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【Forget-it-not】第四十三話「忘れもの」

「久しぶり、三人とも。本当によく来たね」

 ……どういう反応をすればいいのかがわからなかった。喜びと戸まどい、胸の締めつけられる想いと晴れやかな気持ち、初めましてと懐かしさが併存し、心が混沌と化していた。

 朔夜はなんてことのない表情だった。瑠璃は目を見開き、おどろきと歓喜をにじませている。その瑠璃の瞳から、流れ星が流れるように、一縷の涙が流れたのをわたしは見逃さなかった。

 わたしの時とはことなる反応に、場ちがいな嫉妬の炎が燃えあがった。

 千夏は瑠璃に歩みより、彼女の頬を美しい指でそっと撫でた。その左手の親指にはわたしと同じ指輪が嵌められていた。

 千夏は一歩下がるとこう言った。

「さあ、入って。積もる話はそれからにしよう」
 彼女は踵をかえす。

 立ちつくすわたしと瑠璃を朔夜が引率する。
 玄関の奥にはおおきな階段が据えられ、途中で二又に別れている。踊り場の中央には、金いろの胴体から四枚の翼を伸ばした彫像があった。瞳は妖しい紫の光を放っていた。

 廊下の左にすすみ、てまえからふたつ目の部屋に入った。中央には長机が配されており、紺青の椅子がやっつと、奥に玉座がひとつ備えられている。千夏は左てまえの二列目にすわり、その横に朔夜、千夏の正面にわたし、わたしのとなりに瑠璃がすわった。

 テーブルクロスと食器類をながめる。千夏が熱い視線を向けてくるのだけれど、目を合わせられない。ちらと瑠璃をうかがうと、同じように縮こまっていた。

 千夏が笑った。

「二人とも人見知りだもんね。いやぁ、まさか美春と瑠璃ちゃんに人見知りされるとは思わなかったな。でも、相変わらずでよかったよ」
「はぁ」
 とわたしはあいまいな返事をする。

「嬉しいなぁ。ほとんど三年ぶりだもんね。すっごく待ちわびてたんだよ?」
「それは、うん、よかったね」
 とわたしは愛想笑いをする。

「そんで? じぶんは結局、感情を失ったん? はよ言うたったら?」
「ああ、そうだった。いや、分かってたんだけどね? 二人の反応が面白いっていうか、すごいドキドキしてる感じだから、ちょっと焦らしてみようかなって」
 千夏は咳払いをする。

「えぇ、わたくし浅倉千夏は感情を~~?」
 千夏がためを作ると、朔夜が舌打ちをした。
「失ってませぇん」
 と千夏は腕でバツ印を作った。

「まあ、そうだろうね」
 わたしは言う。
「あれ? バレてた?」
「どう見ても私より感情表現が豊かだから……」
「そうかな? 瑠璃ちゃんってけっこう豊かだと思うけど」
「はぁ」
 扉が三度ノックされる。

「どうぞ」
 と千夏がしめやかな返事をすると、先ほどの黒と白の髪をした従者の人が台車を押しながら入ってきて、順に料理を配ってゆく。

 緑黄色に赤をちりばめたサラダと、フカヒレのようなものが入った光沢のあるスープ、芳醇な香りただようレアな焼き加減のお肉、ブランパンが並べられ、ワインや紅茶、水やジュースといった種々の飲み物が、各種容器とともに配された。

 従者は廊下に出ると、一礼をして扉を閉めた。

「コース料理みたいなのってさ、いちいち知らない人がきて落ち着かないでしょ? 洋食は取り入れたんだけど、そこは無視したんだ」
「へぇ。まあ、いいんじゃないかな」
「でしょ? それじゃあ、お手々のしわとしわを合わせて?」
 と千夏が満面の笑みで手を合わせるので、わたしたちは素直にしたがう。

「常世の命、そして関係者すべてに感謝を込めて、いただきます」
 と千夏がやけに神妙な口調で言うので、わたしたちは戸まどいを込めながらいただきます、とつづけた。

 千夏が食べはじめたのを見て、わたしもぎこちなく手を動かす。お肉を口に運ぶと、それはあたかも最初から液体であったかのように振るまい、濃厚な甘みのある肉汁が口内になめらかに浸潤していく。こくんと飲みこむと、明日も会える友人と別れるときのような、あっさりとした余韻だけが残り、心のなかにちいさな希望があふれ出すようだった。

