「リアル・セカンズ」第1話

あらすじ

命を懸けた実戦は数秒で決着がつく。その秒殺の世界で生きる者をセカンズと呼ぶ。
セカンズの襲撃により選手生命を絶たれた元総合格闘技選手南見秋人みなみあきとは、刑事の紹介で少女のような容姿の猫尾凪凪ねこおなぎなを頼る。
初めは凪凪を訝しむ秋人だったが、彼女もまた実戦能力を持つセカンズだった。
凪凪は襲撃犯を突き止め、秋人とともに乗り込む。そこで秋人は、セカンズ同士の僅か1.9秒の死闘を目の当たりにする。
秋人は人助けのために力を使う凪凪の生き様に、失いかけていた生きる意味を見出す。今の自分にできることは何か。その答えを得るため、秋人はセカンズの世界へ足を踏み入れていく。


総合格闘技の試合は1ラウンド5分、通常3ラウンドで行われる。
ボクシングは1ラウンド3分、最大12ラウンド。
レスリングは2ピリオドで6分間戦い続ける。
剣道は1試合5分。
柔道は4分。
空手は3分。
フェンシング、3分。
これらは源流となる武術を競技化する際に、諸般の都合により設けられたルールによる。
ではそのルールが作られる以前。懸けた
生死を懸けた原初の死合――即ち実戦とは、何分、あるいは何秒であったか?


会場は熱気に包まれていた。ベルトを担いだ選手がリングから手を振り、歓声に応えている。
『改めまして、ウェルター級新チャンピオンに輝きました南見選手に、皆さん大きな拍手をお願い致します!』
南見秋人みなみあきと。24歳。185センチ77キロ。
片目が腫れ額には出血もあったが、彼の表情は晴れ晴れとしていた。
『壮絶な死闘を制しとうとう国内チャンピオンに昇り詰めたわけですが、南見選手。今後はどこを目指しますか?』
差し出されたマイクに、秋人はにこやかに返した。
『いずれは総合格闘技の本場、アメリカに行きたいと思っています。俺は人類最強を目指しているので。はい。ここで慢心せず、もっともっと上を目指していきます』
僅か一か月後、秋人は病室のベッドにいた。
全身が包帯に覆われ、四肢はギプスで固められている。唯一見える顔の肌も痣だらけだ。骨折は10カ所以上、左眼球摘出の重傷だった。
サイドテーブルに置いたタブレットは、生涯最後のタイトルマッチを垂れ流していた。秋人はそれを何度もループ再生していた。そうでもしないと、気を保てなかった。
「南見さん。もう一度訊きますが、犯人は一人なんですか?」
黒井くろいという年配の刑事がメモを手に尋ねた。秋人は片目で黒井を見上げ、枯れた声で返した。
「何回も言ってんだろ。おっさんにボコられたって」
「とは言ってもねぇ。だって、あなたでしょう。タイマンで負けたとは信じ難い。集団にリンチされたとかじゃないんですか?」
「俺がこんな嘘ついて何の特になる」
「記憶は確かで?」
「医者に聞け」
「事件当時の状況をもう一度教えてくれますか」
試合後のインタビューが終わり、タブレットが入場シーンから再生を始める。
「いつものコースをランニングしてたら、前からそいつが歩いて来て、いきなり殴られた」
「一方的に?」
「もちろん応戦したさ。でも手も足も出なかった。この俺が完敗だ。ベルトが泣くな」
秋人は深いため息を吐く。
「何が人類最強だ……ただのおっさんにも勝てやしない」
「……」
黒井は相方の若い刑事を外させると、砕けた態度で話し出した。
「南見さん。この件はもしかしたら、俺らの手には負えないかもしれない」
「は?」
「君を襲った奴、恐ろしく強かったろ? 格闘技とは違う妙な技を使わなかったか?」
「! ……あんた何か知ってるのか?」
「やはりそうか。残念だがホシは捕まらない。事故にでも遭ったと思って諦めることだ」
「あぁ?」
「命があっただけ幸運だ」
「待て、ふざけんなよ。どういうことだ!」
「世の中にはどうしようもなく理不尽なことがある。我々警察も万能ではない。『奴ら』のような法の外の住人には手出しできない」
