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映画の素敵な魔法

PCの中にあるフォルダを整理したならば…
むかーし、ホームページ全盛期(blog以前、win95の頃ねっっ)に個人サイトを作ってたときのデータが出てきたので、せっかくなのでこちらにてぼちぼち転載してみることにしました<過去に書いたものの発掘っっww
お目汚しの文章ですので退屈しのぎにどうぞ。

BS放送などの映画放映及びレンタルビデオの普及のせいか、最近ではめっきり地上波での映画放映が減ってしまいました

ひとムカシ前、土曜の午後には決して夜の名作劇場などではお目にかかれないマイナーな映画がよく放映されていたものでした。
夏休みの午前中には、東京12チャンネルで、毎日のように子ども向けのアニメ映画や怪奇映画やらが、お約束で放映さたりなんかして、それを見るのがとっても楽しみだったものです。

クリスマスだとか年末年始だとか、そうした時にもちなんだ映画がよくテレビに流れていたもので…今では残念なことに、ほとんど見かけなくなってしまいました。

ここではそうした今では見ることの出来なくなった作品、ビデオ化されることもなく、あるいはされたとしても、名作としては語られることの少ない
マイナーなB級あるいはそれ以下の作品について、触れていこうと思います。


動物映画に乾杯!

「三匹荒野を行く」

これは確か、ディズニー映画です。私の記憶が確かならば~なのですが。ビデオ化もされているかも知れません。テレビで昼間放映されているのを二度ほど見ました。アニメではなく実写の動物映画です。

というわけで、主演は二匹の犬と一匹の猫。
とある家族に飼われていたこの三匹。その家族が旅行をするというので、その間遠く離れた友人の家に預けられることになります。

が、何を思ったのかこの三匹、捨てられたわけでもないのに、そう思ったのか…我が家恋しやホーヤレホ。自分たちの家、優しい家族の元に帰ろうと思い立った。

かくしてこれから、猫一匹と犬二匹の、預けられた家からの家出と、我が家までの長い旅路が始まりまるのであります。
ロングウェイ・ゴー・ホーム…ですな。

二匹の犬のうち、一匹は若く、もう一匹は年老いており、この老犬、身軽な猫と若者に促がされてか渋々行動を共にした・・・という感じであったようなー。

けれど、アメリカ(カナダでした)は広い。
三匹は野越え山越え、森抜けて・・・
若い犬はともかく、老犬にはバテバテな行程でありました。いろいろあってすったもんだして、三匹はお互いを庇い遭い、助け合って旅をするのですが、そのうちに猫は激流におち、犬二匹助けようとしたものの、流されてしまうのでした。

二匹は呆然としながらも、悲しみをこらえ、再び歩みを始めます。
しかし、駄目と思っていたら、猫は優しい女の子に助けられて介抱され、元気を取り戻します。猫はその優しい少女と家族に恩を感じながらも、女の子が寝入った晩、仲間の元へと戻るのでした。

そして、みごと再会した三匹。
三匹はお互い無事を喜び合い、再びの家路へと急ぐことに。

人間にとって車でウン十キロでも、動物には果てしない旅。
姿を消した三匹の事を友人から聞いて、悲しみにくれていた家族たち。

そんなある日、懐かしい鳴き声が家族の耳に届きます。走ってきたのは、若い犬。そして、時間をおいて猫。けれども、老犬の姿がなかなか見えません。年老いた犬のこと、長い旅路は無理だったのかと家族全員があきらめかけたとき、老犬が姿を現します。

こうして、三匹たちは無事、懐かしい我が家と愛する飼い主たちの元へ帰りつけたのでありました。めでたし、めでたし・・チャンチャン!

子供向けの映画なんですけど、泣けました! 泣けます。今じゃすっかり、この手の映画は作られなくなりましたね。動物保護団体がうるさいのかな?

もう一回見たいなあ・・・これ

原題は「The Incredible Journey」と言うのですね。して、1993年にリメイクもされました。「奇跡の旅」私としてはオリジナルの方がやっぱ好きかなあ。して、犬猫好きにはお勧めです。


「かわうそ物語/野生のミジー」

超マイナーな映画なんだと思います。役者さんもたいした(失敬)人でてなかったと思うし。。けれど、何故か印象に心に残っている作品です。
当然、ビデオにはなっていないはずです。日本では(一応、販売はされてたみたい)。

主人公はしがない独身オトコ。名前は忘れちゃいました。けど、心なしか風貌がウディ・アレンに似ていたような気がします。彼は平凡なサラリーマンか何かだったと思うのですが・・・

ある日、通勤途中か何かの時に街のペットショップで一匹のかわうそを見つけます。主人公はアパートメント暮らしで、別にペットを飼おうと思っていたわけではなく、たまたまそのショップの前を通りかかっただけなのです。

大都会?のペットショップには不似合いなかわうそくん。一体、何処から連れてこられたのやら、そのあたりは不明です。通りに面したショーウィンドーの中にいて、落着かないそぶりで、いったりきたりしています。

そんなかわうそくんの姿を見つけ、目があってしまった主人公・・・
最初は何だろうな・・・という程度です。しかし、翌日、その翌日もこのかわうそくんはいる。自分に対して何かを訴えてくるような、そんなかわうそくんの存在が段々と気になって、かわうそくんと逢わないと落着かなくなってしまって・・・

そして、ついに彼は決心します。
こうして、主人公とかわうそくんの同居生活?がはじまったのでありました。主人公はこのかわうそくんにミジーという名前を命名。

とはいうものの、相手はなんてったって、かわうそです。犬や猫のようにはいきません。狭いアパートは毎日てんやわんやの大騒ぎ。
悪戦苦闘の主人公・・かわうそミジーと暮らすには、今の生活では無理があるということに気づかされます。

ちょうど、孤独なシティライフと平々凡々な勤め人生活に一片の空しさを感じていたこともあいまって、主人公ここでまたもや一大決心!
都会の喧騒を離れ、田舎暮らしをすることを選ぶのです。

カントリーなライフの中では主人公である彼も、ミジーも自由で生き生き。誰に遠慮も気兼ねもすることなく、のびのび闊達に毎日過ごすのでありました。

そして、この生活の中で主人公は都会暮らしでは得られなかったあらゆるものを手に入れることになります。そのひとつ・・・最大のたまものが恋人。
彼女の犬とミジーが縁で知り合った彼女と彼は静かに心の交流を温めあうようになっていく・・・