「なぁ、じぶん、こんなんやっけ? やっぱなんかおかしなったんちゃう?」
「一応、ここの女王様だからさぁ、ちゃんとしてるフリはしないとでしょ? だから裏の顔っていうのを覚えたのさ」
「はぁん。やっぱり瑠璃ちゃんのほうが向いてたんやろなぁ」
「私?」
「瑠璃ちゃんもかぐや姫候補の一人やったんやで。一人ゆうても候補は二人だけなんやけど。そんでウチが千夏か瑠璃ちゃんのどっちかを選ばなあかんなって、千夏が私を選べってしつこく言うてきたんよね。それから色々あって、こやつは当時落ち込んでた瑠璃ちゃんを励ますために、会ったこともないのにいきなり群馬に行って、瑠璃ちゃんを口説き落としてきたんよ」
「そうなんだ」
「口説いてはないけどね」

 つまりわたしが瑠璃と出会えたのも、すべては千夏のおかげということになる。もしも瑠璃と出会えていなければ、わたしはいまも鬱屈とした日々を送っていたことだろう。やはり姉はわたしを窮地から救ってくれたヒーローで間違いない。

 夢のなかの少女の声が、目の前の千夏の声――そして笑顔と重なった。

 思い出した。わたしは瑠璃だけではなく、姉のことをも愛していたのだ。だからこそ、あれだけあこがれて、夢に視て、待ち焦がれていたのだ。そしてとうとう待ちきれなくなって、季節がいつもそうしているように、わたしは夏に向かって歩き出したのだ。

「あのさ、記憶って返してもらえないの?」
 とわたしは問う。

「もちろん返すよ。でも、ご飯を食べてからね。私に人見知りしてる二人なんて、中々見られないし」
「意地のわるいやっちゃな」
 と朔夜は苦笑する

「別にいいけどさ。はぁ、お姉ちゃんはこの二年間なにしてたの?」
「お? ふふぅん、そうだねぇ。まずは上下水道を通すのにだいぶ時間をかけたかなぁ。先代は大正時代の田舎の人だったから、水道の仕組みとかわかんなかったみたい。私もしらなかったけど、そこはちょこちょこっとね? あとは最新の洋食と洋服の導入――これはここだけの話なんだけど、ジャージは完全にわるふざけ。皆あれがオシャレだって思ってるんだから笑えるよね。いや、私も昔思ってたんだけど。他には女王様としての教養を身につけるだとか、各地を訪問して挨拶をしたり、激励をしたり。で、この都にもさ、金科玉条なるものがあるんだけど、それの改正をするのに、元老院のおじいちゃんおばあちゃんたちを説得して回ってたの。まあ、みんな見た目は若いんだけどね。

 三人も知っての通り、ここの人たちは、かみよごころとやらを守るために生きてるんだけど、私たちはなにもそのためだけに生きているわけじゃないし、人を真に愛するには、悩みや苦しみを知っている必要があって、それをしらないままに生きても、人間本来の心を知ることはできないと思うんだ。
 人間は法の奴隷になるために法を作ったわけじゃない。少なくともここの法律は、先人の想いを守りたいという愛から生まれたものだから、愛の名の下にそれを変えていくのは、何の不都合もないと私は思ったんだ。それに、絶えず変化している世界のなかで、変わらないものを信じ続けるのは、条理に反している気がするでしょ? それで最近になって、やっとこさ美春たちを受け入れていいってなったんだ。なってなくても、どうにかして来てもらったけどね」

 姉はワイングラスをくるくると回し、匂いをかぐと、赤い液体を少量口にふくんだ。

「ふうん、大変だったんだね」
 とわたしはしみじみ言う。

「あ、そういえば小夜ちゃんがお姉の絵を描いてくれたんだよね。またあそびたいって言ってたよ」
 鞄から賞状筒を取り出して姉に渡した。姉はきゅぽんっと蓋をとると、絵を広げてじっくりと見つめる。

「懐かしいなぁ。このぶんだと元気にしてるみたいだね」
 と姉は朔夜を見る。

「まあな。千夏がここきてしばらくはメソメソしとったけど、なんやいつの間にか聞き分けようなって。子どもは大人より強い生き物なんやなぁって関心したで」
「朔夜はいまもメソメソしてるんだね」
「んなわけあるかいな。二秒で折り合いつけたったわ」
「ふぅん」
 にやけ顔の姉はこちらを振りかえる。