「てめぇさっきから何言ってやがる? 勝手ほざきやがって、この体を見ろ! こっちは選手生命終わらされてんだぞ!?」
黒井は秋人の顔を覗き込み、小声で言った。
「これは忠告だ。相手はあまりに危険過ぎる。干渉すれば、命の保証はできない。だが、それでももし、どうしても納得できないなら。危険を冒してでもホシに一矢報いたいというのなら、ここに行ってみるといい」
名刺の裏に住所を書き、秋人に見せてからタブレットの隣に置いた。
「何だそれ? どこだ?」
「俺の立場からはこれしか言えない。はっきり言ってオススメしない。何が起きても自己責任だ。自由が利くようになるまでじっくり考えてくれ。一番良いのは、これを破り捨てて静かに暮らすことだ」
黒井は踵を返す。
「また来るよ、お大事に」
「なんでそんなこと、教えてくれる?」
一度立ち止まり、すぐに歩き出した。
「君のファンだからだよ、南見選手」


半年後、杖を突いて歩けるまでに回復した秋人は例の住所にいた。
「ここで合ってんのか?」
個人経営のぬいぐるみ屋だった。多種多様なサイズと形のぬいぐるみが棚を埋めている。店員は二人のみ。
店主と思しき老紳士がカウンターから歩いて来る。
「いらっしゃいませ。お目当てはございますか?」
「いや、客じゃない」
「はい?」
「黒井ってデカにここを教えられた」
黒井の名刺を出す。
「力になってくれるって聞いたが」
「……なるほど」
(このじいさん、こう見えて凄腕の探偵とかか?)
 店主はもう一人の店員を呼んだ。
「ナギナさん、あなたにお客さんだ」
「えー? 私ですかー?」
棚を整理していた店員が脚立を降りて駆け寄って来る。高校生くらいの女の子だった。秋人は拍子抜けした。
(え? こっち? こいつ?)
店主が言った。
「店は僕に任せて、上で話しておいで」


二階は店主の住まいらしく、少女は勝手知ったる様子で茶を淹れた。テーブルにつくと、彼女は口を開いた。
猫尾凪凪ねこおなぎなです。猫の尻尾に凪二つでナギナです」
(すげぇ名前)
「えっと、南見秋人さんですか? 格闘技の」
「ああ、うん。そう。よく知ってるね、格闘技とか観るの?」
「大晦日に、ちらっと。あと……ニュースで」
「この前やっと退院できてな」
「大変でしたね。大人数に襲われたって」
「違う、リンチされたっつーのは週刊誌とネットが勝手に言ってるだけだ」
「え?」
「引退会見でも言ったけどな、見ず知らずのおっさんにボコボコにされたんだよ。誰も信じちゃくんないけどな。……ハッ、この俺が秒殺だぜ?」「……」
 凪凪の目が微かに鋭くなった。
「で、黒井ってデカに聞いて来たんだけど、ここって何? 探偵? つっても君、まだ高校生だよな?」
「あ、いえ」
凪凪は苦笑いした。
「私、一応~26です」
「はっ!? 年上!?」
茶を吹きそうになる。華奢な体躯に童顔、まさか成人だったとは。
「マジか……なんかすんません」
「よく言われますから」
「じゃあ~……本当に探偵?」
「いえ、探偵とはちょっと違って」
「? じゃあ何?」
「うーんそうですねぇ。なんて言おうかな。専門家? みたいな」
「何の?」
凪凪は照れ臭そうに笑った。
「暴力の」
「……?」
「それでご用件はやっぱりー……その怪我のこと、ですよね?」
「ああ」
「犯人はまだ?」
「見つかってない。デカは泣き寝入りしろって言ってきやがった。ざけやがって、はいわかりましたってなるわけねぇだろ」
「事件のこと、詳しくお聞きしても?」
「……」
秋人はカップを口に運んで時間を稼ぎ、凪凪を観察した。
(暴力の専門家? って何だ? なんかの鑑定士みたいな? カンシキ的なやつ? マジでわかんねーな。さっきのおっちゃんならまだしも、こんなブレザー着てても違和感無いねーちゃん紹介して……あのデカどういうつもりだ?)
