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「自分を変えるため」のお片付けをやめたら、楽になった。

 コロナ禍が始まったばかりの頃、突然「この際だから、自分を変えなきゃ!」と思った。
 そして、家の中の不要なものを捨てる作業を始めた。

 とある「お片付け系」界隈で有名な方の著作をKindleで購入し、その本に書いてある手順に従ってせっせとお片付けをしていた。

 でも、なぜか、お片付けをすればするほど、心が辛くなっていった。
 それまでの自分を全否定しているような気持ちになったから。
 あれだって、これだって、手に入れた当時の自分は「やったー!」とか「大事に使うね!」なんて思ってたはずだ。

 今思えば、当時の私はただ「自分を変えたい!変えなきゃ!」という一心で、大したポリシーもなくお片付けをしていた。
 「どんな自分になりたいか」なんてイメージは、一切なかった。
 ただ「今の自分はダメ。コロナ禍のうちに、自分を変えよう」という、かなりふんわりした理由や目的だった。
 そりゃうまくいかないわ。

 「コロナ禍だからお片付けするぞ!」と息巻いていた頃の自分は、振り返ると、全くもって自分軸が無かった。
 大して根拠のない「自分を変えなきゃ!!」という謎の決意をもとに、ひたすら家の中のものを捨てようと躍起になっていた。
 外での生活でも「完璧にしなきゃ!!」と焦って、詳しいことは言いたくないが、いろんな人に迷惑をかけた。
 思い出すたび、心の中が苦い汁でいっぱいになるような、申し訳ない気持ちになる。

 では、今の自分はどうなのか。
 まず「自分を変えなきゃ」と思うことをやめた。
 だって、それって自分を全否定していることだから。
 良い部分だっていっぱいあるだろうし。
 「悪い部分を直さなきゃ!」って躍起になって、良い部分まで消えてしまったら、もったいない。

 とはいえども、その次に何をしたらいいか思いつかないけれど。
 「ありのままの自分の感情を認められるようになれたらいいな」とは思う。

 どうにも、心で感じたことより、頭で考えたことを優先する癖があった。
「この人は嫌いだけど、同じ職場だから仕方なく仲良くするしかない」
「あの会合には行きたくないけれど、欠席したら自分の悪口を言われそうだから参加するしかない」
 これらの例は思い付きで作ったものだけど(でも似たようなことは過去あった)、そんな感じで自分の大事な時間やエネルギーを浪費していた。
 あぁ、これぞ他人軸。

 お片付けとか断捨離とか、するもしないも自分の自由。
 だけど、「ブームだから」とか「やんなきゃいけない気がするから」とか、ふんわりした理由でやってしまうのは危険な気がする。

「今の自分にとって本当に、お片付けや断捨離は必要なんだろうか?」
 そのように一旦、立ち止まって考えてみてから、やるかやらないか決めても遅くはないかと。

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