最近の記事

明るい夜へ渡る

北欧に住んでから1ヶ月が経とうとしている。 ふとした瞬間やっと寂しさを感じて、ホームシックか?と思ったけれどただこれは人恋しいだけだと思った。 サウナで地元の人と話したり、シェアフラットに住んでいるから常に他人の気配も感じている。これは日本にいても起こりうる寂しさだ。何がこの感情を掻き立てるのかは不思議で、海外にいるときの方がよく顔を出す。 一人で旅をすると孤独についての解釈が変わる。田舎で迷子になって帰れるか不安になったり、自分だけ群れに属せず透明になったように感じたり

    • Honesty

      とても久しぶりにネットに日記を書く。 何かの起点なのかもしれない、と過去の記事を内省として読むたびに思う。 振り返ると前回の日記は2年前の3月4日で、その1週間後に私は勤めていた会社を辞めてしばらく留学することになった。そこから随分と生活も変わった。 今月初旬までは約1ヶ月タイにいて、人との関わりの中で、精神的に重く突き刺される出来事があったり、また「信じる」とは何なのかを考えたりしていた。 こんな個人のとるに足らない日記を読んでくださっている人に少し聞いてみたいことがあ

      • 電話口に糸がこすれる

        感覚を書き留めたいと思うことがとても久しぶりなので書く。 昔は自分がまだ感覚に頼って喋ったり、それのみに支えられて人と交流ができていた。それを羨むことすらもうできなくなってからしばらく経った。 「自分の感覚」という表現すらもう薄ら寒く、いち表現者然とするほど作ることへの思考もさして深くはなかったくせに「表現する人間」だと思えていた。 仕事を始めると、「感覚」をどう抑え付けて殺すかを学ばされる。 仕事という言葉だけで言ってしまえば広義だけど、日銭を稼ぐための「仕事」という領

        • 親友について - 关于挚友

          私にとっての親友は、人の心の中がいくつか部屋に分かれているとしたら、そのうちのどこかにその友達の部屋がある状態です。部屋は大きくても小さくてもいい。でも常にその人のための部屋です。そしてこれはお互いの心にお互いの部屋がある。一方の心にだけ部屋があるのは、親友ではない気がする。 对我来说,挚友的状态是,如果人的心中分成几个房间,朋友的房间就在其中的某个地方。房间可大可小。但房间总是为那个人准备的。而且,彼此的心里都有彼此的房间。只在一方心里有房间的人,感觉不是挚友。 そして

        明るい夜へ渡る

          HUMAN Extended version VOL.1 冒頭翻訳

          ドキュメンタリー好きの先生が教えてくれたので翻訳練習。 様々なバックグラウンド、国籍を持つ人が自身にとっての愛、女性、労働、飢えについて語っています。映像も美しく、それぞれの「言葉」が声と表情で感じられてとても良いです。 Leonard - USI remember my stepfather would beat me with extension cords and hangers, pieces wood and all kinds of stuff. 僕を殴っていた

          HUMAN Extended version VOL.1 冒頭翻訳

          こんな思想を塗りこんでくる曲ある?

          すでに人の心を惑わしすぎ、語り尽くされすぎ、とは思うのですが自分なりに藤井風さんの楽曲について意味わからん何じゃこりゃと思ったことを記述しておく。 何でこんな深度を持ち普遍的で懐の深い表現ができるんでしょうか? 歌詞から見ればそれは顕著ながら、その音楽性、MVの示す世界、コメンタリーが示す作り手の精神性。生きることへの姿勢。まだその齢で?とは誰でも思うがこの際そこは問題ではなさそうだ。同じ時間を過ごしても受け取る思想や気付きの幅は誰しも同量では決してないのだから。 一番衝

          こんな思想を塗りこんでくる曲ある?

          呪いに浸るな

          不用意に自分を使い果たしたくないという気持ちを書き残してのちの自分のための指針とする。 箸にも棒にもかからなくとも表現したものはのちの自分のためだけに残ってくれる使者だからどうでもいい雑音に惑わされて偽ったものを作らないでください。あらゆることを、他者を、気にして、俗物的なマウントを受けて怯んだり、意味のない比較に心を賭すのはやめた方がいい。あまりにも時間の無駄、それは自分を苛め抜いて悦に浸ってるに近い。(実際自分では抜け出すこともできず息も絶え絶えな訳だが、周囲から見れば

          呪いに浸るな

          綺麗な写真を撮るのが嫌になった話

          最近写真について考え直す機会が増えたので自分の記録として書いてみる。 ざっくりとした流れはこう。 ・好きな人間に影響されミラーレスPenから始める ・絵が描けなくなり、逃げ道として写真に没頭する ・物か風景ばかりで人は撮れない ・恋人と別れ、その人が撮った自分の写真について考えるようになる ・フィルムで撮り始める。Nikon FM2 ・ギャラリーに入り浸り、魂の近い女の子と出会う ・写真にまつわる人々やその子と話すことでポートレートに興味が出る ・その時の恋人に撮られた自分

          綺麗な写真を撮るのが嫌になった話

          西加奈子さんについて

          5年前の自分用のメモが今の自分にすごく響いたので記載。 西加奈子さんについて書いてみます。 西加奈子さんは小説家で、私が唯一長く読み続けている作家さんです。 何がいいのか説明するとすれば、その説明にさえ私自身が的確に、丁寧に、ことばをすくいとって他の人に伝えなきゃと使命感にかられるほど、私にとって大事な文章を書く人です。小難しい伝え方ではなく、やわらかくて気の抜ける、しかし油断したその先にまったく尖った鋭さでものを言い当て、巧妙にことばを絡ませ、物語やその中でのたうち回る

          西加奈子さんについて

          「僕のリヴァ・る」感想

          安西さんの出演作で、さらにストレートみの強い作品が見たくてDVDを購入。実際の舞台は2016年に公演、新国立劇場の円形ステージ。 セットもシンプルかつ役者は4人のみ、テーマは「リヴァル」=「ライバル」。3つの兄弟をテーマにしたトリロジー。 自分には兄二人がいるが、性別・年の差もありあまり彼らをライバルとみなしたことはない。そしてこの演劇の中でも明確な「ライバル」として兄弟を描いているのは1本目の太郎と次郎の話だけに思えた。 一番頷けたのは弟に対して「嫌いではない」と答える

          「僕のリヴァ・る」感想

          2回目で腹落ちしたCOCOON月の翳り感想

          COCOON 月の翳りを観て手放しに最高と言えなかった人の感想 主にアンジェリコについて書いてます (2019/5/23に投稿したfusetterよりサルベージ) ※ディス感想ではなく月の翳りを咀嚼しきれなかった人間が2度目の観劇で腹落ちして最高になった気付きのまとめです。 観劇した人に聞きたいのですが、血に呪われたクランの中で唯一血に呪われていない存在はアンジェリコではなかったですか? それも、単に何も背負っていないのではなく彼は自らの意思で自分の選択したものに呪われて

          2回目で腹落ちしたCOCOON月の翳り感想