見出し画像

原始以降、女性は月になった

3大失言王の一人たる、森会長の女性蔑視発言が世間を賑わせたと思ったら、先日のようやっとな辞意表明。グダグダとした悪あがきの弁明は非常にみっともなかったし、タイミング的には遅すぎるという感もあるけど、世論の後押しや世界中からのバッシングに抗えずの結果なら、日本と言う国はお隣の国よりも自浄作用が利いているということで全然マシな国なのだと改めて思う。

それは世間体やら他人の評価を気にする国民性が故なのかも知れないが。少なくとも100年前とか50年前よりかは、男尊女卑の思想は少しずつ薄らいで、過去の遺物になりつつある。それはとっても喜ばしいことだ。もちろん、まだまだ化石化した老害が、その毒で周囲を感化して汚染物質を振り撒いていたりもするけれど、それも断末魔の最後のあがきだと思うことにしよう。そりゃ、明日あさってで変わることではない。悪しき習慣や思想はなかなか絶えるものではなく、根深い脈略を保ってはいるけれど。

これが20年前だったらどうだろう。インターネットやSNSが力を持つ前だったなら、女性蔑視の発言など「報道しない自由」というのとも相まって、問題にされることもなく、叩かれる機会もないままに誰もがスルーしていたろう。誰かが声をあげても、その声はあっという間にかき消されて。

画像1

それにしても、政治家さんの失言の多さにいつも思うのだけど、日本の政治家というのは欧米諸国のように、有権者に対して自分に関するポジティブ・イメージを広めるためのスポークスマンはもちろんであろうが、発言や行動やマナー、そして服装などをチェックしてアドバイスする、イメージ・コンサルティングサービスやら広報担当はついていないのであろうか?? 今の時代を鑑みて、世論の支持を得るための自らの立ち位置(悪く言えば受け狙い)を考えて、どのように自分を売り込んでいくか、どのような言葉を選び発していくか…そういうことをやってない人ばかりなのであろうか? 

というか、もしかしたらその必要性を感じていない人たちばかりなのかも知れない。わざわざそんなことを考えなくても学ばなくても、コネとか親の築いたものをそのまま世襲として受け継いで、何のために何をしたくて政治家になるのかなど成し遂げたい理想も、信念もや理念など持たずとも、安楽に政治家になれてしまう人たち。国民のことなど見えず、国民から自分がどのように見えるのかなど考えたこともない、大衆からの評判など気にしたことがない人たちだからこそ、失言大王になってしまうのだろう。

国民の、国民による、国民のための政治…

さすがに彼らもこの言葉くらいは知っているだろうが、自分が国民のために何が出来るのか、何をしてあげたいとか、そんなことは多分考えたことはないのだろう。

もちろん、そういうことを考えて政治家の道を志したり、選択してくれた人がいないとは言わないし、それは私が知らないだけで、旧世代の狡猾な派閥の壁に阻まれて表立って活躍出来ない人たちも多いのだろう。

画像2

私が就職した頃は、セクハラとかパワハラとかモラハラとか、そんな言葉はまだない時代で、逆にそういう行為が「当たり前」な時代。女性側が抗議したり嫌がると、それ自体がおかしい、生意気だ、可愛げがない…と逆に責められることになって。今の人からしたら信じられないかも知れないけど、ほんの少し前のことですよ。私はまだ50代ですから。アルバイトをしていた高校生の頃でも、客や店長から堂々と尻や胸を触られるなんてことはよくあったし、文句言っても仕方ないわけです。それは社会人になってからも同じ。男尊女卑が酷くない会社か、さほどない会社かのいずれかって区分程度。