「?」
(こいつ信用していいのか? どうにかなるとも思えねーけど……かと言ってサツが使えないなら他に頼る所もねーし)
「南見さん?」
「ま、物は試しか」
「え?」
「とりあえず事件の時のこと話すよ。サツに何度も話したからソラで言える」
詳細を語る間、凪凪は頻繁に頷き相槌を打った。
「これが人相だ」
証言を元に描かれた似顔絵を、凪凪に渡す。ポニーテールに顎髭、サングラスをした細身の男。
「で、専門家さん的にはどう?」
「……」
「結局、猫尾サンって何してくれる人なん?」
「南見さん」
「なに」
「これから話すことは秘密にしてくれますか?」
「え?」
「南見さんは被害者なので知る権利があります。他言しないと約束して下さるなら、南見さんが知りたいと思っていることをお教えします」
「俺が知りたいこと?」
「犯人が何者なのか」
「は? 今の話だけでわかったってのか?」
「おおよその見当は」
「へー……もし、俺が誰かに喋ったら?」
「今度は怪我で済まないかも」
「脅しか?」
「警告です」
「……」
「……」
睨み合いに負けたのは秋人だった。
「わかったよ、誰にも言わない。こっちは藁にも縋る思いで来たんだ。それに――」
秋人は眼帯に触れた。
「命を賭けてたもんを奪われた。失う物は残っちゃいない」
「……わかりました」
 急に、秋人は寒気を感じた。
(なんだ?)
凪凪の表情は変わっていない。声も。しかし。
(なんか……雰囲気が……?)
茶を一口啜り、凪凪は話し出した。
「南見さんを襲った犯人はおそらく、セカンズと呼ばれる者です」
「セカンズ?」
「簡単に言うと、実戦屋。武術や軍隊式格闘術、暗殺術などの殺人技術を持つ人間。中でも軍隊などの公的機関に属さず、個人の利益や信条に基づいてその技術を行使する者のことです」
「何だそれ。ヒットマン的な?」
「その道で技術を活かしているセカンズもいます」
「映画みてーな話だな」
秋人は眉間を寄せた。
(ふざけてんのかってキレてもいいとこだけど……顔がマジだし。それになんか、なんだろ……この妙な雰囲気。どっかで似たようなの……気のせいか?)
凪凪は淡々と続ける。
「風貌と南見さんの話からして、このセカンズのスタイルは日本の古流武術ですね。それもかなり練度の高い」
「古流武術? じゃあなんだ、俺は武術の達人にボコられたってのか?」
「憶測ですが」
「いやいや……軍人とかならまだしも。武術って」
「何かおかしなことでも?」
秋人は鼻で笑った。
「武術が実戦で役に立たないってのは通説だろ。達人だかなんだかのじいちゃんが、レスラーに手も足も出ない動画観たことあるぞ? インチキだろあんなの」
「表に出ている武術家に一定数そういう方がいるのは、否定しませんが」
「だいたい、フィジカルじゃアスリートには敵わねぇだろ?」
「はい。武術家の方はそもそも体力で勝負していないので、それはおっしゃる通りだと思います」
「……体力勝負じゃなけりゃ勝てる、みたいな」
「というより、武術家……もといセカンズは実戦が専門ですので。アスリートの方と比べるのが違うかな、と」
「どういう意味?」
「うーんそうですね……。さっきの動画の話で例えると、その試合のルールで殺しはありでした?」
「いや、ありなわけねーだろ」
「相手に怪我をさせるのは?」
「う~ん多少は……?」
「急所を攻撃したり関節を壊したりは?」
「それはアウトだろ、常識的に」
「ですよね。なら、間違いなくレスラーの方が勝ちます」
「……?」
