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【Forget-it-not】第四十四話「真実の愛」

 わたしはちいさいころからお姉ちゃんっ子な人間で、幼稚園のときは姉といっしょにいたいがために幼稚園を抜けだし、小学校に忍びこむような子どもだった。姉はわたしがどんなことをしても怒らずに、どうしてそうしたのかを粘りづよく聞いてくれた。わたしはそんな姉を心から尊敬し、敬愛していたのだった。

 六歳のときに、姉がかよっている神社に魔物が出る云々という噂があると聞いたものだから、心配になったわたしは姉にくっつき虫のようにくっついて神社に行った。そこにはいまと変わらぬすがたの輝夜と朔夜、おさない雪乃さんがいて、雪乃さんはわたしを健全にかわいがってくれたし、朔夜は不器用ながらも気を遣ってくれたのだが、輝夜はわたしを抱きあげて頬ずりをしてきたり、心を読んできた。この変質者は危ないと思ったわたしは、輝夜に苦手意識を感じたのだけれど、そのあと餌づけによってまんまと手なずけられ、一応は輝夜を信用し、帰るころにはこの人たちといっしょなら大丈夫だと判断した。以降は輝夜に対して残った苦手意識と引っこみ思案も相まって、十八になるまでふたたび神社を訪れることはなかった。

 小学校一年生の運動会の日に、短距離走で無双する姉を見て、わたしも姉のようになりたいと願い、密かに走る練習をしていた。二年生になって、努力の成果を姉に見せようと頑ばったのだけれど、結果は例のとおり最下位、けれども、わたしの心は晴れやかだった。人目を気にせず真っさきに助けてくれるわたしのヒーロー。明るくて恰好よくて優しいお姉ちゃん。わたしは姉をますます好きになり、誇りに思い、浅倉千夏のようになりたいと強く願うようになったのだ。

 それからのわたしは、先生に怒られて落ちこむ生徒に声をかけ、その子たちの不平不満や愚痴文句を聞いてまわり、必要があれば手をかした。そこから徐々に輪を広げ、数か月もするうちに、クラスの輪の中心に位置するようになったのだけれど、それには非常な努力と忍耐を要した。

 いっぽうの姉は自然体のままに人々の中心に位置し、中学にあがると陸上部で目ざましい活躍をして、一躍地域の注目の的になった。わたしはそれを誇らしいと思う反面、劣等感をもいだいていた。そしてわたしが六年生のときの三学期に、姉が陸上をやめる旨を両親に話しているのを聞いた。彼女はすでに、女子陸上の数種目の日本記録を大幅に更新し、世界記録にせまろうとしていた。それも真面目に練習している風ではなく、休日に友人とあそぶような心もちでやっているだけだった。わたしは打ちひしがれた。いま思えば、小夜ちゃんの産まれるタイミングと重なっているから、朔夜さんの助けになるためにそうしたのだと理解できるが、当時のわたしは、才能を簡単に捨てさる姉に怒りを覚えていた。自分はなにもかもを頑ばらなければできないのに、姉は頑ばらずともできて、しかもそれを無下にしている。その事実に腹が立ったのだ。

 二年と数か月が経つと、姉は瑠璃に頻繁に会いにいくようになった。帰ってくるたびごとに、瑠璃がいかに美しく、聡く、いい子であるかを熱弁し、自慢げにツーショットの写真を見せびらかしてきた。わたしはそのデリカシーのなさにむかついた。当時は意識的に姉を避けていたものの、良くもわるくも厚かましい姉はそれを意に介さず、わたしの部屋に押しかけては近況を嬉しそうに語った。

 さらに二年経った高校二年生の初夏に、姉が瑠璃を連れてきたのがわたしと瑠璃の初対面だった。わたしたちは同い年であること、なにやらおたがいに生きづらさを感じていそう、という共通点からすぐに意気投合し、連絡先を交換して、頻繁に連絡をとるようになった。やがて瑠璃の記憶力と過去視の苦悩を知ったわたしは、瑠璃を助けるために、帝東大学を目指して勉学にはげみ、わからないところはビデオ通話をして瑠璃に教えてもらうようになる。