高校の時、県庁近くの高級中華料理店でバイトしたことあるけど、そこでは忘年会で大人数の宴会なんかもありました。千葉県警とか教育委員会とか裁判所関係者とか医師会とかね、そういうお堅い職種の人たちほど、お酒が入ると醜態さらすわけです。女子大学生や高校生のバイト相手に堂々と痴漢行為ですから。空いている部屋に連れ込まれそうになってた子もいました。ほとんど犯罪ですよ。一緒に飲んでる同僚や部下たる女性の人たちに対してもね、セクハラし放題。今だったらスマホで撮影してSNSで拡散できるけど、当時は泣き寝入りしかなかったです。お店側も上客だから、何も言えない。我慢しろって言う。風俗店ではないのに、そういうことを平然と求めてくるんですよ。女性という区分であるだけで、下に見て、そのような対象として扱ってもいいんだという風潮、そういう行動が公然と許されていたというのかな。

飲み会の席では女性はホステス役としてお酌をするもの、料理を配膳するもの、そして上司の接待をするのが社会人の常識。それをしないのは女じゃない。ありえない。気が利かない。そう批判されるし、女性を避難する男性が責められたりすることはなかった。

今でいうセクハラ発言や身体触られたことや性関係や性接待を強要されたことに対して抗議しても「そんなことで目くじら立てるなんて、どうかしている。別に減るもんじゃないし」なーんて片付けられちゃってね。痴漢にあっても、「そんな短いスカート履いているからだよ」「隙があるのが悪い」「光栄なことじゃないか」と騒ぐ女性の方が叩かれる。レイプ被害に遭いそうになったり、実際に遭ってしまつた被害者には、「女性から誘ったんだろう」なぞと、セカンドレイプは日常茶飯事。警察もそんな感じですしね。

画像3

ようするに、女っていう生き物は、性別が女だということで、生まれてしまつたその日から誰しもが何かしらの差別(侮辱)は受ける弱者的立場に置かれることを運命づけられるわけです。否応なしに突き付けられる問題。ハンデのようなもの。それは社会だけでなく家庭内でもある。父親と母親との関係性においても。本来は対等であるべきな男性との関係性を築く時にも。

これは男性として生まれた人には解らないことでしょう。説明しても、いざそのように扱われたことがないことには、なかなか理解しようのないことだから、判らなくても仕方ない。男性は男性として最初から扱われているので(第三の性の人は別として)。体感的なものとして、それら気づけず、理解できないことを責めることも出来ない。

女だっていうことで下に見られ、なめた態度を取られ、どうとでもいい存在として軽くあしらわれて…男性側からおもちゃのようになぶられることに自体喜んで奉仕する奴隷にでもなりなさい、とでもいうような歪んだ思想。一体いつから生まれたんだかなって思うけれども。

私たちはずっとそういうのにさらされてきた。だから、そういうもんだからと、あきらめて慣れるしかなかった。いやさ、私たちより前の時代はもっと酷かった。それこそ戦前なんてもっともっと女性にとっては不遇で残酷な時代だった。そして日本はインドのカースト制度やイスラムの女性蔑視よりは、女性参政権もあるし、全然ましだって、そう思って、適応してきた。でも、男性たちは自分たちがいかに女性を見下し、蔑視しているかなんて気づきもしない。それが十月十日もの間、自分たちを育み、乳を飲ませて、オシメを変えてくれた、母親そのものを否定し侮辱する、自分たちのルーツ…生まれてきた腹を卑しめることであるのを気づかずに。

画像4

そんな絶対的男性優位な社会にあっては、女性はそのような社会にあって生き残るために…自分の居場所を何とか安泰へと導くために、男性であることを笠に着て、女性をその力で組み伏せて従属させようとするような輩とは敵対せずに従うふりをして、逆にそのような男性から求められる女性であることの特権を最大限に利用して生きようとするか、もしくは主権を手渡して隷属するかの、徹底的に対立して女性であることをかなぐり捨てて戦うか、そんな風になってしまう。男性から身を守るために、若いうちからとことんオバちゃん化するしか…という道。早い話がオバちゃん化というのは、一種の持続化されたファイティング・ポーズなのであるから。

