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自死/彷徨える魂~終わりのない旅(下)

 誰だって死んで行くよ、パパ
 ひとりぼっちで

 例え
 一生涯一歩でも 歩けなかったものでも
 目の見えない者だって

 愛されない者も
 愛することのできない者も

 だれもかれもみんなだよ

 みんな ただひとつ・・・
 いつか死んでいく事だけは出来るよ

              by三原順「バイバイ行進曲」より

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さて、こんな暗い、陰鬱な・・・
重いテーマについて書こうと思ったのは、
スピリチュアリズム・・・霊的真理からの自殺というもの・・・

すなわち、自らを「殺した」ことによって、どうなるか、
ということについて、それを説明したかったがためである。

ここに至るまで随分と長い前置きになってしまったが。

簡単にまとめようと思っても、
すらすらと書けるテーマではなく、
あちこちに想いをはせ、脱線しながらになってしまった。

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単純に言って、自殺・・・
自分への殺人をしたものは、
死後、と言われる世界(次元)において、
自分が本来行くべきところには簡単にいくことが出来ない。

よく、
「死んだら、会いましょう」とか
「向こうで誤ってくる」とか・・・
「先に行って、待ってるよ」

みたいな、そんなことを言う人もいるけれど、
死んだからといって、会いたい人に会えるわけではない。

個人の霊的レベルによって、みんな行くところが違うからだ。

とくに自殺をした人の場合、
自分と同じ自殺をした人にでさえ、
誰にも会うことはできないといっても良い。

スピリチュアルガイド(守護霊)たちとも接触できないし、
まして、会いたいと思う親族や友人、
生前のパートナーに会うことはほぼ不可能だ。

たった一人で、誰もいない場所で、
暗く長い時間を過ごさなければならないことになる。

自殺とはそういうものだ。

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自殺をした人の場合、
その人の魂の成熟度・・・というか、神体ともいうべき第四の身体、
すなわち六次元の身体がどこまで成長しているのか、
および四次元の身体と五次元の身体、
これらがどの段階の次元まで成長しているのか・・・

このあたりにも左右されるのだけれども、

たいていは、自分が死んでしまった場所、
三次元の物理的次元たる、死亡現場に縛られることになる。

そこには時間も空間もない。
途方もない、闇が広がるだけ。

自分が死んだことに気づかず、
真っ暗な暗闇の中、動けずに、
死んだときのポーズ、ずっとそのままで。

あるいは、自分が死んだことに気づかず、
何度も、自分の「死」を再現して見せているものもいる。

ヘタをすると、その霊に同調したマイナス思考の人が、
引きずられて、「死」という病に感染してしまうこともある。
もっと悪い場合には、まだ死んでいないと思う霊が、
死のうとして、生きている人の「身体」に憑依して、
何度でも繰り返し死のうとしたりもする。

自殺の多い場所があるのは・・・
自殺が一度あると、連鎖するのはそのような理由からだ。

さらに生前、歪んだ思考を持っていた者・・・
性質の悪い霊の場合は、
自分がすでに肉体の「無い」ものであると知ったとしても、
他者を道連れにしようと、悪霊化してしまうものもいる。

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いずれにしても、自殺という行為の末路は哀れだ。

そこには救いがない。

生きているとき、「死」こそが楽園で、
果て無き絶望から救ってくれる唯一の選択で、
最良の道と信じてみたものの、
実のところ、最悪の結果で、
救いようのない永遠の地獄に閉じ込められるだけだったりする。

自殺は、自分を「殺す」行為であって、
それは「殺人」以外のなにものでもない。

あの世の道理にあっては、
他人を殺すことも、自分を殺すことも、同じ「殺人」だ。

自分の命は、他人の命でもないが、決して自分の命ではない。

自決によって、すぐに転生の道に進める魂などない。

また、霊的次元にずっと留まれる魂もない。

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自死という行為によって、自らの人生を放棄した者は、
永遠にも思える長く、凍りついた時間を、
孤独と後悔という牢獄で過ごす囚人の道を選ぶことになる。

何度も自分の死を再現して、何度も何度も「死」を体験して・・・

それはまるで、
壊れたレコードやDVDが同じ箇所を再生するかのごとくに。

楽になるどころか、死の間際に自分が感じた、
絶望と苦しみの感情から解放されることなく、
缶詰に封じられたその思いを、毎日毎日味わいながら、
その状態からは、解放されることはなく。

