳の時に初めて喧嘩で負かされた男と意気投合。男が所属する民間軍事会社に勧誘され、丸1年の訓練を経て正式入社する。その男は後の相棒バディとなり、ともに数々の任務をこなすこととなる。
カイル・レイエス
出身:アメリカ デトロイト州
性別:男性
年齢:54歳
身長:187cm
所属:民間軍事会社『TWO WINGS』
経緯:≠haloに警護面で協力している。紡季の治療も兼ねて毬空の逃亡先に日本を提案した。天使の能力を事業に役立てられないかと考えている。
天使Θシータ
身長:180cm
武装:草食獣(グレード6)
性格:平和主義
経緯:聖母争奪戦による地上への被害を抑えるため、≠haloに協力している。毬空と≠haloに渡りをつけた。
天使Χカイ
身長:160cm
武装:十字架(グレード3)
性格:明朗快活。幼母を我が子のように溺愛していた。
経緯:聖告間際に複数の天使による幼母狩りに遭う。己を含む全ての天使を憎悪し、無差別の天使狩りをしている。意図せず抑止力となっており、Χを恐れ目立つ行動を控える天使が多い。
天使Εイプシロン
身長:170cm
武装:ノコギリ(グレード5)
経緯:幼母を親元から誘拐し、病気の治療と偽って監禁している
天使Ιイオタ
身長:155cm
武装:高層ビル(グレード2)
経緯:潜伏していたが、Χが死んだことで行動を開始する

天使(聖告者候補) 一覧
Αアルファ……武装:航空機
Βベータ……武装:鎖
Γガンマ……武装:鎌
Δデルタ……武装:シャベル
Εイプシロン……武装:ノコギリ
Ζゼータ……武装:バール
Ηイータ……武装:H形鋼
Θシータ……武装:草食獣
Ιイオタ……武装:高層ビル
Κカッパ……武装:時計
Λラムダ……武装:鐘
Μミュー……武装:虫
Νニュー……武装:ギロチン
Ξクサイ……武装:階段
Οオミクロン……武装:鉄球
Πパイ……武装:鳥居
Ρロー……武装:鍵
Σシグマ……武装:雷
Τタウ……武装:ハンマー
Υウプシロン……武装:木
Φファイ……武装:肉食獣
Χカイ……武装:十字架
Ψプサイ……武装:シャンデリア
Ωオメガ……武装:隕石