「他の皆も元気?」
「うん、おとうさんたちもおばあちゃんたちも、雪乃さんたちも元気だよ。今日ここへ来るときも、おかあさんがはよ帰ってこいって伝えときって言ってた」
 姉は爽やかに笑う。

「そっかそっか。まあ、それはそのうちね。瑠璃ちゃんは最近どう? 大学は行けた?」
「一応帝大に入ったのだけど、あまり合わなかったから、今は美春たちと同じ大学に転入して一緒に通っている」
「楽しい?」
「大学自体は楽しくないけれど、美春たちと話したりするのはとても楽しい」
「あぁ、分かるなぁ。私もちょびっと授業に出てみたりしたんだけど、全然ついていけなくてさ、けっきょく留年したままここに来ちゃって、お母さんにめっちゃ怒られてたんだよね」
「瑠璃はそういうんじゃないから、ねぇ?」
 と瑠璃に言うと、彼女は「そうだね」と笑った。

「ていうか、美春が大学受かれてよかったよ。あの人たち容赦ないんだよね。去年の十一月だっけ、満月の日。あれもごめんね。ダメって言ってたのに、私が寝てるあいだに勝手にやっちゃってさぁ」
 わたしは苦笑する。

「べつにいいよ。湖の向こう側に行くのに地球を一周したようなものだし。普通に行くよりいろいろな経験ができてよかったなぁって、いまなら思えるから」
「どゆこと?」
 と姉が瑠璃に聞く。瑠璃は半目になった。

「……千夏さんが湖の湖畔A点にいるとして、向こう岸のB点に行く最短距離は、湖を真っすぐに通過した距離。けれど最短距離を行くことが必ずしも最適な方法とは言えないし、一番早く着けるとも限らない。何故なら人の泳力は低いから、途中で湖に沈むかもしれないし、蛞蝓のような速度でしか進めないでしょう? それなら多少遠回りになっても、湖の外周を湖畔に沿って進んだ方がいい。それが最も安全で楽な道。美春の場合は、B点に行くのにどうしてか地球を一周した。これは最も効率のわるく、しんどいやり方だけれど、その分、他のやり方より経験はたくさん得られる。その道のりは険しくて苦しかったものの、終わってみれば好い経験ができたとこの子は言っているの」
 と瑠璃はわたしの言いたかったことをすべて言ってくれた。

「ははぁん、そういうことか。さっすが瑠璃ちゃん、生ける百科事典は健在だね」
「え?」
「人を事典呼ばわりすなや」
 と朔夜は苦笑し、わたしもまた苦笑した。

 デザートを食したのちに、記憶を返してもらうべく、エレベーターに乗って地下へ向かった。姉が来るまでは、数百メートルの高さを梯子でのぼりおりしていたらしい。

 エレベーターの扉が開くと、目の前にSF作品に出てくるような宇宙船の操縦室があらわれた。勤め人の服は和装なので、違和感がすごい。

 この人たちはいつから勤めているのだろう? と疑問に思っていると、朔夜が同じことを考えていたのか、従業員のひとりに聞く。

「なぁ、じぶんいつから勤めとんの?」
「ちょうど三百年になります」
「は、三百!? 辛ないん?」
「辛いという感情がありませんから」
 とその人は微笑した。

「はぁ、なるほどな。そうゆうとこはええな」
「朔夜さまも羽衣を着てはいかが?」
「それは遠慮しとく。てか、なんで名前知ってんねん」
 わたしたちは三段の階段をあがり、部屋の最奥にある、画面いっぱいに宝石を映したような、青々と光る硝子の前へ立つ。

 姉が指輪を嵌めた手をわたしに差しだしてくる。顔で同じようにしろとうったえかけてくるので、わたしも指輪を嵌めた手を伸ばす。姉は決め顔で言う。

「さあ瑠璃ちゃん、これを視るんだ!」
「分かった」
 と意図を理解した瑠璃が、両の目でふたつの宝石を視た瞬間、それはまばゆい光を解きはなった。

 こぼしてしまった水がコップのなかにもどるように、記憶の欠片があたまの中にもどってくるのが分かった。そしてそれは、パズルが組みあわさるがごとく組みたてられ、有機的な繋がりを見せはじめた。

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