秘教的秘儀/霊的真理を学ぶ~霊的成長を促進し、魂に添う生き方をするために
タイトル、長いですねww
まるで、二時間ドラマの副題みたい
それはさりとて…
私がこの仕事をする理由。
やはりそれは、自分自身の体験によるものが大きいです。
幼少期より多くの神秘体験すなわち心霊体験をすることにはなったものの、誰にも相談できず、起こることの意味が解らず、霊的存在との遭遇に悩まされ…完全記憶を持ってないが故に、部分的に所持していたり、蘇る過去生の記憶にそれが何なのかどういうものであるのか困惑させられながら、戸惑いの日々を送ることになり。
テレビのミーハーな心霊番組の中にヒントを見出そうとしたり、インターネットのない時代に漫画や図書館などに置いてある書物を読み漁って調べたり…
環境(親子関係)の問題にも日々消耗させられつつ、並行して、これらの秘密のようなものを抱えているのは本当にしんどかったです。
まあ、それはそれとして。
どんなことも、自分がそのような状況に置かれたことで、必然的に「知る」と言いますか、興味もしくは必要性から「調べざるを得ない」ということに導かれてしまうものです。
関わらないですめば、そのような状況下に置かれたり、巻き込まれるなど、体験をしなければ、一生知らず、関わらないで済むことというのは多いのですから。
私の場合もいつも日常に「つきまとい」、自ら解決せざるを得ない問題として、否応なく直面しなくてはいけない出来事だったんですね。解明しないことには、生きられないと言えば大袈裟なんですが。
大人になってからも、そういう悩みからは中々逃れられず。
故に「これは一体、何だろう?」と追及し続けますよね。
答えを求めて、その答えを与えてくれる人とか、知識とか、そのようなものを求めたわけですけれども。
残念ながら、色んなところに行って、色んな人に会っても、納得いく答えなど得られなかったわけです。疑問は払拭されず、さらに深まるばかりで、疑心暗鬼と人間不信に導かれるような、そのような出会いばかりだったといいますかね。
宗教はもともと大嫌いで(神社という場所は好きでしたが)、拒絶反応がすごかったので、そのようなものにだけは近づきませんでしたが。
そして、私自身が誰よりも自分の霊的な資質を嫌っていたので、色んな人に進められても、そのような職業にだけは絶対につかない!なんて、拒否・敬遠していたんですよね。
絶対に占いや霊的仕事にだけは従事しないって、高校生の時にそう誓っていたのにww
中学の入学時にさせられた、赤十字の誓いに対しても、キリスト教に対する反発から、口を閉ざして「絶対に、云うもんか!」ってアナーキスト気取ってた私が、霊的真理(ジョシュアが伝えた霊的教義)を学んで教えていたりするのは、ホント笑えてしまいます。
そうそう、こう見えても、とても疑い深いんです。
まずは疑ってかかって、信じないというか…
霊的世界を肯定はしていても、それに振り回されるのがイヤというのは、そこだけは昔から変わってないとこですかね。
私は理系脳では無いし、圧倒的に感覚と感情で物事を考えるタイプで、残念ながら理性的な知的タイプでも無く、論理的思考も持ち合わせてはないんですが…
こういう仕事をしているクセに、前世がーとか言ってる電波系なクセに、わりと現実や科学に重きを置いている方になりますかね。今の科学が絶対的に正しいとも、何もかも解決してくれる技術で学問だとは思ってはないですが(まだまだ発展途上ですよね。これから解明されることがたくさんあるって意味で)。
すぴ系と自虐的に使うことはあっても、すぴ系嫌いだしww
さて、前置きが長くなってしまいました。
ようするに、私自身が自らの体験を通して、自分の資質(霊媒的素養と憑依体質)に悩み、本来ならば視えざるもの、視えない世界の事象や存在に苦しめられ、人生や運命の理不尽さに疑問を持ち、「本当のことが知りたい」と思ったことから、そうした世界に関する知識を読み漁り、セミナーやワークショップにも出たり、色々なことを求めて学んだ結果に得られたことを、かつての私と同じような問題を抱えて悩んでいる人の役に立ちたい、立てるかも…と……そう思ったのが、
知識や技術及び霊的知識などを教えることになった経緯と、それを続ける理由になりますでしょうか。
台湾で天人氣功を習得するための合宿に参加したり、臼井霊気を習得することになったのは、まったくの成り行きで偶然とも言える導きでしたが。これまた、自らの波動を上げるという憑依体質を改善するために有効的な手段であり、「氣」の概念を理解して体得するための、この仕事をする上での重要なファクターだったんですね。
