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うつ病を克服するためにやったこと

私は中学生のときに同級生や先輩からいじめられ、また、教師からはパワハラを受けて心を病み、以後何年にもわたり精神疾患――うつ病、強迫性障害、社会不安障害など――に苦しみました。

同級生が高校に進学するなか、自分だけが置いてけぼりになる焦燥感、一生このままなのではないかという不安、誰にも分かってもらえない苦しみに押しつぶされ、ベッドから起きるのも辛い生活が何千日と続いていました。

中学卒業後は精神科に入学し、そこで上記の障害の診断をやんわりと受け(私が行った病院では病名をはっきりとは告げてくれなかったので、自分から聞いて「まあそんな感じだよね」くらいのノリで返されたのです)薬を処方してもらったり、カウンセリングなんかを受けていたこともありましたが、結局そういった場所ではうつ病などが完治することはありませんでした。多少賢くなった今なら「そりゃあ、あんなやりかたじゃ治るわけがないでしょ」と思うのですが、当時は常に頭にモヤがかかったような、鈍痛めいたものがあり、とてもまともに物を考える状況にはなかったのです。おそらくその気持ちはよく分かることでしょう。

今回の記事では過去の私と同じように悩む方々に向けて、私なりの精神疾患の克服の仕方、向き合い方を書いていきたいと思います。


私たちは異常者ではない

世間の精神障害者のイメージといえば、うかつに近付いてはいけない頭のおかしな人、といったものでありましょう。公の場で「うつ病です」と発言すればその場が凍りつき「あ~そうなんだ大変だねぇ」なんて引きつった笑顔で言われる始末。バイトの面接で空白期間について正直に話せば落とされます。表面的には理解してくれている風の人たちも、ちょっと甘えたことを言えば「大変なのはおまえだけじゃない」などと言ってくる。そういった心無いやり取りを繰り返すうちに、私たちは『自分はやっぱりおかしいんだ』と思わされ、苦しみにあえぐ心をより一層苦しめられます。

たしかに私たちは世間の云う普通ではありません。それは認めなければならないでしょう。しかし、狂った社会においては普通ではない人間のほうが正常なのです。異音を発している機械を見て身体が逃げろと訴える。精神障害とはそういう類のものであります。むしろ緊急事態でも平然としている人間のほうが(ある意味では)異常と言えましょう。

私たちは自らの正常に狂った精神を嫌うのではなく、むしろ誇りに思っていくべきではないでしょうか。私は自分の狂気を愛しています。誰の得にもならない謎の文学作品を書き、世間から一切無視されることに、最近は愉悦を感じているくらいです。大切なのは障害そのものを恨むことではなく、障害から生じた苦しみを取り除くことだと私は思います。

精神科医を妄信しないこと

歳端としはしも行かないころの私は、精神科医は人間精神のエキスパートだと思い込み、彼らから処方される薬を大喜びで飲んでいました。それが夕飯の魚を釣る釣り人の撒き餌だとは知らずに。私はある日、よくよく考えればおかしな話だと思いました。何年も精神科に通い、医師の指示に従っているのに、病の治る気配が全くもって感じられない。それは何故だろう? 私が精神障害を乗り越えられた第一歩は、〝精神科医が自分より病気について知っている〟という思い込みを捨てたところにあります。

典型的な精神科の診療過程はこのようなものです(少なくとも、私が回った病院では全てこのような過程を経ました)。まず、診察室に入ると精神科医主導の問診とやらが行われ、その際にどんな症状が出ているかの説明を求められます。私たちはつたないながらもどうにか症状を伝え、医師が患者には決して見せない診察表に何事かを書きこみ、それから薬事典かなにかを開いて「じゃあ、こういう薬を処方しときますね」と微妙に上から目線で言われます。そして血圧を測って今度はいつにしますかと問われ、気が付けば薬局にいる。二回目以降はここに謎の雑談が一・二分加わります。

