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伊月一空の心霊奇話 ーそのいわく付きの品、浄化しますー 第51話

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第4章 思い出の酒杯

2 懐かしい酒杯

  翌日、紗紀と一空は女性が指示した場所であるS神社に向かった。しかし、待ち合わせの時間になっても、昨日の女性は姿を見せない。
 それでも待ち続け、約束の時間を一時間以上も過ぎようとしていた。

 紗紀はため息をつく。
 相手は死者。
 酒杯を受け取りに来るはずがないのだ。

 あと十分、さらにもう十分待ってみようと言いながら、二時間が過ぎた。
「一空さん、帰りましょうか」
 そろそろ陽も沈もうとしている。
 さすがにもう来ない筈。
 帰ろうと歩き出した紗紀たちの背後に人の気配を感じ、声をかけられた。
 昨日の女性がやって来たかと振り返ると、そこには若い夫婦とおぼしき二人が立っていた。

「あのすみません、突然。ずっとこちらに立っていらっしゃったので、気になって声をかけたのですが、どうかされましたか? あ、私たちはこの神社の者です」
「こちらの神社の方?」
「ええ」

 昨日の女性の話をしてもいいものかと紗紀は同意を得るように一空を見上げる。すると、一空は名刺を取り出し二人に差し出した。
「骨董店『縁』。伊月一空さん」
 どうやら二人は、人気霊能者としての一空のことを知らないようだ。
「はい、実は……」

 一空はここに来るまでの経緯を二人に語った。
 話を聞いていた若い夫婦は、次第に落ち着かない様子でそわそわし、一空の話を聞き終わると互いに顔を見合わせた。

「差し支えなければ、その酒杯を見せていただけないでしょうか」
「もちろんです。紗紀、それをお二人に」
 紗紀は抱えていた風呂敷の包みを解き、酒杯が入った木箱を開け夫婦に見せた。

「これはっ!」
 女は目を開いた。
「まさか、こんなことがあるなんて……」
「あの、どうかされました?」
 女性があまりにも驚くので、紗紀は問い返す。

「これは、私が両親の銀婚式の記念に贈ろうと購入したものです。裏印を拝見してもよろしいかしら」
「裏印?」
 何のことかと一空を見る。

「陶器の裏底にある印だ。窯元を記してある。どうぞお手にとってご覧ください」
 紗紀は手に取りやすいよう、木箱を女性の前に差し出した。
「ありがとうございます」
 礼を言い、女性は恐る恐る酒杯を取ると、裏底を確認する。

 何が書いてあるのかと、紗紀も覗き込むが、書かれていた文字は篆書体のような難しい字で、読めなかった。
「雅山とありますね」
 一空は言う。

「ええ、やはり間違いありません。これは両親に贈る筈だった酒杯。知人の窯元に依頼して作っていただいたものです」
 女性は懐かしそうに酒杯を指で撫でている。
 またしても不思議な縁によって引き寄せられた。

「そうだったんですね。でもなぜ、この酒杯が『縁』に売られていたのかしら」
「それが……」
 突如、女性は両手を顔に当て、肩を震わせながら泣き出した。
 声をつまらせる妻の代わりに、夫が説明を始める。
「妻は両親の銀婚式のお祝いに、この酒杯と温泉旅行をプレゼントしたのです。ですが、その旅行先で両親は事故に遭い、帰らぬ人となりました」

 女性はわっと声をあげて泣いた。
 そんな妻の肩を夫は抱き寄せる。
「両親は旅行先でお酒を買い、帰ってから、贈られたこの酒杯でお酒を飲むのだと楽しみにしていたのですが、結局、その酒杯を使うことはできませんでした」

 では昨日現れたあの女性は、目の前にいるこの人の母親。
 昨日の女性が愛おしげに酒杯を手に取り、泣きそうな顔をしていたのを思い出し紗紀の胸が切なくなった。

「その後、親戚たちで遺品を整理していたのですが、誰かがもう必要ないものだと思ったのでしょうね。処分したらしく、酒杯がなくなったことに気づいてから、ずいぶんと日にちが経って……」
 それが巡り巡って『縁』に置かれるようになったというわけである。

「こんな不思議なこともあるのですね」
 ハンカチで涙を拭い、女性は笑みを浮かべる。
「実は今日は亡くなった両親の結婚記念日なんです」
「ええ、夫と二人でお酒を飲むと嬉しそうに仰っていました」
「そうですか……あの、この酒杯はおいくらでしょう。母の代わりに代金を支払います」

 しばし考えた後、紗紀は、はいと頷いた。
 紗紀は手にしていた酒杯を夫婦に手渡し、代金を受け取る。
 夫婦は涙を浮かべ、何度も礼を繰り返し去って行く。
 紗紀はふう、と息をついた。

「よかった。ちゃんと手にするべき人の元に酒杯は戻りましたね。本当に不思議です。この仕事、以前の鏡事件のように怖い思いをすることもあれば、今回みたいによかったなと思えることも」
 紗紀は神社の境内に咲く桜の木を見上げた。

 ふわりと花びらが舞う。
 そういえば、以前も一空とこうして木を見上げたことがあった。
 枝の間から覗く月がきれいだった。
 あれは、長野の田舎に行った時だ。
 二人で梅の花を眺めた。

「死者の残した思いを叶えてあげるのも悪くはないと思うようになりました。これは、一空さんや私のように、限られた人にしかできないことなんだと」
 そこで紗紀は、自分を見つめている一空に気づく。
「も、もちろん、私はただ霊が視えるってだけで、一空さんみたいに、特別な霊能力があるわけでもないですけど……」
「だがこの世界は大変だぞ。何しろ、相手はこの世の者ではない。話をしても通じないこともよくある。いや、説得に応じる聞き分けのよい霊の方が少ない」
「そんなこと、生きている人間だって同じじゃないですか」
 紗紀の言葉に一空は笑った。

「それに、この世に未練があるから成仏できないでいる。こちらの説得に素直に応じるくらいなら、とっくの昔にあの世にいってると思います」
「それでも、この仕事をやっていきたいと思うか?」
 紗紀は呆れたように一空を見上げる。

「それはまだ……決めかねています。でも、霊能者になれってすすめてきたのは一空さんですよ」
「そうだったな」
「そうですよ」
 紗紀はふうと息をつく。

「立ちっぱなしだったから疲れちゃった、家に帰ろう。一空さんはいったんお店に戻るんですか?」
「紗紀」
 歩きだそうとしたところで、一空に呼び止められ紗紀は振り返る。

 一空は見てごらん、というように桜の木の下を指さした。
 視線の先、木の下に設置された腰掛けに、年配の夫婦が寄り添うように並んで座っていた。
 紗紀は目を見開いた。

 女性の方は、昨日『縁』に現れた女性であった。
 その夫婦は、娘からの贈り物である酒杯を手にお酒を飲んでいた。
 女性は上品な仕草で酒杯を両手で持ち口に含む。そして、男はくいっとあおるように飲み干した。
 二人は互いに目を見交わし微笑むと、その場から消えていった。

ー 第52話に続く ー 

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