見出し画像

茨城と東京

どうも、WisteriaQです。

怪我するわ、筋肉痛になるわ、と何でか無駄に体にダメージ喰らってるけどこれ何か気の流れが変なんですかね(震え声)((((;゚Д゚))))
受けた傷が良いことに帰ってくることを願うばかりです。
しばらくは油断禁物だな、こりゃ😕

それはそれと。
茨城をより深く知る為には東京の視点も必要だと思います🗼
それはなぜか。
茨城は昔はかつて江戸と深い繋がりがあったから。

江戸・東京を知る

日本の首都・東京。
江戸時代からずっと日本の中心都市として成り立っている。

江戸時代、徳川家が泰平の天下を築いた。
茨城は徳川家の流れを汲んでいる。

徳川家と茨城

茨城は徳川家御三家の一つである。
初代藩主・頼房よりふさは、徳川家康の11男である。

もとは佐竹氏であったが、徳川家が天下を取ってからは頼房を始めとした水戸家の藩主が現代まで歴史を繋いでいる。

また、水戸家は御三家という立場から参勤交代が免除され、江戸定府制(江戸で過ごす)となっている。
水戸黄門でよく言われる「副将軍」はここから由来されていると考えられている。

歴史書と藩校

水戸家で特に印象深いのが徳川光圀公と徳川斉昭公である。

光圀公が編纂を命じた「大日本史」は、かなりのスケールで行われ、明治時代までかかって完成した。

その編纂事業はやがて水戸学という独自思想を作るきっかけとなり、斉昭公の時代にまで影響している。

斉昭公は偕楽園と弘道館を築き、現代の茨城に「一張一弛」の考え方を浸透させた。


このように茨城は、徳川家・江戸と共に歴史を歩んできたことが分かる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?