伊藤久男 - イヨマンテの夜 - 1950
織井さんのアイヌの伝説をテーマとした歌を出した後には、やはりアイヌのお祭りで儀式である「イヨマンテ」のタイトルを冠した歌をば…
ちなみに作詞作曲は「黒百合の歌」と同じ、菊田一夫さんと古関裕而さんのコンビだったりします。
「イヨマンテの夜」1950
イヨマンテとはアイヌ語で「送り儀式」のことだそうで、熊祭りと訳されることが多いのですが…
wiki先生によると、
とのこと。
詳細を知りたいと言う人は、ご自身で調べてみてねん。
そしてアイヌをテーマにしていると言うけれど、イオマンテは昼間に行われるため、かがり火は必要とせず、夜にもかがり火が焚かれると言うこともないそうで…タムタムという楽器はアフリカのものなので、アイヌとは無関係。
実際のアイヌの儀式や伝統曲とは、リズムも異なるそう。
※よく、その手の団体から苦情が来ませんでしたねっっ
さて、元々この歌はNHKのラジオドラマ
「鐘の鳴る丘」1947-1950
うちの母もこのラジオドラマ、好きだったそうです。当時は生放送。松竹で映画化もされていていたりします。
この放送中に、山男をテーマとした内容だったので、山男があーあーと叫ぶところを古関さんがハモンドオルガンの即興で演奏したわけですが、それを聞いていた伊藤久男さんが曲を気に入って譜面に起こしたわけですね。で、菊田さんもこの曲を気に入って、アイヌをテーマとした歌詞をつけて、伊藤さんの歌でレコード化が実現したわけです。
でもって、とても難易度の高い唄なんですよね。
何人かカバーしている方、いますけれど…
こちら吉原光夫さんと言う、元劇団四季の俳優さんだそう。
細川たかしさん
島津亜矢さん
秋川雅史さん
他、氷川きよしさんとか錦織健さんも歌ってますね。やっぱ、バリトンの人の迫力ある声があってる歌だなあ…
民謡の人も悪くはないけど、この歌のメロディがどことなく「モスラ」を思い出してしまうのは、どうしてかしらん。
で、伊藤久男さんのこと。
ご実家は裕福でお父様は県会議員、お兄様は衆議院議員だったり。そんなんで幼少期よりピアノを習い、元はピアニスト志望だったとのこと。家族の反対もあったことから、上京のカモフラージュとして、東京農大に進学。そして退学して、帝国音楽学校声楽科に入学します。
しかし、退学がばれて、仕送りストップという経済的危機が。そのため、コロンビアの吹き込み所でバイトを始めることになったそう。
しかし、そのバイトのお陰でディレクターの目に留まり、作曲家だった古関氏のススメでコロンビアから歌手デビュー。
「別れ来て」1935
戦時中は戦時歌謡(軍歌)を歌い、慰問演奏などをされていたようです。本格的なオペラ歌手の道も考えていたとのことですが、慰問先で、歌に涙を流す兵隊たちの姿を見て、流行歌手を選択することにされたとのこと。
「 湖上の尺八」1938
「暁に祈る」
「白蘭の歌」1939
「お島千太郎旅唄」1940
「熱砂の誓い」1940
タイトルだけ聞くと、ルドルフ・バレンチノの映画の方、想いだしてしまふ。あれは「熱砂の嵐」だったか…熱砂違い。
「歌う狸御殿」1942
俳優としても映画に出演されていまして、この映画にも出ていたそうです。して、この映画は鈴木正順監督がリメイクしていましたね…オダジョーとチャン・ツィーが出てて、見に行っちゃったよ。
映画「オペレッタ狸御殿」2005
で、戦時中に戦争に協力する歌をたくさん歌ってしまった罪悪感から、戦後は酒に溺れ、故郷に引きこもってしまったそうで、再起不能と言われたそうですが、何とかカムバック。
「夜更けの街」1947
「シベリヤ・エレジー」1947
「たそがれの夢」1947
「数寄屋橋エレジー」1953
「ひめゆりの塔」1953
「ドラゴンズの歌(青雲たかく)」1950
でもって、ドラゴンズのこの応援歌も伊藤さんが歌っていたのであった。
そして、誰もが知るこの歌もね。
「栄光は君に輝く」夏の高校野球全国大会行進曲 1948-
歌手としての活動は1958年頃までだったようですが、紅白には1964年頃まで出ていらっしゃいます。その後は、多くの後進たちの育成にも努められ、日本の歌手の地位の向上を目指して、日本歌手協会の設立にも尽力されましたね。
残念なことに、1983年に肺水腫にて旅立たれました。合掌。
他blogに書いたものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。
「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/10/18 掲載記事より転載
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