でも、経験やスキルだけ重ねて身に着けても、それだけではまだ意味を成さないと言うか、十分では無かったというのはあります。やはり、その事象が何によって起こされているのか…どういう理由(原理)で起きているのか…理論が欠けていたので。
その時に出会ったのが、ダスカロスの教えだったのです。
ここには私の知りたいことがすべてありましたし、私の体験してきたことが何であるのかを理解する、すべてのヒントと解説がありました。面白いことに初めて読む本で、初めて見聞きする知識でもあったのに、私には理解するのが容易い内容でもありました。とにかく首を縦に振るばかりで、「ああ、そうなんだ。そう解る!」と、書物に文章や解説として書かれていない行間に埋もれてしまったことまでも、頭の中に流れ込んでくるようでした。
その時にはその内容をもとに、自分が霊的知識を誰かに教えるなんてこと、考えたことも無かったですけれど。
だって、その教えを公式に教える人々、無償のサークルは既にあるわけですしね。
とは言うものの、私のレッスンはあくまで個人的なものです。私が理解した内容が下敷きにあるものの、私自身が他所から培ってきた知識や教え、私自身の体験をベースにしたものがそこに加わっているので、あちらとはまた別なものになりますかしら。
しいて電波的なことを言いますなれば、私もダスカレがソーリティスであった某所で、それ以前にはエドガー・ケイシーも学んだその場所で、同じ教義を教わったものであったりはしますが。
その意味では、私がこのような知識を教えるのは、自分の使命のひとつであるとも言えるでしょう。
ただし、私は偉大なる大先輩方と比べると、まだまだな見習い小僧とも言うべき、末席の若輩者であります。
さて、心霊科学(スピリチュアリズム)と霊的真理(秘教的教義)を教えるようになって、15年位になるでしょうか。
最初は要望を頂いて、私塾のような形でスタートし、グループレッスンがメインでしたが、今はマンツーマンの個人レッスンのみでお教えしているのが現状のスタイルです。
どのような人が学びに来るのかというと…
第一に、ご自身が霊的事象(トラブル)に悩まされて、
「自分の身に起きている、これは一体どういうことなのだろうか?」と、見えない世界のこと、自分に起こっていることが何であるのか… 運命やら人生を創り出している仕組みやら、そのようなことを知りたいと思われた方たちが多いでしょうか。
霊的な事象に悩まされている人というのは3通りあって、
その①は一時的なトラブルとしてその種のハプニングに悩まされている人と、その②としては、先祖絡みの因縁など、長期的なトラブルを必然的に背負ってしまった場合の人などがあげられます。
そして、その③は、自身の霊的な資質によって、そのような事象に出くわしてしまう人になりますでしょうか。
私のところの講座で学ばれる方は、個人セッションにいらしてから、知識を学ばれようとする方がほとんどで、中には他所で学ばれたけれども、もっとその先を知りたいとか…そう言う方もたまに。
レイキを学ばれてから、エネルギーのこと、ヒーリングの原理について、ちゃんと知りたい…という方も多いです。
個人セッションを受けずに学びの場にいらした方は、何故か続かないですね。1、2回来たら、すぐに辞められてしまう。その方が期待していた内容と異なっていたり、もしくは内容がつまらないとか難しいとか…そう思われたのかも知れません。
その辺りは、ラ・ポールも必要なのかも知れませんね。
教える側と教わる側の相性。信頼関係が築けてないと、一対一のマンツーマンでの知識の伝授(口伝)は成り立たないという意味で。
はい、秘教的秘儀ですから、習い事とはどうしても違ってしまいます。何ていいましょうか…師匠と弟子みたいな関係なんですよね、知識の伝授。
宗教では無いけど、秘教的秘儀(教義)であって、人生(魂)の学びなので、ぶっちゃけイニシエーションみたいな意味合いの学びですし。簡単に学べるけど、軽いものではなかったり。
はい。無意識に、「顕在意識に操られて生きている」状態から、「意識的に生きること」を選んだ状態、「魂の目覚め(目目覚めつつある意識)」の段階へと行くことを自ら決心して、選択するってことですから<霊的真理を学ぶこと
これは、神とか、誰か他者との契約ではなくて、自分自身との契約になります。魂との契約で自らが自らにする誓い。
それが霊的真理、秘教的教義や秘儀を学ぶということ。
その「道(径-パス)に入るってことなんです。
ここには、すぴ系の人が言う、アセンション(次元上昇)とか宇宙と繋がるとか、そんな流行語的意味合いは微塵もありません。
