伊月一空の心霊奇話 ーそのいわく付きの品、浄化しますー 第35話
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第2章 死を記憶した鏡
13 鏡の価値
「あれから恭子、ぐっすり眠れるようになったと言っていました。伊月先生にありがとうって」
恭子も変わったものだ。
胡散臭い霊能者から、伊月先生だもんな。
余談だが、自分を蹴飛ばして逃げ出した薄情な彼氏とは、きっぱり別れたという。さらに、汚い部屋は悪いモノを寄せ付けやすいと一空に言われ、今ではこまめに部屋の掃除をしている。
「そうか」
読んでいた本から視線を上げることなく、一空は素っ気なく答える。
そこで会話が途切れた。
紗紀はじっと、一空を見る。
ここでの一空はいつも本ばかり読んでいるけれど、本当は暇なの?
霊能者の仕事も、紗紀が知っている限りやっているようにみえない。
人気霊能者というからには忙しいイメージがあったが、実際はそうでもないのか。
もっとも、常に側にいるわけではないのだから、本当はどうなのか知らないが。
でも、あの時の伊月さん、優しくて温かくて、素敵だったな。
少しかっこよかったかも。
やっぱり凄い人なんだな。それに、ちゃんと私を守ってくれた。
紗紀の胸にチクン、と針で刺されたような痛みが走る。その痛みを払うように首を横に振った。
「伊月さん」
「この間のように、一空と呼び捨てにしてくれてかまわないぞ」
「はい?」
「言ったではないか」
ようやく本から視線を上げ、一空は薄く笑った。
紗紀は顔を真っ赤にする。
思い出した。
『一空の説得に応じないなら私がこの鏡を壊してやる!』
と、確かに言った。
「あれは勢いで……だって、伊月さん」
「いまさら伊月さんか?」
「じゃあ、一空さん! が、あのままでは死にそうだったから!」
「勝手に僕を殺さないでくれないか。あの程度なら、この仕事をしていれば当たり前のようにある」
「当たり前って、霊能者の仕事をするたびにあんな状態になるなんて、いつか死んでしまいます!」
「ほう? 僕の心配をしてくれるのか?」
「当たり前です!」
言って、紗紀は顔を赤くする。
「そりゃ、あんなの見たら誰だって、心配すると思います……」
しどろもどろで言いながら、両手で頭を抱えた紗紀は、ふと気づいたように店の片隅に置かれた姿見を見る。
それは、恭子の部屋にあったあの姿見であった。
「それはそうと、そこにある姿見」
鏡にいた霊を成仏させたとはいえ、やはり部屋に置いておくのはもう嫌だと言った恭子は買い取って欲しいと、この骨董屋『縁』に売ったのだ。
「本当に買い取りしたんですね」
「相応の代金はきちんと彼女に支払ったが」
買い取って、店にこうして置くということは、誰かがこの姿見を見て気に入ったら売るということになる。
骨董屋なのだから、それは当たり前のことだが、一つ問題が。
それは、この店に置かれている物のほとんどが普通ではないのだ。
「そうじゃなくて、殺人現場を記憶した鏡ですよね。殺された女性の霊を映した。それをまた誰かに売るなんて」
商売とはいえ、悪徳すぎるのでは。
「鏡の記憶は浄化した。この世に無念を残していた和夏という女も無事見送った。したがって、この鏡はただの鏡。それも値打ちのあるアンティークだ」
「え? 価値があるんですか?」
一空はあごに手を当て、満足そうに姿見を見る。
「希少性のある1930年代英国アンティーク、オーク材のシュバルミラーだ。どういった経緯で和夏さんや君の友人が手に入れたのかは知らないが、これを扱っていたアンティークショップは、残念なことに、鏡の本当の価値を知らなかった」
ふうん、と紗紀は分かったような、分からないような顔で頷く。
「ちなみに、この何とかミラーの値段は?」
「ああ、これは……」
話の流れで何気なく鏡の売値を聞いただけなのだが、価格を聞いて開いた口が塞がらないくらい驚く。
そんなに価値のあるものだったとは。
紗紀は目を細め、一空を見据える。
「何だその目は? もちろん、恭子さんにはこれの価値は伝えた。それでもいらないから買い取って欲しいと言われた」
まあ、事情を知った以上、たとえ浄化したとはいえ、持っていてあまり気持ちのよいものではないだろう。
「思ったんだけど、どうして殺された女性は自分を殺した犯人に無念を訴え取り憑かなかったんでしょう。それに、普通にアンティークショップに置かれていたのなら、そのお店の主人にだって訴えられた。なのに、どうして恭子だったの?」
一空は肩をすくめた。
「たまたま、恭子さんの境遇と波長にかちりと合ったのだろう。恭子さんなら助けて貰えると思ったのかもしれない」
「でも、恭子は心霊的なことにはまったく否定的でした。彼女自身、霊感もないのに」
紗紀の質問には答えず、一空は緩やかに口元に笑みを浮かべた。
言わずとも、紗紀になら分かるだろうというように。
しばし考えた後、紗紀は息をつく。
「そうですね」
そう、結局こうして霊能者である一空によって問題は解決し、すべては終わった。これが、一空の言う、縁を結び絶ち切ったということなのだろう。
「本当に、不思議ですね」
「〝この世界〟は普通の常識では通用しないことが多々ある。そして、理不尽な理由で命をとられることも」
本当です。
一空さんだって、命がいくつあっても足りないです。
「もう一つ聞いてもいいですか?」
何だ? というように一空は顔を上げた。
「霊視って、その……どこまで視えてしまうものなんですか? た、たとえば、人の心も読めるとか?」
一空はテーブルに頬づえをつく。
そんな何気ない仕草さえ、色気が漂ってくる。
「そうだな。読めるというよりも、どちらかといえば勝手に相手の考えや感情が頭に流れ込んでくるという感覚に近い。後はいろいろな方法だ」
一空は嬉しそうな表情で、読みかけていた本をぱたりと閉じる。
「いろいろな方法?」
「例えば、相手の背後にいる守護霊が勝手に語ってくれる時もある」
「へえ、守護霊……」
守護霊と会話できるってこと?
感心する紗紀の顔に、ついっと、一空は自分の顔を近づけてきた。
「ずいぶん熱心に聞いてくるな。もしかして僕の元で働く気になってくれたのか。紗紀がいてくれるとわりと助かる」
わりと助かるという言い方が、なんか微妙なんですけど。
それと、顔が近いです!
「それはないです」
「ここで働きながら給料をもらい、僕の弟子になる。こんなにいい条件はないと思うが。何より、紗紀の力がものになるまで、僕が紗紀のことを責任をもって守ってあげると言っている」
「ちなみに、ものになるにはどのくらいの期間がかかります?」
「それは、やってみないと分からない」
「じゃあいいです」
そんなに長期間、この男と一緒になんていられない。
息がつまる。
確かに、霊が視えるだけならまだしも、それらに取り憑かれて怖い思いをしても、今までの自分はどうすることもできなかった。
霊たちが勝手に自分の身体から離れていくのを待つだけであった。だが、霊能者になるかどうかは別として、うまく霊能力を扱えるようになり、自分の身を守れるようになれれば、それはそれで助かる。
それでも、霊能者の弟子になるという覚悟は紗紀にはない。
最悪、命を落とすことだってあるのだ。
ー 第36話に続く ー