この診察法は全く合理的ではない、と私は思います。何故ならそもそも患者は自分に起きている苦しみを正確に表現することができないですからね。病状を過小評価してしまったり、ついつい誤魔化してしまったり、あるいは過大評価することもあるでしょう。不正確な情報に基づいた診察は大概において誤診になります。薬の種類や容量を間違えて、患者に余計な負担をかけることに繋がる、ということを心無い医師は理解していません。

もしも私が医師ならこのような手法を国に推奨します。まず電話予約に加えてネット予約を追加し、その際に文章で患者のバックグランドと症状を書いてもらう。診察室に来てもらったら事前のデータを基に患者の話を聞き出し、まずは依存性がなく、飲み続けなくとも効果の見込める薬を、きちんと効果や副作用、離脱症状について説明してから処方します。そして今度来てもらう時までに簡単な日記を書いてもらい、より症状に合致した薬へ移行できるよう配慮するでしょう。(もちろん、ケースバイケースではありますが)

現代精神医学の何がダメなのかというと、医師が主体となって診断をしているところにあります。精神病は患者の心身のなかで起こっていることなので、本来ならば患者を治療の主体におかなければなりません。コミュニケーション能力にとぼしい患者にあれこれ質問を重ね、アドリブで話させることを患者主体とは言わないのであります。

また、精神科の限界は〝患者個人を類型化しなければならない〟ところにあります。それはもう労力的に仕方のないことでありますが、心の病気は千差万別、一人一人異なる質感を持っているのです。それを「うつ病」だとか「パニック障害」だと型に当てはめても、ほんの少し型から外れていればどうにもなりません。

そんなわけで私たち哀れな患者は、医師に頼り切るのではなく、自らの意思によって持病を克服する必要があるのです。

薬との付き合いかた

大抵の精神病患者は薬を日常的に飲んでいることでしょう。けれども薬は症状を緩和させるために飲むのであって、治すために飲んでいるのではありません。個人的には薬を長く飲めば飲むほど寛解かんかいからは遠ざかり、地獄の沼に引っ張られるように思います。なにせ薬を毎日飲んでいれば、身体に耐性ができて効きがわるくなってきます。すると患者は『ぜんぜん効かなくなった』と不安になって薬を増量したくなる、もしくは医師に別な薬を勧められ、勧められるままに種類を増やしてしまうでしょう。しかしどれだけ薬を増やしても、結局はその場しのぎにかならず、いつまでも症状を誤魔化し続ける人生になってしまいます。

そこから抜け出すには薬の日常的な服用をやめ、本当に辛いとき、なにかの発表や挑戦の場以外では飲まないようにすることです(それが難しいんですが)。薬をやめれば自分の症状が正確に把握でき、そこからどうすればいいかを考えることが可能になります。飲み続ければいつまでも現状の把握が叶わず、どれだけ月日が経っても精神病であるコンプレックスや薬を飲んでいる後ろめたさに落ち込む他はないでしょう。

どうすれば薬をやめられるか

では、具体的にどうすればやめられるか。薬をやめる際に問題になるのは、症状の再発よりも離脱症状で生じた不眠や吐き気、シャンビリ感によるものが大きいです。私は薬を処方される折に医師から離脱症状に関する説明を一切受けず、副作用もあたかも大したこのないものとして聞かされました。結果「ぜんぜん大丈夫なんだ~」と呑気に考え、最初は抗不安薬だけだったのが、いつの間にやらSSRIが加わり、いざやめるとなると耐え難い苦しみに襲われ、何度も断薬を断念せざるを得ない状況に陥りました。通っていた支援センターにも通えなくなり、辛うじて交流していた友人とも連絡を取れなくなるくらいに落ち込み、苦しみを一身に引き受ける他はなくなったのです。私の場合は異常に強い反骨精神があったので諦めなかったのですが、大抵の人はそうはいかないでしょう。