さらに、彼はこの田舎でのカントリーライフとミジーとの暮らしを本にまとめ、出版することで小さな成功を収めます。
それはまさにミジーとの出逢いからもたらされた、運命の転機・・自分らしい生活を手に入れることが出来た、平和な幸福といえましょう。

ところが・・・ある日 彼女と今ではすっかり仲良しになった彼女の犬と散歩に出たミジー。田んぼのあぜ道をゆうゆうと歩いているミジーにお百姓さんが気づきます。お百姓さんにとって、かわうそは田んぼを荒らす害獣。野生を失くし、人と暮らしているミジーは人を恐れません。

そして、ミジーに振り下ろされる鍬。

犬と主人公の彼女が気づいたときには遅く、ミジーは悲痛な悲鳴を一声残して、その寿命を終えたのでありました。

この映画を思い出すたび、人と動物の共存の難しさについて考えさせられます。動物園やペットの問題も。犬や猫のようにペットにされたのが昔で、もはや人の中でしか生きていくことが出来なくなった動物たちは別として。

その動物がその動物らしく生きているところから引き離されて、人間の満足のために檻に入れられてしまっている動物たち。珍しいから、人に自慢できるからとアクセサリーのように扱われ、飽きたから、扱いにくくなったからと簡単に殺され、処分されていく動物、ペットたち。

このかわうそ・・ミジーも、ある意味ではそういう動物なのでしょう。

そして、人間でありながら、都会の孤独の中で自分の人間性を認めてもらえず、ただ鬱々と目的無く過ごしていた主人公。
この映画の中ではどちらも自我の存在を認めてもらえず、自由を無くした者同士として出会うのです。出会ったことによって、狭い人間社会の価値観が自分たちに合わないということを知り、人間の少ない自然により近い生活へと脱出するのです。

けれども、そこにも人はいる。人が中心であるという価値観があった。

ペットは首輪をつけているからペット・・・すなわち人間の所有物としての価値をもたされる。つまりは他人の所有物なのだから・・という見方。けれど、そうでない動物は人間がいかようにもしていい存在として人間社会では扱われる。

野生から引き離されて捕獲されペットとして売られ、最後にはかわうそであるがゆえに殺されてしまったミジーはやはり可哀相なのか
それとも自分をペットとしてでなく同胞として扱ってくれる飼い主である主人公に会えたミジーはそれでも短い人生ながら幸せであったのか・・・

果たして どっちだと思いますか?


「ベン」

ジャンルとしては動物パニック映画になります。
けれども、この作品はかのマイケル・ジャクソンがジャクソン5ではなくてソロで主題歌を歌った映画として超有名です。

主人公の少年の名前は忘れてしまいましたが、確かお母さんとお姉さんとの3人暮らし。お父さんはいなかったような・・・・??
母子家庭だったのかなあ? なんか父親の存在は希薄であります。

少年はとっても病弱で・・もしかしたら、何かの難病だったのかも知れない。いつも自室のベッドに寝ていたような気がします。そんなわけで母親や姉からは可愛がられて大切にされてはいるのですが、少年の心は孤独と寂しさでいっぱい。

さてさて それと対比して描かれるのが少年とその家族が過ごしている町の様子。いつの間にやら町ではネズミが氾濫し、食料倉庫を襲ったり、レストランなどに表れては人間の生活を脅かすようになっていきます。

そんなある日、いつものように寂しく一人過ごしている少年の部屋に一匹のネズミが迷いこみます。物いわぬ小さな小動物の姿に心の慰めを見いだしたのか、少年はこのネズミにベンという名前をつけ、可愛がります。そして ネズミの方も少年の優しい心に触れたのか、なついて、仲間などを連れて毎晩訪れては少年と共に過ごすようになっていきました。
実はこのベン、町を悩ますネズミたちのリーダーでとても賢いネズミなんですね。

さてさて、ネズミたちはやがて狂暴化し、ついには人を襲うようになります。そして、町あげてのネズミ退治が始まるのですが・・・・

ベンたちの住みかが人間たちによって駆逐されることを知った少年はベンに逃げるよう伝えます。ベンはリーダーらしく、仲間の群れたちを逃げるよう先導しますが、火炎放射によって多くのネズミたちが焼かれ、ベンもその火を浴びました。

そして少年の部屋へ焼け焦げて息も絶え絶えになったベンがやってきます。泣きながらベンを抱きしめる少年。少年の手の中で息を引き取るベン。

そこにまだ少年の声のままのマイケル・ジャクソンの歌が効果的に流れてきます。「ベン・・・僕の友だち・・」というような歌詞の。この歌がまあ、実にいいバラードなんですよ。思わず泣かされてしまいます。

この頃、たくさんのパニック映画が流行っていたけれど、この映画は単なるパニック映画に留まらず、人間にとっては害獣とされる動物たちにも事情や家族があり、生きるために必死なんだという・・・ただその生存本能に従って自分たちを害するものを攻撃し、食料を得ようとしているだけだと・・・そういう野生が文明を身にまとい野生を忘れた人間とどうしても敵対してしまうだけなのだと・・・そういうことを気づかせてくれる映画なのでありました。

そして、ベンと少年との友情。
本当にこのラストシーンには泣かされてしまいます。


名画は想い出とともに

「 卒 業 」

1967年 アメリカ
監督 : マイク・ニコルズ
出演 : ダスティン・ホフマン, キャサリン・ロス, アン・バンクロフト,
主題曲 「サウンド・オブ・サイレンス」 サイモン&ガーファンクル

前に派遣で一緒だった女の子から聞いたハナシ、
その娘の友達がカレシと一緒にこの映画を観たのだそう。
映画を観終わった2人はすっかり、ベンとエレンに感化されてしまった。

カレシ 「いいよなあ・・・ああいうの」
カノジョ「いいよねぇ・・・なんか、憧れちゃうよね」

そして、カレは言った。

「よし! オレタチもあの2人のように駆け落ちしようぜ!!」
「うんっ! アタシ、ついてくっ!!」

しかーーし・・・
盛り上がった2人は肝心なことを忘れている事実に気が付いた。

「・・・けどさあ、
よく考えたら、オレたち、駆け落ちする理由がないよな」

2人の仲は双方の親公認、誰にも何処からも反対されていないのである。確かに駆け落ちしようにも、する意味がなかったのである。

チャンチャン♪

”音楽のある風景-サウンド・メモリー” のところで「スカボロー・フェア」を取り上げたのでやはり映画の方も、挿入曲として取り上げている「卒業」にしてみました。

この映画を観たのは・・・学生時代
・・・・・・・・・・・・というのは、嘘です。

リアルタイムに映画館でこの映画を観れるほど、
アタシは歳をくってはおりません(笑)

