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スピリチュアル・ナルシズムとエゴイズム④

この仕事をしていますと、時々ですが、

「先生みたいになりたい・・・」
「私もスピリチュアルな仕事がしたくって」
「ヒーラーを、人を癒す仕事がしたいんです」

というような相談をされることがあったりします。


これが
「救急救命士になりたくて」
「歌手になりたい」
「社会の役に立つことをしたい」
とかでしたら、

なりたいもの、憧れの職業目指して頑張ることにエールを送るし、どうしたらその道に近づけるか、アドバイスのしようもあるのですが。(もちろん向き不向きとか、適性とか資質とか、今のその人の実力でどのくらい開きがあるか現実面を考えないといけませんが)

※ただ、「私みたいに」と言われた日には、私を指標にすることはオススメできません。こんな邪悪で腹黒い女、目標にしたらヤバイです(自爆)


スピな仕事とか、サイキックな能力を求められる仕事とか、そこまでのスキルを求められない、単なる命学・相学・兆学を用いる占い師にしても、他人の人生を左右したり、マインドコントロールしてしまう可能性のある、相手の思想に良くも悪くも影響力を持ってしまう職業に関しては、安易に『あなた向いているわよ』とか『なれるわよ』とも言えません。そもそも適性のある人には、ほとんど出会えないのが実状ですが。

※ちなみにヒーラーって、治療師すなわち治療をする人って意味ですから、広い範囲で全部を言った時に、近代医学、中医学、民間療法の施療師全員がヒーラーになります。癒し手という、訳され方の言葉の響きに魅了される人が多いようですけどww  鍼灸師も整体師もタイ式マッサージや指圧の人もヒーラー。私のセッションを受けて「ヒーラーになりたいんです」と言って来る人の場合、各種民間療法の中でもセラピーやカウンセリング・メインのヒーラーのことではなくて、ちょっと別の意味で捉えているような気もしないでもないですっっ。私のやってることは完全にオリジナルですから、ちょっとアレなんですけどね。いずれにしてもヒーラーという括り一つもとっても、とにかく範囲は広いです。
単純にヒーラーといわれても、「お医者さまも薬剤師も理学療法士も看護士もヒーラーですが?」となってしまう。何(どんな術)を用いてヒーリングをするか、なんだけど。つまり、「○○○ヒーラー」と言わないと、です。
同じ理由で、ヒーリングといっても、西洋医学もヒーリングなんで、どのヒーリングのこと? どれを使ったヒーリング??ってハナシになります。

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最近も頂いた質問なのですが・・・

「先生みたいに、リーディングとかヒーリングができる人になりたい」

道が開いている方なら良いのですが、
その人は道は開いていない方だったのですね。

「うーん・・・(向いていないから)止めたほうがいいと思うなあ」

まあ、”向いている向いていない”という短絡的な言い方でしか、今はその人には伝えられず・・・その言い方で返すしかなかったんですよね。なんで「向いていないのか」「その仕事をしてはいけない人なのか」ってことも、話してもまだ理解できない段階だと思うから。

「やっぱり、選ばれた人でしかできないってことなんですね?」

と言われても、いや、別にそういうわけではないんだけど・・・でして。

ようするに、こういう方の認識では、「ヒーラー=選ばれた人、すなわち特別な人」なわけです。とどのつまりが、この人が成りたいのは「特別な人」であって、周りから、そう尊重されて賞賛される人に成りたくてたまらないのです。特別な価値のある人として、皆から扱って欲しいのですよ。その欲求を満たすための方法としてのヒーラーになりたいという願望。

今までの人生が不毛と思ってて、誰にも価値を認められず、家族に粗雑に扱われているという不満を抱えている人だったから。

そういう、周囲に「スゴイ人だ」と思われたかったり、他人に対して何かしらの影響力を持つ人になりたがって、ヒーラーとかチャネラーとか、リーディングができる人に憧れる人、多いです。それと、他人から感謝される仕事でもあるから、その他人からの「感謝」が欲しくて目指す人も多いですよ。

憧れるのは悪いことではないんですけどもね~
別にスピ&サイキカルな仕事&スゴイ人じゃないし。
選ばれた人というのでもまして無い。

いやさ、なるべくしてなるといえばそうなので、確かになりたいと思ってなれる仕事ではないので、誰もがなれる職業ではなく、なんちゅうか本中華です。(一言で言えば、準備が出来た人か出来ていない人かって、それだけなんだけれども。あとは魂の使命とか、人類全体での役割分担ですね)

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どんな仕事もそうですが、憧れや興味を抱いて、成りたいと思うのは自由だし、自分がやってみたいと思ったことを自分に対して叶えてあげるのは大切だし、目指して努力するのはいいことだと思うけど、肝心なのは、その職業を選んだ動機の部分なんですよね。

なぜ、その『職業』なのか・・・
その『職業』を通して何をやりたいのか・・・

でも、先に『職業』という形ありきというよりは、どういう内容のことをして、他人に対して自分の能力をどのように提供(奉仕)したいのか、かな。「どんな立場(状況)」にある「誰」を、「どんな気持ち」にさせてあげたくて、その人に「どんなこと」をしてあげたいのか・・・

それがあって、自分の適性とか得意な分野とか能力を加味した上で、総合的に判断して、このジャンルのこの職業なら、私が他人に対してしてあげたいと思っているサービスが、100%ではないけれどもほぼ条件を満たしてて、ギブアンドテイクで提供できるし、需要と供給がうまく合致している、だからこの職業を選ぶ・・・でないと。

