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"Life is Beautiful" なのか

Life is Beautiful.
映画や楽曲にもよく出てくるフレーズだ。

私はLife が Beautifulであるためには、
日常が雲ひとつない青空でなければBeautifulではないと思っていた。

いつも笑顔でニコニコ笑って、さりげない気遣いもできて、
周りの期待に応えるような仕事をする。
さすがだね、と言われることが嬉しい。

そう「周りに評価されている自分」であることが、
Life is Beautiful.だと思っていたのかもしれない。

だから、必要以上に自分に対して「こうあらねばならない」自分像を求め、
そこに達することのできない自分に対し、
「どうせ私は」というジャッジを下していた。

そんな日々が日常になると、
いつの間にか内省の刃が自分の心を傷付けていく。

そんなことにふと気付かされた。


立ち止まってみると、「期待に応えたい」と思っていた周りの人も、
本当の意味でわたしを窮地から救って、幸せにしてくれる訳ではないし、
究極的にはわたし以外、わたしを幸せにしてくれる人は誰もいない。

なぜなら、何が幸せかを決めるのはわたしだし、
その幸せはわたしの中にしかないから。

Life is Beautiful.だと思っていただけど、
実は、Life is Hard.なのかもしれない。

でも、Life はそもそもHardだと思えば、
意外と日々起きる心の細波もそのまま受け止められるのかもしれない。


話は変わるが、
最近、「だが情熱はある」を熱心にみている。

彼らを見ていて気付かされるのは、「好き」の原動力の強さと、
自分を信じ続けることの難しさだ。

頑張っても頑張っても報われない、虫けらのように扱われて苦しい。

でも、歩みを止めないのは、誰かがあの日自分を「面白い」と認めてくれたから。
もはや自分にはこれしかないから、ここで諦める訳にはいかないんだ。

誰かにある日ふと渡された自分の輝きの原石を信じ続け、
もがき苦しみながらも歩みを止めない。

そんな彼らの姿に心を打たれる。

もしかすると、何かを好きと強く思えること、
自分にはきっとやり遂げられるはずだと自分を信じ切れること、
それが才能なのかもしれないし、これらは才能を超えていくのかもしれない。


だから、わたしもこのnoteを休職中にはじめてみた。

「文章力があるとかはよく分からないけど、月香さんの書く文章って、
 なんか面白くてつい読んじゃうんですよね。」

広報として、日々もがきながら文字をおこす中で、
そんな言葉を掛けてくれた人がいた。

その人の言葉を信じてみたくなった。

そうして書き始めた取り留めもない文章にスキと言ってくださる方がいる。


これがわたしの輝きの原石だったりして。


でも、無理せず、自分のペースで、思うままに。
そんなわたしにお付き合いいただいている皆さんのお陰で、
わたしは幸せを感じています。

次はなにを書こうかな。






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