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善人の仮面~本人をも騙す巧妙なエゴイズム③

このような方がいました。

見た目もスタイルもよく、誰にでも当たり障りなく、人当たりよく、愛想よく…いつもにこやかに明るく社交的な性格で、健康的でコミュニケーション能力もまずまず高い人。面倒見もよく、率先して動くので頼りがいもある。

その人に対して抱く、多くの人の第一印象はそのようなもの。

本人曰く、いつもあちこちで上司や同僚、そして後輩、色んな人に頼られ相談されて、様々なことを抱えることになり、あれもこれもと任せられて動くものの、結果的にみんな「おんぶにだっこ」と、なってくるので人間関係がしんどくなってしまうと…

それは友人関係でもそうだし、職場でも同じだとのこと。

新しい人間関係を作っても、
転職をしても、いつも同じような状況になってしまう。

「ああ、またしてもこのパターンか」と…毎回同じことを呟くほどに。

かくて、いい加減このパターンから抜け出したい!
とのことだったんですが、果たして真実はどうであるかと言うと…
結局のところ、その方自身が創り出している現実だったりするのです。

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ぶっちゃけ、その方は周囲から「イイヒト」と思われたいエゴイズムのエレメンタルを持っており、自身を苦しめている現実は、「頼りがいがある人」と、評価されたい願望が具現化したもの以外のナニモノでもなく…

「自分の代わりに、色々と動いてくれる人に甘えて、頼って生きたい!!」

…と思っている人が、その方の「皆から頼られたい」という願望に、ギブアンドテイクの磁石で引き寄せられて、エゴイズムが望む現実を創り上げていたりするのです。

この場合の願望とは、想念体としてのエレメンタルのことで、生産者である人物によって、自分が創られた目的を叶えるために、当人のためによく働いているということ。(このエレメンタルはとても古い時代から生きていて、かなり強力なエレメンタルに育っている)

ようするにその人は、自分自身が望んだ状況を経験しているのですね。
(自らが望んだ現実を生きている)

過去生の時代…人生において、そのような自分を理想と思ったとしても、何度も人生を繰り返し、経験を重ねて成長をしていく過程の中で、それが今の時点の当人の望みと大きく離反して異なってきているのなら、そのエレメンタルを無視して不活発にし(パワーを断ち切りミイラ化する)、新しい現在の方向性に沿った、もっと強力なエレメンタルを創ればいいこと。

けれども、ことはそう簡単では無かったりします。

なぜなら、「何処にいっても周囲の人に頼られる自分」を創ってしまっている現実の裏には、当人自身の感情のみならず、倫理的思考や理性を騙して支配している根深いエゴイズムが隠れているので。

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人に嫌われたいと望む人はあまりいないでしょう。人に嫌われてもいいと思う人も少ないのですが。ほとんどの人は他人から、嫌われたくないと思っているものです。

その逆に愛されたいと願う人の方が多いわけで。それはまったく悪いことではなく、当然のことでもあります。

愛されたい、好かれたいと…そう思い、欲する気持ちがあればこそ、人は他人から拒絶されてしまうであろう自分の問題を手放し、欠点を矯正改善して、多くの人から受け入れられる自分へと、自らを修正しようと努力したりするわけですから。

(そのような意味で恋愛も結婚も、一種特別な人間関係を形成するので、この現実社会において、他人と上手くやっていくための方法を学ぶ、最適かつ最良のレッスンであり、自分磨きには持ってこいのトレーニングなのです)

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その方もその例外に漏れず、多くの人から好かれたいと思っていました。

誰とでもどんな人とも上手くやれる自分。
誰からも必要とされ頼りにされて好かれる自分。

その方はそういう自分に成りたかったのです。だからこその創りあげられたステージで、相手役として引き寄せられるゲストがいるのです。

この現実に気付けば、負のサイクルから抜け出すための入口に立つことはできるのですけれど、その方のエゴイズムは手強いので、このペルソナを手放すことは難しいのです。エゴイズムは賢いので、自分の生みの親であり創造主たる自分自身を実に巧妙に騙すことで、自らが不用品として処理させられる状況を回避させようとする、悪知恵が働くのですね。

この方はさわり程度ではありますが、霊的な知識やヒーリングのスキル等を学び、エゴイズムについても学ばれた方と言えばそうなのですけれど…自分はきちんと知識を身に着けてあると自負し、なおかつヒーリングなどエネルギーを扱うテクニックが上達すると、自分はその道に長けている存在であると言う自惚れを持つことになってしまったのです。(その自惚れを餌にして、待ってましたとばかりに、様々な他のエゴイズムたるエレメンタルも活性化するという連鎖反応も起きる)

