シャイダーがサイダーに変わる時
大学2年の春。テニス部の交流戦で負けた僕は相手校の部室で声を殺してボロボロ泣いた。
あの悔し涙がなかったら何かに一心不乱に夢中になることなんて一生無かったかもしれない。
関西薬学生連盟硬式庭球大会。
通称『関薬』
全国の薬科大テニス部や、うちみたいな総合大学の薬学部に付属するテニス部が加盟しており、年一回石川県の能登町で大会をするのだ。
その大会に向けて、近隣の大学で定期的に交流戦を行い日頃の練習の成果を試す場があった。
僕は2年生ながらキャプテンだった。
部員が10人もいない中で、中学からテニスをしていた僕が1番歴が長かったから。理由はそれだけだ。
当時僕は付き合っていた彼女が人生の最優先事項で、テニス部の練習よりもデートを優先するような最低なキャプテンだった。
お陰で部員と大喧嘩して、部の雰囲気は一時期最悪になったけど、それから心を入れ替えた僕は真面目に練習に参加するようになっていた。
そしてキャプテンとして迎えた最初の交流戦。
対戦相手の大学に出向いての試合だった。
僕らのチームはコテンパンに負けた。
1日中試合があるので、相当ハードなのは間違いないけれど、僕は午後になると手が攣って上がらなくなり、まともに戦える状態ですら無かった。
明らかな練習不足。
試合が終わって着替えるために部室を借りた。皆早々に着替えて出ていく中、僕は動けず部室に1人残っていた。
相手チームは皆全力でテニスに打ち込んでいた。
僕はというと少なくとも全力は尽くしていなかった。負けた理由は?と聞かれたら、あれこれ言い訳できるくらい適当にやっていた。
キャプテンがこんなだから、チームの皆にも勝たせてあげることができなかった。
不甲斐ない。
だっせぇな、おれ。
そう思うと、涙が溢れて止まらなかった。
悔し涙って全力でやった時に出るものだと思っていたけど、全力出さずに後悔した時にも出るのだと初めて知った。
練習終わりに喉を潤すのはシュワシュワする炭酸飲料がルーチンになっていたけど、その日買ったサイダーは何となく飲む気力も残っていなくて、時間が経って気の抜けたシャイダーになってしまった。
まるで負けて気の抜けた僕と同じみたいだった。
次の日から僕は目の色を変えて練習に打ち込んだ。
授業の時間以外は朝から暗くなるまでテニスに時間を費やした。
部員の皆も負け試合で火がついたみたいで、一緒に練習してくれた。
いつしか学部内でも、テニス部は黒すぎてキモいと陰口を叩かれるくらいに毎日練習に励んだ。
そして迎えた夏の大会。
全12チーム中9位。
正直微妙な成績だったけど、僕らチームの中に下を向く者はいなかった。
まだ来年がある。
いつしか練習後のサイダーもビールも美味しく飲める日常に戻っていた。
そこからの一年、それこそほとんどの時間をテニスに捧げた。
途中僕の肩は限界を迎えて腱に穴が空いたけど、痛み止めで誤魔化しながらテニスに打ち込んだ。
最初の交流戦で勝てなかった相手校のエースには、その試合の後負けることはなかった。
他の学校が数十人で大会に乗り込んでくる中、相変わらず10人にも満たない少数で臨んだ3年生の大会。
結果は4位だった。
上位校は化け物みたいに強いチームがひしめく中で、うちの部としては大健闘だった。
試合中、本当に楽しかった。
苦しい場面でも仲間の応援で笑顔になって勇気が湧いてくる。
いいプレーができた時はチーム全員で咆哮し、ガッツポーズを決める。
テニスは紳士のスポーツだって?
そんなの気にせずポイントを取ったら全身で喜びを表すのが大学テニスだ。
まさに全力を尽くした最高の2年間だった。
あれから20年。
今でも炎天下で冷たい炭酸飲料を飲むとあの時のアツい気持ちを思い出す。
1人流した涙。仲間と流した汗。試合の時の一体感。
あーー甲子園見ながら書いてたらサイダー飲みたくなっちゃった!
ちょっと買いに行ってきます!!
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