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【Forget-it-not】第一話「冷たい風の吹く街で」

【あらすじ】

現代社会の生き辛さに悩む女子大生・浅倉美春は、社会の望む理想の〝わたし〟を体現すべく、日々膨大な時間を割いている。
『わたしっていつからこうなんだろう。見返りなんてなにもないのに、どうしてこんなこと……』
悩める彼女のもとに、ある日、青い瞳の女性・白雪瑠璃が現れる。
瑠璃は言う「私はあなたのお姉さんを探している」
『え? わたし、ひとりっ子なのに……』困惑する彼女であったが、「あなたのお姉さんはどういうわけか、肉体的にも、私たちの記憶からも消えてしまった」瑠璃の言葉に引っかかりを覚え、彼女とともに姉を探すことに。

やがて美春たちは思いもよらぬ世界に辿り着く。

【本文】

 人を愛したい、夢を叶えたい、幸せになりたい、だれもがそれを望んでいる。なのにどうして人々は争い、いさかい、戦うのだろう。それはきっと、人を憎むこと、夢を諦めること、不幸せになるのが簡単だから。

 わたしたちの望むものは、綺麗事でしかないのだろうか。現実とはそれほど醜いものなのだろうか。その答えを教えてくれる人はどこにもいない。説教壇に立つ高慢な教師も、身に余る袈裟けさ を着た偉大な法師も、知を愛しているはずなのに、どうしてか知に愛されない者たちでさえも、答えをしらないからだ。

 人はどこへ向かえばいいのだろう。なにを信じればいいのだろうか。なにもわからないのに、それでも明日はやってきて、わたしたちは訳もわからず街をふらつく。そうしているうちに、やがてわたしたちは狂っていく。

 わたしは時々こう思う。人間なんて、しょせんは毛の薄い、二本足で立つ、握力の弱い大型のお猿さんでしかないのではないかと。もしもそれが本当ならば、毎日その日食べる分の餌をとって、何匹かの子どもを作ってそだてて、そこらへんの森か原っぱで、死を死とも知らずに待てばいいだけだ。

 なんていい生きかたなのだろう。少なくともいまよりは、ずっといい暮らしが送れるにちがいない。

 けれども、現にわたしたちはそうではない。孤独にあえぎ、なにかを待ちのぞみ、いまのままではダメだと心が告げている。そう思う気持ちが苦しくて仕方がない。自分であることが辛いだなんて、生まれるときのわたしはつゆほども考えなかったことだろう。

 街の冷たさにあおられ、疲れはてたわたしは眠りを求める。暗い空き箱の中で独りぼっちの夜を過ごす。そして目を閉じ、まどろみが訪れると、また同じ夢を視るのだ。

 夢のなかでのわたしは、どこかの街の路地裏で壁にもたれて泣いている。笑顔でぬり固められた仮面をかぶり、心を奪われないように、身を丸めて耐えしのぶ。赤いネオンライト、渇いたクラクション。惨たらしい平和に焼かれた人々が画面を見ながら歩いている。街に埋もれた名も無き花が踏みにじられ、美しい花びらを散らす。すると冷たい風が吹きすさび、二片の花びらがわたしの前を通りすぎるのだ。

 なつかしい花の香り。わたしはそれを夢視鳥ちょう のように追いかける。壁づたいに歩いていくと、青い非常灯の扉が見えてくる。どうやら花はこの中へ消えたらしい。不思議な円盤のついた取っ手をひねり、奥へ押すと、涼やかな波音が耳を撫でる。前は見えない。

 仮面がじゃまだ――そう思うと同時に、温かい風が吹きぬけ、仮面を飛ばし、そして涙をぬぐってくれる。

 わたしは砂の鳴る海浜を歩む。海には光の粒子の花畑が見える。青く輝く美しい花弁。そこへ水のように燃えさかる鳥がやってきて、空と海を分かつ水平線のように真っすぐと翔け、やがて空へと飛びたってゆく。蒼い空には美しい碧眼に似た満月がたたずみ、わたしをじっと見つめている。どうやらそれが光の粒子をふらせているようだ。

 気がついたときには、わたしはだれかに抱かれている。やわらかく、温かい感触がわたしを包みこむ。一眼の青い天使、双眸 そうぼうの青い妖精――ほかにもたくさんの気配がする。彼女たちはいつもわたしにこうささやく。「私はあなたを愛してる」その単純な言葉がわたしの心を癒やし、潤いを届けてくれる。

 わたしはもう一度月を見あげる。鳥がわたし目がけて飛んでくる。左の手を伸ばし、それを受けとめると、指先から全身にかけて、かすかなぬくもりが浸潤していく。

 けれど、わたしはまたこのぬくもりを零してしまうのだろう。冷たい風の吹く街で。
 踏みにじられた花のように、世界が音を立てて崩れていく。
 夢の醒める気配がする――