本文


私たちは天使だった。

日本 東京都
雪の降る日だった。
カーナビの日付は12月23日。
古洞こどう紡季つむぎは車から出ると、外の寒さに顔をしかめた。
彼女はジャケットの襟を立て凍えるような寒さから首を守り、白い息を吐きながら空港へ早歩きした。背が185cmあり、且つ鍛え抜いた筋肉を纏う彼女は、メンズジャケットを着ると男に間違われることが多々あった。
ターミナルは混んでいた。帰省や旅行を目的とした家族連れ。外国人も多い。誰も彼もが浮かれた顔をしている。
(あと少しで大晦日か。日本で年越すの久しぶりだな)
紡季は獲物を探すような目つきで、広大なターミナルを見渡した。
彼女が目を留めたのは、売店の近くにあるベンチ。そこに座る2人組。1人は初老の白人男性で、もう1人は金髪碧眼の少女だった。
紡季が近づくと、男が気付いて立ち上がった。
「やあ紡季。休暇はどうだね?」
男はサングラスを外し、英語で話しかけた。紡季も英語で返した。
「謹慎の間違いでしょ?カイル」
「いいや、休暇も立派な仕事さ。今の君の任務は、故郷でゆっくり休んで心の傷を癒すことだ。銃が無い日本は最適だね」
「別にシェルショックで病んでるわけじゃないよ。治安の良さは相変わらずだけどさ。で、その子が例の?」
紡季はベンチに座っている少女に目をやった。
12、3歳くらいか。美少女、と呼んで差し支えない容姿だ。
視線に気付き、少女がこっちを向く。紡季はカイルに尋ねた。
「隠し子?」
「まさか」
「じゃあ何者?」
「気にする必要は無い。君はただ、暫くこの子の面倒を見てくれればいい」
「……訳アリってやつ?」
「そう、訳アリだ。いつもの仕事と同じ」
「この子の身分は?」
「名前は毬空まりあ・クローバー。アメリカ人と日本人のハーフってことになってる」
「ことになってるって……もしかしてパスポートも偽造?大丈夫なの?」
「どこを通って来たと思ってるんだ?身分証のクオリティは実証済みだ」
紡季は怪訝な顔でカイルを睨んだ。
「厄介事じゃないでしょうね?」
「何事も無ければね。でも好きだろ、厄介事」
「ふざけんな。少しは情報を寄越しなさいよ」
「紡季。君は与えられた任務をこなせばいい。配達員が荷物の中身をいちいち検めたりしないように」
「デリバリーとは訳が違うでしょう訳が」
「やれやれ、気遣いがわからん奴だな」
カイルは紡季に耳打ちした。
「これは期間限定の任務だ。相手のことは、知れば知るほど別れが辛くなる。つい最近、痛感しただろう?」
「……」
紡季の脳裏にノイズが走り、フラッシュバックが起きた。
荒い息遣い。明滅する視界。
腹に大きな穴の空いた男が寝そべっている。紡季はその男の銃創からはみ出た内臓を元に戻すのに躍起になっている。
青い顔をした男が紡季の頬に触れる。寒そうに震える唇を動かして、男が何かを言う。
その声が聞こえる前に――紡季の意識は現在の、空港のターミナルに戻って来た。
無自覚にうちに、紡季は拳を握り締めていた。毬空と呼ばれた少女は紡季の拳を見つめていた。
カイルが紡季の肩に手を置く。
「得る情報を選別できるのは人間の特権だ。全てを知ることが賢いわけではない。君なら共感してくれると思うがね」
「……なんで私なの?」
「それは、彼女が君と似ているからだね」
「似てる?」
「ああ。彼女もまた休息を必要としている。今の君と同じように」
「……?」
「日本語は話せる。話し相手にするなり、家事を手伝わせるなりでもしろ。とりあえず1シーズンは君の所に置いて貰うからな」
「春まで?随分長いね」
「もしかしたらもっと延びるかもしれんが」
「ちょっと、それって必然的に私の謹慎も延びるってこと?」
「これも任務だと言ってるだろう。せいぜい仲良く……いや、程々の方がいいか。かかりつけの病院の待合室でたまに会う名前も知らない常連患者くらいの距離感でいい」
「例えが年寄りだな」
カイルはサングラスをかけ、紡季と毬空に手を振った。
「良い子にしてるんだぞ。あとはよろしくな紡季、また連絡する。じゃあな」
「もう行くの?」
「お前と違って多忙なんでな」
「悪かったね謹慎中で」
カイルはスタスタと行ってしまった。紡季は肩をすくめた。
「ご飯くらい食べてけばいいのに。忙しないな」
「……」
「ん?」
