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土地のエネルギーとモノに宿るモノ④

友人に連れられて、某所で開催されていた、アンティークマーケットに行ってきました。友人は着付け講師をしているので、お教室兼自宅に飾る「和」のモノ目当て。私はというと、「和」も好きですが、やはり「洋」好み。広い会場なので、お互い好きなものを自由に見ようと、自然と別行動に。

ふらふらっと、見ていると、

「う~ん?」とか「うむっ」とか、「・・・!(絶句)」

・・・・そんなのも、それなり。

昔、敏感だった頃には、骨董屋とか、滅茶苦茶苦手でした。
今はだいぶ鈍感になりましたから、以前ほどキツくはないのですけど、
それでも、モノによっては上記のように反応してしまうことも。

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そうですね・・・
モノにはやはり、残留思念とも呼ぶ、想念体(エレメンタル)が宿ってしまうので。ほんの短い間、その人の手にあったものでも宿ってしまうのに、古いもの、愛着の深いもの、長く人の手を渡り歩いてきたものなら、なおさら。

元人間だった、「霊」が入ってしまう場合もありますけど、
「念」というのも侮れません。

でなければ、不幸を呼ぶダイヤなんてのは存在しないわけで。

ちなみに、前述のアンティーク市でも、「これを飾ったなら、あなたの家族も子孫も、代々不幸になれること、間違いなし」って・・・太鼓判を押せるモノを見つけちゃいました。

それを所持して販売している人には影響ないのかというと、
どうなんでしょうね。

少なからず、影響は出ているような気もするけれど。
「受けない」人もいるのも事実なので。
でなければ、そういった仕事はできないでしょう。


そういえば、骨董品で思い出したことをひとつ。

もう、30年以上前のことになりますが、当時の友人の、そのまた、モデルをしていた友人の話。(ちなみに友人は私より15才上)

モデルをしていたその方は、カメラマンをしていたご主人と恋愛結婚。
現在じゃ珍しくもないけど、親子ほども離れた相手との結婚は、親を始めとして、周囲からは大反対のシュプレヒコール。その反対を押し切って一緒になった二人は、心配をよそに、とても仲睦まじく・・・
それはそれは幸せそうで、べストカップルであれば年齢なんて関係ないなって、私の友人は思ったとのこと。

旦那さんは結婚した当初は、年上で人生経験豊富な方だけあって、包容力にあふれ、寛容で、無邪気な妻を見守る温かな人であった、らしいのですが…

なのに、それがある時期を境にして、まるで別人のように変わられてしまったとのこと。

とても冷淡になって、口数少なく、
はっきりいって、陰気になってしまったと・・・

「彼女の家に遊びに行ったとき、目つきがもう、やな感じで、えっ? こん  な人だったっけ?って。遊びに行ったのが悪い気がして、居心地悪くて、すぐ帰って来ちゃった」と。

なんでも、
家の窓から、外出から戻ってくる彼女の様子をじっーと見てたり、モデルを続けてた彼女の撮影現場をじっーと、声もかけず、遠くから見ていて、仕事が終わるのを待って一緒に帰るでなく、そのまま(撮影終了後)消えてしまっていたり・・・行動が怪しいというか挙動不審というか、まるで彼女を監視するような、そんな感じになってしまったと。

「あの目つきを見て、ゾっとしちゃった」

とは、たまたまそれを目撃した私の友人談。

で、その話を聞いていた私の脳裏に、
ポンッ!って、気持ちの悪い木彫りの人形の映像が浮かんできたり。

帽子をかぶった、老人のような顔をした、像?とも言うような置物みたいな人形。こんなものが見えるんだけど、その人の家にそういうの無い?と聞いてみると、友人は、彼女の家で見たような気がする、とのこと。

