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「Don't be evil」(ソーシャルワーカーたちよ、邪悪になるな)

現場で、ひとやま超えたね、という人に、
別れ際に、思わず右手を差し出した。

その人は、戸惑ったような顔をして
「おれの手は、汚いからさ」と口にした。

そのまま手を差し出したままでいたら、
伺うような目でこちらをみたあと、服の袖にゴシゴシと手のひらを押し付け、こちらに手を差し出した。

力強くにぎると、思ったよりも強い力で、
ゴツゴツした感触に右手が包まれた。

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この人が口にした、「きたない」は、
物理的な汚さ、ではなかったように、思う。

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人と生活課題を切り分けるとき、短期的な生活課題への対処と、目に見える変化を追い求め、主客逆転していないだろうか。

過去、わたしは、「支援者の主人公化」、「ソーシャルワーカーズ・ハイ」などと自省も込めて、揶揄するような言葉を使ってきた。

他者の舞台で一時的に舞っていたのに、気づいたら、他者の舞台の真ん中で自分がスポットライトを浴びている「支援者の主人公化」

他者の生活課題の複雑困難さを前に、「人」ではなく「問題解決」に支援者としての快感を感じ、気づいたら、他者のハンドルを握っている「ソーシャルワーカーズ・ハイ」

このような状況で現場に立つとき、他者の生活問題の軽減・解決を通して、ズタズタに他者の尊厳を傷つけていることが、ある。

その人が置かれている状況や、支援・被支援という関係性のあいだに生じる「パワー」が、

『あなたのかかわり、介入によって、
わたしの尊厳が、傷つけられている』

という言葉を・メッセージを発することを封ずる。
たしかに、封じて、いる。

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人と生活課題を切り分けるとき、短期的な生活課題への対処と、目に見える変化を追い求め、主客逆転していないだろうか。

ソーシャルワークのすべてのプロセスにおいて、
他者の尊厳を傷つけていないか。

たちどまり、胸に手を当て、
定期的に問うべき問いであるとおもう。

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偶然にも、今日、夜に打ち合わせをした方と「逡巡」という言葉を交わした。

さまざまな困難を有する人のストーリーを、なんらかの目的のために、使うことのできる立場やパワーを有するとき、「なぜ、逡巡するのか」

それは、冒頭の、人が口にした
「おれの手は、汚いからさ」
に通ずることであるように、思う。

わたしは、今書いているこの文章において、
「おれの手は、汚いからさ」という言葉を「借りて」
それをめぐるさまざまな想像を文章を書くことで、
読み手であるひとに、影響を及ぼそうとしている。

対人支援の現場にいる人間たちは、
個別の他者のストーリーを借りて、
エモーショナルに、センセーショナルに
他者に介入するための火を焚く「薪」には事欠かない。

それゆえ、技術を学び、影響力を高めることに心血を注げば、他者のストーリーを、自分がなし得ようとすることのパワーを増大することに用いることができる。

alphabet(Google)には、
「Don't be evil」(邪悪になるな)という社是があったと
いうけれど、

ソーシャルワーカーたちであるじぶんたちも、
「Don't be evil」(邪悪になるな)
と投げかけあうことが、この時代、より、必要であると思う。


支援者のエゴを増大させず、
人の尊厳をズタズタに切り裂くことを避けるためにも。

法人事業や研究に関する資金として大切に活用させていただきます!