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「ハレとケ」から見る現代の「日常と非日常」

どうも、WisteriaQです。

日本には古来より「ハレ」と「ケ」の精神文化が根付いている。
おめでたい日を「ハレの日」というので、聞き覚えある方もいるだろう。

SNSが普及した昨今。
「日常」と「非日常」の境界線が分からなくなることがあるだろう。
ネットに慣れなかった時代の私がそれだ(今でも慣れない)
昔の私と同じような状況に陥っている方もきっといるだろう。

当たり前と化した「非日常」

批評するようで申し訳ないが、非日常を当たり前と化した要因は間違いなく「Instagram」だろう。

Instagramは賢い使い方をすれば、新しい発見があるし、新たなアイデアも見つかる。

だが、人間の心の奥底にある「承認欲求」には気を付けたほうが良い。
飲まれてしまうと、コントロールが利かなくなる。

毎日アップされるキラキラした非日常は日常の一部に過ぎない。
日常の一部分を「ハレ」のように見せつけるのは如何なものか、私は疑問に思う。

毎日の非日常の裏側には苦しみ

好きでやる分には文句は無い。
しかし「見栄」を張る為にわざわざキラキラした非日常をアップすることを続けていると、苦しくなるのはアップの主だ。

なぜ、苦しくなってしまうのか?

見栄を張る為にキラキラした自分でいなければならない。
いわゆる、義務感が課せられているようなものだ。
結果的に金銭と心身にダメージを負わせてしまう。
毎日がおめでたいと疲れてしまうのも当然だろう。

理想への憧れ

なぜ、こうした見栄を張ってしまうのか?
心の奥底には「理想の自分」が隠されている。

「認められたい」「凄いって言われたい」
「キラキラしたい」「憧れの人になりたい」

そんな心理が承認欲求という形で現れる。
Instagramだけでなく、SNSではよく見られる光景だ。

私も他人事ではない(汗
以前は、この承認欲求にかなり振り回された経験がある。

SNSから日常について考える

承認欲求に振り回されない為には…。
まずは、自分自身がどのように日常を過ごしたいか、よく考えてみることが大切だと思う。

私は今振り返ってみると、SNSがあっても無くても毎日が満たされていた。
そのことに気付くのにずいぶんと時間が掛かった。
なので今は情報収集だけで充分なくらいだ。
だけど、意外と誘惑が多く、色々なアカウントに興味を持ってしまうのが現状の課題というところか。

承認欲求コントロールには長い時間が要する。
長い時間が掛かっても良い。
長い時間を掛ければ掛けるほど「成長」に変わる。
自分自身を振り返ってみよう。

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