生きていれば、時間は経過し、状況も変わって、
物事は動いていくけれども・・・

自死を選んだものは、
ずっーと、同じ場面を繰り返し繰り返し再現の中で演じさせられ、
自分を死へと向わせた刹那的感情の中に閉じ込められたまま。

ここには脱出口はない。

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まあ、永遠ということもないし、
いつかはその先に進まないといけない段階がくるといえばそうだが、
事故や自然に命を終えたものと違って、自殺による死は、
自分へのさらなる拷問の手段というか、
はっきりいって、「楽」にはなりえないのである。

自分がどれほど愚かなことをしたか、
身勝手な選択と行為により、
命をムダにしたのか、周囲を悲しませ、迷惑を掛けたのか、
気づいて、様々なことを一からやり直す勇気を持たないことには。

事故や自然死で亡くなった人で早い人には、
その日、数日で行くべきところにいき、
数ヶ月や数年で転生して、新しい始まりを手にしたとしても、
自死という殺人を犯したものは、
数年あるいは数十年、「死した瞬間」に縛られ、
転生するまでにかなりの時間を有する。
転生からの卒業なんてとんでもない。

そして、自死という行為は、「カルマ」となり、
そのレッスンを次の人生で架せられることになる。
自分や他者への、たくさんの「罪」と「償い」を背負って。

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 誰よりも天国へ行くにふさわしいと思えた
 あの優しい人は
 天国への最期の一段を踏み外した

 「神は人々をお試しになるが
  決して人が耐えられない様な試練はお与えにならないよ・・・」

 「でも自殺した人は沢山いるよ・・・」

 「それは神のみ側を離れた人々だよ・・・
  彼らは自ら天国から遠ざかって行ったんだよ・・・」

 ベッドでは夢を見させられる
 悪夢で責める拷問台

 ボクよりも上背のある影 
 ボクにおおいかぶさってくる影は・・・
 ボクよりも・・・
 ボクの心よりも大きい・・・

 聞いたことがある どこかの教会のこと
 昔・・・いばらを冠せられたキリストを
 引き上げた階段があった
 その階段を移しもってきた教会のこと

 人々はそこを昇っていくのだ
 ひざまずきながら

 そこでも言うのだろうか?

 耐えられないことではありません!
 神のみ側へ歩みなさい・・・と!

 キリストは耐えたか?

 彼のせいで殺されたユダヤの幼児達

 彼らの屍と彼らの父母の嘆きに・・・
 ・・・耐えられず
 自分を殺させた・・・
 そうは思わないのか?

            by三原順「階段の向こうには・・・」より

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さて。
自殺という行為の中には、極めて特殊な自死もあったりする。

それは、当人の意志とは関係なく、
悪質な意志を持った存在によって、罠として起きてしまう悲劇だ。
つまり、「霊」に憑依されて自死を行ってしまう場合。

これは、通常の自殺とは異なり、
見えない存在や悪意によって殺されるケースなので、
死後において、先に触れたような状態にフリーズされることはない。

とはいうものの、死にたくて死んだのではない場合、
突然、人生を奪われたショックは大きく、
一部の事故死したものと同様に、
自分の「死」を受け入れるまでに時間はかかってしまう。

周囲の哀しみに引きづられて、
いわゆるなかなか「成仏」に至らないケースにもなってしまうことも。

しかして、
人に自殺をそそのかす存在は、なにも「霊」だけではなく、
他人の悪意から創られる生霊のような想念たちもそれを行う。

多くの人の妬みや嫉みから生まれるソレは、
当人たちが知らずして、人を陥れるエネルギーとなるだけに、
意図的に行っていることではないが、とても恐ろしいものだ。

※憑依に関しては、自殺だけでなく、
 殺人や犯罪をそそのかす霊もいるから、
 これらは本当に厄介である。

意図的に人間に自殺をそそのかし、
引きずり込む霊は困ったことにどこにでもいる。

下記に、周囲から妬みや嫉みの生霊を飛ばされ、
それらによって憑依されたことによって、
「自殺」へと引きずりこまれた霊の、死後のメッセージ、
交霊記録を書物より引用しておく。

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 『人間を自殺に追い込む憑依霊』

 "どうしてまた、あの人が・・・・・・" と思いたくなるような、
 原因らしい原因がまったく見当たらない自殺の大半は、
 地縛霊による憑依や、
 そそのかしが引き金となっていることが判明している。

 それには邪霊が意図的に自殺をそそのかしている場合と、
 すでに自殺をして霊界に来ていながら、その事実に気づかず、
 自殺が失敗したと思い込んで、
 何度も自殺行為を繰り返しているうちに、
 波動のあった人間に憑依して、
 その人間を道連れにしてしまった場合とがある。

