誰かを批判したくなったら
誰かを批判したり、イラついてつい何か言ってやりたくなることはありますか?
いい人振るわけではありませんが、私はあまりありません。というのも、私は自分が他の人よりもできないことが多いので、誰かの失敗や態度に対して物申したくなることがあまりないのです。
この人は少なくとも私よりも秀でているものがある。だから、このことだけにスポットを当てて批判したり、物申すのは違うのではないかなと。
そもそも、お前はそんなこと言える立場なんか?と逆に自分を批判する始末です。
ですが、最近初めて「これどうなん?」とイライラして、遠回しに相手に苦言を呈したことがありました。仕事関連の内容なのであまり詳しく書けませんが、その方の仕事が滞ることで私のスケジュールやその他仕事の進捗が左右されるからです。
なるべく批判めいた内容ではなく、あくまで冷静に現状と、それについてどうして欲しいのかなどを伝えました。私にとっては大きな変化と進歩です。
これによって相手の方は今後の方向性を示してくれたので、まずは様子見な状態です。
しかしですね、ここでふと思いました。なぜ私はこんなに相手の方に苛立ちや不快感を覚えたのか。この感情の奥には何があるのか。どんなに表面上の事象を思うように仕向けても、整えても、私の内側にある根本的なところが解消されなければ、また同じようなことを繰り返すのでは?
と、いうことで自分の感情の中にあるものはなんなのかお風呂に入りながら探ってみました。たどり着いたのは相手へのイラつきでも、批判でもなく、「不安」でした。
スケジュールが立てにくくなることによる不安、請求書の発行などお金周りにも関わるので事務的な面での不安。そのほかにも、今後も同じことが続くのではという不安。
その不安は私自身が抱えて、感じているのに、それが相手の行動のせいだと「勝手に繋げて」、それが形を変えて捻じ曲げられて批判やイライラという形態に変形した。
「勝手に繋げて」というのは、本来私の持っているあれやこれやの「不安」という感情と、相手の方の仕事の進捗は繋げなければ繋げようのない独立したものなのです。そこに私が「あの人のせい」という観念を持ち込んで、関連性を持たせたから批判するような感情を生み出したのですね。
ここで私がすべきは「そうか、君は不安なわけね。OK、わかった。不安なのはOK。そりゃ繋げちゃったら不安にもなるさ!」と一旦、その状態をもう一人の視点を登場させ、受け入れます。
そして、そのあとが重要です。「でもさ、不安と○○さんは関連付けなければ無関係だよ。だから、相手にイラつく必要はないよ。そっちの方が楽じゃない?」、「その不安、解消する方法はほかにもないかな?ちょっと考えてみない?無いならさ、一旦放っておこうよ。勝手に解決される流れがくるかもよ?」という流れで、相手と自分の感覚を切り分けます。
自分の根本にある感覚の解消のために何かできないかを考える、もし解決方法が見つからないなら放置!潔く手放す!
今に始まった事ではないけれど、最近はネット上でも多くの人が意見を発信できるようになり、多様な意見や価値観が尊重されるようになっていますよね。とても興味深いことだと思います。一方で、だれもが言いたい放題できる無法地帯とも言えます。
有名人を批判したり、鼻についたSNSの投稿に攻撃したり、身元が明かされないからこそできることです。
でも、もし、誰かを批判したりイラつきをぶつけたくなったらこう考えてみて欲しいです。「その感情の根底にはどんな感覚があるの?」そして「その感情と相手には関係があるの?関連付けてるのは自分じゃないの?」と。
自分以外の誰かを批判・攻撃するのは簡単です。ですが、その自分を客観視した時に虚しくなったり、後で後悔することがあるかもしれません。
その意識は少しずつ、でも色濃く自分の良心を傷つけ、それが自分への批判に変わっていきます。根が優しい人こそそうなのではないでしょうか。
そうなる前に、まずは立ち止まって自分の感覚を見つめてみる。これだけで自分の本音に行きつき、早く根本的な問題の改善策を見つけることができます。
もちろん相手の言動が明らかに間違っているのであれば、それは諭すべきです。しかし、もし自分の心に潜むものと、相手の言動などを勝手に結びつけていると気づいたら、自分の心の健康のためにも問題(実際には問題と「みなしているもの」)から一旦離れてみてください。
自分自身、相手との関わりを健康的で優しさのあるものにするためにも、おすすめなので、よければ試してみてください♡
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