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消えゆく文化~The Day the Music Died(音楽が死んだ日)

と言っても、ドン・マクリーン「アメリカン・パイ」三人のレジェンドの死についての記事ではなく(そちらは音楽blogの方に書いてマス)<タイトル。 "音楽の死んだ日"ということで、過去に書いた記事を再編集してみました。とはいうものの過去ログ収納場所のマガジンの方でなく、個人的な呟き場所のこちらにて。

そして上記のMV。肝心のドン・マクリーンのofficial-MVではないですが、彼の曲に合わせての口パクもので、2013年にミシガン州のグランド・ラピッズという街で5000人の市民が参加して作られたもの。アメリカという国らしい、とてもハートウォームなMVですので、8分強と長い曲ですけど、ぜひご覧あれ。

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高校に入学して間も無く、親しくなったクラスメイトが

「行けなくなった人がいるんだけど
 チケットがもったいないから行かない?」
と。

それは地元千葉は文化会館での浜田省吾のコンサート(今はライブか)。

当時のチケットは画一的な印字物ではなく、アーティスト独自の個性的なデザイン(コレクションしていた人もいた。私も取っておけばよかったと後悔している)。

チケット代は1500円だったと思う。その前の年 日本武道館でのABBAのチケットが3000円だと思ったから(レコードのアルバムが2500円程度の時代)。

よく知らないままに彼のコンサートへ。

観客はまばら。席が埋まるどころか、ぽつりぽつりと…まったくの蜜ではない状態w 

ステージに出てきた省吾が一曲歌ったところで、

「寂しいから みんなこっちにおいでよ!」

と優しく手招きする。

戸惑いながらステージの方に、後ろの方にいた人も前に座っていた人も、友達と来ていた人も一人で来ていた人も、見ず知らずの人々と顔を見合わせて、省吾やバンドの人たちになんとなく目で遠慮がちに確認しながら。おずおずとステージ前に集まった私たちは、皆照れ臭そうな、少し浮き足立った笑顔で、ステージに肘をついて省吾を見上げた。

そんな私たち一人ひとりをさっと見て、省吾はにっこり笑って、そして始まったコンサート。

わずかばかりの観客である私たちに、私たちのために、語りかけるように一曲一曲とても丁寧に彼は歌ってくれた。

あの観客数だと大赤字だったろうが。

てなわけでハートを鷲掴みされたというか、その日からファン決定❤️

それ以前に歌詞が心に深く沁みた<悲しみは雪のように

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その後千葉に来るたびコンサート行ってたけど、少しずつお客さんも増えていくのが嬉しかった。レコードは高くて買えないので、友人からダビングです。もしくはレンタル

テレビにも出ずタイアップもほとんどなく、ヒット曲というヒット曲も実のところないけれど、そんな地道な活動が今の彼の土台になって、コンサートはいつも満員御礼のマンモスライブでプラチナ・チケットになる理由なんだと思う。

そりゃ、彼より歌の上手い歌手も、良い声のシンガーも、良い曲創る人も、曲の完成度が高いミュージシャンもこの世にはたくさんたくさんいる。
運に恵まれた人、売れている人やヒット曲のある人たちも、事務所のバックアップや時代に乗れた知名度の高い人たちもたくさん存在する。

けど彼は一つひとつのステージを大切にして、どんなにお客さんが少なくても手抜きしないステージで、歌で思いを伝えて、皆に語りかけて、ファン一人ひとりの心を掴んできた人なんだよね。壁にぶつかって挫折もしたろうし、長い人生の中では葛藤もあったろうけど、それでも自分なりのこだわりやポリシーを貫いて、一本筋を通して歌い続けて来た人なんだよね。

うん。
だから昭和から平成そして令和になっても、ずっと自分のスタイル貫き続けていて、たくさんのファンがいて、影響を受けたミュージシャンたちも多いんだわ。

FCも入ってないから 今ではチケット取れない人です。あんな風にサングラスの下の素顔が見れちゃうほど、彼の近くで、私たちだけのために歌う曲を
聞けることはこの先もう二度とないだろう。

あの夜の事は今の時代では絶対にありえないこと。昭和だからあったこと。

ファンがみんな仲間で、好きなアーティスト(ミュージシャン)を通じて繋がっていけた時代。アーティストと家族みたいな暖かい絆を持てた時代。スタッフの人も暖かく優しかった時代。

過ぎたからこそ懐かしいあの頃。

そういう経験をできたのはとても貴重なことで、今となっては青春の宝物みたいな良き想い出

あんな優しかった時代はもう二度とやってこない。
とくにこのコロナ禍による未来に至っては…

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そんな風にファンな友人から、レコードを借りたりテープをダビングしてもらったり、「ぜひこれを聞きやがれ!」と押し付けられたり、

「行けなくなったから」「チケットがあまってるから」
「よかったら一緒に行って欲しい」

なんてことから付き合いだの暇つぶしだので出かけて、それで曲や舞台を見て 魅了されてファンになる。

・・・っことは今の時代というか、これからの時代はもうありえなくなるんでしょうね。

電子チケットになってしまったならば、転売防止の観点や利便性から
必然的にそうなるんでしょうけど。今のコロナ禍に関しては、クラスター発生時の対応とか、その後のあれやこれやの関係でそうせざるを得ないのでしょうけれども。その利便性から、世の中の流れ的にはそのようになっていくのでしょう。

