「ERROR“A”」第3話

天使アンジィΧカイはニコニコ笑い、心底嬉しそうに話した。
「久しぶりですね、Ηイータ。本当に久しぶり」
Χは胸の前で手を合わせて首を傾げた。
「ところで、あのホモ・サピエンスは誰ですか?幼母おさなぼではないようですが」
「……」
「大事な物ですか?」
「別に」
毬空はかぶりを振り、答えた。
「でも、私とよく似てる」
「そうですか」
Χは紡季のマンションに水平2連ショットガンを向けた。
「じゃあ、壊しても構いませんね?」
毬空がノイズからリボルバーを抜き、Χを撃った。
Χは身を仰け反らせてH形鋼を躱しながら、十字架の散弾を撃ち返した。毬空は一気に高度を上げて射程から逃れた。
空を背に浮き、毬空は直上からΧを撃った。Χは十字架を正面からぶつけてH形鋼を相殺した。
「くすくす。怒りました?怒りました?くすくす。やっぱり大事なんですか?」
Χはべろっと舌を出して弾薬を吐き、リロードする。
「おかしいですねΗ。そんなに大事で守ろうとするなら、どうしてあの子は守ってくれなかったんですか?」
「Χ……」
「あっ、そっか!」
満面の笑みを浮かべたΧの瞳に、LOCK ONのノイズが浮かぶ。
「あの子のこと、本当は別に大事じゃなかったんですねっ!」
「違う、私は――」
Χが急加速して距離を詰め、毬空の眼前に銃口を突きつけた。
紙一重で躱した毬空の片耳が十字架に抉られ、傷口がDAMAGEの赤いノイズに覆われる。
「……っ」
毬空はさらに高度を上げ、Χはそれを追った。あっという間に雲を越えた2人を、満天の星空が迎えた。
「Χ、いつまでこんなことを続けるの?」
毬空は諭すように言った。
「こんなことをしても、あの子はもういない。何をやっても、誰をどれだけ殺しても、あの子はもう戻らないんだよ」
「知ってますよ。それとこれとは、別問題です」
「どこが……っ」
互いの眼にLOCK ONが浮かぶ。
「八つ当たりしているようにしか見えないよ」
毬空が立て続けに撃つ。
Χは停空したままH形鋼を銃撃して推進力を殺し、後続のH形鋼に追突させた。
「失礼しちゃいますね。天使をみなごろす綿密な計画ですよ」
追突が連鎖して出来上がった歪なH形鋼の塊に銃口を押し当て、引金を引く。
弾けたH形鋼と十字架の嵐が、毬空を襲った。
「ッ!」
毬空はH形鋼に右脚を、十字架に左腕を持って行かれた。傷口に大小様々なDAMAGEの字が乱立する。
「ご存知でしょう。聖告者を目指す24名の天使は、欠員が出る度に天界から補充されます。優れた順番に、拒否権無く」
毬空が距離を取る。Χは毬空を追いながら銃撃した。
「私はこれまでに100名の天使を抹殺しました。まだ足りません。全ての天使を引きずり降ろします」
毬空はシリンダーに直接口を付けて弾薬を装填し、振り返り様に撃ち返した。
「おっと♪」
H形鋼が腹を直撃する寸前に、Χは急速に後退した。
翅の筋が発光し、Χは加速を続けソニックブームを穿つ。
Χの飛行速度が弾速を超え、体とH形鋼に隙間ができた。ΧはH形鋼を撃って止めた。
「天使を狩り尽くしたら、次は大天使アンナです。そうやって天使がいなくなるまで続けます。私も含めて」
毬空がマッハでΧの背後に回り込み、発砲する。
Χは先程撃って止めたH形鋼をキャッチして軽々と振り回し、毬空が放ったH形鋼を叩き落とした。
「うそ……ッ」
「あなたもですよ、Η。あの子を守れなかったことは怒らないから、一緒に天使を根絶やしにしようって言ったのに。あなたは私から逃げましたね。やっぱり、あの子のことが大事じゃなかったんですね。酷い子」
十字架の散弾が毬空の左半身を吹き飛ばした。
顔の左半分が削られ、頭上のERRORのノイズが激しくブレた。
「あ……ッ」
「裏切り者」
Χは毬空をH形鋼でぶん殴った。
毬空は東京西端の深い森へ墜落した。飛んでいるうちに、2人は都心から離れていたらしい。
木々を薙ぎ倒して地面に叩きつけられた毬空は、銃と四肢を失くしていた。
ザザ、ザザとノイズ音が鳴り、毬空の頭上に浮かぶERRORは明滅を繰り返していた。
「か……Χ……」
地面を深く陥没させたクレーターの中で、毬空は虫のように這う。
その前に、Χが降り立った。
「あなたは愛していなかったんですね」
Χに蹴飛ばされ、毬空は木の幹に叩きつけられた。
「私は愛していましたよ、あの子を。愛って、わかりますか?」
幹を背にして項垂れる毬空の元へ、Χはゆっくり歩いて行く。
「我が子のように――子を産めはしないけれど、きっとこれはそういう感情なんだと悟っていました。私はあの子を愛していたんですよ」
毬空の傷口に浮かぶDAMAGEのノイズは度々REPAIRに変わり、胴体や手足を再生していた。が、Χがトドメを刺すのとどちらが早いかは、火を見るよりも明らかだった。
「私は、あの子が幼母だから育てたんじゃない。だって私が拾った時、あの子はまだ赤子だった。たまたまだったんです。たまたま、あの子は聖母の素質を持っていた。持ってしまったんです」
Χは赤子を抱くように、銃を抱きしめた。
「聖告なんてどうでもよかった。私は大天使なんて、昇格なんてどうでもよかった。ただあの子がいてくれたら良かった。なのに他の天使たちは、大天使の席が1つしか空いていないからと言って、私に先を越されないためにあの子を殺した……」
Χは一度たりとも笑顔を絶やさなかった。
笑顔のまま、怨嗟を吐いた。
「あの子を奪った天使どもを屠っても、心に空いた穴は塞がりませんでした。あなたの言う通りですよΗ。あの子は戻らない。私の心も。心ってわかりますか?Η、あなたは心を持っていますか?」
「……」
「思ったんです。天使なんていなければって」
毬空はノイズにまみれた顔で、Χを見上げた。
「……私も、同感だよ」
毬空の声にはノイズ音が混ざっていた。
「聖母争奪戦なんて、クソ食らえだ。互いの幼母を奪って、殺して、馬鹿みたいに。だから、終わらせようとした……Χ、あなたこそが聖告者になるべきだと……大天使に相応しいと、信じていたから」
毬空は悲しそうに眉をひそめた。
「でもね、途中からどうでもよくなったよ。聖告とか、本当にどうでもよくなったの。Χ、あなたとあの子が……親子みたいな2人と、一緒に暮らせるだけで……私もね、凄く幸せだったの」
「……」
「だから、見ていられなかった。狂い切れないほど強くて、優しいΧが……自分を罰そうとしているのが、罪を重ねて堕ちるところまで堕ちようとしているあなたが……見てられなくて、いっそ楽にしてあげられたら、どんなに……どんなに」
「……」
Χは毬空に銃を向けた。
「Η。あなたはあなたを赦していいんですよ」
「Χ……」
「代わりに私を憎んで下さい。私を呪って下さい。ホモ・サピエンスと同じくらい下劣な存在にして下さい。そうすればもしかしたら、あの子と同じ場所に逝けるかもしれないから」
「……それはできないよ」
Χが引金に指をかける。毬空は言った。
「Χはあの子を、下劣だなんて微塵も思ってないから。そんなやり方じゃ、会いに逝けないよ」
「ええ。わかってました」
毬空の瞳に――LOCK ONが浮かぶ。
H形鋼が、背後からΧの胸を貫いた。
Χは瞠目した。
「……え?」
肩越しに背後を振り向く。
毬空が墜落したクレーターの中心。
地中から這い出した毬空の右腕が独りでに動き、Χに銃を向けていた。
「遠隔神経?……腕、自分でもいだの……?」
「Χは強いから。やったこと無いでしょ、こういうの」
毬空の右手が銃を乱射する。
H形鋼がΧの腹を貫き、腕をへし折り、脚を砕いた。
何本ものH形鋼に貫かれたΧが、膝を折る。
と同時に、脚を再生した毬空が立ち上がった。
Χがノイズ音混じりの声を吐く。
「い……Η……」
「ごめん、Χ。遅くなって。ようやく決心がついた」
毬空はクレーターまで歩いて腕を拾い、傷口を接合した。
「楽にしてあげられる」
「Η、私、は……」
毬空はΧの折れた手から銃をそっと取り上げた。
「さようなら、Χ。忘れない。あなたも、あの子も」
「Η――」
十字架がΧの頭を撃ち抜き、粉々にした。
ΧのERRORがザザッとブレて……消えた。
「愛してたよ。Χ」