とどのつまりが、
その職業から何を得られるのか、
自分がその仕事から何を与えられたいか、ではなくて、

その職業をして、自分が何を他人(世の中)に与えられるのか・・・なんです。

世の中にどんな技術を提供できるのか
自分はどんな奉仕をすれば他者を喜ばせられるのか

なんですよ。

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その仕事をすることが、

自分というよりも、世の中や他人に一番何かメリットを与えられる仕事でないといけない。その人の資質を生かす道であることは勿論のこと。

仕事(職業)に自分のエゴイズムを満たしてもらうことを求めても、魂の乾きは満たせない。ますます乾いて飢えが酷くなるだけ。自分の喉の渇きを潤し、空腹を満たすことではなくて、他者の喉の渇きを潤し、空腹を満たしてあげようというそんな視点から考えて、取り組める仕事でないと、仕事から充足感を味わうことは出来ない。

どんな仕事でもそうですが、ましてサービス業、とくにスピな仕事なんてのは、そうですね。

自分という資質が、もっとも世の中や他者から『喜ばれて』役に立つってのが大事なのです。自分を役立てることの出来る分野か否か。適性であり天職としての仕事というものを考えるときには。

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でもって、スピだったりサイキカルな仕事っていうのは、その動機の部分がもっとも大切であって、ここにまずエゴイズムがあってはいけないのね。

自己満足を追求して、自分のお腹ばかり・・・自尊心ばかり満たすことを考える人は、決してやろうなんて思ってはいけない。

また、魂のレベルというよりは霊性になりますが・・・すなわちサイキカル体とノエティカル体がある一定のレベルまで成長してて、なおかつサイコ-ノエティカル体が育ってないと、無理という仕事でもあります(危険と言った方がいいです)。

前回の③の記事でも書いたように、自分のエゴイズムを自覚していない人、
気づこうともしない人はまずダメですよね。

この世に肉体を持っている人は、まだまだ転生の輪(輪廻)を抜け出していない人だから、エゴイズムはもちろん持ってて当然なわけで、(エゴイズムなくなって超越してたら、人として生まれる必要ないから)まあ、完璧な人間はいないという意味で、エゴイズムがあるのは然りなんですよ。けれど、そこを客観的に見れるか否か、が大事。

(エゴイズムがあるからこそ、サイキカルなトレーニングやスピリチュアルな知識やテクニックの習得に関しては独学で取り組むことは危険で、師匠についてグループで学ぶべきというルールがあります。お互いのエゴイズムを監視しあい指摘しあう必要アリなので)

それと、実のところ、『一人でする仕事』ではないんです。
物理的な次元では一人って言えば一人なんですけれど、霊界の人たちとチームでする仕事。三次元の物質世界にいる私たちは、言葉にして説明するだけの存在。五次元と四次元に原因があって、肉眼では知覚できないレベルで起きている現象を、お客さんに説明したり伝えるためだけの通訳的な媒体だから、媒体に徹することが出来る人でないとというのもあるし、(実際やってくれてるのは後ろの人たちなんで。アドバイスの出所もそう)

一緒に仕事をしよう!と向こう側から働きかけをしてくる人、協力してくる人たちががいないと出来ない仕事なんですね。しかも、「やりたい」からさせて頂くのではなく、スカウトされないと出来ないんです(オーディションがあるわけではないですが)。あちら側の世界の人たちがから「あなたとぜひ一緒に仕事をしたい」と思われないことには始まらない。だから、私達が『やりたいでーす!』と手を上げたとしても、中間生で接点(ご縁)があったり、チームを組んでないと難しいのです。このあたり、かなりはしょった説明になりますが。

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そして、今生だけでなく、今この人生でこの仕事をするために、何回もの人生で事前に準備をしてきた人であることも条件の一つ。

だから今の人生で「やりたい」と思っても、やれるようになるには、何回も修行人生を生きないといけない。

でも、いずれにしても、どんな生き方をしても、いずれは皆他者の助けになることをするようにはなるんだから、(霊的成長をすれば)そんなに焦ることでもない。人としての成長を焦っても仕方ない。

人の人生に深く関わったり、影響を及ぼす仕事には責任が伴うし、下手すれば、一歩間違えれば罪深いことをしてしまう可能性もあって、ミスでは済まされず、どの罪よりも重い罪を作り出してしまうポジションな仕事なので。(子供の罪は笑い話で済むけど、大人の罪はそうはいかないのと同じ)

てなわけで、『なりたがる』よりも前に、自分の欲望や人生をコントロールできるようになるほうが先なので、そう思う気持ちがあったら、霊的真理について勉強して、自分のカルマとか、人生を見つめなおして、自分ときちんと向き合って、自分の人生を作っているものが何なのか、ちゃんとした知識を学ぶことから初めて欲しいですね(切実)。

そんな風にとっても用意周到で、気が長い仕事なんですよ。何世紀がかりにもなります。見習い期間も含めて。この世でも勉強、あの世でも勉強、勉強、勉強・・・まるで修行しろ、修行しろ、修行しろ・・・ですがねww

はっきりいって楽じゃないですし、簡単ではありません。とても孤独で困難の多い仕事です。人並な幸せや人生というか、普通の幸福や平穏な日常などとは無縁の、いやさそれらはまず得られない人生を生きることになります。ですから、今生において世俗的な幸福に価値と重きを置いて、それらを欲し、求めている人にはまず無理な仕事です。他人から感謝されたいとか尊敬されたいとか、愛されたい好かれたい、成功したいなんて思っている段階で資格なしということにもなりますし。というわけで、他人には薦められる仕事ではありません。

こちら数年ほど前に書いた旧blogからの抜粋になります。そして「スピリチュアル・ナルシズムとエゴイズム⑤」に続く。

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