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伊月一空の心霊奇話 ーそのいわく付きの品、浄化しますー 第50話

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第4章 思い出の酒杯

1 死者も来る店

  桜が咲く季節。
 カウンターの側に置かれた椅子に座りながら、紗紀はぼんやりと店内から外の景色を眺めていた。
 こうしていると、まるでバイトをサボっているように見えるが、お客さんが頻繁に来るわけではないから暇な時間が多いのだ。

 今日も店の掃除はきちんとしたし、品物たちの埃も丁寧に払った。
 やることをきちんとやっても時間が余ってしまう。
 最初は掃除ばかりをやって時間を持て余していたが、最近は商品の勉強をするようになった。

 時計、ランプ、グラスといった西洋アンティークの知識や、陶器の種類。指輪についている石のこととか、さまざまだ。
 自分で調べて分からないことがあれば、一空に聞くこともあった。
 目利きはできなくても、少しは商品のことを説明できるようになりたい。
 そして、真剣に商品のことを覚えようとするなら、思っていた以上にこの仕事は難しい。しかしやりがいはある。
 もちろん、一空は無理に頑張って覚えろとプレッシャーはかけないし、本当に暇なときは本を読んだり大学のレポートを書いたりした。

 こんなんでいいのかな?

 幾度となく、これでいいのかと一空に訊ねたが、一空は店番はあくまでも建前で本来は霊能者としての修行をするために来てもらっているのだから気にするなと言う。
 ただ、ここにバイトに来てから、身の回りでおかしな霊現象に悩まされることも、むやみに霊を視ることも減った。
 が、肝心の一空に言われた霊能者修行だが。
 修行とはいっても特に何かをやらされているわけではない。

 紗紀が最初に思っていたのは、精神統一で座禅を組まされたり、瞑想だとか、幽体離脱とか、はては無理矢理心霊スポットに連れて行かれ除霊しろとか、はたまた滝に打たれる荒行をさせられるのではないかと恐れたが、今のところ、そういったことは、まだない。

 私を弟子にするつもりが本気であるの? と思うことも。

 奥の部屋を見ると、一空はパソコンに向かって何かを打ち込んでいる。
 紗紀は時計を見る。
 閉店まであと五十分。
 それまで何をしようかと考えていた時、店の扉が開いた。
 足音も立てずに店に入ってきたその客は、五十代前半の年配の女性であった。

 肩のあたりで切りそろえられた髪、少し痩せすぎかなと思われる身体つき。
 上品な顔立ちをしているが、その顔色はひどく悪く唇も紫がかっていた。
 よく言えば、楚々とした雰囲気。
 悪くいえば、存在感の薄い印象。
「いらっしゃいませ」
 挨拶をする紗紀に、年配の女性はこちらを向いて会釈をする。

 女性は店内を見渡し、窓際に置かれた夫婦酒杯を手に取った。
 桜の絵柄が描かれたものだ。
 ところが、女性はそれを手にとったまま動かない。
「素敵ですよね。銀彩夫婦酒杯といって、九谷焼なんです」
 紗紀は横から声をかけ、覚えたての知識をさっそく披露する。
 女性は声をかけた紗紀を見てそっと微笑むと、再び酒杯に視線を落とす。

「色彩豊かな九谷焼のイメージとは違って、そちらの酒杯はきれいなグラデーションが特徴でしょう?」
「そうね。上品だわ」
「銀箔を貼り付けて釉彩を塗り、焼き上げた技法なんです。銀箔が剥がれないうえに、錆びないのが特徴で……とにかく柔らかい印象ですよね」
 少しずつだが店に置かれている商品の焼き物の違いを覚えることはできたが、それ以上の詳しい知識を求められたら答えられない。

 まだまだ勉強しなければ。

「ええ……」
 と、答えた途端、女性は涙ぐむ。
「本当に素敵だわ。あの……おいくらかしら」
 見るとどこにも価格が記されていない。
 つまり、こうして簡単にお客さんが手に出来るように店に並べられているが、実は価値のあるものか。

 この間の市松人形だって無造作に置かれていたけれど、人間国宝が手がけたという作品だったし。
「ええと、確認してみます。少々お待ちください」
 紗紀は慌ててカウンター前のパソコンで、何やら作業をしている一空に声をかける。

「一空さん、ではなくて店長、窓際に置いてある、桜の絵柄の酒杯の値段ですがいくらですか?」
「ああ、あれは……」
 一空は値段を伝える。
 その声が聞こえたのであろう、女性は残念そうに沈んだ顔をする。

「ごめんなさい。今は手持ちがあまりないので、また改めて」
「お取り置きしておきますか?」
「いえ、また……」
「そうですか。では、お待ちしております」
 軽くおじぎをし、女性は店から出て行った。