その結果として、チケットを手渡して、
「よかったら ぜひ行ってきて」なんてプレゼントする
素敵で小粋なこともなくなるのだろう。

JASラックが音楽家たちの収益や権利を守るために、著作権だー!! とあれやこれや煩く言い始めたことで、果たして何が起きたか。

街中から音楽がなくなった。

音楽が消えてしまった

音楽を聞く機会が狭まった。

昔はどこででもかしこでも音楽が流れてた。

商店街を歩くとき、喫茶店やお店の中で、町中に音楽があふれてた。
ラジオ流しているとこもあったし、そのラジオからDJお気に入りの曲が流れてきて、様々な曲を耳にする機会もたくさんあった。有線と違って、曲の紹介があるから、それが誰の何の曲なのかも情報とともに知ることが出来て。テレビでは音楽番組も多かったというのも勿論あるけれど。

だから流行りの曲は、誰しもがどこでか聞く機会があって、どこかで耳にすることができた。

たまたま入った店のBGMとして、
歩きながら耳に入ってきた誰かの歌として。

そして「あ、いいな」と思って、調べて探して、自分好みの音楽にたどり着くことができた。

でも今はそんな機会を持つことはほぼない。まずは動画などの無料配信から、わざわざ探してみないことには。もしくは身内や友人のルート。周囲の人に薦められてとか、テレビドラマやアニメの主題歌としてとか、CMのタイアップ。そして音楽業界の戦略として「売りたい」ということで意図的に目立つようにプッシュされている歌とか。

行きつけの飲食店や喫茶店のマスターの、こだわりコレクションのレコードを聞きたくて訪れて音楽談義に花を咲かせる…なんてこともなくなった。
できなくなってしまった。

音楽はいつの間にか遠いものとなってしまった。

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でも昔の曲を聴きたいのなら、CDをちゃんと買ってくれよな方向なので、
そのアーティストの良さを「知る」機会はどんどん減っている。間口が狭まって。

自分で撮影したプライベートな動画をSNSにあげたとき、そこに少しでもその場で流れている音楽をキャッチして入っていたなら、「著作権がー」
「違法だー」
という正義酎が現れる時代。

音楽はますます遠くなっている。

そりゃ売れなくなるよ<CD テレビに出ないからばかりじゃないよ。有名だから無名だからってのでもない。

違法で、ただで手に入れる人がいるからって、無料で聞けちゃう場や方法があるからという人も言うけれど。

ミュージシャンを「知る」機会。新しい曲と「出会う」機会が減ってきている。とても偏った一部の曲しか聞く機会が無くなっている。このことも大きく影響しているように思う。

聞けないから聞きたくなるってのもあるけど、耳にタコができるほど聞かされ刷り込まれてしまったから、もっともっと聴きたくなる音楽、インプットされて聞きたくなってしまう音楽というものもある。
中毒性ってものなのか。
よく聞くから、その曲のことを好きになるというのもある。今はそういう現象が起きなくなってるから、よけいに音楽が欲しくならないのかも知れない。

日常的に聞いていれば…それが当たり前なら聞きたくなるけど、音楽が無いのが当たり前な日常が普通で、無いのなら無くて平気ですよってそういう時代になってきた。

音楽は人々の生活において、どんどん居場所を失っているというか、無くてもいいものになりつつあるような気がする。

音楽だけでなくて他の芸術も、お芝居(演劇)も映画もアートも、どんな芸能文化も、身近では無くなってきてしまったから、生活に普通にあるものではないってことで…あまりにもふだんの日常、生活から乖離しているので、それが無くても別に大丈夫ですよって、無くても困らないしってそんな感じにいつの間にかなってきている。聞かなければ、それを知らなければ心が求めなくなるといいますかね。

例えばイタリアの人にとってオペラ(音楽)は生活の一部で、朝から晩までみんな歌っていて、町中の人はセリフを話すように、何かと言うとすぐ歌いだす。そんな風に誰もが知っている昔ながらのスタンダードなナンバーにしても、最新の歌にしても、誰かが歌っていたり、流していたりするから、否が応でも耳にして、その曲を知ることになる。
そんな風にいつでもどこでも風景みたいに音楽があるから、それに親しみを持って大切な文化として身近に感じて、音楽が生活の一部となって、それらに対する情熱や投資を惜しまなかったりするのだけど。
(フランス人にとってはアートがそのポジションであるように)

日本人は著作権がー 製作者に収益分配をーとか、彼らの権利や文化を守ろうとして、かえって自国の音楽文化を干上がらせ衰退させてしまった。

そこに功罪があるのかどうかわからないけれども。

町中から音楽が消えてしまったことによって…気軽に音楽を流したり、聞いたりすることができなくなってしまったことによって…

音楽や芸術が人々の生活から離れて、
とても遠いものになってしまったのは事実だ。

人々の生活が多様化したからだけじゃない。

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うーん
いま音楽を作り、それらの活動をする人にとっては、
果たして良い時代なんだろうか。 
やりにくい時代ではないのだろうかと思うけど…

いやさ、もちろんこのコロナ禍で、芸術・演劇・ライブ、そしてそれらを支える産業やライブハウスや会場などが瀕死の状態であるのは知っている。だが、それは音楽や芸能、芸術や文化といったジャンルだけのことではない。あらゆる人々が苦境に喘いでいるので。

さて、友人知人にもミュージシャンはいますが、印税収入がちゃんとあったとしてもそれは昔の話で、ステージすなわちライブ開催できないことには、色々と難しいし副業ないと厳しいのが実情ですから。


てなわけで「音楽を死なせないで」というタイトルの歌を貼っておくww

ABBAの「ありがとう、音楽よ」もww





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