毬空が紡季をじっと見上げていた。紡季はため息を吐いた。
「私は古洞紡季。あの人の仕事仲間っていうか、部下だね」
「……」
「毬空だっけ?本名は……どうせ言わないように言いつけられてるか」
「……」
「とりあえず、家に行く?」
毬空はこくりと頷いて立ち上がった。身長は160cm程あり、座っている時の印象より高い。
(人形みたいな子だな)
キャリーケースを積んで毬空を助手席に乗せ、紡季は車を出した。
エアコンに手を伸ばし、紡季は尋ねた。
「寒くない?」
毬空は首を振る。
「日本は初めて?」
頷く。
「へえ。日本語は向こうで習ったの?」
頷く。
「何年生?白人て大人びてるから、いまいち歳がわかんないんだよね」
「……」
ノーリアクション。
「日本語は誰に教わったの?」
「……」
「出身は?」
「……」
「荷物置いたら生活用品とか買いに行くけど、ついでに夕食も済ませちゃおうか。好きな食べ物は?」
「……」
「これも駄目?面倒臭いな。何なら話せるの?」
「……」
暫しの間を置き、毬空は口を開いた。外見通りの幼い声だった。
「紡季はどうして休んでるの?」
「は?」
「カイルが、紡季は私と同じだって」
「ああ、そんなこと言ってたね。事実上の謹慎食らって、毎日だらだらしてるよ」
「どうして?」
「……」
ちらっと横を見ると、毬空はアームレストの上に身を乗り出して紡季を凝視していた。紡季はぎょっとした。
「ねえ、どうして?」
(この子、自分の詮索はさせないくせにぐいぐい来るなぁ)
赤信号で停車し、紡季は渋々話した。
「私が何の仕事してるかは聞いてる?」
「人殺し」
「言い方。誰よそんな雑な教え方したの」
「カイル」
「あの野郎」
紡季は舌打ちした。
「傭兵だよ。傭兵ってわかる?」
「うん。人を殺す人でしょ」
「民間軍事会社ってやつ。カイルは部長で私は平社員。ちょっと前までは外国で任務に就いてたんだけど、まあ、色々あって」
「色々って?」
「色々」
「お仕事嫌いになったの?」
「別にそういうわけじゃないけど」
「人を殺すのが嫌になったの?」
眉をぴくりとさせ、紡季は横目に毬空を見た。毬空は紡季から視線を外して前を見ていた。
毬空は尋ねる。
「紡季は人、いっぱい殺した?」
「……かもね」
「どれくらい?」
「さあ」
「殺し過ぎて嫌になっちゃったの?」
紡義は咳払いした。
「ガキなら何でも訊いていいってわけじゃない。日本じゃね、そういうのは不謹慎って言うの」
「でも、紡季はわかってて人殺しの仕事をしてるんでしょう?」
「……」
「頑張り過ぎて嫌になっちゃった?人を殺すの疲れちゃったの?」
毬空は車窓の外を眺めて言った。
「なら、私と同じ。私も疲れちゃった。飛ぶのも獲るのもぜんぶ」
「飛ぶ?」
信号が青に変わる。アクセルを踏み、紡季は考えた。
(話し相手、ね……カウンセラーのつもりなのかな、あの男は)
紡季は独り言のように呟いた。
相棒バディが死んだの」
毬空が振り向く。紡季は続けた。
「この言い方はずるいか。私を庇って助からない傷を負った彼に、私がトドメを刺した」
紡季の目は道路を見ていたが、頭の中には過去の記憶が蘇っていた。
「私たちは何年も組んでた。彼は私のことを私よりわかってたし、私も彼より彼をわかってるつもりだった。民間軍事会社私たちにとっては相棒が全て。互いのために命を懸けていれば、どちらも死ぬことは絶対に無いはずだった」
「……」
「でも、彼は死んだ。おかしいね、私が傍にいたのに。いや、私の傍にいたから死んだのかな。なんで私は守るべき相棒を殺したんだろうね」
紡義は苦笑した。
「相棒を手にかけるようなろくでなしは謹慎がお似合いってわけ。だからって、まさかガキのお守りを頼まれるとは思わなかったけどね」
「……」
毬空が何かを言いかけた時、1台の対向車が紡季の目に留まった。
若者が運転するワゴン車。後部座席を覗いていた助手席の男が前を向き、一瞬だけ紡季と目が合った。
「……!」
ぞわりと、寒気が走った。
「紡季は――」
「悪い、ちょっと寄り道する」
紡季は対向車が数台通り過ぎてからUターンした。
数台先にいるワゴン車の様子を窺いつつ、カーナビを操作する。
(交番は当然……近くにないか。ま、好都合か)
カイルの言葉が蘇る。
――でも好きだろ、厄介事。
紡季は微笑した。
「うるさいよ」