 三年生の夏休みになると、瑠璃が頻繁に熊野におとずれるようになったので、彼女と折々会って、勉強をするようになった。あるとき、勉強の休憩の合間に、瑠璃はわたしに悩みがないかと聞いてきた。きっと赤い記憶の粒子が出ていたのだろう。

 わたしは学校での苦しみやプレッシャー、姉に対する色々の想いを瑠璃に話した。彼女はわたしの話を真剣に聞いてくれて、苦痛や嫉妬などの負の感情をふくめた、ありのままの、わたしのすべてを受け入れてくれた。嫌われるのが怖いと言うわたしに瑠璃は『どんなことがあっても、何があっても、私はあなたを嫌いにはならない。あなたを見捨てるようなことはしない。私はあなたを愛しているから。だから安心してほしい』瑠璃は机に伏せて泣くわたしを強く抱きしめてくれた。そうしてわたしは瑠璃を好きになったのだ。

 むかえた青月の日の夕方、学校から帰宅したわたしは自室に入り、机に鞄を置いた。机のうえには三通の手紙が置かれていて、それぞれの表紙には、母と父とわたしの名前が書かれていた。わたしはいぶかしみながらも手紙を読んだ。そこには姉からの感謝や離別ともとれる文言が書かれてあった。そのなかの一文は、いまでもありありと思い出せる。

『美春のような優しくて立派でかわいい妹を持てたことを誇りに思います』

 手紙を読みおえたわたしは急いで神社に駆けこみ、宝石を嵌めた手で玄関戸を開くと、待ってましたとばかりに仁王立ちしている小夜ちゃんとともに、海岸線に向かった。

 別れに際したわたしは、姉に思いの丈をぶつけた。あなたの思うような妹ではないと言うと、姉はすべてを知ったうえでそう書いたと言い、わたしを強く抱きしめた。

『美春は自分の弱さと向き合える強さを持っていると思う。私はそういう一生懸命に生きているところが大好きなんだ。自分では偽りの自分だと思ってるかもしれない、嫉妬をするなんてイヤなやつだと思ってるかもしれない。でもね、美春はなにも間違ってはいないよ。それが人間なんだから。私のすべてを忘れてしまっても、それだけは忘れないで』

 あの日あのときあの場所で、わたしは真実の愛を知ったのだ。すべてを忘れて、空っぽな日常にもどったあとも、自分を投げだすことはなかった。悩みつづけることを選んだ。それはきっと、姉からもらった言葉が、瑠璃からもらった感情が、記憶が消えてもなお生きつづけていたからだろう。

 姉はいま目の前にいる。あのときと変わらない眼差しで。
 大粒の涙をたくわえながら、わたしはこう言った。

「おねえちゃん、やっと会えた」
 姉に抱きつく。そのやわらかさ、その温もり、その優しさは、むかしもいまも、なにも変わってはいなかった。
「うん、会えたね。私の言ったとおりだったでしょ?」
「そうだね」
 姉はわたしの背中をさする。
「ほら、瑠璃ちゃんもおいで」
「……うん」
 瑠璃はわたしごと姉を抱きしめた。

「千夏さんの言う通り、さりげない日常の積み重ねの先に良い未来があった。人は何度踏み躙られても、街に埋もれても、もう一度咲き誇ることができるんだね」
 瑠璃はわたしのあたまを撫でる。

「そうだよ。だから私は足掻くんだ。夢があれば、愛があれば、きっといつの日か、皆が幸せになれる未来は来る。瑠璃ちゃんも美春も、本当によく頑張ったね」
 姉はわたしたちの髪を撫でると片腕を広げて、
「おいで」
 やさしく微笑む朔夜に言う。

「そうゆう柄やないんやけど、まあええか」
 朔夜はわたしと瑠璃のあたまをわしわしと撫で、それから抱きついてきて、
「二人ともよう頑張ったな。大げさかもしらんけど、二人はウチの宝物やで」
 と言ったのだった。

 涙は止まらないのに、心はどこまでも晴れやかだった。わたしたちのあいだには温かく、潤いに満ちた風が吹いていた。

 姉はみんなをまとめて抱きしめるとこう言った。

「私を見つけてくれてありがとう」

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