「逆に今言ったことが、全て解禁されるなら。ルールが無く、レフェリーもいない。どんな手を使ってもいい。つまり実戦なら、武術家に分があります」
「……もっとわかりやすく頼める?」
「実戦の多くは、体力勝負になる前に決まります。スポーツ格闘技はできる限り安全なルール作りがされて試合時間も決まっていますが、武術は真逆です。ほとんどの技が相手の殺傷を前提とした、スポーツでいう禁止技です。速くて一手、かかっても三手から四手で決着します」
「でもよく観る達人はなんか、嘘くさいじゃん」
「人前で披露できる技を厳選すると、ああなるんだと思います。披露するという時点でエンタメは意識してますからね。危険な技を真似されても困りますし」
「なんか納得いかんなぁ」
「普通はそうですよ。スポーツ選手の方が見るからに強そうだし、力もあります。でもアスリートとセカンズには、決定的な違いがあります」
「どんな?」
「スポーツには殺すための技が無い。武術にはある。『殺せること』と『目的が殺すこと』とでは、『結果』に辿り着くまでの距離に歴然の差があります。南見さんは人体の急所を知っていますか?」
「首とか?」
「首のどこを、どの角度から打てば命を絶てるかご存知ですか? 頚椎の何番目を狙うかとか」
「知らん」
「これも大きな違いの一つです。殺人という行為に向き合った時間、身につけた知識。格闘家は相手を殺さずノックアウトする練習をしている一方で、武術家はより速くより的確に、より効果的に急所を破壊する鍛錬を積んでいます。もともと戦に使われていた技術から牙を抜いて生まれたのが現代の格闘技です。根底から土俵が違う。これはどちらが上だとか、どっちが強いとか優れてるとか、そういう話じゃないんです。だから……」
秋人は自嘲気味に笑った。
「だから、俺が負けたのも仕方ないって?」
凪凪は詫びるような、慰めるような顔をした。
「南見さんは負けたのではありません」
「いいや、負けたよ」
「格闘家としては負けていません。戦ったのはリングの上じゃなかった」
「関係ねぇ。負けたんだよ。見ろよ、このザマ。正直納得してねーけど、なんとなーく言ってることはわかった。俺が否定しても、説得力ねぇよな。何に負けたかもわかんねーんだから」
膝の上で、秋人は拳を握り締めた。
(本当はわかってる。身に沁みてわかってる。グチャグチャにされて、骨の髄まで叩き込まれてる。あいつの動きは、格闘家の動きじゃなかった。気づいたらやられてた。あれが……今言った本当の武術ってやつなのか?)
影が被さり、頬に何かが触れた。凪凪が隣に立って秋人の顔を覗き込んでいた。手にはハンカチ。
「なに?」
「あっ、その……泣いてるのかと思って」
「は? 泣いてねーよ」
「ヒッ。ごめんなさい」
凪凪が急いで向かいに戻る。それがおかしくて秋人はちょっと笑った。
「なんで、猫尾サンはそのセカンズってやつのこと知ってんの?」
「それは……」
「猫尾サンもセカンズの被害者とか?」
「いえ……その逆です」
「逆?」
逡巡し、凪凪は言った。
「私も、セカンズなんです」
「……え?」
ゾクッと、秋人の身に寒気が走った。
(あぁ、そっか。今やっと思い出した)
体がぶるっと震えた。
(セカンズの話を始めた時から感じてた、冷たい空気。あいつと同じだ。あの時、俺を襲ったあいつの顔を見た時、同じ寒気を感じた。ナイフを突きつけられたみたいな――身の毛のよだつ、恐怖)
凪凪をまじまじと見る。
(あいつと同じ……じゃあ、こいつもあの野郎みたいに? いや、いくらなんでも……)
秋人はごくりと喉を鳴らした。
(でもなんだ、この不気味な説得力は?)