男性に媚びを売る女性を同性である女性は嫌うものだが、それも男性社会においてのサバイバル能力であり、生きていく上での本能なのだとも思う。そして男性はオバちゃんを嫌うが、オバちゃん化して逞しくならないことには、女性を舐めてかかって見下してくる男性とは戦えないのだから。女性が群れるのは村社会で生き残るための社交術であるけど、集団化しないことには身を守ることができない草食動物と同じ理由もあると思う。

例えば、男女で大きな買い物をするとき、女モノでない限りには、女性を無視して男性に営業トークをするところは多いし、不動産屋などで物件を探すとき、男性客と女性客では明らかに態度が違う。訪問販売などでは騙しやすいターゲットとして主婦層、女性をそのように捉えることは多いが、世帯主の判断や同意が必要な商品の時には必ずと言っていいほど「ご主人を出して下さい」「旦那さんはいますか」になる。「世帯主の方はいますか」ではなく。母子家庭であったり、世帯主が女性である場合でも、事実をスルーしてそのようにのたまう営業は多かったりする。

そんな風に母親に対する態度と、後から父親が出ていった時の、相手のあからさまな態度の違い、というのは子供の頃から嫌でも見てきた世間一般の対応である。それはもちろん自分自身も経験することになる。女性に対する対応と男性に対する対応の違い。相手が女であると知ったならば、急に偉丈夫になる男性とかもね。それは公共でも民間のサービスでも、企業の対応でも同じで。女性のクレームは軽くあしらって聞いちゃいねぇって態度取るくせに、男性がクレーム入れると土下座の勢いで米つきバッタになったりはよくあったこと。まるで男性は上級国民で女性は下級国民てな具合に。

画像5

例えば職場でも、男性は自分の母親よりも年上の社員やおばちゃんパートなどに、平気でタメグチを聞く。相手が先輩であっても、だ。相手が年上であったとしても、自分の方が立場が上だったりすると、如実に見下して足蹴にするような態度をとる男性も少なくない。ところが相手が男性だったりすると、まず「さん」付けで敬語をちゃんと使っていたりする。親しみを込めてタメグチなのかというと、そんなことはない。その理由が女性だからなのか、おばちゃんだからなのか、明らかに下に見ていい存在だと考えているのがまるわかりである。でも当人はたぶん自分がそのような女性蔑視をしているのだと気づいてもいなかったと思う。自覚のないところの無意識の行動なのだ。そんな風な男女差別をしている人は、セクハラや女叩きをしない人の中にもたくさん存在していたりする。

昨今だとブラック企業じゃない限り、そんなことはほとんどないだろうが、少し前まではそういうのはわりと何処でもある風景で、女性を見下すような対応をしている人を誰も咎める人はいなかったし、それが普通でもあった。そんな空気の中にいると、そんなものだと思ってしまう。いくら理不尽さを抱えて、憤りを感じたとしても、正当性など誰も認めてはくれないのだから、「そんなものだから」というあきらめの中で女性は、女の武器や話術を使って媚びを売るか上手くかわすか、下半身に理性のある猛獣たちを飼いならす術を磨いていくしかない。後はオバちゃん化という武装だ。女性を馬鹿にして舐めた態度で接してくる腐れおのこ共に対抗するためには、ヒステリーという怪電波を武器にあるいは言葉をマシンガンにして戦うしか、方法はないのであった。

女は頭が悪い。女は馬鹿だ。女は、女なんて…なぞとは女叩きの人の言う。

いやさ、その馬鹿な女に育ててもらったアンタは何なのさ。馬鹿な女から生まれた男はもっと大馬鹿だろうて。馬鹿にしている対象としての女の乳を飲ませてもらって、オシメ変えてもらわなきゃ、育つことが出来なかった、あんたはもっと大馬鹿じゃないのよさ。

女を否定するならば、女を性の対象としても求めなさんな。女性のやることすべてを一人前以上にこなして、自己完結して自分のケツの穴にでも突っ込んでろ!! そして子供を自分の腹の中で作って産んで育ててみやがれ。なーんてね。

画像6

男性と女性なんて、あくまで性差でしかなく、所有している肉体の特質の違いでしかない。染色体の配列の違いで生まれただけ。男女の違いは本来ならば、肉体的差異として理解され、互いの役割の違いを尊重するための事実として認識されるべきものだ。

