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土地のエネルギーとモノに宿るモノ③

さて、当初続きとして書こうと思っていた話のことに関して、何を書こうと思ってたのか忘れてしまったので、別の話からww

先月、京都と奈良に行きました。 (注)15年前に書いたものです

「そうだ、京都に行こう?」

いやさ、当初は奈良だけに行くつもりでした。今回京都はついでです。

私はもともと神社大好き人間で、神社でボッーとしているのが至上の極楽。

神社仏閣の荘厳で凛と張り詰めた空気の中、背筋を伸ばして座って、ただ時間が過ぎていくのを感じるのが好きで。ご神木に抱きつきたくなったり、プリティーな狛犬に萌~♪だったり・・・たまたま祈祷の最中に遭遇したりすると、祝詞が子守唄のように心地よく・・・ひたすらうっとり。

なので、あんまし、ご利益がどうとかこうとか、パワースポットとかはどうでもよし。

正座して背筋を伸ばして、抹茶を頂く・・・というのもいいですね。
でも、すぐにしびれちゃう根性なしだけど。

で、奈良はいいですね。奈良サイコー
初めていきましたけど(修学旅行は北九州だったので)。

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関西出身の友人たち曰く、奈良は田舎で良いトコなしみたいですケド(神戸や大阪、京都出身者からすると、三都の中に奈良を入れてくれるなとっっ)。 

でも、私にとってはサイコー! 空気が昔のまま、なの。ホント、古代の空気が流れてる。手付かずの龍脈の、分断されてない、歪んでない自然のエネルギーがあって、「ああ、気持ちよい、心地よい」

東京だと、丁単位、区画ごとにエネルギー違うけど、(同じ町内でも、道路挟むとまったく磁場が変わっちゃう) 奈良はその単位が広かった。何処までも同じ波長のところが広がって。。。ホント、気持ちよい。
遠い昔、ここで戦があったとか、覇権争いや陰謀があったとは?みたいなまったり空気で。もちろん、気持ちの悪いとこもあるんでしょうが、今回はそういうとこはいかなかったから。

して、京都。京都は30年ぶりの二度目。鞍馬山に関しては、高尾山に似てるなあ~と・・・なんていうか、観光地化しちゃったよなあ…でした。雑多なモノがたくさんというか、俗なものがたくさん集まっていました。自分を見つめなおしに「問い」をもっていくと、感じ方も違うのでしょうけど。

登りから、ぜーぜーはーはーと、息切れで死にまくってた私には、それどころでなし。山登りして身体鍛えに行ったって感じかなあ。ちょうど桜がキレイだったから、まあ、イイヤ。貴船神社にもその時に始めて行きました。

京都の市内は晴明神社しかいけなかったのですが、たぶん、安部晴明が住んでいた頃の配置ではないので(御所とか門とか)、あの場所があそこにある意味がないというか何と言うか、まあアレでした。このあたりは内緒。
つーか、晴明が意図的に「利用」されないように考慮したことなので、こういうのは言っちゃいけないよねぇ、って、ハイ。

なので、場としてはキレイなとこです。
観光名所ってことで、良いのではないでしょうか(笑)

そして、空襲とかで町が焼けてないだけあって、やはり式神(結局、これもエレメンタルだけど)の残骸とか、そういうのは結構残ってましたね。
陰陽道などが栄えた本場だからかな・・・東京とか関東なんかの都市に比べると、魑魅魍魎系、わんさかって感じ?
ただ、必ずしも人間に悪い影響を与えるものではないので、放置していればヨシ・・・ですけど。不良化した神様よりは人畜無害だし。ある意味で、京都が栄えるのは、こいつらのおかげってのもあります。
まあ、座敷わらしも同類ですしね。

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そうそう、京都というと、数年前、京都から、とあるクライアントさんがいらしたんです。見ると、山岸涼子さんのマンガに描かれているような小鬼みたいなのがいるし、それだけでなくて、コロポックルみたいなのも・・・

