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月の呪縛, 解放の呪文

数年前に、占星学のワークショップを開催したんですが、その時に、
「月はその人のお母さんとの関係をも表していて、
 お母さんがどんな母親であったかというより、
 その人自身が自分のお母さんをどう見ているのか、
 どのような人だと思っているのか、
 自分から見たお母さんの印象を表している」

と言うようなお話をしました。

あとシンクロなのか、ちょうどバース・トラウマと母子の関係性の話なども身近で出ていたりして。

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占星学的には、0歳(受胎時)から7歳(幼児教育)くらいまでは、月の支配下(年齢枠)にあり、母親の影響を強く濃く、受け取る時期だったりします。離れていても母親の感情を受け取り、その身に吸収し、母親の感情を外に映し出して、表現するツールのような役割をするのですね。それはまるでモニターのように。子供たるその人が母親の代弁者、写し鏡になるといいますかね。

だからこの時期、母親が穏やかで心安らかに、満ち足りた日常を過ごしていることは、子供の精神の安定と心身の健康のためには必須条件と言うわけです。この時期に、母親が不安定で心の均衡を崩していると、子供の心に何かしらの影響を与えることになりますので。

※この影響というのは、傷たる欠損・魂の飢餓や不足感等、満たされぬ想い、そして自分はこういう人間だという潜在意識への刷り込み・洗脳、セルフイメージですね。人生を肯定的なものと捉えるか否定的なものと捉えるか、自分の存在は周囲や社会に受け入れられているのか、拒否・拒絶されているのかなどなど。

そして、物理的には既に存在し無いものの、3歳までは目には見えない臍の緒がまだ繋がっていて、その糸を通って、母親の感情が子供に流れ込みます。そうして、母子は感情そのものを共有していたりする。肉体としては既に分離したのに、未だ一部といった具合に。
だから、少なくとも、子が3歳まで、母親のメンタルバランスが安定していることって、とても大事。この時期に肉体的な接触(ハグ、ボディタッチ)をたくさんして、母親が精神的にリラックスして過ごすことって、その後の人格形成にも影響を及ぼします。

なので、本当は3歳過ぎるまでは、保育園とかには預けず、母と子で密着して過ごすのが理想ではあります。けれど、現実的には難しいのが、今の世の中。これはもう致し方ないですね。社会の仕組みというか、共働きでないと子育て厳しいのが実状だから。

児童心理学のことは私はよく分からないのですけど。
占星学やスピリチュアルズム的にはそうですね。

思うに、イヤイヤ期って言うのは、親にとっては気が狂いそうになるくらいの、自分を悩ませてくれるしんどい状況ではあるけれど…実のところ、そのお母さんの精神的ストレス…周囲に対して「イヤだー!」って思ってること、子育てとか旦那さんに対してとか、それ以外の他人とかお姑さんや自分の親、周囲の人間関係、仕事とかあれやこれやに対する水面下の爆弾的不平不満を、代わりに子供が体現してくれていることを疑ってみてください。

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0歳児から7歳頃までの間、
母親のメンタルが不安定かつ精神的に抑圧されていて、なおかつストレスや不満を過度に抱えていて、幸福感や満足感を十分に得られていなかったりすると、それはそのまま、子供の心に吸収される。

つまり、母親の不幸は、そのまま子供への呪いになるんです。

当時の母親の心理状態、抱いた負の感情が、そのまま子供のトラウマになり、その後の人生に影を落とす呪縛となるということ。

月は感情の模倣を示しています。
子供は、母親の気質、感情の在り方をこの時期、学んでいくことになる。
感情の表し方を。母を見習って、そのままコピーして。

そして、女性はこの時期模倣した母性をモデルに、そのような母親像を自分の外側に創り上げていく、母親のような女性に、真似するかのように育っていく。(男性は結婚した後、妻にこの月のイメージの母親を求め、自分の太陽に父親のセルフイメージを投影します)

困った刷り込みです。悪しき負の連鎖ですねー

とはいうものの、
現代では1歳過ぎると保育園は当たり前で、専業として育児をスタートさせることができる人は、経済的にもなかなか難しいという時代背景があり、理想的な環境での子育てをしようにも無理があります。

まあ、共働きにしてもシングルマザーにしても、大事なのは、両親が揃っているとか、経済的に不自由しない環境を提供することよりも、母であるその人が幸せであるか否か、でしょうか。両親の仲が良くて、家庭円満なら直よし、ですが。