民家のガレージにワゴン車が入る。
シャッターが下り切ると後部ドアが開き、拘束した女を男たちが運び出した。
助手席から降りた男が仲間に指示を飛ばす。
「スタジオに運んだら、カメラもセットしとけよ。俺ぁ一服してくる」
「うーす」
リーダー格の男がシャッター脇の扉を開けると、目の前に紡季がいた。
「あ?」
紡季は男をぶん殴って昏倒させ、ガレージに踏み入った。異変に気付いた男たちが次々と怒声を上げる。
「おい何だお前!」
「誰だ!?」
「何してんだゴラァ!」
運転席から降りた男が警棒で殴りかかる。紡季は男の腕を捕らえて関節を極め、警棒をもぎ取ると、容赦なくうなじを殴りつけた。倒れた男はビクビクと痙攣した。
男2人が女を置き、ナイフを抜いた。紡季は手招きした。
「ほら来い。ビビんな、男だろ」
「このアマぁ」
「死ねッ!」
紡季はナイフを持つ男たちの手を警棒で叩き折り、顔面にフルスイングを浴びせた。顎がひしゃげ、眼球が飛び出た男たちを見ても、彼女は眉一つ動かさなかった。
紡季は女の容体を調べた。
(治安が良いとは言っても、こういう奴らはどこにでも居るんだな)
扉の方から怒声がした。
「おいてめぇッ!」
振り向くと、ナイフを持った男が誰かを人質に取っていた。被害者がもう1人いたのかと思ったが、よく見てみると……人質になっているのは毬空だった。
「はぁ!?」
紡義は目を剥いて仰天した。
「お前、車で待ってろって言ったろ!」
「ここ、紡季の家じゃないの?」
「どう見ても違ぇだろ!」
男が毬空の顔にナイフを突きつける。
「それ置け!刺すぞ!」
「……このクソガキ」
「ごめんなさい」
紡季は警棒を捨てて両手を挙げた。降伏するフリをしつつ、鋭い目で男を観察する。
(こいつに人を刺す度胸があるかはともかく、動脈にさえ刺さんなきゃいい。最悪、2回刺すまでには距離を詰められる。この子には悪いけど……)
毬空は紡季の足元に倒れた男たちを一瞥し、ぼそりと言った。
「ねえ紡季」
(おい喋んなよ。相手が逆上するだろ)
「この人のこと、殺していいの?」
「は?」
「あ?」
「ごめんね。私が邪魔した所為で、紡季まで危なくなっちゃって」
「気にすんな」
「シータは緊急の時以外はやっちゃ駄目って言ってたけど」
「シータって誰だよ」
「でも……今は緊急事態、だよね?紡季が、ピンチだから」
「うるっせぇぞガキ!喋んな!」
「そうだぞ、ちょっと黙ってろ」
「てめぇもだよッ!」
ザザッ。
ガレージ内にノイズ音が響く。
ワゴン車のラジオかと思ったが、発生源は正反対にあった。
ザ、ザザザ。
毬空の頭上の空間が揺れ、歪み――ブロックノイズが出現した。
「ッ!?」
「うわぁ!?」
紡季と男は瞠目した。
まるで乱れた映像のような、不規則に霞んだノイズ。
しかしそれが映っているのは、現れているのは、確かに現実の空間だった。
(何?幻覚じゃない、あの男にも見えてる……あれはいったい――)
ザザ、ザザと音を鳴らすノイズの中に、歪んだ文字が浮かんだ。