一番困ることとしては、よしんばエゴイズムの知識があるものだから…エゴイズムについて学んでいながら、「私にはエゴイズムは無い」と言い切り、自分のエゴイズムから目を背けて、他者からの指摘に耳を傾けることをせず、聞く耳をまったく持たないこと。

でも当人は「自分は誰も嫌いな人がいないし、他人のことを悪く思ったことがない」と明るくニコニコとした笑顔で仰る…

とは言うものの、気が緩んだかのようなときに「あの人、高慢ちきな性格が顔に出てるし」と…ボソッと、顔を歪めて他者を批評する汚い言葉を時に吐かれる。

それを指摘しても、「自分は絶対にそんなこと言ってないし」と目を吊り上げて否定する。けれど、多分それがその方の本音。しかし困ったことに、自分の本性というか裏と表があることに、誰でもない当人自身が気が付いていないのです。何故なら、エゴイズムがそこから目を背けさせるために、その方を黙して、思い込みを与えているからです。

「いい人でありたい」周囲から評価され認められ、いつだって頼りにされる善い人でありたいと願う強い気持ち。その気持ちをエゴイズムが利用しているのです。

誰でもないその方自身も騙されているわけですから、表面的で浅い付き合いの人なら、多くの人も騙されることになります。ですが、長い付き合いになってくると、さすがに周囲の人も気が付くことになります。世の中の女性というのは、実に同性に対して、とてもシビアな目を持っていますので。その方の善人の仮面が表見的なものであることを、見抜ける人はちゃんと見抜けるものです。(その方が引き寄せている人以外は)

でも、それが自分にとって実害のない、相手だけの問題であれば、誰も何も言わないというもの。相手の「こういう人と思われたい」という演技に周囲は付き合ってあげているだけのこと。

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確かにこうしたエゴイズムは他者には害が無いです。

「いつも頼りにされるアタシ」を演じたい人のところには、
「いつも誰かに頼っていたい」と言う人が需要と供給で引き寄せられて、ドラマが展開されるだけですから。

部外者として一歩離れたところから「へぇー大変だねぇ」と言いつつ、見ている分には他人事なので。

でも、このエゴイズムには、自分は常に正しいことをしていると言う、正義の代理人(執行人)のようなエゴイズムとか、他の厄介なエゴイズムと結び付くというか、類似のものが関連しあって同時に発動したりするので(連鎖反応も起きて、次々に波及していく)、やはり「親切の押し売り」と言ったお節介が介在してくるのですね。時間が経過すればするほど。

その方の場合は、正論を振りかざして他人に上から目線でお説教と言う、勘違いした松岡修造のようなスパルタ・パーソナリティが、コントロール欲求とともに顔を覗かせてくると言う、そのようなオマケがありました。

「自分は優等生である」という思い込み、これがエゴイズムから派生している傲慢さであることに、当人が気付くというか、いやさ…
「自分にもエゴイズムがたくさんある」と、そのことを認め、受け入れさえすれば、そのエゴイズムに支配されて操られると言う、負のサイクルから脱出できるのですが…

「自分にはエゴイズムはない」「自分は完全に自立した人間である」と言う思い込みが、その方を盲目にさせているのでした。

「自分は完璧な人間である」と…エゴイズムの罠に騙されているので。

結果、人々から賞賛されたいが故に、自分が周囲の人から、期待を寄せられていることに対して、常にアンテナを張り、その期待に応えられる人間になろうとリクエストに敏感に呼応して自らを演じて創りあげていく…

その無限ループに嵌ったままなのです。

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この自分を、すべての人が求められ好かれる「善人」と思い込む、善人の仮面を捨て去ることが出来たとき…自らのエゴイズムを認めることが出来たときには…

自分の中にある、ほんの少しの悪を認めて、自分自身が思っているほどに自分は善人ではなく、不完全でみっともないところもたくさんあって、周囲の人間と共依存の関係性を創りあげる中に、自らの人生を生きていることに気付いて、他人のリクエストに応えている生き方を放棄出来たならば…

そこから自分の本当の人生が始まって、その方はきっと自分が成りたいと思っている、本当の「イイヒト」になれるのでしょう。

自分の弱さも愚かさも、醜い欲望も欠点も、総て、ありのままに認められることが出来たなら、自分自身の人生を歪ませている、エゴイズムから解放されて、ワンパターンな人間関係からも脱出出来るはずです。

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