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前に書いた、

の続きと言うか、補足になりますでしょうか。

クライアントさんの悩みと言うか相談内容において

霊的な事象やそれに伴うトラブル…すなわち霊障や生霊とか邪気、程度の軽い呪詛※の解除や道に迷った霊を上げることは、さほど難しいことでは無く…そんなに骨が折れるようなことでは無いのですが。
(※入り組んだ複雑なものでなければの話。怨霊級のものとなるとまた、話は別です)

それよりもやはり、過去生に関わることの方が色々と扱いが難しいものだったりします。

何故ならば、過去生からのトラブルはトラウマやPTSDが絡む問題も多いのですが(潜在意識への刷り込み)、単純に「癒し」と言う名の解放をすればいいと言うものでは無く、ほとんどがカルマのレッスン絡みの問題であることから、情報を与えて終わり…という事にしてはならず、何故そのような経験をすることになったのか、その経験から何を学び、何を身に付けなくてはいけなかったのか…という事を第三者からではなく、誰でもない当人自身が気づかなければならないという必要性を含んでいるからです。

ようするに、過去生絡みの問題は、当人の人としての成長…すなわち霊的成長を促されていると言う意味で、当人に「気づき」を与え、「意識の目覚め」へと後押しをするサポートが欠かせないのですね。それをしないことにはこの仕事をする資格なしと言うか、単に過去生の情報をリーディングして伝えるだけならば、それはとても罪作りなことなので。

だから、心霊現象を解決することよりも、過去生の問題を扱うことの方が難しい…のです。

どちらも取りこぼしや原因の見誤りをしてはいけないから、慎重にならざるを得ない、とても責任の重い仕事で作業には違いありませんけれども。

でも、相手の霊的成長の後押しやサポートをすることは本当に難しい。こちらで読み取れたこと、理解出来たことを伝えるのは簡単です。でも、それではいけない。

その人が自分で自発的にその答えに辿りつけるよう、遠回しに伝えたり、誘導して、ひたすら見守るしかない。ここは忍耐が試されます。大抵の人はインスタントに「回答」が得られて、物事が自分の希望する通りに運ばれることを望んでいますから。

まぁ、それはそれとして。

残留思念ないし迷える霊を導くなら、道を作ってあげるなり、お迎えを呼べばいい<浄霊
その人の想い残し、この世への未練が断ち切れるように話を聞いてあげて最後の望みを聞いてあげるだけでいい。聞き分けの悪いものには、説得して納得させて…それでもダメなら、エレヴァナなど行くべき場所に送致さればいい。

生霊や呪詛はちょっと厄介なこともあるが、透明なヘルパーさんたちにお願いして、お引き取りしてもらうなど、彼らの力を借りて処置すればいいだけのこと。

邪氣は氣を補充して、当人の周波数(波動)を変えて、オーラのお掃除をすればいいだけのこと。

でもね、過去生ヒーリングはピンキリ。原因を知って解決することもあるけれど、それで終わるのは稀なこと。大抵は因果応報や罪作りの結果、こじらせてしまったあげくのことで、そのような現実を生み出していることが大半。背景にはカルマのレッスンが絡んでいたりする。

意識の目覚めと霊的成長。過去生を知る作業から、これらを得られなければ、自ら思い出せる段階にないものが、今生においてこの問題と向き合う意味や意義はない。

経験は省略出来るものでは無いし、他人に変わってもらえるものでは無い。「知る」だけでは成長に繋がらない。
経験し、自らの心で体得しなければどんなことも意味は無いし、その人自身や人生の血肉にはならない。

「心を育むこと」「思考を巡らせ鍛えること」
「心で感じたことや頭で考えたことを行動してみること」

答えを知ることが重要なのではない。何が正解であるかを知ることでもない。答えを得るために自ら行動すること、あれこれとトライ&エラーを繰り返しながら、試して見みる過程にこそ、意味と価値があるのだ。人生とはそのように築いていくもの。人の魂、霊的成長※とはそのようなことである。※たくさんの悟りを得て、解脱すること。すなわち3つの身体を鍛えて6次元の身体を育成して、神に戻っていくこと。

それをしてもらうには、多くを語らず、ただ当人が答えに…本来進むべき正しい道に戻れるよう、回り道をして迷子になっている地点から軌道修正して魂の進路に辿りつけるよう、ヒントは出したとしても、ただ誘導するしかない。

自らが自らの答えを見つけられるように。自発的に気づけるように、ダイレクトに伝えることなく、必要な経験を取り上げることのないように、決して答えは与えず、虎の巻などのカンニングはさせぬよう…ドリルに取り組ませるように仕向け、テストに合格出来るように家庭教師の立場をわきまえるしかない。

そんなわけで、過去生を扱うことは霊的成長に向かわせることを多く含んでいるので、簡単に考えて良いことでは無いし、単純な仕事ではないって、そんな話なのでした。

まあ、霊的トラブルに直面している人にしたって、そういう問題を多く抱えている人が大勢いるってのは、紛れもない事実なんだけども。
皆さん、安楽に生きたいと考えていらっしゃって、苦労を勝手でもしたいと望まれる方は少ないですからねっっ はい
現代の世は、「現世利益」を叶える方法を「スピリチュアル」と間違えていらっしゃるから。本当の意味での「スピリチュアル」は「現世利益」とは真逆なんだけども。

でもって、過去のblogからこのNoteに到るまで、ここで時おりぼやいたり真面目に書いていることは、読んでくれた人が自分のことと照らし合わせて考えたり、自らの行いを振り返ったりしてもらえたらいいなあ…って…何か「考える視点」を提供したり、その人の中で小さな「気づき」をもたらすことになればいいなあってことも思いながら書いていたりもするのだけど。

そうね。たまに「あなたのことですよ」って特定の人へのメッセージもあるよね。
けれど、そういう人に限って、自分のことと結びつけて考えないのよねww んでもって、「いえ、あなたのことではありません」って人が「私のことかしら」って反応する。

面白いなあって思います。後者は別に自意識過剰と言うのではなく、自分のことに当てはめて、我が身を振り返って下さっているというだけでしょうけど。
blogでヒントを出しているのに、読んでいながらにして、気づかないというか、何も拾ってくれない人はとことん何も拾ってはくれないのねっっ まあ、だから・・・なんだなあって思いますが。うん。未だレッスンに向き合えない、気づくべきことに気づけないのはそこなんだけども。

たぶん読みたいこと、知り合いこと、興味のあることしか読んでないんでしょうね。他のことは目が滑っちゃうと言うか… 結びつけて考えたり、我が身のこととして振り返りをして反省するとか、そのような視点が無いのでしょう。
だから、何度も繰り返してしまうし、痛い目に遭い続けているのですよってハナシね。

でもまあ、肝心要なメッセージを送った人…必要な人の胸には届いては無いかもだけど、「何か」を拾ってくれる人はいるらしいので、こうしてここであれこれ書くことは決して無意味なことでは無いのだろうと思いつつ。

とりあえずそれを励みにします。

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