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2回目で腹落ちしたCOCOON月の翳り感想

COCOON 月の翳りを観て手放しに最高と言えなかった人の感想 主にアンジェリコについて書いてます (2019/5/23に投稿したfusetterよりサルベージ)

※ディス感想ではなく月の翳りを咀嚼しきれなかった人間が2度目の観劇で腹落ちして最高になった気付きのまとめです。



観劇した人に聞きたいのですが、血に呪われたクランの中で唯一血に呪われていない存在はアンジェリコではなかったですか?
それも、単に何も背負っていないのではなく彼は自らの意思で自分の選択したものに呪われている。そこが素晴らしかった。

まず自分の整理のために、1回目の観劇で手放しに最高と思えなかった理由を考える。
月の翳りは他のシリーズ作品と比べ何が違うのかと考えると、「星を見つけ手を伸ばす」のではなく「星を失い続ける」物語であったということ。そもそもタイトルが「月」で、月は星の死を悲しんでいる。と考えたらなるほどと感心した。星ひとつは最終的にウルとソフィが互いを星と理解して手を伸ばす(届かない)けど、月の翳りは手を伸ばす過程ではなく星をどう失うかを訥々と描いてるんですよね。だから観てて苦しかった。

今までのTRUMPシリーズでは凄惨な悲劇の後に「手の届かない星はそれでも永遠に輝いている」という救い(救いとも言えるか分からない)、月の翳り的に言うと「血の導」が残されていて、だから観劇後も苦しくて幸せだったけど今回はその「血の導」すら何も残らずひたすら失う物語で観た後どうしたら良いかわからなかった。すごく面白かったけどたぶん拾いきれてない部分がある気がして暫く考えてしまった、そこが複雑でCOCOONは今までのシリーズと違う気がした。

失い続ける物語の中に何を見出すかが受け手にとって異なると思う。
実際一緒に観に行った友人は全く別の楽しみ方をしていた。

個人的な結論、私が見出せたのは「アンジェリコが完璧に高潔に狂っていくのための物語」だったということ。その良さがちゃんと受け取れたので2度目の観劇は大満足でした。

それが最も分かり易かったシーン、「お前たちの意思で僕に屈服しろ!!」のところ。
あまりにも気高い、美しい、実は彼にフラの血は流れていないというところが重要だと思う。あのクランで実は誰よりも血の呪いに縛られず己の信念で狂っていったのはアンジェリコだったし、ディエゴのイニシアチブを上書きするように噛んだあとで言った「高貴な血が勝つんだ」みたいな自負は実のところ血でもなんでもなく、明らかにアンジェリコの強い意志による勝利だったと思う。格好良すぎるアンジェリコ。気高く美しくひたすら孤独に狂っていく様が完璧すぎてこのグランギニョルの主演、アンジェリコじゃん…と噛み締めてしまった。

おそらくアンジェリコは誰に言われるでもなく自分が「貴族」でありたくて、むしろゲルハルトが自分にそう言ってくれないからこそ「己の魂が貴族」であることがその存在意義を証明する。そのために必要なのが「ラファエロ」という星だった。
その理由に関しては正直今回の舞台で描き切れてないというか、時間が足りなかったように思う。でもラファエロが星であることは確か。
繭期の彼らにはどうしても血の導になる自分の星が必要で、それだけあれば意外とアンジェリコは健やかに向上していけたのに、変態繭期おじさんドナテルロや分裂症寸前病み子ディエゴの築いた悲劇に巧妙に巻き込まれその星を失う。目の前でラファエロが自分ではなくウルを指差すシーン、大切な信仰対象をズタズタに裂いて血を噴かせるみたいな演出が今回多すぎて(ドナテルロに謝ってくるグスタフ然り)よくこんな仕打ち重ねられるなsemtと思った。

信じていた偶像をぶち壊され、目の前で星を奪われ、それでも自分を保つために憎む対象がこの悲劇をお膳立てしたディエゴではなくウルになった瞬間、鳥肌ものだった。あの瞬間の安西さんの演技も凄まじかった。本当にアンジェリコはあのとき狂ってしまった。

1度目の観劇はこの辺り、物語の凄惨さと演技の凄まじさを浴びることで精一杯で味わい切れなかったんですよね。でも心の余裕ができた2度目、もう戻ることのないアンジェリコの狂気が美しくて気高くて、このために全てのフラストレーションがあったんだと思った。(TRUMPシリーズに幸せを求めてるわけではないけど、ただ失い続ける場面を見るのはやはり辛いので)
この舞台で私が得た星はアンジェリコ様です。


ラスト、アンジェリコとラファエロが殴り合うシーン、ここからはほぼ妄想が入りますが、
ラファエロが最後の一発を躊躇った瞬間きっと「友であるアンジェリコを切り捨て」「自分の星をウルだけにする」ことを決意した瞬間だったんじゃないか。一方逆に、その目を見たアンジェリコは一瞬まだラファエロの中にあった自分への友情に嬉しくなって、嘘だよいかないでくれと縋り付いて、でもそのときにはもう手遅れで報われることはない。自分に決別した目を向けるラファエロの、「アンジェリコではなくウルを選んだその目」が嫌いになってしまったのかな。


唯一血に呪われていない存在であるアンジェリコが貴族としての血を受け継いでいないことは盛大な皮肉だし、望んだものを手に入れられない構図をここにまで適用するのかsemtおじさん、と震えます。
でも血に呪われていないからこそ彼の意志の強さや望んだ星への手の伸ばし方が潔くて、本人が言うように「自分の運命から逃げずに戦ったものだけが居場所を得る」んですよね。その姿が単純に格好良くて美しくて、誰よりも高潔であったと思う。


というか安西さん、あんな役を時系列飛び越えて月・星交互に演じてるのか。あの役の下ろし具合で毎日演じ続けてるの、本人の情緒が心配です。また安西さんの舞台観に行きたい。

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