そして、何よりも、自分を生んでくれた人が、自分の誕生を心から望み、喜んでくれているかどうか、そこも母と子の信頼や絆が育つのには大切なポイント。

そうすれば多少、躾が厳しくても、言葉足らずでも、その感情の記憶が根っこにあれば、何処かで「自分は望まれて生まれてきた」「愛されてる」って、自己存在を肯定できるものです。

でもって、成長してお互いの絆に溝や亀裂が生まれても、
修復されるための土台が、残ってるって感じでしょうか。

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ここからはほぼ自分語りになっちゃいますけど…。

私の月は魚座にあります。
私の母親のイメージは、自己憐憫と被害者意識の強い、精神的に弱い人。

今もそうですね。愚痴が多いです。一緒にいると毒ばかり吐いているので、
しんどくて疲れます。2時間がタイムリミットな限界ですね。

戦前生まれで、当時は生まれても死ぬ子が多かったので、すぐに出生届が出されることはなく、数か月経って"生きている"から、大丈夫だろうということでの届け出。なので、両親の正確な誕生日が判りませんで、その年に生まれたということだけ。父は祖母が言うには、旧盆の中日に生まれたけど、出生届を出したのは翌年の正月明けだったり。だから、占いでの父母との相性は判らないですね。

昔は生まれても育つのは確実ではなかったですから。死産も多く、出産の事故も当たり前で。育っても、病院や医師が近隣にいなかったがために、手遅れになって死んだ人も多かった時代のこと。そういう意味では、昨今の医療事情というのは格段に進歩していて、素晴らしいですね。

父の兄弟姉妹のうち死んだ子もいるし、
母のほうにもいますね。珍しいことではなく。

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でも、まあ今は無事に生まれて当たり前、な時代になっているから、何かあると、すべて医師の責任になってしまって、助けてもらったとか、手を尽くしてもらったとか、そういう感謝をすることが少なくなっていて、現場の人のプレッシャーは半端ないだろうなって思います。※綿あめの割りばし事件が現代の医療崩壊を作るきっかけになりました。

私は「三丁目の夕日」の頃に生まれて、戦中や戦後に比べると人々の生活水準は上がって、世の景気も良く(朝鮮戦争やベトナム戦争特需)、少しずつ日本が豊かになっている、そんな時代でした。

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それでも今の時代と比べると、貧しかったです。でも、一部の人を除いてみんな貧しかったから、貧乏なのがさほど恥でもなかったですけども。

幼稚園に入る前までは、お風呂のないアパートに住んでいたので、毎日お風呂に入ることは出来ず、食事も粗末なものでした。ご飯のおかずがなくて、漬物と味噌汁だけ、そんな日もしょっちゅう。お肉が買えないので魚肉ソーセージで代用したり、お腹いっぱいにご飯を食べることなんてできず。小学校に上がってからは給食が栄養源で。だから、食べ物を残すなんて考えられませんでした。だって食べたくても無かったんですもの。休んだ日の給食はクラスメイトが、わら半紙に包んで、学校帰りにその人の自宅に届けるのが当たり前の習慣。

洋服だって滅多に買えません。私の場合、下着まですべて姉のお下がりでした。鉛筆やら文房具もです。鉛筆は短くなったのにキャップをつけて、使えなくなるまで使っていました。消しゴムもノートも何もかも、モノはすべて貴重でした。

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少しずつ、年単位ごとに、みんなの生活が向上して、ちょっとずと差が開いて、だんだんと貧乏なのが恥ずかしくもなっていく、そんな時代でしたが。

実際、うちは貧乏ではあったんですが、決して父の稼ぎが悪いというわけではなかったんですね。むしろ高度成長期で、時代は建築ラッシュ。
皇居の内装の仕事にも参加してたから、実は高給取りだったんです。当時で月収70万くらい。なのに、どうしてそんなに貧乏だったのか…

父が自分の姉妹たちにお金を渡していたからです。
とくに父の妹。この4人家族たち…ほぼ我が家に居候だったんですね。
家は別でしたけど、朝から来て夜までいて、朝ごはん、昼ご飯、夕飯まで食べて、風呂も入ってく。ヤドカリというか寄生虫みたいなもんです。
ようするに、父にとっての家族とは、自分の生家の人間であり、自分の兄弟姉妹の縁者のみ。私や母といった妻子は、彼の家族ではなかったんです。