ERROR、と。

恐怖に駆られた男が、「うわぁぁ」と喚いて毬空を刺した。
ナイフは毬空の首に深々と刺さった。
(しまった!急所に――え?)
出血は無かった。
それどころか、傷口さえ見えなかった。
ナイフが刺さった場所が、赤いノイズに覆われていた。
そのノイズの中には、DAMAGEの文字が浮かんでいた。
「大丈夫」
毬空は淡々と言った。
「この程度じゃ、私は死なないから」
「黙れ!死ねッ!」
男は怒号を上げ、半狂乱になって毬空をメッタ刺しにした。が、どこを刺してもノイズとDAMAGEの文字が現れるばかりで、ナイフには血の一滴も付かなかった。毬空の顔色に変化は無く、紡季は唖然とした。
「な、何なんだ!?何なんだよ!?」
男は毬空を突き飛ばし、一目散に逃げ出した。
「待て!」
紡季が追おうとしたその時、毬空の手元にノイズが発生した。
毬空はノイズの中に手を入れ、一丁のリボルバーを取り出した。
男が扉に手を伸ばす。その背中に銃口を向ける。
毬空の瞳にLOCK ONの字が浮かび、引金を引く。
玩具の銃が発射したのは、鉄骨。所謂、H形鋼だった。
口径より太く、当然シリンダーより遥かに長い。工事現場くらいでしかお目にかかれない、巨大なH形鋼。
亜音速で放たれたそれが、男を壁ごと貫いた。
「な……っ」
紡義は息を呑んだ。H形鋼に撃ち抜かれた男は即死していた。
「お前、いったい……」
毬空の体中にある赤いノイズのDAMAGEの字がぶれ、REPAIRに変わる。程無く、ノイズは消えた。
コートはズタズタに裂かれていたが、傷どころか出血の痕すら無かった。
毬空が紡季を振り向く。毬空は目を丸くし、紡季を指さした。
「あ」
紡季の背後からエンジン音が轟いた。
「ハッ!」
ワゴン車の運転席に人影がいた。紡季は舌打ちした。
(まだいたのか!車内に隠れてやがったな!?)
ワゴン車がアクセルベタ踏みで急発進する。
「クソ!」
紡季は咄嗟に毬空を庇った。
「大丈夫」
と、毬空が耳元で囁いた。
「……?」
いつまで待っても、覚悟した衝撃は来なかった。
目を開けると、毬空が紡季の脇下から手を伸ばし、ワゴン車を正面から止めていた。
素手で。それも片手で、だ。
「????」
紡季も運転手も、ぽかんと口を開けていた。
フロントに指をめり込ませ、毬空はワゴン車を軽々と持ち上げた。
運転席に銃を向け、撃つ。H形鋼がフロントガラスを破り、運転手の顔面を潰した。車内が血に染まったワゴン車を、毬空はポイっと捨てて横転させた。
「終わったよ」
空間に現れたノイズに銃を収め、毬空は言った。
「怪我無かった?」
「あ……え、いや……」
紡季は毬空の顔と、頭上に浮かぶERRORのノイズの間で何度も目を泳がせた。言葉に詰まりつつ、紡季は何とか声を絞り出した。
「あんた……何者……?」
毬空はあっけらかんと答えた。
「天使。天使アンジィΗイータ
「……天使?」
「うん」
毬空は「あっ」と声を上げて口を押さえた。
「秘密だった。忘れて」
ガレージ内の惨状を見回して、紡季は言った。
「……無理でしょ」

太平洋上空
カイルを乗せた旅客機は、間も無く日本の管制空域を出ようとしていた。
ビジネスクラスの席を取ったカイルは、適度なサービスを受けつつプライバシーを保ったうえで、空の旅の最中も仕事に打ち込むことができた。
彼は2台のノートパソコンを開き、ある人物とメールのやり取りをしていた。
『彼女は無事に日本に到着した。日本は30年以上天使の記録が無い安息地だ。ゆっくり羽を休めることができるだろう。文字通りね』
メッセージをもう一方のパソコンの暗号ソフトに通すと、日常会話に扮した文章に変換される。
『東京は雪が降り積もっていたよ。空港にはクリスマスツリーが飾ってあった。売店で面白い土産を買ったから楽しみにしてくれ』
受信したメールには、全く逆のことをする。暗号ソフトを通し、本来の文章を開示するのだ。
互いに逐一暗号ソフトを介することで、彼らは公共のネット環境を利用しておきながら会話の機密性を保持していた。
『結局、君の部下には彼女の素性を知らせなかったのか?』
『余程のことが無ければ、彼女が人間でないことはバレないだろう。心配するな、私の部下は優秀だ。仮にトラブルが起きても、相手が人間である限り後れを取ることはない』
『笑わせるぜカイル、だから心配してるんだろ。お前が評価する兵士なんて、イカれてるに決まってる』
『言ってくれるな。まあいい、17時頃にそっちに着く。他の天使の対策については現地で話し合おう。情報をまとめておいてくれ』
『了解』
メールボックス内のログを全て削除し、カイルはパソコンを閉じた。鍵付きのケースにパソコンを収め、彼は窓の外に目をやった。
日本列島は既に遥か後方に過ぎ去り、雲が見えるばかりだった。彼は名残惜しそうにぼやいた。
「寿司くらい食っときゃよかったな。回るやつ」