秘密(この世の仕組み)を知るからには、自分自身の人生と選択に責任を持って生きるって、それだけのことです。
他人や運命のせいにして生きない(そのような生き方を止める)、流されない、自分や他者を認め尊重して生き、自分で自分の人生を創造して、蒔いた種を刈り取り、カルマのレッスンと対峙し、自分にも他者にも愛のある生き方をする。それのような生き方を選ぶ…ざっくり言うと、そんな感じでしょうか。
心霊科学も霊的真理も、ありがたいことに今の時代、書物から学ぶことが出来ます。ネットもありますしね。また、無料で学べるサークルもあります。そこに到達できるか否かは、「求めよ、さらば与えられん!」です。
ただ、現実の師匠はいないより、いた方がいいと思います。
残念ながら、私は生ある師匠には出会えませんでしたが…
誰か教えてもらえる人がいるなら、教えてもらうにこしたことはありません。どんな師匠に会えるか否かは、その人次第でもあるんですね。前生からのご縁とも言えるし、引き寄せ的な導きもあるでしょうし、その人のレベルにも左右されます。
書物から独学で学ぶにしても、一人で学ぶには限界があるんですね。書物にはすべては書いてないし、わざと矛盾を作って、隠してあることもある。その矛盾に気づけない人は実に多く、その矛盾の中にこそ、本当の教えが隠されているものなので(暗号では無いですが)。
で、霊的知識(真理)は、あの世…霊的次元(4次元・5次元・6次元)でも学ぶことが出来ます。当たり前のことですが、学ぶことを選択しないと学べませんが…そして、3次元で学ぶことを選択した人は、3次元での生を終えて、あちらに行った後、その次元にある学校(師匠)に出会う事になります。
でも、6次元以外のエーテル界では、学べることは限られているんですね。何故って、自分がいる階層というのは限られている世界で、限られた知識しかないのです。
すべてが揃っていて、すべてを学べるのは、3次元と6次元のみなんです。また、その後のエーテル界で何を学べるかは、3次元にいるうちにどれほどのことを学んでいるかにも左右されます。
なので、死後の世界のことは生きている間に学んでおいた方が、死んだ後の進路に関わると言うか…実際、所持している霊的知識に死後の状態と行先が左右されることになるので、この3次元で生きている間に「霊界」のことをきちんと学んでおいた方がいいというのはあります。
なので、霊的知識を学ぶことは、どの宗教に属するかは関係なく、ある意味では「終活」にも等しいことと言えるかも知れません。
よりよい生き方とは、よりよい死に方にも通じるものです。
自分の人生を考え、見直し、これまでの生き方を反省すること。自分が改めるべきことを知ること。自分が死の後に行く次元(世界)のこと。そして来るべき次の人生、来世のことを考えること。輪廻転生の理由と法則を知ること。自分自身の運命を作っているものが何であるのかを知ること。
カルマのレッスンを知ること。自分の人生の意味を知ること。魂のミッションを知ること。どのように生きるべきなのかをちゃんと考えること。
死ぬ前にそのようなことを考えておくこと、そうした知識を身に着けておくことが死後の世界でのあり方、過ごし方、次の人生を変えることになるのですから。
また、学ぶことも大切ですが、学んだことは実生活で実践しないことには意味がありません。内省もしかりですが、身体との付き合い方、使い方も正しく行わねばならないのです。
簡単に言うと、身体を大切にする…ってことなんですけどね。怪我をさせたり、病気にしたりしないように、身体(肉体)も愛情をもって管理・ケアすること。物質的な次元のもの、肉体を尊重すること。もちろん、自分だけでなく他者に対してもですけどね。
余裕があれば、霊的なエクササイズをして、霊的な身体を鍛えておくことをするといいです。ただ、自分の肉体をいじめる苦行になってはいけませんが。霊的エクササイズも色々なものがあります。容易いものから、習慣づけた方がいいようなものまで、種々様々です。
しかし、くれぐれもサイキックな能力を身に着けようなどと、特別な能力を磨こうなどと、よこしまな考えでそれらを行ってはいけません。
あくまで、心身の健康を促進し、霊的な波動を整えて、常に自分を保つための方法論としてそれらは行うべきです。もしくはよりよい状態に自分を高めるため…ですね。
霊的伝授(エネルギーアチューンメント)もですが、霊的エクササイズは、それだけ特化して行うのではなく、その目的をきちんと理解した上で、行われないといけません。
ですので、霊的知識を学び、それと並行して行われるのが理想です。
多くの伝統的宗教でも、哲学ありきでの修行ですよね。例えば仏教がそのもっともたるものであると思います。