最初は「なんじゃこりゃ!」by松田優作

聞くとつい最近、北海道から京都に転勤になったとか。

ああ、それでコロポックル。

自然のエネルギーが人の形を取った、ものではありますが。

その方も憑依体質で、北海道ではアイヌ関連のものを、そして京都では、式神くずれのものを拾ってしまい、さらには、沖縄に旅行に行っては、戦死者の方を拾ってきたりなんかして。

そんな風に、いろんな土地にいけばいくほど、ハエ取り紙みたいにいろんなものをくっつけてしまう人って確かにいます。気の毒としかいいようがないです。本人にしてみれば「冗談じゃない」でしょうけど。

でも、なんでそんなモノを拾ってしまうかというと、それはそれでその方の過去生も絡んでいるんで、仕方ないんです。

拾わない人は拾いませんけども。普通は、すぐに離れていくものですし。

別に京都に行ったから、住んでいるから、そういうものをくっつけてしまう・・・ということもないです。住んでいてもいなくても、きっとタイミング、なのでしょうね。つーか、本人の問題ですね。

憑依体質の人はやられやすいってだけ。
憑依体質でないからといって、絶対に大丈夫ということもない。

基本的に憑依体質の人は、何故やられちゃうかっていうと、魂として誕生してから、人生重ねる中でいっぱい創ってきた行動や思考のパターン(これもエレメンタルだけど)、そこに今の自分に実害を与えるようなモノを引き寄せる、同種のモノをたくさん溜め込んでるってことなので、そこを鍛錬し、ネガティブな思考を掃除しないとどうにもならないんです。

つまりは過去生でも今の人生でも、ネガティブなモノいっぱい創ってきてるから、自業自得ぢゃん・・・て、突き放した見方も出来るわけ。

すべては自己責任なので、撒いた種を刈り取らないことには、です。
人間的に成長しないと、というのも勿論。

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さてさて
その土地にはその土地独自の、自然のエネルギーが存在していて(風土とも気候とも)、それによって形成されてきたもの、そこに住む人々が作り出してきたものなど、独特のカラーがあるものです。

たまたま京都という土地には他の土地より式神崩れが多いだけ。東京は東京でまだ独特なものがありますし、これは日本国内でも、海外でも、その土地によって、ですね。国内でも、都道府県単位でも、地域性というのも関係してきますが。

土地のエネルギーというのは、大地が発するものがベースではありますが、そこに加えて代々そこに住んでいた人が排出して、貯めてきたものが、土地に吸収されてカラーが出来上がります。

何十年、何百年、何千年と・・・

ポジティブなものもありますが、ネガティブなエネルギーは、
土壌を汚染するダイオキシンみたいなものと考えてもいいかもです。

そこで起きた事件…大きなものだと戦、戦争とか殺戮(ジェノサイド)とか災害、殺人とか事故等。小さなものだと、そこに住んでる人々が生み出してきた感情のゴミとか、負の連鎖、諍い、集団の伝統や風習などの行動パターンとか。

個人とか家族単位のもの、村や町単位、地域単位のものとか、国単位のもの、土地とか建物とかに日々溜まっていくのです。地域単位以上のものは、「集合体無意識」とも呼ばれたりします。こういうのが、そこに住まう人を染め上げて影響を与えることになる、悪い因習や刷り込み、ナショナリズムを産むカラクリでもありますが。

スピリチュアリズムでは、小さなエレメンタル(想念体)が集まったものなので、グループ・エレメンタルって呼びます。

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さて…
土地や建物に残った「何か」を判りやすい身近な例で言うと、例えば、引越しなんかで、物件を探したときに、別に事故物件でも何でもないのに、日当たりも悪くなくて、リフォームしてキレイな部屋だと言うのに、何か重苦しい、汚れているような気がする・・・ってとこに当たったとします。

霊的な問題や他の原因の可能性は横に置いといて、その場合、前の住人が残した「お荷物」が残っている場合もあるわけです。前の人が、その部屋に住んでて、日々思ったことや考えたことが思念的なゴミとして残っていると言うケース。

大体は掃除とか換気とか、時間の経過でそれらは消えていくけど、数年どころかずっと住んでいた場合は、大量にあって、なかなか消えない場合がある。

引っ越して、そちらに住んで、しばらく自分のカラーにその部屋の空気を染められるまで、落ち着かないことってあるわけですが、そのような理由もあったりします。
前の人の思念ゴミが残っている状態だと、物理的にはキレイでも、物理的には存在していない、見えない次元のゴミが残ってるというのはよくあることで。まあ、住んでて気分の良いものではないです。