観たのは、多感な小学生の頃、土曜の午後のテレビ放映か何かで観たのでありました。当時は、夢見る少女? でしたから、教会での花嫁略奪シーンを見て、「アタシもあんな風にさらわれたいわん」なぞと、おこがましくも憧れちゃったりしたものでした。

けれども、大人になってから、こうした昔観た映画というものを改めて見かえしてみると、当時の視点とは異なった視野でそういった映画を見かえすことができるのだと…気づかされたりします。

いま考えると、
「なんだ、ストーカー映画ぢゃん」なーんて、思ったりして(笑)
(と、いうのは、おいといて・・・)

この映画を歳を重ねた今、見かえしてみると、ベテラン女優 アン・バンクロフトの演じていたエレンの母の哀しみに心を動かされてしまいます。娘への複雑な感情、母としての愛情と女としての嫉妬との葛藤。
娘を産んだことで、一人の女としての人生を失い、母であり、妻であることを選ばされた人生。そして年老いていく自分とは裏腹に、まさに一人の女として花開いていく若さの代償としての存在のような愛娘。

そして、思ったんですけど、この映画の題名「卒業」というのは、まさに子供(娘であり息子、少年と少女)から大人になること、子供が卒業していく…ということを表しているのかなあ~って。

子供から大人になること、これは必ずしも歳をとるということでもなく、卒業というのは、学位を取得して就学期間を終えるということではなく、自分の選んだ行動の責任を取ると事…それをしなくてはならないという自覚を持つということ。

ベンは学校を卒業してから目的もなく、親元でぶらぶらして、誘惑されるままに親の友人である一人の夫人と関係を持ち、流されていたけれど、一人の女性…幼なじみのエレーンを愛し、彼女の結婚をぶち壊して彼女を手に入れるけど・・・

さて…「卒業」というこの映画のタイトルは、そういう全てを壊して色んな人に迷惑をかけて、ただ自分の欲望のまま突っ走ったベンの、君はもう子供ではいられない、自分はそれだけのことをしたのだから、自分のとった行動に対して責任を取らなくてはならないんだよ~という事を暗に示しているような気がするのです。
教会から手を手にとりあって無邪気な子供の笑顔を浮かべる二人とバスの中でふと我にかえったような二人の表情の対比が、そのことを物語っているような…なんか、そう思いました。上手く言えないんですけど。


「ロミオとジュリエット」

監督 : フランコ・ゼッフィレッリ
出演 : オリビア・ハッセー, レナード・ホワイティング,
音楽:ニーノ・ロータ    歌 :グレン・ウエストン

好きなんですよ・・・この映画
誰が何といっても、少女趣味と笑われても・・・

瞳をうるうるさせて、ため息交じりにうっとりと・・・そんなメランコリックなロマンスに浸れてしまう。

そんな自分が恥ずかしくもあるけどっっ

それから、もっと恥ずかしいことに…私はシェークスピアのこの原作も好きなのですけど、これの本 片手にセリフ朗読しちゃったりなんかして(笑)←なに、やってんだ~おめぇ、怪しいヤツぢゃん

「おお、ロミオ・・・なぜにあなたはロミ山田なの・・・」

そんなふうに感情移入しちゃって、はまれてしまうんですねえ。。
(ほとんど ビョーキですな)

私がロミ山田です

この映画をきちんと始めてみたのは、確か高校の時だったような気がします。それ以前にもテレビ放映をした事はあったと思いますが、その時は幼すぎたのでしょう。

うちの親が映画好きだったこともあって、こうした名作映画に関しては私の家ではお約束のように茶の間に映し出されていたわけです。家には古き良き時代の「スクリーン」などの映画雑誌もありましたし・・・あまり良い家庭環境ではなかったとはいえ、わたしが何だかんだいっても子供の頃、映画をたくさん見ることが出来たのはこの環境のおかげなのです。

この映画の放映は、確か 修学旅行に行く前でして、もうワクワクでした。
とっても良い映画だと、名作であるというのは聞いていましたし、原作も既に読んで知っていたからです。

しかし、この映画放映にはクサイ思い出がありまして・・・

親の後ろからそっと見ていた私ですが、途中どうしてもトイレに行きたくなってしまいました。CMを見計らってトイレに駆け込んだわけですが・・・当日なぜんオーバーオールを着ていまして、当然、前をペロッとおろしたわけです。

ほしたら・・・前ポケット(オーバーオールの胸のとこにあるポケット)から、何かが落ちた。「??・・・・あっ!!」

そうです。それは定期だったのです。
しかも、買ったばかりの半年定期・・・

しかも、当時のうちはまだ・・・ななななな、ななんとっ!!
まだぼっとん式(くみとり)便所だったわけですね。

「うぎゃあああああああっ~!!」

私の悲鳴になんだうるさいと母、定期を落としたと言ったら、怒られたのなんの・・・

んでもって、半べそかきながら 必死になって汲み出しましたよ・・・あさったの・・・トイレの汲み取り場。その甲斐あって、なんとかブツは発見できましたけどね。けど、パスケースにはいっていたとはいえ、ンコまみれだもン。臭いもん・・・さらに今みたいにプラスティックじゃなくて、その頃はまだ紙で・・・

いちおう 洗って乾かして 香水振り掛けましたけどね・・・
嫌でしたよ。触るの。
今考えたら取り替えて発行しなおしてもらえば良かったんだけど、頭回らなくてそのまま使ってたの。

んで半年後期限が切れたとき、それを入れていたパスケースごと捨てましたのでした。

ハァッー!!

