見出し画像

習慣の話

ある行動を習慣にするためには、なにが必要だろうと考えることがある。

例えば、このnoteはどうにか三日坊主にならずに済んでいる。それは私が文章を考えることが好きなことと、今のところは書くネタにも困っていないこと、また書くことを楽しめていることが理由だと思う。

また毎日紙の日記を書くことも、ここ十年以上の習慣になっている。その日にあった出来事を順序立てて書くことが、一日の〆にちょうど良いのだ。重要事項を書き留める、備忘録としての機能もある。

だが過去には筋トレを習慣にしようと考えて、寝る前に腹筋とスクワット、背筋を10回ずつやって寝るということにチャレンジし、あえなく三日坊主になってしまったことがあった。筋トレの習慣化に失敗した要因としては、体を鍛えることがさして好きではなかったことと「寝るまでの時間に行うこと」が筋トレから「スマホをいじること」に移行してしまったことが挙げられる。私は存外、意志が弱いのである。

習慣という言葉を辞書で引くと「①日常の決まりきった行い。しきたり。ならわし。慣習」「②反復によって習得し、少ない心的労力で繰り返せる固定的な行動」というように説明されている(広辞苑第七版)。私が「習慣にしたい」と考えた筋トレは、②で説明されていることにあたるだろう。
そう考えてみると、筋トレが習慣化できなかった理由がさらにはっきりと見えてくる。それは②の説明文にある「少ない心的労力」という部分である。

私は寝る前の行動として「毎日10回ずつでも筋トレをする」という目標を立てた。だがそれはかなりの心的(肉体的)労力を要する行動で、比較的心的労力の少ない「スマホをいじる」という行動にあっという間に取って変えられてしまった。

そう考えてみるとなぜ筋トレは続かなかったのか、反対にこのnoteを毎日書くことができているのか、理解できる気がする。何かを習慣化するには、その行動をするための心的労力が少なくなるように心がければいいのだ。それが具体的にどういうことなのかは、習慣化したい行動によるだろう。筋トレなら、例えば一日一回でもできればいいと考えること、などだろうか。
……あまり効果的ではない気もするが。

さて、これにて私は今日もnoteを書くという習慣を達成した。私はこれから夕食の準備に入る予定だ。自炊も習慣化した行動の一つだが、これは心的労力以前に必要に駆られての行動である。もちろん、料理を作ることが好きだったこともある。だがよっぽどのことがない限りは毎日続けられているので、やはり料理も習慣になった行動なんだろう。



最後に。
きのう書いたnoteにたくさんの方からスキをいただいた。本を読むことも好きなので、これからもちょこちょこと読んだ本の感想や面白かった本の紹介文などを書いていけたらと思う。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?