 いずれにしても、その行為の結果は例外なくみじめである。

 ●突然首吊り自殺した女性のスピリット

 最初に紹介するのは、私自身も少年のころに通ったことのある 
 日曜学校の女の先生で、X夫人と呼んでおく。
 妻とは一面識もない。
 知的で霊性も豊かで、もちろん熱心なクリスチャンで、
 二人の子供に恵まれた幸せな家庭の母親だった。
 どこからどう見ても、
 何一つ不幸のカゲは見当たらなかったその先生が、
 ある日、突如として首を吊って死んでしまった。
 ご主人も子供も、
 わけのわからない悲劇に呆然とするばかりだった。

 それから十年後の冬のことである。
 シカゴの拙宅で、妻と二人きりでくつろいでいたときに、
 突然、妻にあるスピリットが憑依して、
 苦しそうに喘ぎながら首のところに手をやって、もがき始めた。

 よくあることだが、
 自分がすでに死んでいることに気づいていないスピリットが、
 再び物質と接触すると、
 死に際の断末魔をもう一度体験するのである。
 この場合も同じだった。

 いろいろと尋ねていくうちに、そのスピリットは、
 私の知っている日曜学校の先生で、
 首を吊って自殺したことを述べた。
 その時もまだ地上圏に釘付けにされていて、
 それまでの地獄のような精神的苦痛を述べ、さらにこう続けた。

 「肉体から離れてすぐ、
  私の愚かな行為の原因が分かりました。
  私たち一家の幸せな生活を妬む
  教会関係の人たちの念によって引き寄せられた邪霊の一味が、
  私のすぐそばに立っていて、うまくいったとばかりに、
  ほくそえんでいる姿が見えたのです。

  なんとかしてもう一度肉体に戻りたいと思いましたが、
  時すでに遅しでした。
  その日から今日まで、
  どれほどの絶望と悔恨の情に苛まれたことでしょう。
  楽しかった家庭は破壊され、
  夫は生きる勇気と気力を失ってしまいました。
  子供たちはまだまだ私の世話が必要だったのに!
  私が近づいて語りかけても、まったく通じません。
  私は今日まで薄暗い闇の中で、
  悶々として過ごすしかありませんでした。」

 私の説得によって慰めを得て、
 霊界の事情に目覚めたX夫人は、
 喜んで高級霊の手引きに従って霊界入りし、
 心を入れ替えて、改めて地上の愛する家族のために
 役立つ仕事をすると誓ってくれた。

 その後、何年かして、われわれのサークルで
 自殺志向の強い患者を扱っている最中に、
 突然X夫人が戻ってきて、次のような体験談を語ってくれた。 


 「あれ以来、ずいぶんになります。
  このたびは自殺を考えられておられるこの若い女性に、
  ひとことご忠告申し上げたいと思ってまいりました。
  何年も前の話になりますが、
  私は二人の可愛い子供とやさしい夫に恵まれた、
  幸せな家庭の主婦でした。
  私ども夫婦が相性がよくて仲むつまじかったせいか、
  教会関係の方たちの中には
  それを妬ましく思う人が多くいたようです。
 
  当時の私は、バプテスト派教会に属していたせいもあって、
  自分が霊感が強いということを知りませんでした。
  ただひたすら家庭を守るということら専念しておりました。
  が、実は、
  見えざる世界に、私をおとしめようとする者がいたようです。
  ある日、いつものように明るく夫にキスをして送り出した後、
  ふと、誰かにつかまれたような感じがしたのです。

  それからあとのことは何も知りません。
  何ひとつ知らないのです。
  何か妙な感じがして、誰かにつかまれて
  身動きがとれなくなったところまでは覚えているのですが、
  それからあと自分がどんなことをしたか、まるで判らないのです。
 
  しばらくして我に帰ってみると、すべてが一変しておりました。
  目の前で夫が激しく慟哭しているのです。
  どうしたのだろうと思っているうちに、なんと、
  私の身体が首を吊ってぶら下がっていることを知ったのです。

  ああ!
  その時の私の苦悩をどう表現したらいいのでしょう。
  夫は部屋の中でぶら下がっている私の身体の前で、
  悲嘆にくれて泣き崩れています。
  なのに私はどうしてあげることもできませんでした。
  夫のそばに立ったまま、なんとかしてもう一度、
  その身体の中に戻れればと願いましたが、だめでした。
  二人の子供も泣きじゃくっています。
  その二人にも、私は何もしてあげられないのです。

  夫は、私が首を吊っているシーンを忘れることができません。
  子供はまだ小さくて、面倒をみてやる必要がありました。
  私がやってあげるべきところを、
  夫が背負うことになってしまいました。

  もとより私は、自分の意志で自殺したわけではありませんが、
  それから十年もの永い間、
  その行為が私の目の前から離れませんでした。
  といって、もはやどうしようもありません。
  そのことでどれほど苦しい思いをしたことでしょう。
  子供がかわいそうで、かわいそうで!
 