そんなわけでして、このトイレ定期汲み出し騒動があったため、最初と最後しか見れなかったという、哀しい想い出の映画なのでありました。
・・・という訳で、この映画というと、あの時泣きながら必死こいてンコあさったことやら、洗ったはずの定期券からどことなく漂ってきたトイレのニオイが蘇ってしまうのでした・・うう

さてさて、そのあともこの映画の放送があったりしまして、その時はちゃんと見れたのですけどね。やっと・・・

吹替えは榊原良子さんと水島裕さん・・・すごくあってて良かった。うんうん。。けど、字幕のを見たとき、ジュリエット役のオリビア・ハッセーの声がみかけの可憐さと異なって違和感のあるダミ声だっので、ガガーン!! と幻滅、ショックでした。

でもって、最初のオープニングでぶっとびました。

だって、衣装よ! 衣装・・・女性はともかく、男性のアレ・・アレです。
股のところにある金袋、これにはぶっとびました。

こちらは玉袋筋太郎さん

当時の中世という時代の衣装を再現したということなので、まー それは歴史のホントだから仕方ないのだけど。
マジ、初めて見たときは 「きゃあ~!! やめて、恥ずかしい・・・」
でした。だって、当時はまだアタシ 乙女でしたものww
今なら、ともかく…何とも思わないですが。。

私がトイレで格闘した翌日、修学旅行先の女子たちの間での話題の中心はソレでした(笑)そんなに騒ぐなよ、注目すんなよ・・・ですがね。オンナのコってまったく・・ははは

オリビア・ハッセーは本当に美しかった。初々しくて、ハッと息を飲むほどに可憐で。たおやかな花のよう。レナード・ホワイティングも美しい青年で、ロミオにぴったりの若さと情熱をほとばしらせてくれていて。

そして、オリビア・ハッセーはこの映画で有名になったばかりか、この一作でいつまでも語られ続ける永遠の女優となったのです。

確かに、この映画が今までの「ロミオとジュリエット」の映画化の中で一番の最高傑作なのではないかと・・私は思っています。映像も音楽も素晴らしかったし・・・

二人の出逢い、バルコニーのシーン…そして、若い二人のまぶしい肢体…ため息がこぼれるほどに、幻惑的な中世のロマンを彷彿と蘇らせてくれているのです。

シェークスピアの作品は舞台の脚本だから、セリフがともすると重くて、説明調で、映画にすると恥ずかしくなるくらいにうざったくもなりそうなんですけど、そのセリフが新鮮かつ自然に聞こえるから不思議。

この映画のメインテーマのタイトルは、直訳すると「若さとは・・」という意味なのですが、まさにこの原作者シェークスピアがこの「ロミオとジュリエット」に込めた恋という媚薬の戒めを表しているのですね。

若者の向こう見ずな恋が悲劇を生んだと・・・
ジュリエットとロミオは互いに一目ぼれして、その夜愛を交わし合い、翌々日に結婚式をあげた。そしてその日に誤ってロミオが人をあやめてしまい、追放の処分が下ったことから、その夜にベットインしてしまう。
そして、ジュリエットに縁談話がまとまってしまったことから、仮死の薬を飲み、悲劇の終焉へと。。

これには人間であるがゆえのいくつかの過ちとすれ違いが重なっているわけですが。。。

さてさて なにはともあれ この二人の恋は出会って10日間足らずで終わってしまっているわけです。それゆえに永遠の恋人たちと称えられている。

けれども、二人はお互いをよく知らない。まだ互いの欠点も長所も知り尽くさぬままに、互いを伴侶と決め、 お互いを飽きるひまさえなく、天国への道をも共にした。

敵同士という障害が二人を燃え上がらせ、情熱に加速をかけたのか・・・恋の良い部分だけを信じ、それ以外のマイナス要因を見ることなしに、恋のかける魔法に酔いしれたまま。

これが、何ヶ月も付き合っていたら、どうだったのでしょうか?

「あなたって、そんな人だったの?」
「口やかましいオンナだなあ・・・おまけにやきもちやきだし・・・」
なんて、事になってたかも知れません。

結婚してから、ロミオは浮気に走っていたかも知れないし、ジュリエットだって、ブクブクと太って若さを早く失わせていたかも知れませんしね。いえいえ、そんなのは現実の恋愛にはよくあることで。。。

最初は互いが理想の相手、運命の恋だと思い込んで、夢中になるけれど、いつしか情熱が萎えてしまって、相手に対して不満を抱いたり、「こんなはずじゃなかった」と思うのは、恋愛の常と言えましょうから。

しかし、今もなお、この永遠の恋人たちの悲劇ではありながら「運命の恋」が人の胸を騒がせ、ときめかすのは、そうした自分たちが失ってしまった若さゆえの熱情・・・恋というものの、あの一瞬の輝き・・・持続させたくとも持続させることが難しい、恋愛の一番良い時を思い起こさせてくれるからなのかも知れません。

恋愛の後にくる醜いものをさらすことなく、恋愛ゆえの愚かな行動や感情を知ることなくいってしまった 若き永遠の恋人たち・・・
いつまでもいつまでも。。。恋の美しい夢だけを私達に見させてくれる二人の恋。

ああ・・いいなあ、やっぱり こんな恋がもう一回してみたいわあ!!


1999年 見た映画感想

#めいどいんじゃぱ~ん

「虎の尾を踏む男たち」

黒澤監督のえーがです。
アイヤー! 当初は、「天国と地獄」を借りたかったんですね。山崎努さん出ているし、ええ・・・傑作とのことだし。

けど、赤羽のツタヤには置いてなかった(TT) んでもって「赤ひげ」もないし、んじゃ、「姿三四郎」でもと思ったら、隣にこれがあった。
なになに? 手に取ったらば、大河内でんじろーにエノケン? おお! 面白そうではないですか。

歌舞伎でいうところの「勧進帳」の映画化。時間は約1時間と短編です。歌舞伎のあの様式美の見事なまでの再現と、狂言回しとしてのエノケンの喜劇的要素・・・はてはて最初は異色つうかミスマッチなキャスティングかと思いきや、アタシはなかなかどうしてこーゆーの好きです。

んでさー 気に入ったのが、富樫役の藤田進って役者さん。あたくし、目が悪いので、最初は笠さんと勘違いしてしまひました・・・でも、いい感じなんだあ。

本家本元、歌舞伎の「勧進帳」は残念ながら未だ見た事ござんせんが~
(歌舞伎は今まで2回しか観たことないのよん)

そーですね、思ったこととしては、なんかさー 義経って、牛若丸の公家風イメージが強いせいで、ああ描かれてしまうのかも知れないけど、源氏の若大将として、平家を討つ活躍をした人なのにさあ、軟弱に描かれすぎなんだよなあ・・・性格的に子供っぽいところはあったと思うけど、歌舞伎の形に忠実といえば、そうなのかも知れないけど、義経にリアリティがないのが難って感じかな。

