僕がエスニックを食べに行く理由

■自分も一応接客業をしている。

自分も薬剤師という立場で接客とは言わないものの、"接患者"をしている。

患者さんの場合、お客さんとは少し違う。彼らが医療機関に来てくれるから我々はご飯を食べていけるわけでお客さんとある意味同じだけど、

いかに悩みや苦しみを深堀出来るか否か

という点で違う。

患者さんは、初めてお話した時には自分のことをあまり語ろうとしない。しかしながら、何回も接する度に自分のことを語ろうとする。医師や看護師に相談出来ないような悩みを僕に語ってくれることはしばしばある。

今放送しているアンサング・シンデレラというドラマを観てもらえば薬剤師の仕事って理解してもらえると思う。あのドラマは少々意識高い系の薬剤師像を描きすぎだが、患者に一生懸命向き合う薬剤師というのはまさに自分が日々目指すべきものと同じだ。皆さんがイメージされる薬を正しく調剤するのは正直サブ的な仕事であり、僕のメインは患者さんと接するところにある。

患者さんが自分にだけ

「秘密にしてね!」

って語ってくれる悩みを引き出せた時こそ僕のやりがいにつながる。そのことが後に治療方針や接し方にも大きな差を生む可能性があるからだ。あまりに距離感のある態度で接することでは秘密を引き出すことは出来ないと思っている。近すぎず、遠すぎない距離感は非常に重要となってくる。

■不自然な接客をする日本人

それに対してスーパーのレジやファミレスの接客は正直かなり不気味だ。

「お待たせ致しました。」

と一礼したり、

「ハンバーグ定食のお客様!」

と鉄板を置いたり、

「お熱いのでお気をつけください。」

と言ったりとにかく気持ちが悪い。

そう感じるのは僕だけかもしれない。

個人的に、

心にも思っていないことをひたすら言わせている異常さ

しか感じない。中には接客というサービスを本当にやりがいあると感じてやっている人もいるだろうから一概に悪く言えないが、こういう接客に対して個人的に感じることは

なんか寂しい

のだ。

コロナ禍で今まで以上に人々はLINEやSNSで繋がる頻度が高くなり、表情や声を生に感じるコミュニケーションが少なくなっている。Skypeやズームのように映像で交わせるコミュニケーションもあるけど、近しいコミュニケーションというわけにはいかない。

そんな中で、スーパーの店員さんやファミレスの店員さんは数少ないリアルで接することが出来る人間なのだ。

それにも関わらず、あの距離感を抱かずにいられない態度で接してくる感じは、もはや人の温かさは感じられない。ロボットやAIと話しているのと変わらない。

■コロナ禍で敢えてエスニックに通う

僕はタイ料理やその他エスニック料理がとにかく大好きだ。このようなエスニック系は海外を感じられるし、普段食べられない味を楽しむことが出来る。

日本人なので和食ももちろん好きだし、洋食や中華も好きなのだが、エスニック系が決定的に違う点がある。

それは、

外国人と会える

ことだ。もちろん例外はあるのだがエスニック系に関してはタイ料理ならタイ人、インド料理ならインド人が営んでいることがままある。

それに対して和食は日本人が接客するし、洋食も日本人、中華はチェーン店はまず日本人が接客する。日本人の接客の常識は、上記の如く

なんか距離感のある

感じが拭えないのだ。だから、そういう日本人に接したくないので、僕はエスニックに行くのだ。

■日本の接客は日本だけの常識

薬剤師をしている自分にも

マナーセミナー

というものが年に何回かある。日本の接客マナーは海外の方からはかなり評価されているみたいだし、オリンピック誘致の際にも「Omotenashi」が有名になった。

我々にとってはお客様はとにかく神様なのだ。お客様が何かクレームをつけてきて謝罪をする。どんな理不尽なクレームでもお客様に抗うことは許されない。

外国人の方々も一時的にそういう接客を受けることは感動を伴うかもしれない。日本の素晴らしさを感じてくれるかもしれない。しかし、その内に慣れてくると人間らしさのないその接客に感動とはいかないような気がする。

その一方で、海外を旅すると

お客様は神様じゃ!

みたいな接客を受けたことがない。日本人にだけそうしているかと思いきや、地元の人たちにも同じ感じで接している。一言で

自然

なのだ。不自然さが一ミリもない。人間らしい自然さを感じられるのだ。

■堅苦しくないことは無礼ではない

きっと昔から堅苦しい、不自然で不気味と僕が感じているような接客を受けてきた古き世代の日本人にはエスニック系の店員さんの接客は無礼なものに感じられるかもしれない。

・笑顔(愛想笑い)がない

・丁寧な言葉遣いでない

・細かいところへの気遣いがない

などといった点が目立つかもしれない。だけど、彼らを見ていていつも

この人たちは日本人より矯正されていない

なと感じる。僕は外食の時にはとにかく旨いものを食べられれば満足だ。そこに個人的には接客の素晴らしさは一切求めていない。

■個人の本音が吐露される世界

今はSNSで自分の考えや本音をいくらでも発信できる時代になった。人々が何を考え、どこに価値を抱くのかがよりわかりやすくなった。にも関わらず、表向き社会では、自分を殺しながら変なキャラ、望みもしないキャラを演じながら生きている。

そういう意味では

一億総俳優時代

に突入したと言える。シャバに出てくる人々は、皆が俳優であり、演技をしているのだ。皆さんが思い出すあの人のあの笑顔は十中八九演技だ。これからはそういう目で見た方が良い。裏で、SNSで彼らは本当の顔を持つ。

未だに頭の回らない思考停止な人々は

周りの

「演じてやってんだぜ(ニタリ)」

ってのに気がつかないから痛い。今の管理職世代は俳優しか見えない世界に生きてきた。俳優さんたちに対し実はやりたくない、バカバカしい、もっとこうすれば良いのにって気持ちを裏で明かすばかりで、あくまでも表向きは役者なのだから気付く機会が得られないのだ。

■エスニックをそういう目的で楽しむ

エスニック料理屋さんにいる外国人店員さんは全くではないが、そこまで役に入り込んでいない。店員さんを見ていて

「ダルそうやな。」

って感じることって結構ある。日本人店員に同じ依頼をしたら無理してでもやってくれる。俳優さんたちは常に全力だ。無理だとしてもそこにはまた俳優の演技力が試される。

それに対して外国人の店員さんは嫌なことは相手が客でも嫌そうな顔をするから客として学びの機会が得られるのは個人的に有難い。飲食店経営に一切関わっていない僕からすれば非常に勉強になるのだ。

今までこういう視点はあまりなかったと思う。だけど、コロナ禍の人とあまり会えない中でエスニックに行くことを強くおすすめする。エスニックとSNSで構成される人間社会では今までより少しは俳優さんから解き放たれる時間を多く設けられるだろう。

我々は、職場でも外出先でも、人によっては家庭でも俳優を演じ、そして俳優と過ごしてきたかもしれない。自分たちには当たり前に浸透していたかもしれないが、本来俳優でない生き方こそが自然であり、無理に演じたり、そういう人に接することは精神衛生上よろしくないと思う。

だからこそ、明日にでも、今からでもタイ料理やインド料理屋さんをググろう。まさに新しい生活様式だと思う。