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ザ・タイガース - モナリザの微笑 - 1967

そういえばここまで書いていて、オール洋楽で邦楽というか日本のミュージシャンを一人(一組)も取り上げてなかったことに気づいたっっ
※転載につき、紹介する順番が当時と異なっています

いやさ、邦楽も聴きます。フォークもニューミュージックもポップスも、好きなバンドも歌手もいちおういたりします。

ただ、洋楽ほどは多くないのかなあ…

ていうか~日本の音楽って、歌詞はとても優れているんだけど、楽曲としてはスケールの小さいイマイチなものが多いかなあ。悪くはないんだけども、やはり洋楽と比べると音が弱いし…演奏技術もね、演奏家として評価できる人が少ないかも。

でも、海外のものを取り入れてアレンジして、自分のものにしちゃって聴きやすくするようなことは、秀でている感じ? 模倣が上手というのかな、そんな感じ。

とは言うものの、日本の歌や楽曲には洋楽とは異なった、それなりの魅力や良さがあり、日本のミュージシャンも日本人なりの良さはあるのですが、そのあたりの話はまた別の機会に譲るとして、いきなりの初めての邦楽話が、なぜかグループサウンズのザ・タイガース。

「僕のマリー」1967

どうしてこれ?っていうと…
子供の頃に…状況的によく聞いていた音楽だから。

両親の従姉妹たちが、ビートルズとグループサウンズのファンだったのです。(近所にある、リカちゃんでおなじみタカラの工場に勤務していた)

お陰で段ボール単位で貰いましたよ<検品で弾かれた人形

彼女たちの住まう寮には、レコードプレーヤーがない…ということで、我が家にレコード持参でやって来て、聞いていたのがタイガースとかテンプターズとか、オックスとかモップスとかジャガーズとかあれやこれや。

オックス「スワンの涙」1968

ジャガーズ「君に会いたい」1967

で、よく聞かされていた中で、一番好きだと思えたのは、
このザ・タイガース。

「モナリザの微笑」1967

当時の映像がなかったっっ 
かろうじてイケメンな頃のジュリー。

一番好きな曲と言えば本当のところは、トッポがメインボーカルの「花の首飾り」だったりするんだけども。

「花の首飾り」1968

このカメラワーク
とってもピーさんに失礼だと思うの

乙女チックな曲だよねー。なんでもショーケンがこの歌を気に入って、「俺に歌わせろー!」だったらしいけど、テンプターズでなくてタイガースだろって作者の意向で、そんなこんなあったらしい。

ショーケンって乙女趣味だったのか?
そういやエメラルドの伝説も少女漫画な曲だよね。

The Tempters「エメラルドの伝説」1968

※テンプターズって大宮出身のバンドだったのか!! 飛んで埼玉ジャマイカ

話それましたが。どうして「モナリザの微笑み」が思い出の曲なのかというと…

我が家はボンビーだったので、外食とか滅多に行けなかったんですが<子供の頃

珍しくその従姉妹のねーさんたちが、外食に私たちを連れてってくれたんですね。ランチでしたけど。子供心にウキウキウハーで行ったその先は、テーブルの中央がクルクルターンで回る、初めての中華レストランでしたのよ。

そういうの見たの初めてだから、テンション上がります。
んでもって中華料理なんて、幼稚園児のアテクシ、初めて食べたし、焼売とか海老チリとか物珍しい(昭和40年代だから)。そんなもの家では食べたことないしー ひたすら感動。

でもって、その日って生憎の雨だったんです。
んでー その時お店で流れていたBGM、唯一知っている曲が流れていたんですが…それがこの「モナリザの微笑み」だったんですね。

そして歌詞に出てくる「~雨がしとしと日曜日~♪」
まさに雨が降ってる日曜日だったっっ

てなわけで、しばらく雨が降ると…

「中華料理食いてー!!」という発作に襲われ、この曲を聞くたびに、やはり中華料理が食べたくなるという…条件反射に悩まされたのでした。

ザ・タイガースの曲はエビチリの味

「シーサイド・バウンド」1967

夏というとこの曲かなあ。C-C-C も好きだけど。

「シー・シー・シー」1968

さてさて…

海外の音楽に影響されて、当時チャートインしていたアメリカンポップスやフレンチポップスやら、オールディーズのカバーを歌う人たちとか(平尾昌晃さんやミッキー・カーティスさんやら三人娘やらetc)、グループサウンドが出てくるまで、日本の音楽って、クラシック畑出身の人が歌う流行歌、いわゆる懐メロって言われるジャンルが主流だったかな。

平尾昌晃「ロック夕焼け小焼け」1958

いやさ、昭和歌謡はもう生まれてましたが。アメリカンポップスやクラシックロックのカバーが多かったですよね。

明治大正昭和初期(戦前)だと、芸者さんがレコード出しての当時の流行歌手で、浪曲出身者とか民謡歌手とかは当時もいて… 藤山一郎さんとか淡谷のり子さんとか、音楽学校をきちんと出た声楽出身者とかも流れてきて(大衆向けの歌を歌うことで色々と叩かれたみたい)、「わたしの青空」とか「伊達男」とかもあったなあ…