計器類をチェックしていた副機長は、ふと顔を上げてフロントガラスを見た。
「……ん?」
十時の方向、数km先に黒い点が浮かんでいる。
(レーダーに反応が無い。……何だ?)
黒い点は徐々に近付き、輪郭を大きくしていく。副機長は目を見張った。
(あっちからも近付いて来てる?しかも速い!マッハいくつだ!?)
もう一度計器類をざっと検める。異常は無い。しかし確かに、目の前に何かが迫っている。
「機長!あれを!」
「ん?どうした」
「所属不明機が接近中!物凄いスピードです」
機長は目を凝らした。
「航空機にしては小さいな、ドローンか?レーダーに反応は?」
「ありません」
「まずいな、激突コースだ。冗談じゃないぞ。直ちに管制に連絡し……あ?」
「あれ?」
数百mまで近付いたその時、謎の飛行物体が忽然と消えた。
「どこに行った?」
「計器には依然、異常無し」
「幻か?確かに見たよな?」
「はい」
「おいおい何だ?UFOか?パイロット歴20年で初めて遭ったぞ」
「ひとまず管制に報告します」
「頼む。俺はCAに異変が無いか聞いてみる」
機長は安堵のため息を吐いた。
「しかし良かったな。あのスピードでぶつかられたら洒落にならない」
「ドローンであんなに出るもんなんですかね?戦闘機かと思いましたよ」
「不気味だな。レーダーにかからない辺り、ステルス機の類だろう。UFOや幽霊じゃないとしたらな」
「そっちの方がまだマシですね。宇宙人よりもテロの方が怖い」
「まったくだ」
束の間の恐怖体験が笑い話になろうとしていた、その時である。
彼らの目の前――フロントガラスの外に、人が降り立った。
機長と副機長は、衝撃のあまり凍りついた。
「……え?」
機体の先端。ノーズレドームの上に現れたのは、1人の少女だった。
身長は160cm前後。端正な顔をしているが、整い過ぎて人形じみた不気味さがある。
修道女のウィンプルのようなものを被っているが、やけに丈が長くマントのように全身を覆っている。そして驚いたことに、ウィンプルの中は裸だった。
奇妙な体だった。乳首や性器が無く、異様に痩せ細っている。肋骨が浮き、手足は骨と皮だけだ。
よく見ると、骨格も人間のそれとは僅かに異なっている。
胴体に対して四肢が長い。脚は身長の6割に匹敵し、腕の長さは指先が容易に膝に達するほど。
そのアンバランスな体型も相まって、より人形のように見える。
もう一つ、彼らが気付いた異常。
少女の頭上に白黒のスノーノイズが発生し、その中に、乱れたERRORの字が浮かんでいた。
機長は冷や汗をかき、渇いた声を出した。
「な……なんだ、あれは……?」
副機長は口をぱくぱくさせている。機長は少女に目を釘付けにされつつ、副機長の肩を掴んだ。
「か、管制に連絡を……報告、しろ。現状を」
「な……何と、言えば……?」
「いいから、早くしろ。早く。俺があいつを見てるから……早くやれ」
「う、動いても平気なんですか?」
「知るか。いいからやれって」
少女の傍にスノーノイズが現れる。少女はノイズの中に手を入れ、何かを取り出した。
水平2連ショットガンだった。
少女がコックピットに銃口を向けた。機長と副機長は戦慄した。
「あっ……」
「待て。嘘だろ、ちょっと待て」
小首を傾げた少女が、ニコリと微笑んだ――天使のような笑顔だった。
引金を引く。
ショットガンが放ったのは、巨大な十字架の散弾だった。
全長2mを超す純白の十字架が、同時に13本。
口径の小ささを無視して発射したそれが、コックピットを蹂躙した。
音速を超えた十字架はフロントガラスを易々と破り、機長らを座席もろとも貫き、機体の操縦システムに致命的なダメージを与えた。
「くすり」
少女は柔和な笑みを浮かべたまま、機体の鼻面から飛び降りた。

コックピット側で起きた衝撃は機内まで響いており、異常事態を察した乗客は慌てふためいていた。
「揺れたぞ!」
「どうかしたのか?」
「大丈夫なんだろうな!?」
「只今確認致しますので、乗客の皆様は安全のためご着席下さい」
CAが慌ただしく走り、乗客の憶測や不安の声が飛び交う。
カイルは冷静に状況を分析していた。
(機長のアナウンスが無いな。さっきの衝撃は尋常ではなかったし……まさか既にコックピットが消えているなんてことは無いだろうな?)
コントロールを失った機体が徐々に前傾し始めた。カイルは急いでシートベルトを締め、肘掛けに掴まった。
「おいおい、マジで墜ちるんじゃねぇだろうな……!」
ちらりと、窓の外を何かが飛んでいるのが見えた。
ウィンプルを被った少女。
背中に昆虫の翅のような――筋の通った半透明の翅を生やした少女が、機体のすぐ傍を自在に飛翔していた。
少女を目撃したカイルは、目を血走らせた。
「馬鹿な」
彼は愕然と呟く。
天使アンジィΧカイ……どうしてここに……まさか――」
少女が――天使Χがこちらを振り向き、カイルと目が合った。
Χが旅客機に銃を向ける。カイルは「あっ」と声を上げた。