後日、確認してもらうと、スペインに行ったときに入ったアンティークショップで、奥さんのほうがその置物の人形を気に入って購入したとのこと。
で、居間に飾ってあると…

果たして、その旅行後、ご主人は変わってしまったのでした。

「彼女が気に入ってるのね。なんでだろう、あんな気味の悪い人形。
 老人の顔してて、ちっとも可愛くないのよ、不気味でサー」

どうも、その人形にある男性の「念」と、そして霊そのものが憑いている様子で…

『あ~ この人、美人の奥さんもらったものの、嫉妬にとち狂って、
 奥さん殺しちゃった人だ~ 
 たまたま、このご夫妻の状況(初老の旦那と年若い美人の奥さん)が
 自分に「似てた」から、重なって、 
 奥さんに、買わせるよう仕向けたんだ~』

とは理解できたものの、直接の知り合いでもなく、友人の友人(彼女たちからして、私はめちゃ年下でしかも学生で)という立場だから、とりあえず、この人形処分したほうがいいよ、って、そう友人に伝えたものの・・・
果たして、それを真剣に聞き入れてくれたかどうか・・・

その後、友人への連絡も途絶えがちになってしまった、とのことなので、
どうなったのかは聞けずじまいでした。

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で、その年の離れた友人の話が出たついでにもうひとつ。
彼女と知り合ったのは、ある海外のバンドのFCでの手伝いがきっかけ。いやさ、私はそのバンドのファンでも何でもなかったんですけどね。(むしろ、けなしてたかしらー。当時は日本でも人気あったし、一世を風靡したけど)私の高校の同級生が、スタッフだったので、人手が足りない、というので、手伝いに借り出されたり・・・まあ、会報の発送(切手貼り)とか、フィルムコンサートの手伝いとか、そんなん。

ていうかー それもありましたけど、その事務所では、いろいろ不思議なこと、いわゆる心霊現象が多いということで、「アンタなら、何か分かるでしょう?」というわけで、引っ張り出されたのが現実。

都内某所にある、そのオフィスたるマンションの一室に入ったとき、
ありゃりゃ・・・って感じでした。

うーん・・・そりゃあ、あるでしょ、ここじゃ、と。

ファンクラブだから、部屋中にポスターを貼っているわけなんですが、その中のいくつかに、入ってたの、姿形を欲しがってる元人間とか、その他が。

確かに、人形とか、ぬいぐるみとか、写真やポスターといったもの、マネキンもだけど、そういうものには、霊が入りやすいのは事実。でも、必ず全てに入るわけではなく、場所とか土地の関係にもよりますけど。あそこに関しては、土地柄で、「道」が通ってしまっていたというのがありました。

あと、それだけじゃなくて、そこに集まってきていた人の問題もありましたね。これは、その時には言えなかったことだけど。

ある意味で、ファンクラブっていうのは特殊な雰囲気を醸す場所。若さゆえの熱中的なパワー、ミーハー的愛情と言うか・・・なんというか対象とするミュージシャンに対しては、一種崇拝ともいえる盲目的な宗教っぽさすら、感じさせる執着があります。

私の友人が手伝ってたそこは、音楽事務所が仕事として経営してたところではなくて、公認とはいえ、信者みたいなファンが、集まっていたので、大好きなバンドに対する偏狭的な愛情とか、独占欲もそこにあるわけです。

そういうエネルギーっていうのかな、感情の渦が、いろんなものを「呼び込む」磁石の役割を果たしていたのでした。場所がよくなかったというのも、もちろんありますけれども・・・。

ともあれ、当時の私は、「霊?いるよ。あそことこことあれ」て具合に、
それを指摘することは出来ても、処理(除霊とか浄霊とか色々)は出来ないので、「こことこことここには貼らないほうがいいねー これはもうお寺にもってって・・・」位のことでしか、役には立ちませんでしたけれども。

まあ、切手貼りとか袋詰めとか、軽作業は手伝ったのだから、
まっ、いいか・・・

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そんなこんなで、モノに念が入ってしまうことはあるんですけれど、
かといって、私は「石のパワー」とかに頼るのは好きじゃないんですね。
まっこと、馬鹿らしいというか。