そーいや 黒澤映画の予告版も入ってたんですが、「七人の侍」と「赤ひげ」と「用心棒」・・ああ、予告編もかっこいいのねえ~ 特に「七人の侍」の予告は、もちろん本編も良かったけど、予告編だけでもなんかいい!味があるのよお~


「どですかでん」

泣きたい映画、感動する映画、とにかく涙どしゃぶりになるような映画が観たかったんです。で、これってそうかな? と思ったら・・・・・・・・・

ち、違った(^^;

かえって やるせなくなっちゃった。
思いっきり気が滅入ったとゆーか・・・まぁ その・・・
思ったのが 黒澤監督って、「色」にこだわった人なんだなって。

特にこの映画を見てそう思いました。

白黒の時は「光(光彩)」で時間の創り出す「間」を表現しようとしてたって感じだけど・・・うん。カラーになってから、しつこくて、くどいまでの「色」を使うことで人間のあらゆる「色」を出そうとしてた表現しようとしてたのかなって、ちょっとだけ思った。

この映画での救いは、唯一 井川ひさしさんと田中邦衛さん、吉村実子さんともう一人の女優さんの2組の夫婦のあけっぴろげな、こだわらない夫婦交換(笑)ちゅうか、原始的な男と女の在り方くらいかな。

奈良岡朋子さんのセリフ「この木は何の木なのかしら・・・・ああ・・枯れてしまえば、どんな木だったのかなんて関係ないんだわ」には、しみじみ。
以前がどんな人間であったのか、どんな過去があるのか、どんな肩書きがあるのかなんて関係ない、今どんな人間であるのか。。。なんだって感じ。

そして とことん 人の良いおじさんが、必ずしもそれに見合ったお返しを得ていないというのが現実って思った。三谷昇氏もホント不気味だなあ(笑) ホント、口だけ親父というか・・うん。


「蜘蛛巣城」

シェークスピアの三大悲劇「マクベス」の日本版でごわす。
物の怪の予言に振り回され、真偽を見ぬく目を失って、猜疑心にとりつかれ、破滅していった男の物語?なのかな??

まー どこの世にもそーいう輩はいるもので。。。。

うん、良かったよ。傑作作品ではないかもだけど、アタシは好きだなー なるほどって感じです。

しかし、黒澤監督のお城のイメージって、いつもあんなんなのね。荒れ野にポツリってある感じでさー

それにしても、山田五十鈴(おりくさん)はコワイヨー! 物の怪より怖い。


「もののけ姫」

テレビでやってるのを見ましたのす。

声優陣が豪華だったなあ~!
松田祥二くんも良かったし、石田ゆり子さんもなかなか上手かったですね。美輪さんもいたし、田中裕子さんは大好きな女優さんなんですよ。うん。

けど、なんが小林薫さんなのかがよく解らなかったけど(笑)
田中さんとセットだと向田邦子ドラマの世界だってばさ~

あと、やっぱり、島本須美さんがお約束で出ていたのが嬉しかった。もう、主役を吹き替えられるほどの声の透明さ(宮崎監督がヒロインの声に求めているもの)は失ったものの・・・やっぱ、出てるなあって感じ。

映画の物語の内容は・・・おいといて(笑)

動きがとても良かったですね。流石、これまでの実績と評価があるから、納得のいくコマ割り(動画枚数)使って、妥協のないカット展開してるって思った。

これを最後といっている宮崎監督のこれまで経験を積んできたアニメーションの技法やなんか、全てが織り込まれてるって感じ。その辺りは見事かなって思いました。

ホルスは・・「ホルスの大冒険」は興行的にも大失敗だった作品なんですけどね。ああ・・「ホルス・・」の前の「白蛇伝」なんかにも、森繁久弥さん声優として出演していたな・・今回、最後の宮崎作品にも乙事主様の声で出ていたりして、宮崎監督のアニメーション生活の最初と最後にかかわったのですね・・・

うん。何故か「もののけ姫」を見ていて、東映の初期のアニメ映画「ホルスの大冒険」を思い出してしまったんですよ(笑)全然似てない作品なんですけどね。アタシの中ではこの二つの作品がオーバーラップしてしまった。
ホルスとアシタカと、ヒルダとサンといったように・・・なんだかな(謎)
未来少年コナンだと、コナンとラナか。

こういう作品を、サンリオの辻さんが物凄く作りたがってたんだけど・・・それを成し遂げられず挫折して・・・手塚さんも目指していたみたいなんだけどね。

なんだかんだ、ディズニーの真似をしても始まらない、日本には日本の動きがある、日本人にしか造れない、表現できない動きがあるはずだ!・・ってのを目指した初期東映動画制作スタッフの生き残りでもある宮崎さんが、成し遂げちゃったんだなあ(笑)

むかし持ってたけど、失くしてしまいましたっっトホホ

最終的にはその夢を極めたというか、海外にも高い評価を受ける独自の世界&表現法をね、確立させたんだなあ・・って、しみじみ。

内容に関しては、言いたい事は分るんだけど・・・
う~ん・・って感じ(笑)あまり、深くは追求するまい。。。

けど、この映画を見ている最中に友達から電話が掛かってきて、
「いま、もののけ姫見てるからさあ~」と、言ったなら、
「駄目です!! テレビなんかで見てはいけません! CMが入ったりするんですよ!! 言って下さいよ~ ビデオなら、アタシ買ってもってるんだから、貸すから、ビデオで見て、テレビは観るのはやめるんです!!」って怒られちゃったのでした(笑)


#あじあん こりゃりゃん

「頂羽と劉邦 その愛と興亡」

3時間弱の映画でした。。。なっ、長い。
まー このハナシを一本の映画にまとめるのがそもそも無理があるのかな?
大河ドラマとしてじゅーぶんに一年持つもんなー。

頂羽の役者は名前知りませんが、劉邦は、「さらば、わが愛 覇王別姫」に出ていた人で(名前忘れた)、呂稚は、大物女優 コン・リー、虞妃は、ロザムンド・クアン ・・・・・・という配役。

物語は、始皇帝の暗殺未遂シーンから始まって、とばして一気にその死、その後の各地での暴動やら叛乱に乗じて劉邦が乱を起したことから、彼の家族の家が秦の軍に襲われるという・・・
まー そこからの物語というわけで。