秋人はおそるおそる尋ねた。
「もしかして、下のおっちゃんも?」
「いえ、丹波たんばさんはただのこのお店の店主です。セカンズのことは知ってますが」
(なんだ、ただのおっちゃんなのかよ。あっちが達人だって言われた方が納得できんのに。でもちょっと安心した)
凪凪は探るようにじっと秋人を見つめた。
「南見さん、私なら犯人に目星をつけることはできます。同じ穴の狢なので、嫌でもわかってしまいます」
「マジで!? じゃあ……!」
「はい、南見さんが望むなら犯人を特定します。南見さんは被害者です、協力は惜しみません。ですがその前に一つ、確認しておきたいことが」
「なになに?」
「犯人を見つけたら、南見さんはどうしたいですか?」
「……。どうって――」
「警察を頼るのは、黒井さんが言っていた通り難しいです。本人が自首でもしない限り、逮捕はできません。私が犯人を特定する方法も、物的証拠には程遠いです」
「……」
「見つけたら、その後。どうするつもりだったんですか?」
「……一発。いや、一発どころじゃ足りねぇな。俺が送るはずだった選手人生、打つはずだったパンチ、全部そいつに叩き込まねぇと……気が済まねぇ」
秋人は自分の手を見た。
(こんな体で、何を言ってんだ。あの時でさえ、何もできねぇでやられたのに)
秋人は声を詰まらせる。凪凪が言った。
「私が代わりにやりましょうか?」
「……えっ」
「黒井さんが紹介した時点で、お察ししていると思います。私がここで請け負っているのはつまり、『そういうこと』です」
「……」
「私が南見さんの仇を討ちます」
自分の拳でどこまでもいけると思っていた。人類最強になれると、本気で信じていた。その拳を、誇りを、命さえ、
(こんな女の子に、託す日がくるとはな……)
秋人は深々と頭を下げた。
「お願いしゃす。俺の、格闘家南見秋人の仇を――!」
「……わかりました」
「……あざす!」
「では、まず」
「?」
凪凪は真顔で言った。
「服を脱いで下さい」
「…………えっ」


秋人が杖を突いて帰って行くのを二階の窓から眺めながら、凪凪は携帯を耳に当てた。
「もしもし、猫尾です。はい。ええ、南見さんの件で。黒井さんにお願いがあって……今から言う過去の事件の資料を用意してくれませんか?」


秋人と凪凪は四階建てのビルの前にいた。看板には「蛇々島じゃじゃじま流合気拳術道場」とある。
「ここの道場主が、あのクソ野郎か」
「南見さん、無理についてこなくていいんですよ」
 凪凪が心配そうに秋人を見る。
「何が起こるかわかりません。身の安全は保証しかねます」
「わかってるよ。全部自己責任だろ、その覚悟で来た。とにかく俺は、あいつのツラをもう一度拝むまで……あの日から抜け出せそうにねぇんだ」
凪凪と目を合わせる。凪凪は根負けした。
「わかりました、じゃあこうしましょう。私よりも前には出ないで下さい。絶対に。それならある程度は安全だと思うので」
「何歩後ろがいい?」
「五歩くらい」
「結構だな。OK」
「じゃあ行きましょうか」
「おう!」
正面入口へ歩きながら凪凪は説明した。
「一階は受付、更衣室とシャワールーム。二階は初心者向け道場、三階は上級者向け。四階は道場主と直弟子しか入れない特別なフロアです。この時間帯、四階では特別授業があります。三階まではスルー。四階の道場主を直接訪ねます」
「電撃訪問だな」
「ええ」
受付の男が二人に気づき、話しかけた。
「新規の方ですか? こちらで申込名を確認――」
「失礼」
ずかずかと受付に近づき、凪凪は男の頸動脈を手刀で一閃した。男がぐったりと崩れ、秋人は唖然とした。
「え、死んだ!?」
「寝かせただけです。そんな調子でこのあと大丈夫ですか?」
「お、おうよ!」
「エレベーターで上に行きましょう」
凪凪はカゴの天井に設置された監視カメラを一瞥した。四階に着き、歩き出そうとした秋人を手で制す。ドアが開くと、目の前に合気道袴を着た男が立ち塞がっていた。
