見出し画像

【Forget-it-not】第三十六話「魔物との邂逅」

 十二月十三日、新月の日の水曜日、私たちは熊野地方へ赴いた。

 私、美春、泉水、榛名、雪乃、摩耶の六人で車に乗り、遊歩道手前の道路で五人が降車する。万一の通報役として摩耶が残った。

 時刻は二十一時。

 森厳な雰囲気を裂く賑やかな声が辺り一帯に響き渡る。雪乃と榛名たちが急速に仲を深めてゆく。

 泉水が先陣を切り、私が最後尾を歩く。魔物とやらが出現した場合、泉水と私が戦う予定だ。泉水は木刀を握り、私と雪乃と榛名は特殊警棒を持ち、美春は左手に携帯を握り締めている。

 私は泉水から格闘術を、記憶の粒子を通して習った。長物は間合いを取るのが難しいがために断念した。素人の猿踊りほど危険なものはないのだ。ここに安倍晴嵐がいれば百人力なのだろうが、彼女は『白雪さんがいれば大丈夫です』と言って来なかった。何故私なのかを問うても、意味深長な微笑を浮かべるばかりで、何も教えてはくれないのだった。

 参道に入った途端、会話は止んだ。皆が明確な空気の違いを感じている。
清澄な闇のなかに混淆した奇し妖しき空気。灯台にいるはずの人の気配は微塵も感じられない。

 美春が口を開く。
「電波は入ってないみたい」
「やっぱそうなるか。じゃあ作戦通り、魔物が出たら私が物理的に戦い、瑠璃が頑張って後光を出す。無理そうだったら美春がダッシュで逃げて、遊歩道に出たタイミングで摩耶さんに連絡する。ゆきのんと榛名はそれを援護。で、美春は連絡が終わったら青い鳥を頑張って出すと」
「がばがばだなぁ」
 榛名があきれ顔で言う。
「あたしは美春姫の生けにえになれて本望だわん」
 雪乃はふざけた顔で招き猫のような姿勢を取る。美春は雪乃に半眼を向け、
「奉られないでくださいね」
 苦笑する。

「ま、人を傷付けるタイプの魔物ではなさそうだし、気楽に行こう」
 勇敢な泉水が歩を進めた。彼女の後ろに美春、その左右に榛名と雪乃、私は美春の背にへばり付く。

 一対の灯篭の狭間の階段を下り、爪先下がりの坂を行く。榛名は左方の石垣をしきりに気にし、美春がそれに釣られて不安げな顔をする。雪乃は先ほどとは異なり静黙せいもくを貫いていた。

 鳥居を潜った刹那、疾風が魔笛を奏でた。背中に悪寒が走る。間髪入れず右方の社から雷の落ちる音がし、瞬間、視界を奪われた。世界が白い。

「皆、動くなよ!」

 泉水の大声に混ざって四足歩行の生物の足音、そして荒々しい息遣いが何重にも迫りくるのが分かった。榛名と美春の蚊の鳴くような悲鳴、泉水の駆け出す音が響く。残光にめしいた目を開け右を見ると、翠がかった視界の先、泉水の木刀にかかずらう赤い閃光が垣間見えた。二匹の胴が二つに割れ、もう二匹が雪乃に迫った。

「雪乃」
 私は雪乃の前に出た。警棒を構え、教示された事を思い出そうと努めるも、ソレ――狼と狐の間のような化け物――はすでに目と鼻の先だった。
 終わった。誰もがそう思ったことだろう。しかし、ソレは私を見たと同時に動きを止めた。平伏すような姿勢になり、尾は悄然と垂れ下がった。
 泉水の切った二匹は切り口から蒼炎を出し、両の胴を糊着させ、社に戻っていった。遅れて眼前の二匹も還った。

