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後からついてくる「意味」と「価値」

利用者さんを支援する上でこんな事を言ってしまうのは無責任なのかも知れないんですけど、何が起きるかの目測を立てずによく用いる方法があります。
「実体験」です。
 
 
僕が関わらせてもらっている利用者さんにはとても多いと思っているんですが、内容は様々なんですが、彼らが抱えている課題や生きづらさの中に「経験不足」というのがめちゃくちゃ多いな、と思うんです。
 
 
正しくは「本来の自然なカタチの」経験不足という表現の方が合っているでしょうか。
 
 
人と人が関わる温かさを感じる経験、心を緩める経験、人間関係を構築し、悩んだり考えたりしながらその関係を育む経験、人を好きになって恋愛をする経験、目を背けていた自分の課題にちゃんと向き合って成長していく経験、などなど。
 
 
持ち合わせている生きづらさゆえなのか、逆に本来積んでおくべき経験を積み上げる事ができなかった事で起きた不適応から生きづらさが生まれるのか、人によって様々ですが、この「経験不足」というのが当事者の生きづらさの要因のひとつになってることは間違いなさそうだな、と感じるんです。(僕の経験的な持論ですが)
 
 
 
ただこの経験を積み上げていくのは、模擬体験でもロールプレイでも多分ダメで、僕ら支援者がお膳立てしたり、見越して介入しながらでは、どこまでもそれは不自然なものにしかならないんです。
 
 
この場合しなきゃいけない「支援」って、予測不能な実体験の中に「やってみな」と送り出す事で、その機会を提供する事です。
そして、彼らがそこで何を考え、何が起きて、その経験をどのように積み上げていくのか。
要は「起きた出来事」に対して初めて必要に応じたフィードバックや相談を受けながらそこで得たものを本人の経験として浸透するようにちょっと手助けをする、ということです。
 
 
それは一見丸投げの放任をしている無責任な様に見えるかも知れませんが、そんなことは全然なくてむしろ予測不可能で何が起きるか分からない中ずっと見守ってそこで起きるものをきちんと本人の経験値として渡していかないといけないわけですから、責任重大でしかありません。
 
 
ただ、それは人を支える上で支援者として絶対に取らなきゃいけないリスクだと思っています。
人生は予定調和な世界じゃないので、社会に出ればたくさんのリスクが転がってます。それを自分なりに経験に変えていく力を持てないと、とてもじゃないけれど「生きづらい」です。
だから、「実体験」という名の支援は外せないものになるんじゃないかと思うんです。
 
 
 
そんな機会に飛び込んでいくときは、「これ!」という明確な狙いを定めていません。むしろ、そこで何が生まれるのか、どんなシナジーが起きるか、ということを期待して、「成り行き任せ」にしています。
そしてその代わり、そこで経験をしている利用者さんの様子は神経を張り巡らせながら見守っています。


ありのままの自分をなかなかさらせずに、どこにも居場所がなかった方が、その環境の中で気持ちを強張らせずに過ごすことができたり、普段は対人コミュニケーションが苦手なはずの方のところに子どもがすっかりなつききっている姿を見ることができたり、見通しがつかないことにしんどさを覚えやすくて、それを消化できずその後しばらく自宅にこもってしまっていた方が、しんどかったなりにその日のうちに自分の気持を整理して言語化することができるようになったり。
 
 
色んなことが巻き起こりますが、僕ら支援者が何でもかんでも先回りして、配慮して安全にコトを進めようとするよりも、その時に起きたことをきちんと振り返ったり、認めたり、整理したりの部分にしっかりと寄り添いながら、体験を「本来の自然なカタチの経験」の積み重ねに一緒にしていくことで当事者の方の変化は必ず生まれています。
 
 
 
よく僕らは専門職として「効果と目的を明確にして」支援やサービスを提供することが必要だと言われたりすることがあります。
内容によってはもちろんそれが必要です。でもそれは僕ら支援者の側の勝手な想定で、実際には何が起きるか誰も分からない中で誰もが生活しています。
 
 
「あの時は上手くいかなかったなぁ」という経験が次の機会に向かう判断素材になったり、逆に体験したからこそ自分の持っている力に気づけたりはおそらく僕ら自身の人生経験の中にもたくさんあると思います。
その時は一見ただの失敗のように思えるかも知れないことが、後になって大きな意味や価値をもつことがあるんです。
 
 
そういうあえて「狙いを持たない」でお渡しする実体験という名の支援は、支援者としてはいつもヒヤヒヤさせられたりはするんですが、きちんとその経験を本人にとって自然なカタチで積み上げられるように下支えすることでその時には見えない大きな価値をご本人に残すことができるので、そういう少し俯瞰した視点を持つことも、僕ら支援者には大事な力なんじゃないか、と感じた話です。
 
 
 
 
余談ですが、このnoteを昨晩一度書き上げたんですが、誤操作?により全く消したしまったんです。
おかげで操作を誤った時にどういう対処をしたらいいのか、という方法を検証して知ることが出来ました。
なので、この経験も僕にとっては後からついてくる意味や価値があるものになりそうです。

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