「誰だお前ら――」
男の金的を、凪凪がいきなり蹴りつけた。悶絶し屈んだ男の耳を掴み、操作盤の角に思い切り顔面を叩きつける。耳がブチッとちぎれ、男は昏倒した。
「気をつけて下さいね。ここから先は全員、セカンズの卵と考えていいです」
「死んだなこれ」
「ギリ生きてます」
(いや男として死んだだろ……)
耳をポイッと捨て、エレベーターを出る。秋人は青ざめ、ドン引きしていた。
廊下の先にある両開きのドアを、凪凪は躊躇い無く開放した。畳が敷かれた稽古場に、数人の男女がいる。
「お邪魔します。道場破りに来ました」
一人だけ色の違う袴を着た中年の男が歩み出た。
「どちら様かな。畳に土足で上がらないでくれるかね」
「あなたが蛇々島傀蔵かいぞうさんですね。こちらの南見秋人さんに見覚えはありませんか?」
秋人は絶句していた。髪と髭が短くなっているが、間違いない。サングラスの有無など関係無く、確信した。夢にまで見たあの男だ。
「髪は丸刈りにしてからちょうど8カ月といったところですね。人相を変える典型的な手法です」
秋人の顔に青筋が浮き、目が血走った。杖を捨てて傀蔵の方へ歩き出す秋人を、凪凪が引き留めた。
「私より前に出ないで下さい」
「!?」
凪凪はただ秋人の袖を掴んでいるだけに見えた。が、重りを乗せられたかのようにびくともせず、一歩も進めなかった。
傀蔵が言った。
「なるほど、事情は察したよ。ドアを閉めなさい」
弟子がドアを施錠した。
傀蔵は痩せ型で、身長は平均以下だ。しかし放つオーラは冷たく、禍々しい。秋人は冷や汗をかいた。
(あの時の感覚だ)
傀蔵は秋人を見た。
「セカンズを雇ってまで報復に来るとは、愚かな男だ。依頼人の意向で折角命拾いしたというのに」
「依頼人だと!?」
「加減に苦労したよ。リングに守られた若造ごときが人類最強などと片腹痛い」
「てめぇ!」
秋人を制し、凪凪が言った。
「無辜の一般人には手出ししない。たったそれだけのことも守れないあなたが、真っ当なアスリートを馬鹿にできる道理はありませんよ」
「暗黙のルールを振りかざすんじゃない。我々は法の埒外にいる」
「人道からも外れたようですね」
「君も似たようなもんだろう」
「蛇々島傀蔵。最初は南見さんと同じくらいの怪我で済ませようと思ってました。でも事情が変わった。あなた、別件で人を殺してますよね?」
「……」
「調べました。ここ数年の未解決暴行・殺人事件。南見さんと同じ傷……見る者が見なければわからない些細な共通点ですが、あなたの流派による傷を負った被害者が多数いました」
「ほう、大したものだ。それで?」
「万死に値します」
「フフッ。命を以て詫びろと?」
弟子たちに目配せする。
「囲め、良い稽古相手だ。全員でかかりなさい。男の方は放っておけ。こいつに人質は通用しない」
「猫尾……!」
動揺する秋人に、凪凪は微笑みかけた。
「すぐに終わるので、待ってて下さい」
凪凪が歩き出す。
それは、秋人が知る『戦い』とは全く異なった。
ゴングが無い。突然始まる。
リングが無い。場所を選ばない。
着衣の制約。審判。命の保証。全てが無い完全な無法。
そして最大の違い――一対多数。
チーム戦の球技ならならまだしも、格闘技ならまずありえない。一対一が大前提。
武術、軍隊格闘術等の『実戦』は常に不利な状況を想定する。当然のように、一切怯むことなく、セカンズ彼らは複数人に囲まれるという窮地を受け入れる。
前後左右を弟子が包囲した。凪凪は歩みを止めない。
両サイドから凪凪に掴みかかる。
凪凪は右の弟子の手首を掴んで極め、捻じ伏せると同時に左の弟子の膝を蹴り折った。どちらからもボキッという鈍い音が鳴った。
捻じ伏せた相手の耳に、凪凪はボールペンを突き立てた。秋人はぞっとした。
(さっきの受付の――!?)