 ――けたたましいアラームの音に目を覚ますと、いつもと同じ殺風景な部屋の景色が見え、身体をおこすといつもどおりの気だるさを感じ、今日もまた似たような一日をすごすと思うと心が重たくなった。

 アラームを止め、いもむしみたく布団にくるまる。五分もすると観念し、大学に向かう支度をはじめる。

 十一月に入ってから、ずいぶんと肌ざむくなってきた。いまはまだ過ごしやすい季節だけれど、これからおとずれる冷たい冬を思うと、心が凍りつきそうになる。暖房をつけて一日中部屋にこもっていられれば楽なのに、電気代が高いからできるかぎり節電するようにと母に言われているし、高い授業料を払ってもらっているため、講義に出ないわけにもいかない。

 クローゼットを開けて洋服をえらぶ。女子大生の服はおしゃれすぎても地味すぎてもいけない。社会ののぞむ理想の二十歳のファッションは、主張のすくない、大人びた、清らかな服装だからだ。

 今日は黄みがかった(べつに黄ばんでいるわけではない)白のニットに、秋らしい茶いろのチェック柄のフレアロングスカートを合わせることにした。ニットの裾はスカートのなかに入れ、腰の位置が高く見えるように、思いきりスカートを引きあげておき、ずれ落ちないよう紐でむすび、ニットの裾をすこし出す。

 洗面所で歯を磨いて顔を洗う。それから髪を濡らし、タオルで水気をとってから前と横の髪をピンでとめ、化粧を始める。どうでもいい話だけれど、わたしの場合、メイクは顔いろの明るさと透明感を重視している。それが老若男女たがわずもっとも受けがよく、特に同年代の女子にも好印象をあたえられるのだ。

 まずはミストタイプの化粧水を顔に吹きかけ、どうか肌が潤いますようにと願かけをしながらコットンでなじませていく。間髪いれずにクリームを伸ばして油分をくわえることで、摩擦につよい肌づくりをおこなう。春夏はさらさらとした乳液、秋冬はしっとりとしたものを使うとちょうどいい。

 次にメイクのベースを作るのに、肌に透明感をあたえ、なおかつ赤みを消せる魔法の液体を塗りたくる。コンシーラーで日々の不摂生のたま物を無かったことにし、毛むくじゃらのマカロンでパウダーをあてがう。するとかわいいの下地ができあがるのだ。

 頬骨のラインにそってブラシを刷き、焼き鮭のようなオレンジのチークを乗せる。そして顔の凸部分にハイライトを入れるとメリハリの、おそらくはメリのほうは完成だ。

 雨が虹を架けるように眉をなぞる。眼力はつよいし彫もそれなりに深いので、アイシャドウは中間色と明るい色をかるく入れるだけ。アイラインは下がり目を意識する。まつ毛は烏の羽根とおなじくらいの毛量だから、拷問危惧めいたアイテムで上昇気流を作るにとどめる。最後に濃い赤のグロスとキスをすれば、自称透明感あふれる大人かわいい顔の完成だ。

 もちろん、わたしはアンパンのヒーローとはちがって髪があるので、これだけでは終わらない。こげ茶のながい髪にさらさらとしたオイルを塗りこみ、ドライヤーで乾かし、灼熱の板で毛先をととのえてゆく。ちょっとやそっとでは髪が乱れないようスプレーでぬり固めると、一見すればあでやかでふわりと見える髪型が完成する。

 仕あげに香水を首という首に吹きかける。また、笑顔にほつれがないかを入念にチェックするのを忘れてはならない。

 洗面所をはなれ、リビングの机の引き出しの鍵を開けて、そこからちいさな箱を取りだす。中身は青い輝きをはなつ、美しい宝石を乗せた指輪だ。極力主張しないよう気をつけているわたしが、唯一身につける豪華なアクセサリーである。

 この指輪はわたしが買ったものではなく、だれかに貰ったものでもなくて、二年前のある日、実家にある自室の机の引き出しから出てきた。ネットで調べた感じでは、サファイヤやターコイズといった、既存の宝石とはすこしことなった雰囲気をしている。

 はじめはこわくて付けられなかったのだけれど、わたしの人差し指にあんまりピッタリ嵌まるものだから、机でねむらせておくのはもったいないように思えたし、正当な持ち主が現れたときにすぐに返せるのでつけるようになった。
 できれば返したくないけれど。

 そうするうちに、四十分も経っていた。わたしはあわてて大学に向かう。
 社会に求められる最低限を満たすのに、わたしは日々多大な犠牲をはらわなければならない。はらった犠牲分の恩恵を受けられているかはいまのところわからないけれど、やめてしまえば失望されそうで、それがこわくてやめられないでいる。

 わたしはそんな自分がむかしから嫌いだった。


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