レイキを始めとしたハンドヒーリング(マグネティック・ヒーリングたる氣の譲渡)の手法は、ヘルスケアのために生まれたもので、それを目的として伝えられ、使われるるべきものですが…
本来はヘルスケアのための民間療法である、このレイキから派生した発展系レイキ(高次元波動エネルギーなんちゃら)等のほとんどが、面白いことに太古の叡智として伝えられた、霊的な波動(氣)の受容性を拡大するために生み出された手法だったりします。
そうなると、もはや、ヘルスケアは関係ないというか…ww
いやさ、霊的進化・成長のためには、まず身体(心身)が健康でないといけないといいますか、心身のバランスをとることが基本だからというのがあるのです。
さらに、現実的感覚と霊的感受性のバランスと受容性が大事ということで。
なので、特定の周波数を持った「氣」と縁を繋げる(受信できる周波数の氣を増やす)というニュアンスで、「氣」に敏感な人とか、エレメンタルを創造してヒーリングを行うサイキック・ヒーリングを行う人にとっては有益なものですが、そうでない人にはあまり意味と価値を持ちません。
でも、霊的エクササイズとして、自らの霊的成長のためのトレーニング、その道を歩み始めた人にはその目的を助けるものになります。
けれど、説明書きにある「効能」的なもの、事象を期待している人にとっては、無意味で期待外れをさせられるだけのもので、お金の無駄遣いとしかいいようがありません。
そのような人にとっては「詐欺」「霊感商法」としかならない体験で終わるでしょう。なので、受けるのは止めた方が得策です。
どんな知識も技術も、扱う人次第であり、誰にでも万能なわけではないのですね。そして、基本的な知識や目的意識がないことには、お金の無駄で、宝の持ち腐れになってしまうのです。
それと面白いことに、霊的な学び…には、物理的な生徒さん以外の生徒さんもたくさんいらっしゃるのです。
その生徒さんのご先祖様や過去生のパーソナリティ(一部)がね、一緒に受講して下さるのですよ。今までもたくさんの、目には見えない生徒さんたちがお越し下さいました。
何故って言いますと、「死んだからといって、すべての霊がすべての学びを得られるわけではない」からです。
死んだ後に行く次元の階層は、個々の霊性のレベルによって異なるので。
とくに4次元では情報が限られているし、世界が3次元よりも狭いのですね。なので視野が狭くなりがちで、それはまるでラジオやテレビが一局しか無くて、インターネットの繋がらない場所に隔離されたようなものです。
自分のいる4次元の階層のことしか解らない世界にいるので、そこに甘んじてしまう人も多いけど、それ以外の知識や情報に対して渇望され、求められるかたも稀にいるんですね。
とくに過去生ヒーリングや先祖供養とかで接触した後には。
だから、自らの子孫の4次元の身体と繋がることで、子孫を通して学ぶ…それが「よすが」でもある。つまり、子孫が先祖を啓蒙することが出来るんですよ。これは自分の過去生の人格としてのエレメンタルに対しても、有効な手立てなのですが。総ての人格に通用するわけではないですね。双方の合意がないことには。
でもまあ、勉強熱心なご先祖様は多いです。
情報や知識に飢えているがごとく、共に学ぶ姿勢を持った方には教えがいがあります。
ここがまあ、一族や子孫で目覚めたものが出ると・・・あるいは出家したり、慈善活動に興じたり、慈悲と慈愛の活動を始めるものがいると、8代前もの先祖供養に通じ、子孫への徳という貯金を遺すことになると言われる所以でもあります。
とは言うものの、「学びたい」と思ったときが学び時でもありますし、師匠に会えた時こそがタイミングであるとも言えます。
それを決めるのは他の誰でも無い、その人自身なのですが。
そして、自分自身が信頼できる人から、腑に落ちる知識を学ぶのが肝心だと思います。相手を盲信するのではなく、その知識に惹かれるか否か… 自分の勘を大事にして下さい。
とりあえず、当方では、独学でネットや書物を読み漁ったけど、イマイチ解らない…という人向けに、スピリチュアル・レッスンとして霊的真理を、私なりに噛み砕いてお教えしていたりします。
それと、アチューンメント含め、霊的エクササイズの指導もですね。個人セッションでも、その人のレベルに合わせたやり方をもともとしていますけど、それはレッスンでも同じだったりします。
レッスンは、対面でもネット(オンライン)でも。
‥‥てな感じで、
たまには営業?宣伝をしておくことにします。
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