  ある日のことです。とても寒い日でした。
   ふと生き返ったような感じがしたのです。
  そして、なんとなく暖かい感じがするのです。
  自分がどこにいるのかも分かりませんでしたが、
  とにかく生き返ったような気がしました。
  先生(博士)が事情を説明してくださり、 一時的に
  先生の奥様の身体を使わせて下さっていることを知りました。
  そして、知り合いのスピリットが
  霊界へ案内してくださっていることも知りました。

  そのことがあってから気持ちがいくぶん安らぎました。
  現在するような美しい環境に行けたのも先生のお陰です。
  しかし、それまでの十年の永かったこと。
  目に映るのは自分が首を吊っているシーンと、
  いたいけない我が子の姿でした。
  夫に子供・・・どんなにか私の手を必要としたことでしょう!
  が、私には為すすべがありませんでした。

  死にたい気持ちを抱いている方々に申し上げます。
  どんなことがあっても、それを実行に移してはなりません。
  みずから死を選んだ時、
  どれほどの地獄の苦しみが待ち受けているか、
  人間はご存知ないし、また理解することもできないことでしょう。
  いったんその肉体から離れてしまうと、二度と戻れません。

  ということは、 
  地上での義務がそれきり果たせなくなるということです。

  子供たちは、自分たちの母親が
  自殺したという思いを ぬぐうことができません。
  夫も私を許してはくれないでしょう。
  スピリットにそそのかされたとはいえ、
  苦しむのは私でしかありません。

  霊界の法則をお知りになれば、
  その結果の恐ろしさがわかって、自殺などしなくなるはずです。
  自分で死のうなどという考えは、棄て去ってください。
  寿命が来るまで、なんとしてでも、この地上で頑張るのです。
  私が苦しんだ十年間は、地上に存在しているべき期間でした。
  本来ならその期間を地上で過ごしてから、
  こちらへ来るべきだったのです。
  そうすれば、その間に夫と子供たちのために、
  私が果たすべき義務を果たすことができたわけです。
 
  私に割り当てられた寿命を全うせずに
  こちらへ来るべきではなかったのです。
  それに、十年間にわたって私の目の前から、
  首を吊った自分の姿が消えなかったのです。
  そして、その間ずっと、
  夫と子供が私を必要としていたことを思い知らされたのです。

  もう今では、
  家族がこちらで再会するまで明るく過ごすことができます。
  子供たちのために、
  霊界から精一杯世話をしてあげることができます。
  どうか夫によろしく伝えてください。
  夫は今でも孤独です。
  すぐそばにいてあげることは出来ても、
  その孤独感を慰めてあげることはできないのです。」

             by C・A・ウィックランド
            「迷える霊との対話」ハート出版より

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とにもかくにも、
自殺というものは、生きる苦しみからの脱出方法にはなりえない。

死んだあとのほうが、ずっと苦しいのである。
もっと多くの困難、絶望が待っているのだから。
さらなる苦しみの日々が始ると思って間違いない。

自ら選択する「死」において、魂の平穏はありえない。
 
自分を殺した罪は、生きて味わう地獄より、
よりいっそうの地獄の艱難辛苦を自分に架すことになり、
再び人生を選択するときにも、
新たな人生を邪魔する障害となってしまう。

こうした死後の世界を別に信じなくてもいいが、
それでも、身勝手や無責任さから、
単純に「死」に逃げようとするならば、
自分の死によって、
どれほど多くの人に迷惑をかけてしまうことなるのか、
誰を不幸にしてしまうのか・・・

じっくり考えて欲しい。

遺されたものに、
どれほどの苦悩と悲嘆を与えてしまうことになるのか、
自分が背負っていた以上の
重い十字架を、他人に架すことになるのか・・・

自分が「遺骸」となることを選ぶ行為によって、
望みもしないのに、その「死」の目撃者になってしまった人に、
悲痛な傷跡とショックを与えてしまうのか・・・

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それでも、「死」を選びたいと願うのであれば、
せめて、その屍や死が、
誰か「生きたい」と思う人の役に立つよう、
戦場に赴いて、他者のために闘ったり、
地雷源で地雷を掘り起こしでもして、
自分の「肉体」や「生」を多少なりとも生かす道を考えて欲しい。
                               





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