読みたい日記を、書けばいい。
このところ、『さみしい夜にはペンを持て』を再読した感想を、noteに書いてきた。
これらの記事では、自分が「後で読みたくなる日記」ではなく、「その時の自分が書きたかった日記」ばかりを書いてきたことに気づいた、とお話したのだが。
唐突に、別の本のことも思い出した。
この本についても、今まで何度となくnote記事の中で言及し、感想を述べているのだが。
「第3章 どう書くのか」の中で、例えば職場で「寒い寒い」と訴えてくる男性や、ランチへ一緒に行ったら「ブロッコリーが嫌い」と主張してくる女性について、以下のように評している。
日記も同じではないか、と思った。
ただ感情的に「自分の内面」を語っているだけの日記は、未来の自分にとって読み甲斐のあるものだろうか。
例えば「外に出たら寒かった!」とか「嫌なことがあってムカついた!」とか。
まぁ、書きたければ書けばいいと思うけど。
でもそれ、未来の自分が読み返した時、どう思うだろう?
「そうか大変だったね」という返事しか、できないんじゃないだろうか。
それこそ、「つまらない日記」ではないか。
ならばせめて、未来の自分が困惑しないように、その感情に至るまでの出来事を、丁寧に書くべきではないか。
その「日記を丁寧に書く方法」についてなら、前述の『さみしい夜にはペンを持て』の中で、具体的に語られている。
そして『読みたいことを、書けばいい。』では、日記だけでなく、文章を書くときすべてに共通するであろう心構えの在り方について語られている。
ただ、どちらの本でも一貫して語られているのは、
「書きたいことを書くのではない。
読者としての自分が『読みたい』と思うものを書け」
と、いうこと。
今はひたすら猛省するのみ。
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