「なんだあいつら」
 泉水が木刀を肩に担いで言った。雪乃が私の腰に抱きついて、
「瑠璃ちゃんかっこいい。さすがはあたしの王子様だよぉ」
 体重をかけてくる。私は彼女の手を取り、ゆっくりと半回転して彼女を抱擁した。目の前にいる美春が「はぁ、よかった」ほっと胸を撫でおろし、彼女の腕にからみつく榛名は「びびったねぇ。てか、いずみんなにあのかっちょいい光」不思議そうな顔で泉水を見つめる。

「なんか出てたね。自分でもびっくり」
「るぅりぃも必殺技だしたの?」
「わからない」
「瑠璃ちゃんの美貌にひれ伏したんだよきっと」
 求愛してくる雪乃のshampooの香りを愉しんでいると、美春が雪乃のコートの裾を引っ張り「瑠璃が困ってますよ?」「ぜんぜん困ってないよねぇ?」「化粧が付いちゃいます」「今日はすっぴんぴんだから」遂には雪乃の腰に腕を回して無理やり引き剥がした。

「美春ちゃんってば、嫉妬してるの?」
「そういうわけではないですけど。ていうかさっきわたしを姫とか言ってましたけど、自分がお姫様になってるじゃないですか」
「あたしは略奪婚を狙うメイドだから」

 周囲の空気は弛緩していた。もう問題はなさそうだ。

 私たちは階段を上がって拝殿前の広場に出た。相も変わらず閑散としている。泉水が平屋の戸を引くがやはり微動だにしない。

「流石にぶっ壊すのはヤバイよね」
「それは最終手段かな」
「あ、電波入ってる。摩耶さんに連絡しとくね」
「おねえちゃんがやられてたりして」
 榛名は愉快そうに笑う。

「雪乃、何か思い出せない?」
「思い出したいんだけどねぇ、しぼりきった濡れタオルくらいなんも出ないんだわ」
「そっか」
「あのくじらやまみってなに?」
「奥が展望台になってて海が見えるんだぜ」
「へぇ、面白そうじゃん。行ってみない?」
「まあ、このまま帰るのもアレだしね」
 四人は隘路に入ろうとする。私は雪乃の手を掴んだ。

「どしたの、お手々繋ぎたいのかな?」
 私は彼女の戯言を無視し、小声で話す。
「相談があって」
「なるほど」
「おーい、ふたりとも、行かないの?」
 美春が春の麗らかな陽射しのような声で言う。

「あたしらはもうちょい考えてみるわ」
「分かりました。じゃあ、ゆっくり見てきますね」
 美春は私に微笑むと奥へ行った。

「いい子だねぇ、みはちゃんは。ていうかさ、大切な人ってちなっちゃんのこと? それともやっぱり美春ちゃん?」
「千夏さんも美春もとても大切な人。勿論あなたも」
「おちょちょちょちょ、なんだなんだぁ、ハーレムをつくるつもりかい? あたしはぜんぜんいいけど!」

「ハーレムというか、私は愛すべき人を愛したいだけ。複数人を好くのは不誠実だとか、全てを選ぶことは何も選ばないことと同じだ、みたいな詭弁はどうでもいい。私の人生には何らの関りもないこと。私はあなたが孤独に怯えるのなら、それを癒やしてあげたい。私がいるから大丈夫だと言いたい。ピンチになれば助けてあげたい。それをたくさんの人が言ってくれればもっと安心。そうでしょ?」

「こんな真っすぐ返されるとは思ってなかったから、ちょっとドキドキするね。マジで清々しいほどに誠実で健康的だと思う。さっきもめっちゃかっこよかったし、ほんとに助けてくれてありがと。じつはけっこうビビってたんだよね。でも、年長者としてしっかりしないとなぁって思ってて。いやぁ、マジで感謝感激あめぺろりってね」

