見出し画像

自分の人生を振り返る(8)終

 これが最後の振り返り。
 自分と向き合うのも、人と向き合うのもうまくできないけれど、この文章を形に出来れば少しは楽になれるのだろうか。

最後の振り返りの前に

 自分の人生の振り返りを終える前に、『「自分には価値がない」の心理学』という本を紹介したいと思う。

 それというのも、人生を振り返る中で、私が人生の選択を他人に預けてしまっていたことに気づいたからだ。自己肯定感、自己価値観が存在しないまま、人生を駆け抜けてきた。その原因には人間不信やASDの性質から来る人とのトラブルが根本にある。
 行動するだけで人に迷惑をかけてしまう(ASDの困った事例をもれなく起こしている)私は、幸せになる価値はなく、自分で考えて行った行動が良い方向に向かったことがないので、自分から実行してはいけないという気持ちがあった。
 潰されていく自分のことを自覚しながら、幸せになってはいけないという無意識に課した呪縛をほどいていかなければいけないとも思った。幸せになりたいのに、幸せになってはいけないと思っているだなんて、どんな自己矛盾だ。

 例えば、こんな出来事がある。 
 私は小学生のころ、髪ゴムをして学校に行った。人生で初めてそういうおしゃれ的な物をした。
 しかし、周りに似合ってないよといわれて、髪飾りを使うことは無くなった。美人ではない私がおしゃれをしても意味が無いと思ったのだ。そこから一切美容系のものには手を出していない。化粧も一通り妹に教わったが、なぜか気後れしてしまう。
 髪を伸ばしてみたかったのだけど、母親が髪を伸ばすことを嫌がるので、いつも男のような短髪だ(大学生になって肩まで伸ばしてみたが、まとまらなくて結局伸ばすのは止めた)。母親譲りのくせ毛で、伸びたらいつも鳥の巣になっていた。整髪剤もお金がなく、つけたことがなかった。小学生の頃、仲間はずれにされていたのも見た目が原因のところもあったと今なら分かる。

 いまの私は他者に否定されるとすぐに諦めてしまう。自分に価値を感じられないから。自分が信じられないからだ。

 社会人になって仕事を教えられたとき、バイトで仕事を始めたとき。英語の発表やレポートの提出。
 私は自分に自信が無いから、他人に何度も確認を取らないと行動に起こせなかった。「この前教えたでしょ、覚えてないの?」と言われることもあったが、自信が無いから確認する。何度教えられても、自分の行動に確信が持てない。
 マニュアル通りに動けばいいバイトは良かった。その文字に従って動けばいい。でも、マニュアルがない仕事は自分の行動に自信が持てないから、何度も何度も確認した。それで周囲に迷惑をかけてしまう。
 嫌がられるのは序の口だ。最後は無視される。自分でも自分が悪いのは分かっているのだけど、どう解決すれば良いのか分からない。
 ならどうすればいいのだろうと思って、無職の何もない時間を調べることに費やした。その中で参考になった書籍がこれだ。

 この著書には、自己価値観に関する内容が多様な視点で描かれている。
 特に紹介したいのは、基底的自己価値観と表層の状況的自己価値観について。自己肯定感をどうやって育てていくべきか、どうして自己肯定感が育たなかったのかが理論的に語られている。

 基底的自己価値観は、自分の根本の価値観のようなものだ。乳幼児期から形成され、児童期中頃には確立する。
 この価値観を育てるには、親の愛情ある教育が三つの条件を満たさなければならないと紹介されている。
 ①子どもが安心を得ていること。②子どもが適合性の感覚を得ていること。③無条件に親から歓迎されていると言う実感を得ていること
 私は親に怯えていた。幼少期に蹴られたり怒られたり、否定される(今は何もないが、それでも覚えている)のは、自分の価値観を形成するには難しく、それどころか基底的な無価値感さえ形成してしまう。自分を取り巻く外界を信頼することが出来ず、外界に率直に働きかけることを躊躇する。外界は脅威であり、楽しむことよりも、自分を守ることへ意識が向くのだ。
 振り返ってきた私を思い出してほしい。私は周囲の人間を一切信用していなかった。覚えがありすぎて笑える。哄笑だ。
 