石は石ぢゃん…ていうタイプ。光モノに弱い(目がくらむ)のは事実ですが。

石は石であって、宝飾品としての美しさが、持ち主の気持ちを満たすことはあっても、石そのものが自動的に人間を幸せにしたりはしないですよ。

私自身、カラーストーンを使ってアクセサリーとか趣味で作るけど、
「この石はこんなことに利く」みたいなのは、
「けっ! 何いってんでー」という感じ。

何年か前、パワーストーンを使ってブレスを作ろう!ってのに、作り方を知りたくて参加したことがあったんですけど、参加者の中に、

「はあー 石のパワーに酔っちゃったぁ~!この子にクラクラよっ!」

なんておっしゃる方がいて、

「はて?石はお酒ですかい? 
それよか、ここにある小さな石たちが出すエネルギーより、
アナタという存在の全身から放たれている、
オーラのほうがよっぽどキョーレツなんですけどっっ」

と思ったり・・・

うーん。
巨大なオブジェみたいな石なら分かるけど、ブレスに使うような、加工した小さな石ですぜ。そんなんで酔えるなんて、水一杯で酔うようなものだ。

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そんな小さな石で簡単に酔えるなら、地球という巨大な石の上に住んでいること事態、どうよ?毎日が酔っ払いになれるじゃあ、あーりませんか~

それに「人ひとり」が醸しだしている波動としてのパワーのほうがすごいし、石でよっぱしてたり、過敏に反応してたら、社会で生きていけないよ。
そういう意味では、「勘違い」というか「錯覚」なんだけどね。

それと、「石」が生きてる、話すって人もいるけど・・・(妖精が宿ってるとか?)

それはないですから。
地球そのものが生命体とするなら、石は生きていることになりますが。
あくまでそういう意味で、です。

すべてのものは波動していて(これは科学で証明されてること)、石そのものは物(地球の鉱物)としての波動、土地のエネルギーを持っているものだけど、結局、それに邪悪だったりマイナス(ネガティブ)な想念を持たせるのは、人間なんですよね。

人間が作り出した「想念」が宿ってしまうことが多々。そして、データとしてのそれを読み取ったときに、石が意志を持っているように、さも何か語っているように錯覚するだけ。

サイコメトラーと呼ばれる人は、こうした「データ」を一部あるいは全部読み(感じ)取ることが出来る人と言える。

それはCDとかDVDみたいな記録媒体みたいなもので、データが何か入ってるという感じ。でも、得てしてそのデータは断片的なもので、残念ながら、きちんと編集されたフィルムのようには入ってないのが玉に瑕。

さてさて
良いパワー(波動)を持つモノにするのも、悪しきパワーを持つモノにするのも、それに接した(する)人間次第で、どんな純粋な波動を持つモノであっても、動機が不純というか、よこしまな気持ちを持ってそれを利用しようとすれば、一瞬にして、汚れをつけてしまい、さらには負のパワーを増幅させちゃうだけなんですよね。

「このお札を貼れば、金運UP!」とか、これを持てば結婚できるお守りとか・・・モノに依存して、その恩恵にあずかろうとする気持ちとか、自分は何も努力せず、モノに叶えてもらおうとするようなべしゃっとしたイヤラシイ気持ちとか・・・

そうした念が入ってきたときに、入られるモノ、のほうは、
「うわ~ん~ 汚いよぉ~ ばっちいよお~」と、
我が身の不幸を呪っちゃってたりして?
きっと、肥えツボに落ちて、うんこまみれになった気分かも新米。

そもそも、そんな人格は石にはありませんが。もし、石に意志があるとするのなら、「人間こわーい、きもーい、きったなーい!」と声無き声で叫んでいるかも。

そうやって、モノにネガティブな想念を植えつける行為は、
ある意味、それも人災というか環境汚染だったりして?

この話、まだ続くかも知れないけど・・・さて、次はいつのことになるか。



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