やっぱカバーだけど(この辺りの曲は浅草オペレッタの影響だね)。

大衆向けの歌謡曲の源流とも言えるんでしょうけど、そこまでジャンル分けはされていず世代別にはなく、若者向け若年層の音楽が生まれたのって、ロカビリーブームやらグループサウンズの頃じゃないのかな…まあ、でも…アイドルはその前から少しずつ出てきていたか。

「君だけに愛を」1968

けど、日本の音楽業界って、まったく育ってなくて。興行の段階で止まっていたから、こうしたバンドなんかもタレント扱いだったんだよね。

ちなみにチューリップや甲斐バンドが福岡、サザンオールスターズが湘南というのならば、ザ・タイガースは京都出身のバンドでグループ(だから本来はみんな関西弁を話す)。

「銀河のロマンス」1968

所属が渡辺プロだったから、タレントというかアイドルっぽくデビューしてるけど、学生時代の友人たちがビートルズの音楽聞いて、影響受けてバンド始めましたーという王道が始まり…なのでちゃんとしたロックやりたいのに、大衆的なテレビに添え物として出されたり、売れ筋な歌謡曲ロックを歌わされて、ミュージシャンでいられないことに、そうとう葛藤があったのだと思う(そうらしいし)。

日劇最後のウエスタンカーニバル

そのあたり次世代のバンドも、同じ葛藤で苦しむ人たち続出してましたね。

例えば、レイジー(ラウドネスの二人が所属してた)もそうだったし…流れが変わったのは80年代に入ってからかなあ。
もちろん70年代のフォークソングブームあたりで、出てきたグループとかバンドはアマチュアコンテストに出て、それなりに自分たちでレコード会社と契約して、やりたいことを妥協せずに突っ走った人たちもいるけども…

映画「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」1968

テレビの力を借りたり、売り出そうとすると、必然的にタレント化してまうー仕立てられてしまう…っていう時代だったということですね。

「君をのせて」1971

※この動画貴重です ジュリーが裕子さん(現奥さん)に恋した瞬間が画像からめちゃくちゃ解っちゃうww

だけど、いけないルージュマジックいやさ危険な二人でしたけども…既婚者だったので当時のジュリー

ちなみにジュリーもちゃんとギター弾けますのよ。彼はソロでの歌手としての成功が目立つから、歌しか歌えない人みたいに思われてるけど。ちゃんと楽器(ドラムやギター)も演奏できるし、作詞作曲もしてるソングライターでもある。

タイガースでは、ギター3人もいらんやろってことで、ツインボーカルの一人とコーラスに準じてましたね。

俳優業もいかしてましたけどね<「悪魔のようなあいつ」「太陽を盗んだ男」

ドラマ「悪魔のようなあいつ」

映画「魔界転生」1981

この頃のジュリーの美しさ、男性としての色香は無敵だった。いやさ、私は別にファンというわけではありませんでしたが…それでも認める。今との落差は激しすぎるけど。

そしてタイガース解散後、シローさんは…

「西遊記」1978

カッパになりました。 

加橋かつみ「ニルスのふしぎな旅」1980

トッポ、加橋さんは「ニルスの不思議な旅」歌ってたなあ。
ちなみに作詞作曲は奈良橋陽子さん、タケカワユキヒデさんコンビで、カッパ繋がりか…

「キンチョール」(大滝秀治・岸部一徳)TVCM

サリー、修三(一徳)さんは俳優へ。兄弟して俳優の道に進んだりなんかして。

森本太郎とスーパースター「助け人走る / 望郷の旅」1973

タローさんは音楽プロデューサーの道に進みましたね。

「色つきの女でいてくれよ」1982

再結成したときのこの曲もカッコ良かったですよね。
「10年ロマンス」の方がリリースは先だったけれども…

「10年ロマンス」1982

ぴーさんがね、まだ参加していなかったんですよね。この再結成の時には…でも、その後で和解して、6人での姿を見れてとても嬉しかった。シローさんは亡くなってしまったけども。彼の声無くして「色付きの女」は語れないな。

サリーは、今は味のある名脇役な役者さんになっちゃって…彼がミュージシャンだったことなんて、忘れられちゃってるけども。彼は日本人ベーシストとして、唯一ジョンジー(ZEP)に認められた人なんですよ。

世界一の楽器ヲタ、ジョンジー

ZEPが来日した時にね、テレビでザ・タイガースだったか、その後のPYGだったか…演奏を聞いてね。

PYG「花・太陽・雨 」1971

「歌も曲も他のやつらはみんなクソだが、このベースだけはいいな。会いたいな。一緒にセッションをやってみたい」

って、頼んだらしいんだけど。スケジュールの都合で会えなかったんだって(というか~他のやつはみんなクソということは、ジュリーのボーカルもジョンジーにはお気に召さなかったってことか)。

二人会えてたら、ジョンジーとセッション出来てたら…
その後のサリーさん、ジェフベックバンドで活躍した山内テツさんみたいに、世界に名前を轟かせてたかもなー 

山内テツ~フェイセス&フリーのベースプレーヤー

俳優にはならなくて、どこかのバンドで、今でもベーシストとして活躍してたかもー?

なんて妄想してまうー

けど俳優としての岸部一徳がいないのも困るしなー

…で、ジュリーのカーネル・サンダース化を見て、ショックを受けたのは私だけではないはず。

てなわけでジョンジーも聞き入って認めた、サリーさんのベースプレイをお楽しみ下さい。


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2020/09/11 掲載記事より転載


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