トラブルは運命の導き
先日、とあるクライアントさんが、「憑依体質で無ければ、こんなしんどい思いをしないで済んだのに。憑依体質であることが恨めしい」と。
でも、その後でも少しお話しして、当人も納得されているとは思うのですが、何故その方が憑依体質であることからのトラブルを抱えることになったのかというと、それはそれでちゃんと理由があるのです。
これまでにも書いてきたように、その人自身のメンタルの弱さなど、当人自身の性格的な問題も勿論あるわけですが…そのような形でトラブルが現れてしまうのには、実は別の理由もあったりするのです。
ようするに、「憑依体質」であることからのトラブルや問題発生、例えば、体調不良や不運・悪運に見舞われることもそうなんですけれど、その存在そのものの気配が身近にいることで不愉快な想いや恐怖を味わったり、声・幻聴が聞こえたりとか…ですね。そうした日常生活に支障のある状態を何とかしたいと、これを解決したいとリアクションを起こすこと以外には、その人は自分自身や人生の諸問題に向き合う機会を持とうとはしないから・・・というのがあるのです。
霊的真理における考え方になりますが、私たち人類が個々の魂として存在し、三次元から五次元の世界に現身(うつしみ)としての身体を持って人生を展開していく目的というのは六次元の身体を育成(完成)させるため…なのですが、その育成のためには、三つの身体をそれぞれの次元において使用して、成長させていかないといけないわけです。
そして、人が人として成長できる機会というのは、人生で様々な経験をすること、あらゆるシュチエーションにおいて喜怒哀楽の感情を周知することになりますが、そのためには仕事をしたり、社会の中で他人と関わり合っていくことが必須なんですね。人間は人間の中でしか成長出来ませんから。
人と関わることで研磨されていくわけですけど、その過程において時に内省して、他者と比較したり、自分自身について知ろうとしたり見つめ直す時間を持つなど、自分を振り返ることも大切です。
親や兄弟姉妹といった家族から学ぶことも大きいですが、それ以外の他人と触れ合うこと、子供時代の遊び仲間、学生時代の友人関係、社会に出てからの職場の付き合い、親戚や近所の人、無関係な赤の他人との関係から、人は多くの経験をし、理不尽で非常識な事柄にメンタルも精神も揉まれていくものです。
(外側の世界に起きることは内側の世界の現れ、ですから、外側に現れたこと=自分の人生に起きる出来事を通して、人は自動的かつ必然的に自分の問題と向き合うことになります。向き合わざるを得ない問題というのは、愛のない行動を矯正していくという魂の意図と意志のもとに仕掛けられたカルマのレッスンであり、教育的指導な法則なわけですが…)
そして、その都度起こる出来事から、人は様々な思案を巡らせて、想いを育み、あれやこれや行動をして、トライ&エラーを繰り返して、少しずつ一歩ずつ前進して、自分自身を育てていくことになるのです。昨日の自分より今日の自分というように。
とはいうものの、外側の世界で起こる出来事が、内側の世界の問題であるということにいつまでも気づけない人というのはいるもので、そのような人は「私は何にも悪くない」と言い続けるがごとく、他人のせい、運命のせい、状況のせいとして、見当違いな逆恨みや私怨に囚われ、誤った概念や思考、感情を色々とこじらせていくことになりがちです。
当然、学びは進みません。成長もなかなか出来ません。気づきのための出来事が起こっても、他人の言葉(アドバイス)や想いも、その人の耳にも心にも一切届かないので、変わるきっかけも得られません。
すると、運命というか魂は、どうしてもその人が切迫する状況へと追い込みます。(ここにはカルマのマスターやスピリチュアルガイドや透明なヘルパーと言った、目には見えない存在たちも介入することになりますが…) あれがだめなら次はこれで、みたいな感じですね。もちろん、そこにはエレメンタルによる引き寄せも、法則により自動的にセッティングされています。
今回のクライアントさんに関しては、「憑依体質による弊害」に悩まされることがなければ、当方の門を叩かなかった方なのです。
まぁ、そのような理由から、そうした現象に苦しめられることになっている人も多々いらっしゃいます。どんなことも必然といいますか、起きることには意味がありますから。
ただ、そこまでに至る前に、別の形で「気づき」への道は用意されていたでしょうし、何度となく示唆する予兆はあったはずです。でも、それでもダメだったから、超常現象的な体験での警告的な導きとなったのでしょう。多くの場合…人によってではありますが「重篤な疾患」として現れることの方が多いですから。超常現象や心霊的な現象の方が効果的だとして…一部の人には、その方が人の話に耳を傾けて我が身を振り返る良い機会になる、ということで、霊的なトラブルとして現れているだけなのです。
そして、今回のクライアントさんの場合、ここにはその方の魂の意図や、ガイドさんたちの導きがあってこそなんですけどね。
