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パレスチナ問題とキリスト教福音派の再臨信仰 山崎純二

イスラエルに対して欧米各国は「揺るぎない結束した支持」を表明しました。また、民間人を巻き込まないため、国連安保理が戦闘「中断」を求める決議案を発議しましたが、米国は単独で拒否権を行使しました。つまり欧米(特に米国)は全面的にイスラエルを支持・支援しているわけですが、これらの背後にはキリスト教福音派の再臨信仰が深く関わっています。以下、クリスチャントゥデイ誌に掲載された文章の中から、重要な部分を少し抜粋しておきます。興味のある方は全文をお読み下さい。
■ ユダヤ系住民よりもキリスト教福音派がイスラエルを支持
■ 反ユダヤ主義
キリストが十字架で処刑されたのはユダヤ人たちのせいだという認識が広がったた
極めつけは、ナチスドイツによるホロコースト、その苦難の歴史が、イスラエルを国家建設に向かわせた原動力となる
これらの歴史を痛切に反省した欧州は、イスラエルに対して同情的な立場をとるようになる
■ イスラエルの祝福のために祈る―アブラハム契約―
そして米国もまた、民主党にしても共和党にしても、強固なイスラエル支持を表明

アブラハム契約が深く関わっています。そこには「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」という神様の思いが示されていました。しかし、それにはこのような一文が加えられていました。
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」

20世紀になってイスラエルの祝福を祈ることや、イスラエルの人々に福音を伝える運動が盛んに
1920年には中国から「バック・トゥ・エルサレム運動」
60年代からは、米国のバプテスト教会を中心に「メシアニック・ジュー」の方々の信仰が擁護
2002年からは、1400人以上のキリスト教指導者と何百万人ものキリスト教会の人々がエルサレムと全ての人々の平和のために祈る運動が展開・・・

つまり、キリスト教会は、長い間の反ユダヤ主義の時代を経て、イスラエルが祝福されることを通して地上の全ての民族が祝福されること、またイスラエルの平和のために祈ることが神様の願いであることに気が付いたのです。

■ 新約的観点―パウロ神学―
もし彼らの違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。(ローマ11:12)
その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う」(同25、26)
また上記の内容は、植物の接木のメタファーとして分かりやすく説明されています。これはキリスト教がイスラエル(ユダヤ教)の歴史、信仰、旧約聖書に野生種として接木されたものであるというものです。また同時に、もとの栽培種であるイスラエルが、再び自分の台木につがれる日がくることを示唆しています。(ローマ11:17〜24)

■ キリストの再臨の条件
またもう一つの重要な側面として、キリストが再臨するための条件を整えるために、キリスト教会がイスラエルを支援しているという面があります。1948年にイスラエルが建国されたことに、世界中が大きな注目を寄せました。それは単に一つの国家が誕生したからではありません。このことはキリストの再臨が近づいたということを予感させたのです。キリストはこのような預言を残されています。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば・・・(マタイ24:14、15)

つまり、キリストが再臨するという預言が成就するためには、イスラエルという国家の存在と、その聖都であるエルサレムに神殿が再建されていなければならないと多くの人たちは考えているのです。

私は前回、イスラエルが入植を続けてきたことがあつれきを生じさせていると書きましたし、日本の報道もそのような論調が多いように思います。しかし実際には、過去に何度もあった和平合意のチャンスをパレスチナ側が拒否してきたのだという見方もあります。ですから、私の見識で善悪を論じることはできないし、するべきではないと思うようになりました。しかし、上述してきたような事情が、米国のキリスト教福音派がイスラエルを特別に支援している大きな理由であることは確かです。そして、このことが今日の米国の政治と国際情勢に多大な影響を与えているのです。

■ 神の主権、主のご計画
私の個人的な考えでは、神様のご計画を人が自分の恣意的な考えや政治の力で早めようとする必要はないと思います。

■ おわりに
キリスト教会がイスラエル(ユダヤ教)を長兄として敬い、信仰の起源(台木)としてシンパシーを感じ、イスラエルの祝福や平和を願うこと自体は聖書に基づいたことです。また、ある国が特定の国を支援することや、自衛権を行使すること、政治家が自己の信念に基づいて行動することは彼らの役割です。私たちは国の指導者たちのためにも祈るべきでしょう(1テモテ2:1)。

事態は刻一刻と変化し、大規模な中東戦争に発展する危険性が現実味を帯びてきました。私たちは、事態がエスカレートする方向ではなく、何とか沈静化し、人々の心の中から怒りや復讐心が暴走することのないように祈りましょう。

私は聖書の有名な放蕩息子の例えを思い起こします。罪を犯し放蕩三昧だった弟が、無条件に受け入れられることによって父の愛を知ることができたという話ですが、そのことは真面目な長男の心を固く閉じさせてしまいました。

しかしもちろん、父は長男をも愛していて、家族が皆で愛し合い喜び合うことを願っています。これが、道徳律や法では規定できない父の心を汲む新約聖書的な世界観です。

そして「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」とありますから、私たちはイスラエルのためだけでなく、パレスチナを含むアラブ諸国の平和と祝福のためにも祈る必要があります。

兄弟は常にけんかするものであり、親心を知らずに親を悲しませるものです。しかし、父は全ての子どもたちを愛しているのですから。

万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように」(イザヤ19:25)

以下全文掲載中

https://www.christiantoday.co.jp/articles/32889/20231028/palestine-israel-yamazaki-jun.htm

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