そして、私の洋服や持ち物をすべて持ち帰られてしまう。従妹(長女のほう)は私のひとつ下でしたから、サイズが合うわけです。靴なんかも。
決して豊かとは言えない母方の祖父母がなけなしのお金で買ってくれたものも、私自身がお年玉を貯めて購入したものも、全部従妹のものにされてしまう。父が勝手にあげたりする。これはずっと実家を出るまでやられました。
不在の時に持ち物を、近所の子にもあげてしまわれたりして、相手のことを考えると取り返すことも出来ず、泣いたことが何度もありました。

それだけでなく、父はよく職人仲間をよんで、飲めや騒げやの宴会をする。自分の見栄のために。その食費、酒代がハンパなかったんですね。お客さんや従姉妹たち一家のために並んだご馳走が、私や母の口に入ることはありませんでした。(姉だけは長子ということで食事は特別。この時代に「飢え」を経験しているので、私には食べ物に強い執着があり、美味しいものを食べることに目がないのかもしれない(笑)

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そんなんで家計はいつも火の車でした。父がそうやって、自分の妹家族のため、見栄のため、散財をするので、稼いでいるというのに貯蓄はなく、ボロを着て、お腹を空かせていました。

なので母は、家計のために、内職をしてミシンを踏み、保険の外交をして、
それでなんとか凌いでいたんですね。中卒だったから、そういう仕事しかなかったのです。

そういう状況下で母が心を病み、子供に対して八つ当たりというか、暴力を振るうようになってしまったのも、仕方がないかなあ、と思います(今だから思えることです)。
離婚したくても出来ませんわね。離婚や母子家庭にはまだ厳しかった時代です。中卒で資格や経験、頼れる実家のない人には、婚姻を継続する以外には生きる道はなかったのでしょう。まして一人ならまだしも、子供を抱えていては無理です。私を妊娠したことに気づいたのは、既に六か月過ぎていまして、中絶が不可能でした。その前に長男を死産したこと、ストレスからノイローゼ気味だったので、生理のないことにも気づけず。

2chではよく見る話です。
ああ、うちだけでなくて、似たような人いっぱいいたんだ、あるある、わかるわかる、そーなのそーなの同じ、と、今でこそ思いますが・・・

高校に入学してから(実際は春休み)、アルバイトを始めて、初めて洋服や靴を買えた時、とても嬉しかったのを覚えています。コートも買ってもらえず、寒くて凍えていたので。(それでも父親に勝手に他人に上げられちゃったリして) 暖房も無かったから、バイトして自分で買いましたしね。生活費も少しは入れてたし、定期代とか、すべて自分で賄ってましたよ。確かに遊びもしたし、趣味のものも買ったけど。

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この仕事を始めてから、セッションの金額が万単位だったりとかするので、労力を対して使ってないわりに高いお金をもらってる、普通の人が一時間いくらで働いているのか知らないでしょう?あなたが一回のセッションで稼ぐお金は、私の時給の何時間分だと思う?みたいなことをその昔、言われたことがあります。お金の価値を、苦労をまったく知らない人みたいに、その人は私のことを思っていたのかな。

確かに医師や士業の人たちほどではないにしても、専門職とはいっても特殊だから、実質、高給取りに見えるのでしょうね。たいして労力を要していないのに、高い料金を取って、暴利をむさぼってる職種とでも。

でも、実家はそんなんで、ネグレクトみたいな放置はされなかったものの、
経済的には困窮していて、自分で必要なものは自分で稼ぐしかなく・・・
高校時代はアルバイトばかりで、ひたすら働きまくるって、そんな感じ。

一日4800円稼ぐために、そのバイトを確保するために期日に電話して、朝早くからパン工場で流れ作業、お昼を節約するために無料のパンと水でしのぐ、そういうのもたくさんやってきましたけどね。

いちおう難病指定の疾患持ちだったけど、働かない訳にはいかないんで。親は当てにならなかったので、生きていけなかったですしね。時おり倒れながらも、休むことも多々あったけど、それでも死にもの狂いで頑張ったかな。

