言葉を企画するということ。
どこか懐かしいような、まったく初めてのような…不思議なドキドキであまり眠れなかった、12月11日の夜。
その数日前も、夢の中で勝手にその日を迎えていて、プレゼンして、うまくいかなくて。
だからこそいざ明日!となったら楽しみな気持ちもありつつ、緊張が止まりませんでした。
そして迎えた、12月12日。
半年間参加した企画講座、「言葉の企画」の最終講義の日。
この日は最終講義の日であり、自分にとっては最終プレゼンでもあった。
先着順に、やりたい企画生だけが自ら手を挙げて参加するプレゼン。
あっという間にその枠は埋まり、途中何回か枠に
空きが出た!と聞いてもやっぱりすぐに
埋まっていて、やりたい気持ちはありながらも半ばあきらめていました。
そんな中で、貴重な枠を譲ってくださった方のおかげで自分の名前を記入できたのは、6番目の枠。
(こんなときにもV6の6だ…!運命!なんて自分にあきれつつ…)
その日から、これまでの集大成としてどんな発表をしようかとぐるぐる考える日々が始まりました。
恩師である阿部広太郎さんからこれまでの講義でいただいた言葉たちや著書の「超言葉術」に書かれた言葉たちが頭をよぎっていく。
課題を課題としてとらえない。
そもそもから考える。
文字で書いたり、口で話したり、
それだけが言葉じゃない。
心に思うことを、相手に伝える手段の
すべてが言葉。
わたしだから企画できる言葉って、なんだろう。
講義開始は12月12日の13時。
9時から会場にいたけれど、直前まで夢中で会場の準備や受付をしていて、今思えばプレゼンへの緊張感と向き合いたくない気持ちもあったのかも…と思う。
13時になって、初めてお会いする阿部さんからの講義に早くも胸を打たれつつ、
やがてみんなのプレゼンが始まった。
1番目の発表から涙なしには見れなかった。
みんなの熱く、ときに涙を流しながらの発表は理屈抜きに心動かされた。
4番目、5番目…
自分の番が迫ってきて、
緊張もピークに達していたけれど
悔いのないよう、思いっきりやろう。
いつもなんだかんだ本番に強いじゃん、大丈夫。
ここぞというときに登場する
別人格の気の強い自分が出てきて
わたしはプレゼンに向かった。
いざ始めようと思ったら…
どうしよう、パワポの操作がうまくいかない。
そんなプチパニックにも動じず
企画生の同期が冷静にパソコン操作を
サポートしてくれて(本当に本当にありがとう)
「それではご覧ください。そして、聴いてください。」
3分間の自分の時間が、始まった。
楽器を構える。
汗で指が滑りそうになりながら
ゆっくりとイントロを、奏で始める。
何度かリハーサルしていた自分とは別人のように、
気持ちを乗せて思い切り弾くことができていて…自分でも驚いた。
あのふわふわとした感覚は、久しぶりだ。
過去を、おいしく、積み重ねる。
バイオリンを続けてきた過去の自分をちゃんと認めてあげること。
小さく大きく攻めていく。
大きな楽器を持っていく恥ずかしさに負けず
演奏というちょっと攻めた形でプレゼンすること。
発表資料に書いたからには、プレゼン自体でそれを示さなきゃ…と思っていたし、それができなければ自分から出てきた本当の言葉ではないと思ったから
行動に移せたのはよかったかな…と自分なりに納得感のある発表だった。
でも、終わった後何人か声をかけてくださった方々の反応に驚いてしまって。
うるうるしながら
号泣してしまった、
と伝えてくださる方々。
その言葉を聞いて、わたしも思わず目が潤む。
ああ、伝わったんだ…
と素直に、嬉しかった。
何より嬉しかったのは、バイオリンという物珍しさだけでなく、音楽と資料の言葉が合わさって
伝わってきた、と言ってくださる方がいたこと。
わたしがやりたかったのは
バイオリンを弾くということで
目立つことじゃなく、
ちゃんと自分から出てきた言葉たちを
伝わるように伝える、ということだったから。
オフラインでも
オンラインでも
受け取ってくださったみなさま
本当にありがとうございました。
「言葉を企画する」ということがなんなのか
自分なりに感じることができた1日でした。
他の方々のプレゼンの話とか、言葉の企画を通して学んだこととか、まだまだまだまだ
書きたいことがあるのでそれはまた次回。
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