例えていうなら、キレイなお姉ちゃんの心地よい残り香ならいいけど、オヤジの加齢臭は気持ち悪いよって、そんなとこ。

思念ゴミも死んだ人も、居残るモノとしては、どっちも同じではありますが。ただ、普通に暮らしていて排出したゴミと事件性のあるものでは後者のほうが重くて弊害もあります。

それが個人でなくて家族単位とか、先祖代々とかになると、その家族、家系全部のものが脈々と残ってたり。これは量も多いですし、他者に与える影響力も強いです。

でもって、昔は家は簡素なもので、平屋とかせいぜい二階立てが多かったので、家そのものというより土地に溜まるもののほうが多かったのですが、最近は建物に溜まるものも多くなってきました。

土地の場合は、土地に自浄作用というか、そういうのがあれば何とかなりますが、建物の場合、自然の力が働くことを期待するのは難しいので、壊して立て直すのが早いような気もします。
でも、壊して、新しい建物を建てても、その新しい建物に出ちゃう場合もあるので、なかなか・・・どうして、なのであります。

そんな感じで、地鎮祭とか、慰霊祭とか、土地を浄化したり場を浄めたり、建物のお祓いとか、昔から伝わるお祭り一つにしても、作法に従ってそのようなことを行うのは大切なことで、これらを行うことにはちゃんと理屈というか、意味があってのことなんですよ。

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さてさて。人はオーラによって、繋がっているので、どうしても住んでいる地域の影響を受けてしまうものです。お国柄とか、地域性によって、気質が違うってのも、理由がちゃんとあります。とある場所や地域に住んでいることにより、共有している情報のメモリースペースがありますので。

一緒に住んでいたり、行動を共にしていることで似てくるのも、引越しして住まいが変わったことで性格が変化したりするのも、日本人が海外旅行なんかに行くことで意識の目覚めを経験するのも、ちゃーんとした理由があったりします。
繁盛していた店や会社が、立替をして新しい建物にしたとたん、傾いたり、「味が変わった」と言われてしまうことの中にも、蓄積したグループ・エレメンタルが関係関与していたりしますし。

で、地域の、その土地のエネルギーは、氏神さんが管理しているというか、
日本の場合は、グループ・エレメンタルとして氏神さんに集まっていたりするので、氏神たる神社さんと合わない場合、その土地や地域住民と「合わない」ってことになってしまいます。
地元商店街とか、町内会の人が育ててきた団体(地域社会)としてのエネルギーは、まるで銀行に口座預けるみたいに、氏神さんが「持って」いるので。

自分がその土地、土地に住む人々と合わないか、合うか、
それを知りたかったら、氏神様にお参りすると判ったりしますね。

住んで居心地の良い土地、居心地の悪い土地、
運気のあがる土地、下がる土地、そういう人と土地の相性もあります。

でも、良い土地って、住んでいる人や一族はなかなか動かないので、はっきりいって、そんな土地に住めるのって、宝くじにあたる以上に難しかったりします。そこまでスゴイ土地に住まなくても、自分に合った土地、場所に住むのがいいわけです。

合わない場所・・・「土地」、「家」に住むのってしんどいことです。
霊的な問題(霊障)が無くても、土地や建物のエネルギーと合わないというだけで、人は消耗しますし、寛げませんから。ですから、自分に合っている場所、土地に住むのって、とても大事なことです。一般的には、水に合う、合わないって言い方しますが。

で、引越しするときとか、方位とか、時期とか、そういうの気にするのは本当にあまり意味が無いです。その方法では、その人に合う土地、家にはまず出合えないものなのです。何故なら、土地とは縁で出合うべきだからです。そこそこ参考にしても、すべてを方位や占いにこだわって決めてしまうと、かえって失敗することになります。

そのようなものより、自身の感性に従った時の方が、良いご縁に導かれて、運気のあがる、素晴らしい土地や家へと導かれることの方が多いです。

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