ここからは私が試したなかで効果のあった方法を共有していきたいと思います。

メラトニンを服用する

最近はずいぶんと有名になってきたサプリメントですが、知らない方もまだ多いのではないでしょうか。メラトニンは寝る前に飲めば三十分ほどで眠気がやってくるアイテムです。依存性はなく、五年以内の期間であれば、身体への負の影響も少ないとされています。注意が必要なのは、ルボックスと一緒に服用すると、過度の眠気による望ましくない結果が生じる可能性が示唆されているので(他にも薬によっては飲み合わせが悪い可能性があります)、そういった方々は一度医師に相談するか(医師はこういうときに活用しましょう)、自分なりに調べてから判断するのが良いでしょう。

私はまさにルボックスを飲みつつメラトニンを摂取していたのですが、負の影響は特にありませんでした。私の場合は「睡眠不足によって生じる弊害」と「ルボックスとの併用によって生じる弊害」のどちらがより深刻かを比較し、結果、睡眠不足のほうが良くないとの判断を下しました。睡眠不足はありとあらゆる研究で心身に負の影響を与えることが示唆されていますし、不眠が何よりも辛いというのもあってそういった決断をしたのです。

メラトニンには即効性のあり、入眠のサポートに特化しているものと、タイムリリース型という数時間じわじわと効果をもたらしてくれるものがあります。私は入眠に一時間半かかるうえに中途覚醒も毎日のように起きていたのでこちらの【https://00m.in/ETRAD】タイムリリース型を飲み、入眠は生活習慣によって補っていました。

まずは少ない容量から様子を見て、飲んでも効果を感じにくいときに容量を増やしていくとよいでしょう。私はAmazonで購入したピルカッターで二等分にしたりして量を調整していました。

生活習慣に関しては寝る90分前に40度のお湯に浸かり、ブルーライトカットメガネを装着しています(科学的には効果はあまりないようですが、夜にブルーライトを浴びないというのは自然の理に適っているので一応かけています。個人的には効果があるような気もします。リンクは最後に貼っておきます)。ストレッチや読書、交感神経を刺激しないゆるめの動画を見たりするのがオススメです。

軽い運動をする

うつ病をはじめとした精神疾患を患っている方は、運動習慣のない人がほとんどだと思います。私の知り合いでも運動をすることを特別な儀式かなにかだと思っている人がたくさんいました。実際、気持ちが沈んでいるときは運動なんてやっていられませんが、うつ病であっても365日24時間動けない、なんてことはないですから、できる時に可能な範囲で運動することをオススメします。私は誰もいない夜に十五分ばかし音楽を聴きながら散歩をしていて、余裕のある日は簡単な自重トレーニングやストレッチもやっていました。これらの習慣はうつ病を克服した現在では週に六日のペースでやっていて、これによって疲れを感じにくい身体に変化した実感があります。運動がメンタルヘルスに良いことは種々の研究によって示唆されていますし、ぼちぼちとやっていきましょう。

食生活を変える

精神障害者に限らず、現代日本人の大半は食生活が終わっています。毎食のように揚げ物や砂糖を摂取し、肉や魚はあまり食べない、といった具合に。私も以前は昼に菓子パンを食べて夜にコロッケやらスパゲッティを食べるような毎日でしたが、あの当時は今より若いにも関わらず、身体がずっと重かったように記憶しています。それが肉と魚、乳製品や果物を多く摂るようになってからはすこぶる快調です。

簡単に言えば、人間の身体の多くはタンパク質によって作られているので、タンパク質不足になれば身体の調子がおかしくなり、それが心にまで波及してくるのです。炭水化物は貴重なエネルギー源として体内に保存されますが、一定量を超えると中性脂肪に変化し、お腹や二の腕に体脂肪として貯蔵されます。肥満は身体の炎症や生活習慣病と密接な繋がりがありますから、その状態を作る食べ物を多量に摂取するのがあまり良くないことである、というのは想像にかたくないですよね。

