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良く暮らす、豊かに暮らすとは

今朝、長男が昨晩食べすぎたせいかお腹が痛いといって唸っていた。
長男を横目にもりもりとキャラメルバターを塗ったトーストをモクモクと美味しそうに頬張る次男。
回復の早い長男のことだ、1時間後にはお腹空いたと言うはず。何を食べさせたら良いのか、あれこれ考えながら、次男と向かい合ってレーズンがたっぷり入ったパンとソイラテを味わう私。

そんな朝の光景を俯瞰して見た時、なんて自分は幸福な人間なのかとじんわりと感じた。
パンとコーヒーを味わえる、可愛いやんちゃ坊主が2人もいる。なんの心配もなくこの時間を過ごせる自分はなんと豊かなのだろう。

最近、豊かさや幸福について考えることが多くなった。
以前の私の夢は高級ブランドのバッグを持って、高級車に乗って、広い高層マンションに住むことが夢だった。なんともステレオタイプでバブル期かよと突っ込みたくなるような理想像でしょ?(笑)

でも、本当に自分の心と本音に向き合ったら、それはハリボテの理想像だったと気がついた。私は別にブランドバッグが欲しいわけじゃない。本当に気に入ったお気に入りを値段関係なく持ちたいだけ。高級車じゃなくても、愛情を持って安心安全に子供や大切な人と外出できる車であればOK。広い高層マンションなんていうざっくりとしたものではなく、私は私の理想の間取りと外観、暮らしの動線がある。

今の私が思う「良く暮らす」「豊かに暮らす」とは「私が私らしく、心から生活を、人生を楽しめる暮らし」だ。

見栄じゃない、社会の中での平均や価値観じゃない、私が本当の私として心地よく、嘘をつかずに生きれるそんな暮らし方だ。

多くのソーシャルメディアやSNSにはキラキラとした、まるで雑誌の一コマを切り取ったような投稿が溢れている。それを見ることはある人にとっては楽しみでもあり、ある人にとっては自分を鼓舞する材料。しかし、一方でそれが原因で自分自身の本当の望み見失ったり、妬みという雨雲が心に広がってしまうこともある。

そのキラキラとしたワンシーンだけを見て「私はあの子のようになれない、できない」と羨むのは少し待って欲しい。

その発信者は生活のワンシーンを切り取ったにすぎない。それ以外の時間は会社で働いたり、子育てに奮闘したり、学生ならば勉強に勤しんでいる(かも)。自分とは何一つ変わらない、今という時間を生きる人間でしかない。

だからこそ、自分だけの良い暮らし、豊かな暮らしを見つけることで、より人生を楽しめるようになると私は思っている。

人生は思っているよりも短い。あっという間に日が暮れ、眠れば次の日が始まる。子供はつい最近までミルクを飲んでいたかと思っていたら、駄々をこねることを覚え、そうかと思えばもう小学生になった。まだまだ赤ちゃんの頃の面影を残しつつ、少しずつ少年の顔をのぞかせる。
そんな時間の流れの速さに、少しの焦りや寂しさを感じることもある。
だからこそ、限りある人生の中で、一度しか来ない今日という日を、今というこの瞬間をいかに「幸せに」生きるかが重要なのではないだろうか。

ソーシャルメディアやSNSが害だとは言わない。本来それらは自己表現やコミュニケーションのツールなのだから。使い方さえ間違わなければ、クリエイティビティーを育てる場になると思う。

要は、正しく他人と自分の線引きをして、何よりも自分を見つめて自分の内なる声に耳を傾け、それに従って生きれたら人生は本当に豊かになるのではないかな。

私はこれから、少しずつ、ベイビーステップでもこの人生を本当に豊かに過ごしていこうと思う。


お金は大事、承認欲求も悪くない、でもね、最後はやっぱり自分の心がホクホク喜ぶ方を選びたいな。





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