銃口が火を噴き、十字架の群れが客席に突き刺さった。
「くすくす、くすくす」
Χは口に手を入れ、「おえっ」とショットガンシェルを吐き出した。
銃身を折って薬室を開き、シェルを装填する。銃身を戻して撃鉄を起こすと、Χは旅客機の周りを飛び回りながら続け様に銃撃を浴びせた。
無数の十字架が、機体の上に墓標のように乱立する。Χは緩やかに降下する機体の下をくぐり、すれ違いざまに2つのエンジンを撃ち抜いた。
十字架に貫かれたエンジンが火を噴き、翼から脱落する。機体の傷から漏出した燃料が引火し、たちまち爆発が起きた。
黒煙を上げて墜ちていく旅客機を見送り、Χは言った。
Ηイータは乗っていませんでしたねぇ」
踵を返し、マッハを遥かに超える速度で降下する。雲を突き抜けるとΧは停空し、眼下に浮かぶ列島を眺めた。
「いま行きますよ、Η。どこに逃げても、どこまで行っても、私たちは出遭う運命なのですから」

日本 東京都
紡季の自宅

毬空がボロボロになった服を脱ぐと、紡季は愕然とした。
痩せ細った、手足の長い、人間離れした体躯。
「ち、乳首が無い……!」
「天使だから」
「こ、この体は!?改造でもされたの!?」
「ううん。天使だから」
「虐待とか!?」
「されてない」
「痩せ過ぎでしょ!ちゃんと食べな!?」
「天使は何も食べないよ」
わなわなと震える紡季に、毬空は少し申し訳なさそうに言った。
「ちゃんと人間のフリして食事も摂ろうと思ってたけど……もうバレちゃったからいいや。さっきの質問答えるね。好きな食べ物は無いよ。食べないから」
「だめ!いっぱい食べて!」
「意味無いよ。ついでに言うと肛門も無いから、食べたらその分吐かなきゃいけないし」
「あんた何なの!?」
「天使」
紡季は顔を手で覆った。
「天使って何……」
「ひみつ」
「何で秘密なの」
「……ひみつ」
「……」
紡季は恐る恐るといった調子で、指の隙間から毬空の体を覗いた。首を傾げる毬空にそっと手を伸ばし、驚くほど細く小さな肩に触れた。
「……」
「紡季?」
紡季は毬空の首や肋骨の浮いた胸、腋を撫でた。内臓が無いのかと疑うほど薄い腹をさすり、安堵したようにため息を吐く。
「紡季、どうしたの?」
「よかった」
「?」
「……本当に、怪我してないんだね。あんなに刺されてたのに。わけわかんないけど、本当に良かった」
「――っ」
急に、毬空が紡季に抱きついた。
「えっ?」
紡季は目をぱちくりさせる。
毬空はハッとしてすぐに離れた。
「ごめんなさい。つい……」
「別にいいけど……急にどうしたの?」
「その……今、Χとすごく似てたから」
「カイ?」
「本当に一瞬だけ。よく考えたら紡季はゴツいしデカいし、全然違ったけど」
「ゴツくてデカくて悪かったな?」
毬空が俯く。
紡季は暫し逡巡してから、尋ねた。
「そのカイってのも、天使なの?」
「……うん」
「友達?」
「……たぶん」
毬空は脱いだ服をぎゅっと握り締めた。
「Χはね、すごく優しくて、話が面白くて……とっても強くて……いつも一緒にいてくれたの」
「……へえ」
「でもね、Χは変わっちゃった」
「変わった?」
「うん。別の人みたいに」
寂しそうに、悼むように、毬空は言った。
「変わってしまったの」


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