 来店したときと同様、静かに足音も立てず。
 女性が去った後、一空はゆっくりと立ち上がる。
 パソコンでの作業は終わったようだ。

「接客にも慣れてきたようだな。最初の頃に比べるといい」
「本当ですか?」
 一空に褒められ、紗紀は照れたように笑う。

 『縁』でバイトを始めた初めの頃は、お客さんとの会話もスムーズに繋げられず、たどたどしかったが、かなり慣れてきたのではないか。
 だから、一空にそう言ってもらえると嬉しい。

「少しずつ覚えていきたいと思っています。あの、商品のこともいろいろ理解したいし、分からないことがあったら、また聞いてもいいですか?」
 意欲満々の紗紀に、一空はいつでもと答える。

「ところで、どんな客だった?」
 一空の問いかけに、紗紀は、はい? と、首を傾げた。
「おそらく、気配から察するに年配のご婦人だろうというのは分かったが」
「え! ってことは、今の女性!」
 紗紀はもう一度店の扉に視線を向ける。が、すでに女性の姿は見当たらなかった。

「霊だということに、気がつかなかったのか?」
 紗紀は霊が視える体質だが、一空は違う。
 彼は霊能者(それも世間で騒がれるほど有名)のくせに、霊の気配を感じることはできても、姿を視ることはできないのだ。

「印象が薄いようには思えましたが、それでも生きている人と同じようにはっきり見えたから、てっきり、普通の人だと思って……ええ! そんな……」
 ふと、紗紀は窓際に置いてある桜の酒杯に視線を向けた。
「じゃあ、あれも因縁のある品物で、縁を感じて動き出した?」
「さて、どうなるかな」
 一空は肩をすくめた。

 あの酒杯は、どんなふうに縁を断ち切るのか、あるいは結ばれていくのか。
 何が起こるのかはまだ分からない。
 それにしても、この店は生きている者だけではなく、死者までやってくるのか。
「恐ろしい感じはしなかっただろ?」
 確かに、あの女性が幽霊だとしても、恐ろしさは感じられなかった。
 すべての霊が、生きている者に害を及ぼすことのない霊であればいいのに。

 そんなふうに思っていた翌日、昨日と同じ時刻にその女性は再び『縁』にやって来た。
「い、い、一空さん、昨日の人が来ました……」
 こそりと、小声で女性が来たことを一空に伝える。
「いちいち報告しなくても、気配で分かる」
「はい……」
 たとえ、霊が視えなくても、一空は霊の気配を察知できる。
 必要とあらば、霊視をすれば彼女がどういう姿なのか知ることもできるのだ。

 こうしてはっきりと見えるのに、生きた人間ではないなんて。
 やはり、この世に深い未練を残しているから、あの世へと旅立てないのか。
 彼女の表情はとても悲しそうで、手伝えることがあるなら何とかしてあげたいと思わずにはいられない。
 紗紀は手を握り、彼女に歩み寄った。
「また来てくださったんですね」
 女性は微笑んだ。

「ええ。昨日のこの酒杯、いただくわ」
 いただくと言われて躊躇し、紗紀は一空を振り返る。
 品物を買いたいと言っても、相手は幽霊。さすがに幽霊との金銭のやりとりは無理だろう。
 さて、この場合どうしたらよいのか。

 あるいは、酒杯を手渡しただけで満足して成仏してくれるのか。
 そんな単純なことなら簡単だが。
 困った顔で何度も一空はかえりみるが、とくに助言をしてくることはない。ということは、つまり自分の好きなように対応していいということか。
 ならば、好きにさせてもらおうと、紗紀は決意をかため女性に微笑んだ。

「では、お包みしますね」
「あの……お願いがあります」
「何でしょう」
「これを隣町のS神社に届けてくださるかしら。明日は結婚記念日で、夫と二人でお祝いをしたいと考えているの」
「それで夫婦酒杯なのですね。素敵です」
「その時に代金をお支払いで、よろしいかしら」
 S神社ならここから遠くない。
 電車に乗って隣町に行き、駅から歩いて十五分程度だ。

「もちろんかまいません。何時にお伺いすればよろしいでしょうか?」
「夕方の……陽が沈む頃に来ていただけるかしら。夫と夕陽が見たいと思っているの。神社の境内に桜の木があるので、そこで」
「かしこまりました。では、その時間に境内の桜の木の下で」
 女性は嬉しそうに微笑んだ。
 つられて紗紀も微笑むが、すぐにその笑みが強ばる。

 夫と二人でお祝いをしたいというが、夫の方はまだ存命なのかな。

 S神社で夫が待っていて、そこで代金を支払うということか。
 それならば、納得ができる。
「本当に親切にしてくださって。ありがとうございます」
「そんな、たいしたことではないですから。では明日、お届けにうかがいますね」
 女性は深々と頭を下げ店から出て行った。
 彼女の目にうっすらと涙が浮かんでいたのを見た紗紀は、締め付けられるような心の痛みを覚えた。

 紗紀は手に取った酒杯に視線を落とす。
 この酒杯と彼女はどういう縁なのだろうか。

ー 第51話に続く ー 

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