 雪乃は髪から美しい記憶の粒子を滴らせる。相変わらずふざけてはいるが、どうやら心からの感謝のようだ。

「当然のことをしたまで」
 彼女は何度も頷きながら石垣にもたれる。私は彼女の隣に並ぶ。闇を駆ける影が私たちに覆い被さり、視界を黒く染める。空には雲がかかっていた。

「それで、相談とはなんだい? なんでも言ってごらんなさいよっと」
「うん」
 私は雪乃に事のあらまし――両親との不和、両親への不満、二人に会おうと思っていること――を語った。

「ははぁ、そりゃ大変だねぇ。それであたしなのか」
 私は神妙に頷き、
「あなただけが頼り」
 と言った。彼女は頭に花を咲かせながら腕を組み、唸った。

「そうだなぁ。じゃあ、まずはあたしのことを話そっか。ちょっと気まずい話になるけど」
 雪乃は大人らしい生真面目な顔になり、訥々とつとつと語った。

「前にも言ったとおり、あたしの両親はずっと仲が悪くてさ、毎晩のように喧嘩をしてたの。喧嘩の原因は父親のギャンブルと酒癖女癖の悪さ。父親はろくに働きもしないくせしてお金を使いこむ性質だった。あたしが小学校に入るまでは働いてたらしいけど、苦労して入った会社が倒産したみたいでね、それからはおかあさんが働いて、あたしがちょっとずつ家事をおぼえてぇって感じ。

 で、あたしが十二歳のときに、父親が肉体的な関係をせまってきたの。そのときのあたしは必死になって抵抗して、気が付いたら父親をボコボコにしちゃってた。火事場の馬鹿力だったのかな。そのあとすぐに泣きながら輝夜さんに相談して、輝夜さんからおかあさんに話をしてくれて。その出来事が原因で両親が離婚することになって、あたしはもちろん母親に引き取られた。でも、父親は多額の借金を抱えてたの、何百万円も。たぶん、催促状をどっかに隠してたんだろね、おかあさんもそんなことになってるとはしらなかったみたい。それが別居するようになって発覚して、なぜか保証人にされていたおかあさんに催促状が来るようになり、借金を肩代わりすることになってしまった。それを返すべくおかあさんは身を粉にして働き、帰りはいつも夜中か、もしくはしばらく帰ってこないときもあったかな。そうすると話す機会が減っちゃうでしょ? あたしらの心の距離はどんどん開いちゃった。いちおう同じ家に住んでるのに、ぜんぜん喋らないし、顔を合わせることもすくなくなっちゃって。思春期のあたしはおかあさんに嫌われてるのかなぁってこわくなって余計に口を聞けなくなったと。

 そんな状態がずっとつづいて、高校は近所の定時制に行かせてもらったんだけど、それからも三年間ほとんど喋らなかったっていうか、そもそも家におらんかったからなぁ。でも、このままじゃダメだなぁとはずっと思ってて。話すにはとにかくおかあさんの仕事の量をどうにかしないといけなかったから、あたしが働いてどうにか仕事の量を減らせたらいいなぁって思ったの。そんで就職活動の努力が実り、無事に内定が決まって足かせを卒業できそうになったから、卒業式のちょっと前に、式典に来てほしいって手紙を置いてみたわけ。そしたらおかあさんはちゃんと来てくれて、卒業式から帰るときの車のなかで、積もりに積もった話をして誤解を解きほぐしたんだ。どうやらおかあさんもあたしに嫌われていると思い込んでたみたい。あたしにかわいそうなことをしてしまったこと、何もしてあげられなかったこと、父親のことに対して負い目を感じてたって。いま思えばそんなことで六年もすれちがってたのっておかしくなるくらいだけど、当時は真剣だったな。真剣であるがゆえにおたがいムスっとした顔で黙り込んでたんだろねぇ。まあでも、正直言うと、おかあさんに対してムカつくことはいっぱいあった。なんならいまでもあるよ。すべてにおいてイイヒトなんていないから当たり前なんだけどさ。思ったのは、いいこともイヤなことも言わなきゃ伝わんないこと。人間って複雑なくせにコミュニケーション法が少ないから。そういうわけでいまは二人仲良くやってまぁす」

