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教養を高めるということは、最も高貴な娯楽なのかもしれない。

最も高貴な娯楽とは。

私が尊敬してやまない、レオナルド・ダヴィンチ先輩の名言。

The noblest pleasure is the joy of understanding.
最も高貴な娯楽は、理解する喜びである。

ダヴィンチ先輩は、自分が見たことないものは信じない徹底したリアリストで有名。

見たことがない天使の羽根を描くために「空を飛ぶなら鳥と同じだろう」と鳥を解剖してスケッチしまくったり、人体の美しさをよりリアルに表現するために死体解剖しまくって悪魔だと噂されてもお構いなしで、むしろ解剖学を極めて心臓が4つの部屋に分かれているという医学的な大発見までしちゃったり、戦車や飛行機、橋の設計もしていたんです。

当時は現在のように学問分野が細かく解かれていなかったため、何にでも挑戦し、探求し続けた結果、あらゆる分野を研究したどころが、業績まで残しているダヴィンチ先輩。すべては自分の追求するリアリティと美しさを表現するために。

そんな彼だからこそ到達できる「最も高貴な娯楽は、理解する喜び」という高み。到底およばないけど憧れるんです、その高貴な娯楽に。

「最も高貴な娯楽」、それはつまり『教養』を高めることだと思うから。


学ぶより、高める時代へ。

かつて日本では戦後、空前の「教養ブーム」があったらしい。貧富の差、格差が顕著だった時代に、教養を身につけたのは裕福でお金にも時間にも余裕がある人々。

かと思ったらそうではなく、貧しくて学校で学ぶことができなかった人々が、本を読むことで文学や哲学という教養を身につけ、人格を高めることをしたそうです。

事実、高度成長期に入り、格差が解消され始めると同時に「教養ブーム」は終わったとか。

意外でした。余裕がある人が学ぶものだと思っていたから。

不安な時代、格差から抜け出すために、人々は生活や仕事に直結的な学びやスキル習得ではなく、それらを超えて教養の中に、人格を高めることに未来への価値を見出したということですよね。

「学がなくても教養さえ身に付けて人格があれば何とかなる」という極論とも言える本質に、窮地で行き着いたのです。

そして、ここ数年の状況により、かつてのそれと似た不安と混沌の中で生きる今の時代に、再びの「教養ブーム」が。

でも、過去のブームとは『理由』が異なると思うんです。かつては教育を受けたくても受けられない人たちが『教養』に価値を見出した訳ですが、今はそうじゃない。

学びたければ、いくらでも学べる。時間もお金もそれなりにある。

むしろさまざまな勉強をしてきて、スキルや「やり方」を学んできた人が、今改めて感じているのが『教養の大切さ』なのではないかと思うんです。

これまで当たり前だったことが当たり前ではなくなり、本当に必要なもの、不要なものが淘汰されたことで、

今まであると思っていた「ひとつの正解」が見えなくなったというか実はなかった。「正解はひとつではない」と気づかされたことで、

外側に求めることをしなくなり、淘汰した中で「選んだ人生」を表現すること・楽しむことにした。そんな人が増えている気がします。

スキルや「ひとつの正解」を学ぶのではなく、「自分だけの答え」を創造するために自分自身の内側=価値観(知性と感性)を高める・深めることの重要さを実感し、

人格と心の豊かさを高めることが大切だと、ある意味窮地で本質に行き着いたのではないかと。

『学ぶ』から『高める』フェーズへと移り変わった。

これってつまり、レオナルド・ダ・ビンチ曰く「最も高貴な娯楽は、理解する喜び」なのだと思うんです。


理解する喜び、共有・応用する愉しみ。

私自身、大騒ぎが始まった2020年から、内側を調えることへの興味が高まりました。

家の中を居心地よく、余計なものは捨て、好きなものだけを揃えたり、長年描いてなかった絵を描いたり。

そして、西洋美術史の学び直しを始めました。

もともと大好きだったArtの中でも西洋美術、その歴史をもっと深く理解することで、自分が感じることを知りたくなった。過去を知り、今を感じ、未来を思考したくなったのです。

これがめちゃくちゃ面白くて。自分の好きの理由や解釈の深まりや変化に気づけたり、嫌い・苦手が好きに変わったり、興味関心が以前とは違っていたり。

理解する喜び、高貴な娯楽にどっぷりハマってしまいました。

すると人は、自分の喜びを応用したくなる、他人に共有してもらいたくなる。

ということで私も「共感してくれる人に伝えたい!」という想いが溢れ、親子向け・こども向けの西洋美術史講座を始めた訳です。

ダヴィンチ先輩も、こう言っていました。

Knowing is not enough; we must apply.
知っているだけでは不十分だ。知識は応用しなければならない。



今こそ、Artな教養を。

知るより深く、理解することで喜び
知識より高く、応用することで愉しむ。

この高貴な娯楽を追求して、知性と感性を磨き、本当の豊かさを高めたい。『人として』誇れる自分でありたい。

直接的な利益とか役に立つとか、そんなんじゃないところに価値を感じる人たちと繋がっていたいなぁと思う今日この頃なのです。

私ができること、したいことは、Art(主に西洋美術)を通して教養を高める喜びと愉しみを伝えること。

こども向けのArt講座では、西洋美術をモチーフに

①正解のない世界を楽しむ
②視点の多様性を知る
③自己理解と他者理解

を楽しみながら学んでもらっているのですが、一周回って「これ、オトナも必要じゃない?」と行き着きまして。

オトナの美術倶楽部的なコミュニティを創ろう、と決めました。『高貴な娯楽』に共感してくれる人がいてくれたらいいなぁ。

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