締めくくりは、四面楚歌、「虞や、虞、汝を如何せん」という頂羽の有名な歌、虞美人の自決、残るは28人の精鋭のみ・・となってしまった項羽が劉邦に追われ。行く手を川に阻まれ、助けにきた船頭に愛馬すいを託し、全員勇敢に立ち向かって死んでいく・・・・そのシーンまでという奴ですね。

頂羽と劉邦・・・天下を取れず自滅した者と天下を取った者の例えとしてよく比較される二人ですが・・・

この映画では、頂羽が天下を取れなかったのは、彼が愛するもののためには命を掛け他を省みない、友人や身内には甘いがそうでない人には情知らずで冷酷。まー、全体を見る思慮のないやつ・・・ということで、人の上に立つ器ぢゃないんだお・・という感じ。

一方の劉邦は臆病なくせになかなかの計算上手で、他人にのせられながらもひょーひょーとやっている。。ってタイプ。イバリたがって対面は保ちたいけれど、奥さんや周囲の方が自分よりも賢いのを知ってるので、それに甘んじてるってタイプ。

副題に「その愛と興亡」とあるように、この映画は女性から見た二人の英雄への想いも扱ってます。また、妻たる女たち(良妻か愚妻か)によって英雄の命運もまた別れたともの暗示。

呂稚は・・・夫、劉邦への愛はなく、ただ不思議と人望があって周囲に有能な人材が集まってくることから、才能と将来への期待というだけで寄り添っているわけですが、心は、愛する女性のために火の中にまで飛び込むことをする項羽に惹かれている。

よーするに、女性からいったら、寄りそうには将来性のある男性は安泰だけど、項羽のような一本気な男に心奪われずにはいられない、どーせ愛されるならこっちのタイプの方がよいわん・・というワケ。
映画では、呂稚の心は完全に項羽のものなのよ。

まーそんなわけでか、この映画は、劉邦はなんか、あんま魅力的でない。存在感がないというかー 脇役っぽいです。はっきりいって・・確かに項羽の方がかっこいいしね(笑)

難をいえば、物語が上手く整理されていなかったような気がする。役者は決して悪くないんだけど・・・
せっかくの広大な敷地と大勢のエキストラを用いての戦闘シーンもいまいち迫力に欠けるし、一言でいうなら解りにくい。映画というよりはテレビ用のスペシャル番組並なのよね、戦のシーンなんか特に。

私的にはイマイチだったなあ、この女優さんの虞美人

あと、絶世の美女といわれた虞美人がなー ロザムンド・クアン
この女優さん、沢口靖子をブスにした感じに見えるんですが、あんまり魅力的でないんです。ちっょと納得できない。それに彼女自身の性格設定も英雄項羽に愛された女・・というほどの女かあ?と、不満はありーの。

はんぞーじーちゃん(軍師の)なんて、アホ狒狒爺みたいだしなー
それから、韓信のキャラクター(全くの脇役だけど)の描かれ方が気にいらねー アタシは、張良が好きなんですが…この映画では…うーんっっかなぴー はんかい(漢字忘れた)はイメージ通りだったけど(笑)

かんけーないのですが、虞美人と項羽の恋物語はちょー有名な恋愛叙事詩でもありんすが、虞美人が死んだその血のあとに花が咲いたとかいう逸話があります。その花は、中国では虞美人草というのですが、日本名ではひなげし、西洋ではポピーといいます。

”おっかのうっえ~ ひっなげしぃーのぁーはぁーなーでぇ~ ♪ ”


「花の影」

レスリー・チャンとコン・リー主演で、「さらば、わが愛-覇王別姫」の監督の作品ということで・・・観たかったのよん。

ううーーーーん・・・

この監督って、自国(中国)の古い伝統というかしきたりというか慣習というか、なんというか、脈々と受け継がれている民族としてのそういうものを憎んでいるというか。そうとしか思えないんだよなあ・・・って感じてしまった。なんか、見終わったあとが、どんよりとすっきりしないんだよーん。
「さらば、わが愛-覇王別姫」の時も苦い想いだけが残っちゃったけど…

コン・リーは、「上海ルージュ」や「菊豆」なんかで見せた、けだるい悪女が上手い女優だと思ってましたが、この映画では純なおぼこ娘の役を見事に演じていたので、ほっーと関心。びっくりしたなーもー それなりの歳なのに、無理を感じないのよ・・・あの娘役が・・・

さてさて、レスリー・チャンは常盤貴子との共演の映画が楽しみだったりするっちゃ。


「ムトゥ 踊るマハラジャ」

ずっと、ずっと、観たかった! 面白かった。
つうかー よく解らないけど・・・

あの踊りがたまらない。元々ミュージカル好きだからさ。

ちなみに黒人→黄色人種→白人というように、リズム感がよいのだそうで、西洋のダンスとは違った、東洋はインドの怪しい柔軟な動きの、あの独特な踊りがたまらないっすねえ・・・楽しい。歌は。。。よく解らないけど。

ムトゥは・・・なんであの役者さんなのか解らないけど、うーん。
もっと、歌って踊れるハンサムな役者はいなかったのか。。
女優さんはあんなに夢のように美しい人だというのに・・・

なんかねー 日本であれを映画化するとしたら、ムトゥはやっぱり西田敏行でしょう!!

けど、単なるミュージカルだと思っていたら、今のアタシにはハッとさせられる言葉もあったので、なんか収穫があった映画でした。

それとね、ちらりとだけど、この映画の奥に、インドの前世思想も垣間見た感じなのよね。それは、育ちの良い階層にに生まれた人は、下位の境遇に落ちていても、高貴であるという・・・ちょっとこの辺のしそーは、アレなんだけどねー


「ヤジャマン/踊るパラダイス」

んーーーーー 「ムトゥ」の続編というより、キャスティング(役者)がほぼ同じというだけの全くの別作品ですね。

今度は泣かせます、っていうのは、ああいう意味か・・・ですがあ~!

