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奪われた夢の行き先

小学3年生くらいの頃、将来就きたい職業は婦警さんだった。

当時祖父に、今度学校の授業で将来なりたい職業の発表がある、『婦警さん』と発表しようと思っていると話した。すると、

「警察はいかん、あいつらはただの操り人形だ。検事にしろ。検察官になりたいと言え」

と、数日後には『検察官になるには』という本を与えられて、目指す学部は法学部、と一方的に決められた。

以降それ以外認められなかった。

授業でも検察官になりたいと発表した。自分で発表しながら、これは誰のなりたい職業なんだろう?と考えていた。

祖父は色んなトラブルを抱えていて、法律の専門家が家に欲しかった。お前がこの家の問題を解決するんだ、と言い聞かされた。跡取りとして使えない女子の良い使い道を思いついたんだろう。

私は家のトラブルなんかどうでも良くて、法律にも興味が無かった。婦警さんになりたかったのは、困ってる人を直接助ける人になりたかったからだし、誰かを守れる強い女性に憧れていたからだった。

夢を押し付けられた事で私のなりたい職業は無くなった。先の人生を考えたくなくなった。
祖父だけが周りに「将来は検事にならせようと思ってる。法学部に進ませる」と嬉々として話してまわった。
そんなに法律の道に憧れてるならご自分でどうぞ…
熱くなっていく祖父と対象的に私はどんどん冷めていった。人生が不思議なくらいどうでもよくなった。

祖父がどうかしていようと、まともな両親がいれば祖父の発言なんか気にする事ないだろう、と思う人もいるかもしれない。そんなまともな両親は私にはいなかった。
祖父は実家の絶対的な支配者で、誰も逆らわないし、何度も逆らった私は何度も暴力を振るわれた。
10代の頃、私は男性に全く興味が無く、「結婚は人生の終わり」と思っていたが、祖父が縁談まで勝手にまとめそうな雰囲気だった。

私は実家から早く脱出することにとにかく重点を置き、ほぼその成り行きで外国語分野に進んだ。何学部でも良かったが、法学部は眼中に無かった。
それが決まった後も、祖父は「この大学が終わったら俺は孫を法学部に行かせようと思ってるんだ」と周りに言って回った。
何故それを知っているかと言えば、たまに私が帰省をすると、私の意思などお構いなしに親戚や知り合いの家々を車で連れて回り、オリの中の動物を見せびらかすがごとく車の中の私を指差して大声で話していたからだ。

後日談だが、あるお店でレジをしていた時、黒いスーツの小柄な女性が入ってきた。
「失礼します、私、こういう者なのですが…」
と小声で囁いて彼女は警察手帳をちらっと見せ。
「ある男を追っています。防犯カメラを確認させていただきたいのですが、ご協力お願いできますか?」
ドラマのような台詞を放った。

私がなりたかった職業の人は、やはりカッコ良かった。
小学生の頃の自分にもし今会えたら、婦警さん、カッコ良いよね!なりたいものを目指して良いんだよ!と励ましたい。

祖父自身の話をすると、実は祖父は子供の頃英語がとても得意で、学校の先生が家に来て、この子は外国語が得意だから外国語学校に進ませてほしいと話した事があるらしい。だが祖父は長男で家の跡取りとして育てられており、祖父の両親はこれを断り家業を継がせた。外国語に思い入れがあった祖父ではなく、それが得意でも無ければ大して思い入れもなかった私が外国語に進んだのは、因果というか、業のような物を感じる。

祖父にとって、子供の夢を大人が書き換えること、子どもを大人が利用することは自分もされた、ごく当たり前の事だったのだろう。

夢を奪われた子どもが大人になり、別の子どもの夢を目の色を変えて奪いに行く。かつての自分の夢を取り戻そうとするように。子どもの頃に自分の人生を決める自由を許されなかった人間は多分、その不満が心の奥で燻り続け、自分と同じように不幸な子供を増やして自分を慰めようとするのではないかと思う。

この連鎖を断ち切らなければいけない。

子どもの夢を自分が乗っ取らない、改竄しない、なりたいものを否定しないのは、私が子育てで大切にしたい事の一つだ。

子どもが何に憧れるのか、楽しみに待ちたい。

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