凪凪はボールペンを鉄槌打ちし、さらに奥まで押し込んだ。ボールペンは外耳道を通り、鼓膜や蝸牛等の聴覚器官を貫通し脳まで達した。
正面の弟子が凪凪の顔に掌底を放つ――突き出された親指は眼球を射程に入れていた。同時に、背後の弟子が凪凪の胸椎を狙い正拳突きする。
凪凪は腰を落として掌底を躱し、耳にペンを刺した弟子を左へ投げながら、振り返り様の肘打ちで、背後の弟子の突きを払い除けた。
投げた弟子の頭が左の弟子の顔面を激突し、衝撃で頚椎を折った。
背後の弟子は肘打ちにより前腕が折れ、尺骨が飛び出ていた。凪凪は低姿勢のまま背後を向くや、弟子の金的を殴りつけ、その襟を掴んで真下へ引いた。弟子は畳に顔面を強打し、動かなくなった。
正面の女の弟子が蹴りを放つ。袴の下から突如現れた蹴りは横から凪凪の膝を狙った。凪凪は相手の脛を踵で思い切り踏みつけ、勢いを殺した。
弟子が掌底を放つ、親指はやはり目を狙っていた。
秋人は歯噛みした。
(俺の目をやったのと同じ……!)
凪凪は弟子の掌底を、平手で外へ払った。弟子がもう一方の手で、続け様に掌底を打とうとする。その掌底を、凪凪は肘打ちで砕いた。
凪凪が素早く間合いを詰め、顔面に肘打ちを見舞う。弟子の口から折れた歯が飛ぶ。
三度目の肘はこめかみを打ち、弟子の意識が朦朧とした。凪凪は弟子のポニーテールを掴み、捻りを入れて引いた。首がぐるんと回転して折れ、弟子はその場に崩れ落ちた。
倒した敵には目もくれず、凪凪は傀蔵を目指して歩き出す。残る弟子たちも襲いかかった。
競技には無い技、否――あってはならない技。およそ他者の破壊のみを目的としたそれら数々を、凪凪は躊躇い無く行使した。
(これが実戦……殺し合い……!?)
試合のように熱烈でも無ければ、演武の美しさも無く。
映画のような派手さも無ければ、舞台の華々しさも無い。
コミックのように幻想的でも無ければ、アニメの躍動感も無い。
秋人が目にした凪凪の『戦い』とは、ひたすら残忍で、えげつなく、惨たらしく、地味な――ただし、徹底的に効率化された精密機械の如き暴力だった。
「やれやれ、『私と戦うつもりでやれ』と言っておくんだった」
傀蔵は苦笑いした。
立っている弟子がいなくなり、とうとう――傀蔵だけになった。
傀蔵は笑みを浮かべたまま、自らも歩き出す。ゆっくりと、着実に、二人は互いに近づいていく。


総合格闘技の試合は1ラウンド5分、通常3ラウンドで行われる。
ボクシングは1ラウンド3分、最大12ラウンド。
レスリングは2ピリオドで6分間戦い続ける。
剣道は一試合5分。
柔道は4分。
空手は3分。
フェンシング、3分。
では、生死を賭けた原初の死合――『実戦』とは、何分、あるいは何秒であったか?


間合い。
対峙した凪凪と傀蔵は、さらに一歩踏み出し――。


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