そーだなー やっぱ、「踊るマハラジャ」の方が面白かったっす。。あっちの方が、歌と踊りも多くて、物語も安心して見られたし。笑えるところもいっぱいあったし。

それに比べてこっちは、踊りとかが全体的に少ない気がするんです。特に女神のように美しいミーナさん・・ほとんど出番なし・・だし。

奥さんがなくなってから、彼女への想いに浸っているヤジャマンに対して、妻の死(自殺)を無駄にすな~再婚せいや~彼女を愛してるなら遺言守れ~ってやる周囲(たぶんインドの道徳)がやだなあ~って思うし。なんかねー (^^;) ちょっとブーイング。あのへんの描きかたがやだわん。

でも、ポンニの踊りはセクシーでした。
マサラムービーってキスシーンでさえ御法度であるのに、あの挑発的でなまめかしい踊りはOKってゆーのが、よく解りませんがあ~
見方によっては、キスシーンの方が健全で、あの踊りの方がイヤラシイゾー

同じインド映画でも「カーマスートラ」はねーちゃんの裸、キスシーン、ちょっとしたベットシーンはありましたね。「プーラン」も尻だし男いたし。

でも、このマサラムービーすでに癖になってるので、予告にあった映画もビデオになったら、ぜったい見ようと思ってますの。


「女盗賊プーラン」

とても痛ましい映画でした。見ていて辛かった。女性だったら見た方がいい映画だけど、女性にはともかく辛いシーンの連続。

インドって、ちと嫌いかなって思っちゃったりして。カースト制ってホントに悪だわよ。実話(小説)の映画化だけに生々しくって・・・涙さえ出てきやしないよお~ ヒィーン

ほんと、憎たらしい奴ばっか出てくるし、まったく「ダーティハリー4」のソンドラ・ロックぢゃないけど、思わず、股間をぶち抜きたくなる奴ばっかなんだよ・・・

プーランのおかれた境遇というか、体験させられた事は本当に酷いとしかいいようがなくて、けれども 女性って基本的に感情でしか動けない生き物なのかなーとも思ったりして。ええ。盗賊の頭としては、器が少し足りなかったような気がするし。

ああ・・でも とにかく痛々しい映画である。

んでもって、プーランは後の選挙では落選したそーですが・・・うんうん。
現代において盗賊で殺人を犯した人が、国民に人気があるということで、死罪を免れ、国の保護を得ることが出来たり、国会議員になれたっていうのが むむむ 不思議の国でごんす。

ご本人

でもって、最近 プーラン自身の写真を見ました。え゛っー!! 盗賊の女親分?? 顔立ちの愛らしいおばちゃんぢゃーん・・・と驚いたであります。再婚して子供にも恵まれて良かったね。。と。

それから、殺人罪で再び告訴されて、森の中に消えたとのこと。。そういう生き方もあるのねへという感じです。


#よーろぴあんめりかーん

「ポップ・ショット」

※残念ながら映画情報が無かったっっ

先週、感動できる映画を見ようと思って選択に失敗したので、今度は憤怒で充満している感情を中和するために、思いっきり笑える映画を見ようと思ったんです。ええ、腹を抱えて、転がりまわって顎が外れるほど 笑えるような映画・・・

ちなみにアタシはコメディ好きです。「ピンクパンサーシリーズ」も好きだし、メル・ブルックスのも大好きだし、「名探偵登場」も好き。「ポリスアカデミー」レスリー・ニールセンなんかも好き。「ホット・ショット」なんかのパロディや「ホームアローン」なんかも大好きです。

でも、その代わり吹替えでないと・・・なんですよ。ええ・・いまいち、ギャグのセンスが伝わってこないでしょう? 字幕だと。

でもって、ウディ・アレンのコメディはちと違う気がしたし、なんかないかなーって探したら、御笑いの人が吹替えてて、なんか面白いかな。。と思って借りたんです。

ほしたらさー つまらなくはないんだけど・・・・・・
これって オール黒人出演映画で、よーするに白人社会での黒人(アメリカでのアフリカ系アメリカ人)に対するブラッコメディだったんすよ、つまりは風刺映画。

だから 笑えることは笑えるんだけど・・・むむむ うーん。警察で白人警官たちがロドニー・キング殴打ゲーム機とかであそんでたりしてさー
ううーん・・・抱腹絶倒とまではいかなかったっす。
なんか 思いっきり笑える馬鹿馬鹿しい映画ってないっすか?


「三銃士」

チャーリー・シーンがアラミス、キーファー・サザーランドがアトスのやつです。衣装やセットがディズニーランドみたいだ・・・と思ったら、制作(配給)がウォルト・ディズニーだった。。なるほど。

昔見た映画では、アラミスが好きだったのですが、この映画ではポルトスが可愛くって~ むふ・・・役者さんの名前は忘れちゃったけど。
ダルタニアン役の人は、マーク・レスターに似ていると思ったりして。。。

でもって、レベッカ・デモーネの美しいこと。。きゃあ~ この人って「揺りかごを揺らす手」とか、この手の悪女が似合うのよね~ はふっ!

トム・クルーズの最初の婚約者っす

いかにも~な冒険活劇映画でしたが、アタシは好きですし、面白かった。
もちろん、吹替え版を借りましたのよさ。


「仮面の男」

観たかった~! レオナルド(熊)顔がデカプリオはどうでもいいんたけど、題材がね、興味あるもん。「鉄仮面」と「三銃士」の合体だからさー

そっか、そっか・・・ダルタニアンがジェラール・ドバリュデューか、ちなみに唯一のフランス人だがね。フランスモノだけど・・・

けど、何が気に入らないって、ルイがアトスの息子を戦地に追いやってまで、手に入れたクリスティン役の女優さん・・・・ちーとも、美人ぢゃないんだもん。いや、ブスではないですぞよ・・・そこまで欲しいと思わせるヒロインとしての可憐さ、誰もが納得できる美しさと魅力がないってこと・・・それがブーイング。


「スノーホワイト」

なかなか面白かったっす。お城っつうのもいいし、中世だし。狼も出てくるでないですか・・・けれども シガニー・ウィーパーは、ああいう嫌な女が上手いっすね。

大物女優であの手の役をこなせる女優はなかなかいないっす。しいてあげれば、キャスリーン・ターナーくらいかもな。

これも吹替え版で観たんですが、なかなか良かったです。


「ブレイブハート」

スコットランドは大好きなんですよ。普段、イギリス~って騒いだり、アイルランド云々ってよく言ってますが・・・実は、一番心惹かれているのはスコットランドという場所なんです。

ちょっとここでは映画の感想というより、これを知ってて観れば角度も変わっておもしろいというだけのうんちくたれ。

ソフィー・マルソーが演じた、エドワード皇太子妃イザベラ(イザベル・オブ・フランス)ですが、この女性は最初はね、その美貌から”佳人イザベル(フェア・イザベル)”と称えられた王妃なんですが、後には、フランスの雌狼、歴代イングランド王妃の中で最悪の王妃・・とまで呼ばれるようになってしまった女性でもあります。なんてったって夫殺しがあるから~