揚げ物やお菓子、カップ麺を一切摂るなとは言いませんし、むしろたまのご褒美として食べるのはストレスの緩和に繋がっていいことなのですが、毎食のように摂るのは身体に毒なので、少しずつ肉や魚、果物といった食材に切り替えましょう。

親御さんたちに支援してもらっている人なら、魚とかは高いからダメだと言われるかもしれません。そのときはこのまま一生精神障害者のままでいいと思ってるの? と圧をかけましょう。また、長い目で見ればずっと病院に通って薬を貰い続けたり、仕事ができない状況が続くほうがマイナスです。食生活の改善は他の習慣を遥かに凌駕するリターンが返ってくるので、是非とも粘り強く交渉することを強く勧めます。

生きる希望を見つける

人間は自分のために頑張れるほど強い生き物ではありません。何かを頑張るには誰かのため、何かのためを想わねばやっていられないんですよね。たとえば典型的な父親なら「家族に腹いっぱい食べさせるために頑張る」兵士なら「祖国の家族を守るために頑張る」といった具合でしょう。精神疾患を克服するにも、克服した先に希望がなければ頑張ることは難しいです。

私の場合、精神障害第一期は好きなアニメキャラに見合う人間になりたい! みたいな理由で頑張っていました。第二期は身内の急逝によって引き起こされ、PTSDや統合失調症に似た症状も出て本当に本当に辛かったのですが、身内の夢を代わりに叶えてやるんだ! という強い目的意識が生じてからは、自分でも驚くほどに頑張れるようになったんですよね。

今ではそこそこ普通に社会生活を営みながら、小説を毎日3000文字書きつつ、筋力トレーニングや家事、お絵描き、そしてnoteの更新までできるようになりました。挫折を何度も繰り返しながらも諦めずに進み続けられるのは〝亡くなった家族のため〟にやっているからだと私は確信しています。もしも自分のためだけにやっていれば、こんなに頑張ることはできなかったでしょう。

完治は目指さない

上述の通り、精神障害を患うのはおかしな社会においては普通のことです。私たちの感性は至って正常で健全だということを忘れないようにしましょう。大切なのは、自分が治したいと思う症状を軽減させることであって、完治させることではありません。完治を目指してしまうといつまでも『自分は他の人と違うんだ……』という孤独感に苛まれます。精神障害は個性と捉えるにはあまりに過酷でありますが、少なくとも私は創作を行う力の一つとして自身の障害を好意的に捉えています。

私もうつ病以外の疾患――強迫性障害、トゥレット症候群など――は治っていませんし、治す必要もないと考えています。あらゆる物事には悪い面があれば必ず良い面があります。私は数々の苦しみを経験したことによって、普通の人よりかは物を考える力がつきましたし、多少は優しくなれたとも思っています。そういった経験が無ければ見知らぬ誰かを傷付けることで愉悦を感じる人間になっていたかもしれない。そう思えば精神障害者としての経験すらをも愛することができる。現代日本社会は程々のクズが一番得をする社会なので、私たちのようなか弱き子羊は生き辛いんですよね。

社会復帰も別に接客や電話対応の必要なものでなくていいのです。知らないだけで世の中には多様な仕事があり、仕事の内容によって求められる性質も異なります。ブルーカラーは負け組だなんて思う必要もありません。人生の勝者が云々はお金や名誉では決まりませんからね。どれだけお金を稼いでも、中身のないものにすごそうなラベルを貼り付けたり、他人を騙していては幸福になどなれるはずもありません。

人間を真に幸福にし、心を救うのは誰かのために何かをすることだと私は思っています。その対象はまずは自分、余裕が出てきたら家族や友人といった周りのために尽くすこと。きっとそれがたった一つの幸福に至る道なのだと私は信じています。



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