卵子と精子が交じり合ったとき、そこにはまだ性別はない。というか、すべての人間はまずメスとして誕生する。その後で染色体の配列により、そのままメスであり続けるものと、変態によってオス化が始まるものとに分かれる。このオス化するという過程において、染色体の異常があったり、オス化が途中でストップすることから、様々な不都合が生まれる。オスでもメスでもない第三の性となったり、両方を持ち合わせるものが誕生するなど。

ようするに、オスとはメスが進化したものなのだ。別の言い方をするならば、オスとはメスが作り出した性なのだ。メスがおのれをオス化させたというべきか。旧約聖書にて原罪たるイブは、アダムの肋骨から作られたが、実際は男が女を作ったのではなく、女が男という性別を創っているのである。

それはまるで、女王アリや女王バチが自らの王国にて、子供たちを育てるために餌の運び手として労働の担い手、王国を守護し敵と戦ってくれる兵士たちを必要として、働きアリや働きバチを生み続けるがためのよう。

実際、男と女の性的特徴の違い、肉体の違いというのは、そういうところにある。子供を産み育てることを目的としての女性の身体。働いて食料を得るために肉体労働をして、家族を守るために戦うことも出来る男性の身体。

画像7

だからこそ、男女の能力は互角ではない。権利は同等ではあっても、適材適所な役割分担も分かれる。それは互いの欠点や苦手分野を補い合い、助け合って生きるための違いであるから。私たちはそれを尊重し合わないといけない。男女の特性や違いは、それぞれに与えられた美徳で素晴らしさでもある。

話変わって、私は美人コンテストは賛成である。女性でも男性でも、肉体の美しさ、姿かたちを称賛することは、良いことだと思っている。容姿の美しさもその人の個性であり、素晴らしい天与の才能であるとも思うから。もちろん、知性や人間性に対する評価も同様にあってしかるべきだか。

そして性産業も否定しない。AVもアダルト雑誌も、需要以前に人類にとっては必要のあるものであると思っている。思春期の好奇心や春の目覚めにより、そのようなものに触れておかないと、知識が身に着かないばかりか、子供を作る能力や行為そのものに問題を抱えることになるのだという。変な話、えっちな人がいないと、人類は滅びてしまう。何が問題かと言うと、女性に対する歪んだ見方や女性蔑視的な扱いがそのようなものに反映されることだろう。例えばアブノーマルなものが普通で当たり前であると、錯覚させてしまうようなものはよろしくない。女性を単なる性のはけ口や道具としてしか見ない風潮に社会悪があるのだから。

そして性産業に従事する女性たちは、もっとも女性蔑視的な考えを持つ男性たちに日々多く接することになり、その肉体だけでなく心をすり減らしてもいたりする。自分たちに快楽や満足を与えてくれる女性たちに、どうして感謝やいたわりの気持ちを少しも持たず、未だ消耗品のような扱いをする男性たちがいるのか、はなはだ遺憾である。お世話になっておいて、女性を公衆便所扱いするやつらは、一生右手とオトモダチでいろよっ!!って、思ったりもする。ガッデム!!

まあ、人間というのは、自分より格下の存在を作ることで「安心」を得たがる生き物だ。いつの時代も自分を優位な立場に置きたいがために、スケープゴートという対象や敵を作って、差別や区別の中で貶めて攻撃するターゲットを持ちたがるからね。女性蔑視、男尊女卑もそれの一部にしか過ぎない。

画像8

日本はもともと農耕民族で母系社会であった。それがいつの間にか、男系社会になってしまった。

日本初の政治家で支配者として国外の文献にその存在を記された卑弥呼は、日本人の誰もが知るように女性だ。推古天皇や斉明天皇、持統天皇など、過去には6人もに女性天皇も存在していたし、天祖たる天照大神は太陽であり、女性神だ。子供は母親の元(母方の家)で養育されるのが貴族の当たり前で、男性は婿入り、通い婚が常であった。女性が財産を持つことは普通で、家を継ぐ女性も珍しくはなかった。

