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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第35話

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第4章 村はずれの社に住む男

7 届かなかった手紙

 病院の待合室の長椅子に座り、雪子は祈るように手を組み、そこにひたいをのせた。
 診察室とかかれた扉の向こうでは、鈴子が現在治療を受けている。

 私のせいだわ……。

 身体を震わせる雪子の肩にそっと手が置かれた。
 顔をあげると隣に座る高木が気遣う顔でこちらを見ている。
 いつもの厳しい顔つきではなく、心の底から雪子をいたわるような優しい表情だった。

 町に辿り着いたときにはすでに夜も遅く、当然のことながら病院は閉まっていたが、雪子は必死になって診て貰うよう頼み込んだ。
 背中に子どもを背負い、軽装で片足が裸足だった雪子の姿に医師は驚いて目を丸くしたが、雪子とその背に背負った鈴子を病院内に通し診察を始めてくれた。
 ついでに、傷だらけの雪子の足にも手当をしてもらった。

 屋敷を出た雪子はサンダルだった。
 そのサンダルも山を下っている途中で片方が切れ、片足裸足の状態で山を走った。
 もう片方の足も肉刺が潰れ血がにじんでいた。
 どのくらい走ったか分からない。
 息があがり素足に傷を負い泣きそうになりかけたところに、背後から迫る車の音に気づき雪子は立ち止まった。

 村の誰かが車を出してくれたのかと思ったが、現れたのは高木だった。
 騒ぎを聞きつけた高木が、軽トラックを村の人から強引に借りてやってきたのだ。
 それから、高木の運転するトラックに乗り、町の病院へ向かったということである。

「ごめんなさい」
「どうしてあんたが謝る。むしろ、謝らなければならないのは俺のほうだ。あんたに無茶なことをさせて、もっと早く俺が気づいていれば」
 雪子はいいえ、と首を振る。

「鈴子をありがとう」
 ふわりと頭を優しくなでられ、こらえていた感情の何もかもが音をたてて崩れ落ち、堰を切ったように涙があふれだす。
 泣き出した雪子の肩に高木は腕を伸ばしてきた。
 そのまま高木の腕が肩に回り広い胸に抱き寄せられた。

 こつりと頭を相手の胸に寄せ、雪子は肩を震わせた。
 しっかりと自分を抱きしめてくれる高木が、これほど頼もしいと思ったことはなかった。

 きっと、彼が来なければ途中で心細くて泣いていた。
 いや、本当は不安になって半分泣きかけていたのだ。

 山へと下りる途中で、鈴子の身体が異様に熱いことに気づいた雪子は、いったん鈴子を道の脇に横たわっていた木の幹に座らせた。
 ひたいに手をあてると熱があり、唇から苦しげな息がもれている。
 雪子は着ていた上着を脱ぎ、鈴子の身体をくるんだ。

 途方に暮れて前後の暗い道に視線をやる。
 水を飲ませてあげたくても、飲み水さえ持たずに村を飛び出して行く。
 どうしたらいいの?

 私が勝手に鈴子ちゃんを連れて村を飛び出したばかりに。
 ちゃんと村の人を説得するべきだった。いいえ、なぜ、高木さんの元へ戻らなかったのか。

 自分の判断のせいでさらに、鈴子に苦しい思いをさせてしまっている。
 引き返すにも、また長い道のりを辿って村に戻らなければならない。
 このまま前に進むべきか、それともいったん村に戻るほうが懸命か。
 お願いします。

 神様……鈴子ちゃんを助けて。

「お願い……」
 夜の空を仰ぎ、神様に助けを求めたところをトラックに乗った高木が現れたというわけである。
 高木が来てくれて、こうして側にいてくれて本当によかった。
 そこへ。

「雪子!」
 廊下の向こうから懐かしい声を聞き、雪子は泣きはらした目で声のした方を見る。
「お母さん。どうして」
「こちらの先生から連絡をもらって慌てて駆けつけたのよ」
 母が泣きながら雪子にすがりつく。

 いつも家で見かけた部屋着に上着を羽織り、化粧っ気もなく髪も乱れた姿は、とにかくここへ急いでやって来たという様子だ。
「よかった。あんたにまでもしものことがあったらと心配して。ああ、だけど無事だったんだね」
「私は何も。でも鈴子ちゃんが……」
 雪子は診察室の扉を見つめ、沈んだ声を落とす。

「話は聞いたよ。女の子はどうしたの? 大丈夫なの?」
 雪子はまだ分からないと首を振った。
「今、こちらの先生に診てもらっているんだけど……」
 母は涙を流して雪子を抱きしめる。

「つらかったね。あんたも、その子も」
 涙する雪子を、母はいたわるように背中をなでた。
 そこで、雪子はふっと我に返る。さっき母は、あんたにまでもしものことがあったらと言っていた。

「お母さん。私にまでってどういう意味?」
 雪子の問いかけに母は驚いたように目を見開いた。
「あんた、聞いていないの?」
 何も、と雪子はきょとんとした顔で首を横に振る。
 いったい、何があったというのだろうか。

「お父さんが倒れたんだよ」
 雪子はえ? と聞き返した。
 お父さんが倒れた?
「どういうこと?」
「ほんとに何も知らないのかい?」
 雪子は頷いた。

「何度も手紙を出してお父さんのことも知らせたのだけれど返事がこないから、あんたも嫁ぎ先でいろいろ大変なんだろうって思って……」
「手紙? 私に?」
 呟いて雪子は隣にいる高木を見る。
 高木はまぶたを伏せ、緩く首を振っただけであった。

「手紙、届いていないのかい?」
 もう一度、雪子は静かに頷いた。
 自分宛に母から手紙が届いていたなど初耳であった。
「そんな、届かなかっただなんて、何通もだしたのだけれど……」
 届かなかったのではない。
 おそらく自分宛にきた手紙を屋敷の者が、たぶん世津子が自分に手渡さず処分していたのだろう。しかし、そのことを母には言わなかった。
 言ってよけいな心配をさせたくはないと思ったから。
 そこへ、鈴子の診療をしていた医師が診療室から現れた。

「鈴子ちゃんは?」
 雪子と高木は医師の元へ走り寄る。
「大丈夫ですよ。崖から落ちたと聞きましたが運がよかったですな。見たところ大きな外傷は見あたりませんでしたが、明日、朝一番で精密検査をしてみましょう。詳しい結果はそれからですね。それと右腕の骨折ですが、こちらはしばらく安静にしていれば問題ないでしょう。子どもだからきっと回復も早いですよ」

 よかった、と雪子は息を吐き、崩れるようにその場に座り込む。
「後のことはこちらに任せてください。あなたも、その足で走り通しだったのでしょう? 辛かったはずですよ。今日はゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます」
 雪子と高木は医師に深く頭を下げた。

第36話に続く ー 

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