 状況的自己価値観は、外界が原因となる自己肯定感のようなもの。意識性が強まる児童期以降に形成され、思春期、青年期、成人期、老年期を通して形成と変容が行われる。
 状況的自己価値観が形成される要因は三つある。
①他者との交流
 他者から愛されること、尊重されること、受容されること。そういった経験だ。無価値感に苦しむ人は友情や恋愛、信頼できる人との出会いなどで、基底的自己価値観を修正するきっかけになるという。
②他者から寄せられる評価
 注目されること、賞賛されること、尊敬されること。から得られる
③自分の力の拡大の自覚
 身体が大きくなること、魅力的になること、成功した体験など。青年期にスポーツや特技などに打ち込んだ経験は「やればできる」という自信をもたらす。

 著書には自己価値観が満たされないと、脅迫的な自己価値観欲求が形成されることになると書かれている。だから、基底的自己価値観が強い人ほど、誰からも賞賛され、注目され、愛されることに執着するのだという。
 そういった人々は人一倍努力をし、自己犠牲に励む。
 一方で、そういった能力や環境条件を持たなかったものは、屈折した形で欲求が現れる。例えば、努力を放棄する、評価に無関心を装おう、ひねくれる、すねる、頻繁に心身の不調を訴えるなど。
 皆、愛されたいと思っている。たぶん、いまの私も本当はそうで、誰かに大切にしてほしいと心の奥底では考えている。それが表には出せないだけで。

 この自己価値観を形成するには、自分が努力をした経験や何かを成し遂げたりすることが必要だという。引きこもったり、定職につくことから逃げているとこの無価値感から抜け出すことは難しい。まさに今の私がこんな状況だ。
 自分の内面を愛することが出来るように、ありのままを認めることが出来れば、自己価値観は自然と修復されていく。他者に価値観を求めるのでは無く、自分の中にある秘密の宝物を増やしていく感覚だ。逃げても何も見つからない、結局行動するしかない。一気に何かが出来るようになることなんてありえないのだから、そんな自分を認めて、自分のためになる地道な努力を続けることで少しずつ自分を認めることが出来ると書かれていた。
 その通りだと思った。私の人生もいろいろあったが、立ち向かっていたときもあった。そんなとき、立ち向かった自分を誇りに思っていた。
 逃げても良いと言うけれど、逃げ続けたら、不幸になってしまう。小さな一歩だけでも――誰かに手を差し伸べてほしいと伝えることが大事なのかもしれない。
 最近、人生の先輩とも言えるような人たちと話をする経験があった。
振り返りを書くきっかけになった人たちだ。ひきこもり支援をしている立派な社会人の方々。これまで会ってきた嫌な大人たちとは違って、話を聞いてくれるだけでも、少し救われる気持ちになる。自分の幼少期のことは伝えられていないが、ASDであることや今の悩み――人が怖いことを真剣に聞いてくれた。
 だから、私もこの振り返りを最後まで書く。

大学後半から今に至るまで

 (7)の続きから書いていく。ぼんやりした記憶しか無いので、曖昧な部分も多く、ごちゃごちゃしている。

 ――母と病院に行くことにした。相談内容を聞かれたので、就職活動を契機に精神が不安定になってしまったということを答えた。……これがあんまり良くなかったのだといまになって思う。私は聞かれたことは答えるけれど、聞かれなかったことは答えないところがあるから、通院が長引いているのではないだろうか。
 市役所の福祉支援のひとにカウンセリングは受けましたかと聞かれたけど、一切病院から提案されたことは無かったので、アプローチの方向から違っている可能性もある。
 自分を振り返ってみて思ったのだけど、私の場合、もっと根本的な問題がある。それは自分で自分が理解できないことだ。表面上で演技をすることになれきっているから、病院でどう振る舞って良いのかわからない。自分の自然な状態がどれなのかわからない。