霊的な現象に悩まされているから、解決したい。祓って欲しい、憑依した霊をどうにかしてくれる人…というのであれば、そのようなことが出来る人は私以外にもいるわけですから、他に行かれたでしょう。類似のお仕事をされている方はたくさんいます。それだけを求めるのであれば、たぶん、探すのは難しくないでしょう。
たまたま、ネットで私を見つけて、いらっしゃることになったのは、「憑依した霊を祓ってもらう」ためでも、「過去生を癒して解放する」ためでもなく、それらの過程を通して、自分の問題と向き合ってもらうために誘導された…ということなのです。
霊を上げることも過去生ヒーリングも、勿論必要性に応じて行いますので(それが仕事だし)、クライアントさんにとってはそれを受けに来ることが目的と言えばそうではありますが、実のところ、そこは単なるきっかけに過ぎなかったり。
とはいうものの…誘導されたものの…結果的に訪れることも、継続したセッションやレッスンを受けることを選択したのも、彼女自身の意志によるものですが。なかには、検索して私のサイトを見たり、一瞬気になったものの、ピンと来ないとか、料金の折り合いがつかないとか、何か躊躇する理由があって訪問を選択しないとか、一度いらしても、継続したセッションやレッスンの意味を見出さない方もいるわけですから。(そうした方には、別の方との出会いとか、別の方法での知る機会などが用意されることでしょう)
なるほど、私はスピリチュアル・セラピストと自らの肩書を名乗ってはいますが、ユタ(霊媒師)であり、氣術師たるヒーラーです。霊能者ではないので、神通力を用いて除霊や浄霊や因縁解消、ご祈祷や祈願などを行うことは出来ないし、重度の問題に対しては即効性のある結果は出せないけれども、エレメンタルに対するアプローチは出来るから、憑依体質の人の根本的な原因のサポートは出来る。軽度のものに限るけれども、除霊や浄霊をすることも出来ないわけじゃない。そして、それだけではなくて、スピリチュアリズムと霊的真理の知識があって、それらの知識を教えることもできるし、何よりもこの仕事をしている主目的すなわち方向性としては、「どうしてそのような問題や出来事が起こるのかを知るための人生上の気づき」をその人にもたらすことであるので、その部分のお話…当人に責任のある部分について、時に非情に、耳に痛いことを冷たくはっきりとお伝えしますから。
まあ、それを伝える最適な人材としてチョイスされただけ、というところでしょうか。そういう意味でも、出会いって言うのは偶発的なものではなく、導かれたものでもあるわけだけど、最終的にはその人自身の渇望が選んだものでもあったりする。
霊媒体質というか、自分が憑依体質であることに気づいていない人も多いし、それが自分にとっても周囲にとっても、トラブルメーカーであることにいっさい悩んでいない人もこれまた多いし。それを直したり改善しなくても、生きていくことは出来るわけだし。(まあ、時と場合によっては、とてつもない"不幸"で""不運"や、死"に至ることも無きにしも非ずではありますが)
気付いたり、自覚したりした時にも、お金は嵩むけれども、憑依する度に取って、また取ってで、対処してやり過ごすことも出来なくはないですから。
ただ、そうですね。
単純に、「霊のせい」「憑依体質のせい」とする前に、ちょっと考えて欲しいのです。何故、憑依体質であるのか。低い波動の霊(存在)ばかりを引き寄せてしまうのか。そのような低級な霊たちと波動(波長)が合ってしまうのか… 彼らと波長が合うのは、今のあなたが放っている(身体の)振動数が同じだからなんですけども、どうして自分はそのような低い振動数の人間であるのか、何故自分は自分を苦しめる存在たちと同じ振動数を放っているのか…
自分を低い存在と至らしめている、自分が体内に抱えている「思考」や「想念」が何であるのか、自分が表している性格について。
自分の外界に現れている世界は、自分が内側の世界に創った世界の現れなのですから。(自分が過去生から今生において、創造・誕生させ、使用してきた思考と想念のエレメンタルの総重量と総質量)
そこをちゃんと目を逸らさずに、直視して考えて欲しいのです。
そして、変わろうとして欲しいのです。今いる場所から、少しでも周波数の、波動の高い世界へと行こうとして欲しいのです。低い波動の重たい荷物を手放すことで波動を軽くして、今よりも高い位置、良い場所へ行こうとして背伸びをして下さい。その気持ちさえあれば、さすれば道は開けん!ですから。少し視点を替えて助けを求めさえすれば、気づきへのサポートや導きが必ずあるはずですし、見つかると思います。
視野を広げる体験や、精神的刺激や触発、啓蒙をもたらしてくれる出会いや出来事も得られるでしょう。
そんな感じで、霊的なトラブルや問題は、必ずしも人知を超えた解決不能な事象として目の前に立ちはだかっているというわけではなく、それ以外の理由があって、カルマのレッスンとして、人としてのあなたに何か(思考や生き方の間違いや人としての在り方の是非の示唆)を伝えるために、わざと起こっていることもあるのです。
気づきの道として、あなたを正そうとする、痛いお仕置きとして・・・
そういうことも、知っておいて欲しいと思いました。
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