翌朝、紡季が起きて部屋を出ると、毬空はソファに座っていた。
「おはよー」
「おはよう」
「うぇっ!?」
紡季はぎょっとした。
毬空は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……」
「?」
「あんた……笑えたんだ」
「私を何だと思ってるの」
毬空はくすりとして、胸を張った。
「天使だよ、私は」

アイルランド コーク県
「先生」
窓の無い部屋のベッドに横たわる少女が、問いかける。
「いつになったらお家に帰れるの?」
天使Εイプシロンの擬態は裸の上に白衣を羽織るだけという雑なものだったが、暗い室内では些細なことだった。
Εは少女の頭を撫でた。
「病気が治るまでよ」
「パパとママに会いたい」
「もうちょっとの辛抱だからね。良い子にしてるのよ」
Εはランプを消して寝室を出た。
扉の向こうから聞こえる啜り泣きに、Εは何も感じなかった。
「もうじきね」
Εは歪んだ笑みを浮かべた。
「聖告の時は近いわ」
カーテンを開けると、水平線から朝日が昇っていた。
「?」
上空に、ぽつんと影が浮いている。
Εの人外の視力は、その姿を鮮明に映した。
頭上にグリッチノイズのERRORを浮かべた天使。
服は着ていない。
代わりと言っては何だが、全身にコルセットピアスを張り巡らせている。
その天使が、ブランダーバスラッパ銃をこちらに向けた。
「あ」

引金を引く。
突如、30階に及ぶ高層ビルが現れ、大地に真っ逆さまに突き刺さった。
Εと少女がいた家は、跡形も無く潰れた。
海岸沿いの町に上下逆の高層ビルがそびえ立つ、異様な景色が完成する。
「抜け駆けは許さんぞい、Εさんよ」
天使Ιイオタはケラケラ笑った。
「やぁーっとΧが死んだからな。聖母争奪戦の再開だ」

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