「ERROR“A”」第2話

「うん。呼ばれたらいつでも。また何かわかったら連絡して。じゃあ」
古洞紡季つむぎは電話を切り、リビングに戻った。毬空まりあこと天使アンジィΗイータはソファでテレビを観ていた。
「どうかしたの?」
何かを察したらしく、毬空はすぐ尋ねた。
「……そうだね、一応言っとくか」
紡季はソファの肘掛けに座った。
「カイルが乗ってた飛行機が、墜落したって。私たちと別れてすぐ後の便」
「!」
「ニュース観て、まさかと思ってたけど」
「カイル、死んだの?」
「遺体は捜索中だけど、たぶん。海に墜ちたから見つかんないかも」
「……」
「今時飛行機事故なんてね。会社もバタバタしてるよ。ああ見えてやり手だったからさ。……死ぬ時はあっさりだね。現役の頃は殺しても死なないような人だったって聞くのに」
毬空がずいっと顔を覗き込む。
「紡季」
「うおっ、近」
「それ、本当に事故?」
「え?いや、厳密には原因不明らしいけど。でもテロならテロだって報道されるだろうし」
「……そっか。だよね」
「?」
テレビを向く毬空の横顔を、紡季は怪訝な目で見た。
(心当たりでもあるのか?訊いてもどうせ口割らないか。こいつ関連だとしたら天使か?そもそも天使っていったい……ああ駄目だ、昨日から色々あり過ぎて頭がパンクする)
自分の頭をわしわし掻き、紡季は立ち上がった。
「よし、買い物行くか。昨日は行けなかったし」
「何買うの?」
「あんたの日用品。布団とか色々。あんたの荷物、服以外何も無いじゃん」
「布団要らないよ」
「いつまでもソファで寝るわけにいかないでしょ」
「ううん。私寝ないよ」
「は?」
「天使は寝ないの」
「マジか。食べも寝もしないのかよ」
「えへへ」
「怖っ。真顔で照れないで」
紡季は顎に手を当てて考えた。
「えーと、じゃあ歯ブラシとか?」
「虫歯にならないよ」
「でもほら、口臭とか……」
「私息しないよ」
「マジかよ……。じゃ、じゃあバスタオルとか。風呂は流石に入るでしょ」
「入んないよ」
「お、女の子だろ?」
「天使に性別無いよ」
「う~んそれでも風呂は流石に入った方がいいんじゃねぇかなぁ?」
「汗かかないよ?」
「で、でもほら、髪とか……シャンプーとか、しておけば……香りが、そう!香り!良い匂いするよ!自分から!良い香りが!」
「良い香り?」
「そう!」
「……」
「……ごくり」
「買いに行く」
「よしッ!」
外に出ると、今日も雪が降っていた。
毬空の息が凍っていないのを見て、紡季は目を点にした。
(本当に息してないんだ)
毬空が首を傾げる。
「なに?」
「いや。コートも見に行こう。昨日穴だらけにされたし」
「……貸してくれたコート、すごいぶかぶか」
「デカくて悪かったな」
案の定、ショッピングモールは大変な混雑だった
「ほんと、こっちのクリスマスは雰囲気違うなぁ。喧しいというか何というか」
「……」
あちこちに装飾されたXmasの文字を、毬空はじっと眺めた。
「シャンプーだから、薬局……いや、もうちょいお洒落なとこ行くか」
「何でもいいよ」
「そういや携帯持ってる?」
「カイルに貰ったのが……キャリーケースの中に」
「携帯しろよ」
「ごめんなさい」
紡季は毬空の手を取った。
「なに?」
「人多いからはぐれないように。携帯無いなら困るでしょ?」
「……うん」
「行くよ」
紡季が手を引く。毬空は紡季の手を見つめた。
「ガサガサしてる」
「おう、ハンドクリームも買えってか」
コスメショップに行くと、毬空は早速店員に話しかけられた。
「お父様とご一緒にお買い物ですか?」
「お父様?」
「あー、すいません。私女です」
「っ!も、申し訳ございませんっ!」
「いーっすよ慣れてるんでー」
「この人が女に見えるハンドクリームとか売ってる?」
「シバくぞてめぇ」
会計を済ませる間も、終始店員はばつが悪そうにしていた。
(逆に申し訳無い……)
「紡季」
「ん?」
「よかったの?ちょっと高かったけど」
「気にしなくていいよ。あんま金使わないんだ。ギアは支給か手作りだし」
「ぎあ?」
「じゃ、コート買いに行くか」
クリスマスセールと銘打ったアパレル店に到着する。
「ちょっとトイレ行って来るから、好きなの選んでて」
「うん」
「店から出るなよ」
「わかった」
トイレの個室で用を足しつつ、紡季は携帯を開いた。
(事故の続報は無し、か。やっぱり毬空に追及してみるか?昨日みたいに口を滑らしてくれるかな……ん?)
ふと、紡季は顔を上げた。
個室のドアの上から、女の子がひょこっと顔を出していた。
紡季はピシッと固まった。
「は?」
「くすくす」
ウィンプルに酷似した頭巾を被った少女。愛嬌のある笑顔を浮かべてドアの上にしがみつき、紡季が用を足している様を凝視している。
(が、ガキのシスターにトイレ覗かれてる……)
「くすくす」
(人のトイレ見てめっちゃニコニコしてる。え?変態?幽霊?どっちでも怖くてやだな)
「うふふ」
(どうしよう……とりあえずパンツ上げるか)
努めて冷静に諸々の処理をしていると、少女が口を開いた。
「ねえ、あなた」
「うお、話しかけてきた」
「殿方がどうしてここにいるのですか?」
「女だよぶっ殺すぞこのガキ」
「なんと、これは失礼しました」
(幽霊じゃなくて変態だったか)
「では問いを変えますね」
「いやいいよ。降りろよ」
「処女ですか?」
「可愛い顔でエグいセクハラしやがる」
「あら?別にパナギアの候補ではないのですね」
「よし、ちょっと待ってろ今出るから。俄然親の顔が見たくなってきた」
少女が頭を引っ込める。
紡季がドアを開けると、少女は消えていた。
「あれ?」
外を探しても、少女らしい影は見つけられなかった。
(……へ、変態の幽霊?)
店に戻ると、毬空は購入するコートを決めていた。
「紡季、これにする。いい?」
「おー……いいぞ」
「?なんか元気無いね」
「……変なガキにトイレ覗かれた」
「え、トイレって覗けるの?」
「こう、上から」
「入ったこと無いからわかんない」
「そこからかぁ」
会計待ちで並んでいる間、紡季と毬空は覗き魔の話で時間を潰した。
「男の子が入って来たの?」
「女の子だったよ。変な格好してたけど」
「変な格好?」
「ほら、なんかあれ。シスターみたいな。頭に被るやつ。あれしてた」
「……えっ」
「何かのコスプレかなぁ」
列が進む。紡季が前へ歩く。
毬空はその場に立ったまま、ゆっくりと、後ろを振り向いた。
「ッ」
毬空は目を剥いた。
店の外。
行き交う人混みの中に、ぽつんと立っている少女がいた。
丈の長いウィンプルで全身を包んだ、素足の少女。
毬空と目が合うと、少女は柔和に微笑んだ。
「か……」
毬空は声を震わせた。
Χカイ……?」
天使Χは唇を動かす。
「メリークリスマス、Η」
「……ッッ」
紡季に肩を叩かれ、毬空はハッと前を向いた。
「レジ空いたよ、ほら」
「……うん」
もう一度後ろを見た時、Χは消えていた。
店を出ると、紡季は買う物を指折り数えた。
「さて、あとはバスタオルと……折角だしドライヤーも新しいの買っとくか。他に欲しい物ある?」
「ううん」
ケーキ屋の前を通りかかる。
「ケーキ食べる?」
「ケーキ食べない」
「じゃあいいか」
「うんいい」
歩きながら、毬空は周囲の人混みを窺っていた。
(どうしよう。もう見つかった。やっぱりカイルの飛行機もΧが?紡季を殺さなかったのは、ただの気紛れ?いつここの人たちを皆殺しにしてもおかしくない……)
毬空は紡季と繋いだ手を見た。
(逃げられない。Χを、私が――)
毬空が立ち止まる。握っていた手がするりと抜けて、紡季は振り向いた。
「毬空?」
「……」
「どうしたの?やっぱりケーキ食べる?」
「ねえ、紡季」
毬空は買い物袋を握り締めた。
「紡季はどうして、相棒を殺したの?」
「……は?」
「教えて欲しいの」
毬空は紡季の顔を見た。
縋るような目だった。
「どうやったら、大事なひとを殺せる?」
「……」
意外なほど、紡季の返答は早かった。
「理由があれば、できるよ」
「……紡季には、理由があったの?」
「うん」
「苦しんでたから?」
「それもある。けど、本当は」
紡季は自分の手に目を落とした。彼女の目に、その手は血に染まって見えた。
彼女は寂しそうに笑い、言った。
「忘れたくなかったから」
毬空は目を見開く。
「……」
幻覚の血を拭わず、紡季は手を差し出した。
「行こう」
「……」
毬空は一度だけ躊躇い、意を決したように紡季の手を握った。
「……うん」