ちなみに、映画では、エドワード一世 VS フォレスって構図で、その和平の間にたったのがイザベラとなってますがけんど~

皇太子エドワード(エドワード二世)とイザベラの婚約はイザベラが4歳の時ではあるけれど、彼女がフランスからイギリスに渡ったのは、エドワード一世が死んた後、結婚式をあげる直前の15歳の時だったはずなんですがあ~
だから、イザベラとエドワード一世が面識があったはずはないんだが?? むむ? です。

でもって、エドワード一世はイングランド側からすると、賢王として輝かしい業績を賛えられている歴代王の一人でありんす。でもって、息子の方は賢王の後に愚王ありと言われているように、どうしようもない放蕩息子で王としての評価は最低です。ま~んでもって、同性愛者でありまして、結婚前からお気に入りの愛人(もち男性)を侍らせて、その寵愛ぶりから、いろいろとトラブルを招いたりしてね。

現代に続く、プリンス・オブ・ウェールズの初代であり、つまり、父王エドワード一世のウェールズ征服により、エドワード二世がプリンス・オブ・ウェールズに叙せられて、現代のチャールズ三世(チャールズ皇太子)にまで受け継がれるその歴史はここから始まったのであります。

てなもんで、イザベラはエドワード二世の元に輿入れしたものの、夫はゲイで妻である自分よりも、男の妾を大事にしている・・おまけに自分がフランスから持ってきた宝石をその愛人に譲れといいだす始末。これじゃ、この夫婦、上手くいくわけない(笑)

そんな訳でイザベラの元には、愛人(寵臣ギャブスタン)を寵愛して偏った政治をするエドワード二世に不満を持つ貴族たち・・・反エドワード派たちが集まったりして自然とイザベル支持派が出来るわけですな。

たぶん、映画の中でイザベラがフォレスと密通して、その子を産んだ・・という架空のエピソードは、エドワードが同性愛者であったことと上記のように二人の中が険悪であった事実から、いちおう二人の間に子供は生まれているものの、本当にエドワードの子供かどうかは疑わしい・・という歴史的見解から来ているのではと思います。実際、イザベルには愛人いましたしね。

そんなこんなで最終的にこうした夫婦の不仲は、国の政治をまっぷたつに分けたりするもので、その愚行やらいろいろあって、エドワード二世は王であるのにも関わらず逮捕されて幽閉、処刑されてしまいます。

その処刑方法といったら、残虐で、殺害されるまでの数日間何も食事を与えられず、肛門から焼火箸を突っ込まれるという拷問の末、息耐えたという事。この惨殺は当然のことながら、イザベラと摂政役でもあった彼女の愛人の謀でありました。

最終的には、その後即位した息子エドワード三世と今度は反イザベル派に回った貴族たちによって、国王惨殺事件の犯人として、イザベラとその愛人は逮捕され、愛人マーチ伯は処刑、イザベラは死ぬまで幽閉される結果になりましたのよさ。

ちなみに、イザベラの次女ジョアンはスコットランド王ロバート・ブルースの長男に嫁いでいます。映画では「フォレスの意志を受け継ごう!」と頑張りましたね、ブルースくん。

まーイギリスの王室って、実にドロドロしてるのよね。日本とはスケールが違うってば。いやはやなんとも。。。


「マルキ・ド・サドの悦楽禁書」

YouTubeにはさすがになかったっす

そーですね。。。なんてったって、あのサド公爵を主人公にしてますから、そおいうシーン(HつうかーSMっぽいHシーン)はありんす。

まあ~必然的でしょうな。けど、そんなに多くもないけど・・・
それに、拷問的シーンに関しては、小説ほどにはないです。はっきりいって、小説の再現にまでは至ってないですね。全く・・

ストーリィとしては、サドが結婚しても、ご乱交が納まらないもんだから、管財人でもある義母(妻の母)が、彼の小説を違法行為であると訴えて、監獄にぶち込む・・その監獄(バスティーユ)に音信の途絶えた姉ジュリエットを捜すために後見人であったサド公爵を訪ねて、妹ジュスティーヌが訪ねる・・・というもの。

実話とフィクションの入り交じった奇妙なハナシなんですが・・・
2人の姉妹の名前を「悪徳の栄え」のジュリエットと「美徳の不幸」のジュスチーヌという、サドの代表作の主人公姉妹の名前にしたのは、なるほど・・です。

んでもって、姉を探すという美徳行為の名前のもとに、サドに会いに行くジュスティーヌの服装がサドの小説を読む進んでいくせいか、だんだん背徳的というか派手になっていくのが面白い・・最初は貞女的な色のブルーのドレスなのですが、胸を強調した赤いドレス、娼婦を表す黒いドレスへと変化していく様は、彼女の心がサドの小説のもたらす毒牙に染まっていく事を正直に表していたり・・・だし。

美徳のために、本当はそれは名目で、すっかりサドとサド自信の作品に引き込まれているのに、姉の居場所を聞き出すというために、お金が無くなって賄賂を渡せないので、ついには自らを賄賂の品にしてしまうジュスティーヌの描き方には納得しました。

んでもって、発禁処分となったサドの小説に描かれたとおりの事をジュリエットに実践していたのが、サド公爵ではなくて、実はその本を発禁にした、司祭と裁判官と警察署長の3人であったというオチが・・・

実は、SM的倒錯性的描写という強烈な表現の下に隠れがちであまり取り上げられることの少ない、サドが表したかった当時の社会体制に対する批判と皮肉と風刺(聖職者と司法と検察ってのが最も世の中で腐ってるって批判的視野)…であって、そのペーソスを取り入れてくれてたってのが、ありまして。

ああ、この監督はサド自身やサドの作品を倒錯ポルノとしてではなく、奥底にあるテーマをちゃんと理解してくれてる人なんだな・・と、思わせてくれたのであります。

んでもって、ジュスティーヌの心を奪っておきながら、ジュリエットと共に去る公爵が実にらしいんですよ・・・

ただ。映画的には、ん゛ー 二流かな。ギロチンから逃げ出すシーンとか、稚拙と思えるシーンも多くて・・・その辺りはいまいち。。。でした。

サド作品を理解している監督が作った映画という点では評価できるかなってとこでしょーかね。

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