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本の魔力

本屋に行くと「本に引き寄せられる」という感じを覚えることがある。

以前にも書いたかもしれない、本を見た時の「直感」のようなもののことだ。これは本のジャンルに関係なく(小説だけでなく料理のレシピ本に感じたこともある)、本の厚みや海外作家か日本人作家かも問わず、本当に唐突にビビっとくる。

だが、中には例外もある。
それは古本屋で本を買う時だ。

たいていはTのつく某系列店を訪れるのだが、時々ほ古本まつりという催しに立ち寄ることもある。だがこのような場所で本を見ても、不思議なことにその「直感」が働かないのだ。

古本屋で本を買って、家に帰って読んだらとても面白かったと思えても、ファーストインプレッションではなぜかビビっとくることがない。

もしかすると、と思うことがある。古本屋で買った本はすでに誰かの手に渡ったことがあるから、その「直感」が働かないのではないか、と。

一度誰かの手に渡った本は、その誰かが本屋やネットショッピングで目に留めたから、そしてすでに誰かが読み終わったからこそ、その場にあるはずだ。買ったはいいが読んでいない、という人も中にはいるかもしれないが、だいたいの場合はそう考えられる。

こんなことを言うとスピリチュアル的な物が苦手な人に引かれるかもしれないが、古本というのは最初に手に取ってもらった人のために、その「人を引き寄せる輝きのようなもの」を消費してしまったのではないか。

あまりに突飛な考えかもしれないが、私は時々そんなことを思ってしまう。この本はすでに誰かに読んでもらった、だから「誰かに読んでもらうという役目を終えているから、輝きを失った」のではないか、と。

もし、古本屋でも輝きを持った本に出会えたなら、それはまだその本が誰にも読んでもらっていないか、もしくは誰かに読んでもらってそれでも尚、新たにその本を読んでくれる人を待っているのではないか、と。



私の家にある本は新品が多いが、中には中古で買った本もある。これらはその「直感」こそ働かなかったものの、前々から興味があったとか、内容が面白そうだったので買ったものだ。

私の手元に置いてある本たちは、果たして本屋にあった時の輝きを持ち続けているんだろうか。それともすでに私が読んでしまったので、その輝きを失ったのだろうか。

私は一度買った本を手放すつもりはない。どれほど本棚を圧迫しようと、たとえ部屋に平積みになろうと、今後も末永く手元に置いておこうと思っている。故にその本がまだ輝きを持ち続けているのか、私に判別する術はない。

でももし、万が一、この本たちを手放す時がきたら、その時はまた見知らぬ誰かに読んでもらうための輝きを持ち続けていて欲しいと思う。

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