 私は雪乃に心を重ねながら聞いていた。状況は違えど話の構造は同じようなものだ。やはりどこかの拍子で勇気を振り絞り、一歩を踏み出さなければならないのだろう。しかしその方法がわからない。私に分かるのは何もわからないということだけだ。

 黙りこくっていると、雪乃が助け舟を出してくれた。

「瑠璃ちゃんはなにがわからないの?」
 凍った雨が大地に降り注ぐ。それは地面に触れると融解し、黒い模様を描いた。黒点は温かい地表に吸収されては消失し、出現しては消えていく。

「両親に会ったとして、どういう風に振る舞えばいいのかがわからない。下手なことをすると、また拒絶されてしまうのではないかと思ってしまう」
 雪乃は暗澹たる空を見上げ、優婉な声で言う。

「正解なんてないと思うなぁ。世の中ってさ、白か黒か、だけじゃないじゃん? こう振る舞え! ってのはないと思う。だからもう、最終的には根性しかないよね。最初っから根性じゃダメだろうけどさ、いっぱい考えたうえでの根性論は意外とこう、上手くいきそうっていうかさ。ぜんぜん参考になんないね」
「そんなことはない」
「それかアレだねぇ、終わったあとのことを考えてみるとか。美味しいご飯を食べるとか、美春ちゃんに甘やかしてもらうとか。もちあたしでもいいけどね?」
「甘える」
「そうそう、そうだよ。ダメだったらみんなで集まって、お酒でも飲んでぱぁっと忘れちゃお。記憶力がいいって言っても、お酒飲んだら飛ぶかもよ?」

「そうかもしれない。でも、三月にならないと飲めない」
「真面目だねぇ、瑠璃ちゃんは。そういうところも素敵だけど。うんと、あたしもさ、瑠璃ちゃんが辛かったら慰めてあげたいし、傷付いて泣いてたら抱きしめてあげたいって思ってるよ。家族はたしかに大切だけど、大切なのは家族だけじゃないんじゃないかな。もしも家族に拒絶されたとしても、キミを必要としてる人はたくさんいるし、キミは一人にはならない。輝夜さんにもそう言われたんだよね?」
「うん」
「あたしはさぁ、瑠璃ちゃんと美春ちゃんと居酒屋でいっしょしたときから人生超楽しいんだ。地元の友達はみんな、こんなところじゃ遊べないって砂かけて出てったし、恋人も作りようがなくてさみしかった。でも、キミたちがたくさんかまってくれて、今日は榛名ちゃんたちとも仲良くなれた。そしたら明日からの人生がもっと輝いて見える。いやほんとそうだよ瑠璃ちゃん、そうやって人をたくさん愛して輪をひろげて、楽しいことも辛いことも分けあって生きるのが人生だよな。瑠璃ちゃんは他人には甘いくせに自分には厳しすぎだってばよ。ずっとぐるぐる自分のなかでああでもないこうでもないって考えてるでしょ」

「……」
 図星だった。雪乃は可憐に笑う。

「自分でもなんとなく分かってるんじゃないのかね? ま、なんにせよ、美春ちゃんにもちゃんと話しなよ。あの子にさみしい顔させてちゃ、ちなっちゃんがプンスカプンだぜ?」
「千夏さんが?」
「なんとなくだけどねぇ、あたしがちなっちゃんの立場だったらそう思うかなって。自分が大切な人をのこしてどっかに消えて、その人たちが辛そうだったら絶対イヤだもん。仲良く笑顔で暮らしてほしいっしょ」
「……そうだね」

 三人の帰ってくる音が聞こえる。榛名が甘い声で寒い寒いと言い、夜空に愚痴を溢していた。

 その日は美春の実家に泊まり、皆で夜を明かした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?