 一番怖いことが自分の気持ちをさらけ出すこと。見知らぬ人にそんな状態を知られるのはこわい。親に本音を言うのも泣きながらやっと言える。
 ……いや、怖さよりも不信感が強かったのだろう。出会ってきた大人は、私を利用するひとたちだと思っていた。利用しないのは同年代以下の人間だけだ――彼らは敵対するだけ。
 逆らったら、成績を下げられる。悪い噂を流される。嫌な顔で報復してきて、それで嗤うのだ。
 大人のイメージはそんな感じ。中にはいい人もいるけど、その人に迷惑をかけるのはかなしい。みんないい人にばかり責任を押しつけて、その人がたくさん苦労する。かわいそうだと思っても助けてくれる人なんていないのだ。それを見るのは嫌だった。
 それに時々、みんな殺したくなる。憎悪に振り回されるから、それ以外の感情でぬり潰す日々。ストレス発散の方法を探すのも私の人生の急務だ。

 最初は病院に精神安定剤を処方してもらった。何度か通ううちに、SSRIのクスリを処方してもらうことになり、それのおかげで調子が良くなった。視界がクリアになった。このクスリが無くなると精神的に不安定になり、首の後ろが痛くなる。腸の調子も悪く、そのクスリも処方してもらう。
 
 で、就活を終えた。決まったのは12月くらいで、殆どの学生は就活を終えていたと思う。この時点でASDだと知っていたら、話は違ったかもしれない。
 性格的に人と関わる仕事は止めた方が良いと思い、工場系の仕事を希望していた。そこで紹介されたのは、人材派遣会社の新卒だった(殆どの就活は終了していたので選べる場所も少なかった)。納得した上での決定だったが、短慮だった。後悔してもしきれない。出来るなら、あの頃の自分をトンカチで殴って止めたい。
 新卒待遇の派遣社員は派遣先を選ぶことも出来ず、派遣会社から来たメールで初めて出勤先を知ることになる。
 そして順当に就職する(派遣される)ことになったが、あてがわれた先は派遣に対する差別がひどい場所だった。仕事を教えられることも無ければ、挨拶も殆ど無い職場だ。新卒だということを会社側は知らないので、しっかりした教育もなかった。
 新卒社員という肩書きだが、やることはただの派遣である。派遣社員と比べて給与は低く(新卒の給与に、ボーナスは3万)、何の技術も身につかない。
 仕事は会社側が教えるのが基本だと思っていたのに、それすらも怠るような会社が普通に存在しているのも驚愕だった。
 いろいろあって体調を崩し、たった三ヶ月で、仕事を辞めることになる。

 辞めた後とにかく仕事を探さなければと、1ヶ月後にパートという形で別の職場に入ったが、窓口業務+お局様がいる職場だった。
 ダブルスタンダードが多数存在する病院での窓口業務は、私の精神をさらにおかしくした。ヒステリックな女性は周りまでヒステリックにする。思い出すと当時の気分を思い出してしまうので、詳細は書かない。これでおわり。仕事は慎重に探さなければいけないことを学んだ。

 そこから寝たきりの状態が続き、今に至っている。
 病院にも通い続けているが、正直言って改善している様子は見られない。結局自分を変えるしかないということだ。
 いまはアルバイトを慎重に探している。ハローワークの若者サポートなども利用してみたが、私の話を真剣に聞いてくれるひとではなかったので利用を中止した。そして、色んな縁を得て、この文章を書くに至った。

 ……私の未来がどうなるか分からないけれど、どうか立ち向かえますように。逃げることを選ばず、情けない自分を認めることが出来ますように。
 
 振り返った総括は――自分の人生の決断は自分でしろ。だれかのせいには死んでもするな、だ。後悔したくないのなら、それだけは肝に銘じたい。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?