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作画の仕事してた時は、放映スケジュールに間に合わせるため不眠不休で、
徹夜を何日もして、お風呂にも入れず、どんなに頑張っても、給与は8万弱。家賃払って冷蔵庫もテレビも無い生活。三食100円のラーメンに同僚と10円ずつ出し合って購入したもやしのみの食事がメイン。週に一回だけホカ弁でのり弁買って、月に一回の給料日だけ定食屋で焼き魚定食を食べる。夏は素麺。西武の優勝セールで投げ売りしてた、キャベツだけ入ってるお好み焼きを食べ続けたり、栄養失調状態になり身体中に斑点が出たこともあったりで、好きな仕事でもこれは無理って、あきらめることになったけど。

なのにお金を稼ぐことの苦労を、意味を、まったく知らない人に見られてしまうこともある。そう見る人もいる。(どうも自分一人で生活したことのない人ほど・・・本当のお金の苦労をしたことがない人ほど、そう思い込む傾向にあるのは何故なんだろう)

それはそれで仕方がないし、その人の問題とも言えますかね。

まっ、いいけど。

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ところで、7歳までは母親のコピーというか、子供は母親の感情を吸収し、外の世界に表現する母親の心の代弁者だと先に書きましたが。

私もまさにそうだったかな、と思います。兄を死産した後、母が離婚を決意し、姉を連れて家を出たものの、私を妊娠したことが解り、婚姻継続となったのですが。まあ、そんな時期でしたから、まさに不安定そのもので、マタニティブルーも加わって、「この子さえ宿さなければ、離婚出来たのに、キィー!お前のせいでっっっ んもっー!!」となったわけでっっ汗

私のASCにどっしりと座っている土星が、まさにその状況を表していますが。そして当時毎日のように言われたのが、「金食い虫」と「貧乏神」「疫病神」という言葉です。他にも色々あったけど、短いフレーズのほうが覚えてるものでして。

母が私に繰り返し言い続けた言葉は、まさにその通りに成就したという訳か…母親が子供に与える言葉って、本来は祝福となり愛の言葉になるはずだけど、その言葉の内容によっては、呪いの言葉になる。

刷り込みという予言。「おめでとう! あなたの予言は叶いました。私はあなたがかけてくれた、呪いのままに、それはそれは見事な、他人を不幸に出来る立派な疫病神に育ちましたよ!」とは、母には言いませんけど。

いやさ、イヤミ的に言ったことはありますね。「どうせ。私は金喰い虫だからさ」って。言えるようになっただけ、私も強くなったというか、おばさんになったということか。いやさ、既にBBAですけどww

しかし、母親の呪縛、母親が子供にかけた呪いって、なかなか解けないものだなーと、その辺りはクライアントさんを見てても強く思います。

チャクラのヒーリングワークで、第一チャクラにアプローチしても、色々出てきますから。バーストラウマもそうだし、胎教もそうだし、その後の事とかも…覚えているはずはないのに、ちゃんと傷として残っていたりする。

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でもね、母親だけの問題ではないんですよね。
繰り返し、繰り返し、祖父母の、先祖の代から、負の連鎖で続いていることでもあったり、何よりも父親ですかねー

うちも父親がマザコンでシスコンでモラハラエネ夫でなければ、
母親がおかしくなることも追いつめられることも無かった訳で。

諸悪の根源はお前なんだよ!
真の悪はっっっ  影のフィクサーはお前だっ!
お前だぁぁあ! お前が悪いんだょっっ! この糞爺がっっ!
早く、死んでおしまいっっ!
(悪人ほど長生きするものですな)

・・・ってつくづく思いますもん。

でも、マザコンを育てるのも母である女なんだよな、ふう。       なんかねー 当時のヤツを気団の方たちにケチョンケチョンに叩いてもらって、ウォーターさせて頂きたいものだと思ったりしますが。もはや手遅れ。

そもそも、今の時代であったとしても、無理でせう。

そして、もしも私がトランプ大統領だったら、ママンスキーでモラハラなエネ夫は、全員去勢すべし!! という大統領令を発布するに違いありません。(すっかり私もねらーになってしまったな…ふっ)

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最近お見掛けしませんが、お元気かしら??


さて…母親が実の子供にかけた呪縛。

この永遠の、手強い呪いから、
子としての私が解き放たれる日はくるのであろーか。そして解放の呪文が耳に囁かれる日は来るのであろーか。そは、解放の呪文とはいずこなり・・・?

なにはともあれ

すべての母たるものたちよ、幸福であれ
それがすべての子なるものたちの幸いなれば・・・

家族の幸福こそ 社会の幸福であり 
総ての人にとっての幸福で
地上を平和にする唯一の道なればこそ

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