その夜。
紡季は毬空の髪にドライヤーをかけた。
「サラサラになったね。良いシャンプー買っただけある」
「……」
「はい、終わり」
毬空は鏡越しに紡季を見つめていた。紡季が首を傾げる。
「どうかした?」
「……何でも」
「そ。……私も謹慎明けまで髪伸ばそうかなぁ」
「似合うと思う。紡季なら」
「え~そうかな」
「たぶん」
「たぶんかぁ」
0時前。毬空がソファでテレビを観ていると、紡季が自室から顔を出した。
「私そろそろ寝るけど、毬空は本当に寝ないの?」
「うん。天使だから」
「天使すげー。じゃ、朝までテレビ点けててもいいよ。暇でしょ?」
「ううん、いい」
毬空はテレビを消して言った。
「明るくしてたら、サンタさんも来にくいでしょ?」
「え!まさかサンタも実在するの!?」
「しない」
「しないんかい」
紡季はドアノブに手をかけた。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさい」
扉を閉める。毬空は真っ暗なリビングに、暫く膝を抱えて座っていた。
日付が変わる。
毬空はキャリーケースからバックレスワンピースを引っ張り出し、パジャマから着替えた。
ベランダに出る。浅く雪が積もっていた。
毬空の頭上にERRORのノイズが現れ、背中に翅が生える。
「……」
紡季の部屋を一瞥し、毬空は空へ飛び立った。

黒い空から白い雪が堕ちている。
聖夜に浮かれた街はギラギラ輝いている。
空の上で誰かが待っていた。毬空は同じ場所まで上がった。
待っていたのはΧだった。
Χは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「遭いたかったですよ、Η」
毬空も微笑を返した。
「うん。私も」

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