しかし、中世以降、武家社会になってから、世の中は変わった。いつの間にか女性の権利も財産も男性にその主権を奪われることになった。

縄文文明と言ってもいい農耕民族としての時代は、人を殺める武器が存在しない、平和な時代であった(ようだ)。地母神としての女性(妊婦)をかたどった土偶がたくさん発掘されていることから、女性を敬う社会であったと推察されているわけだが。

武器を持って、人と人が争う時代においては…力が支配する世にあっては、やはり戦うことに秀でた肉体を持つ男性が主権を持つということで、対等なパートナーとして女性を遇するのではなく、隷属させる存在として力を奪ってしまう方が都合がいいのであろうか。

だとしたら、女性はやはり「争い」という原罪を生んだことにもなるのだろうか。

どうでもいいことだが、私の母方先祖は平家の落人だ。彼らは大家族主義で何家族もまとまって一つの家に住む習性があった。実際、祖父の代まではそうだった。そして血筋を何故か母方で考えるところもある。そのくせ、九州だから、男尊女卑が酷かったりもする。なんたる矛盾。

画像9

でも、まあ 100年前、平塚らいてふや柳原白蓮の時代などと比較すると、今は本当に良い時代になっているのは事実だ。らいてうもそうだが、有島武郎と心中した波多野明子など、一族の恥とされて葬式も出してもらえず、遺体も引き取ってはもらえず、新聞では悪女とか毒婦とか酷い叩かれようで、同じに死んだ男性側とは扱いの差があまりにすぎる。

今の時代でも不倫報道などでは、女性芸能人の方がいつまでも叩かれる。男性は一瞬だけ、批判されて終わりだ。男性の浮気は甲斐性と羨まれ、それを許さない女は狭量と叩かれ、浮気される女が悪いと言われる。そして女が浮気すると毒婦とか悪女とか、やいのやいのとメディアも世論もその叩きようは異常な位である。そこにも女性蔑視がある。そもそもメディアの目線がしつも女性蔑視だ。女性に不利なように書き立てる。100年前よりはましな程度。

そして私が社会人ほやほやの頃、バブルの頃などと比べても、今はかなりましだ。ほんの少し数十年前でも、女性蔑視は当たり前で、男性社会において当然の常識だったのだ。法の上では平等でも、道徳的に、人々の意識の常識的にはまったく平等ではなかった。

セクハラやモラハラ、パワハラなど、もろ刃の刃的になっちゃうときもあるけど、それが良くないことと周知されるようになったこと、女性が不快な思いをさせられることが減ったこと、その発言はおかしいって指摘が出来るようになって、そうした認識が世の中に定着してきたことは実に喜ばしい。それ以前にどれほど多くの女性が涙を流して、苦渋や辛酸を強いられてきたことかと思うと。

それを考えたときに、女性蔑視発言で叩かれた人が辞任するって、すごい進歩だ。日本もようやっと欧米諸国に追いついたとも感じる。いやさ、まだまだであるけど。でも、ネット社会すごい。

まぁ、50代の私の同世代でも、それ以前の老害たる先人たちの女性蔑視の洗礼と刷り込みを受けた人はまだまだたくさんいるから、そのような意識がクリーンアップされて、刷新されていくには、まだまだもう少し時間が掛かるだろう。困ったことにネットでは女叩きをする人もいて、それに感化される人もいたりするから。あと、長男教とか男梅とかね。そういう田舎や村社会の悪習も早くすたれて欲しい。男尊女卑なんて、ペストや天然痘のごとく撲滅されて欲しい。

それでも、もっともっと劣悪な男尊女卑の国はあるからなあ、はあ。ある意味で男尊女卑や女性蔑視のある国は、後進国で発展途上国の特徴だよって、いいたい。そんな種を宿した人は知的なインテリジェントや文化的な人類とは、もう言える時代ではないんだよって、ホントに。

画像10


もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