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『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第47話

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終章

1 利蔵さんはわたしのもの

 「お世話になりました」
 というのも、何だかおかしいような気がした。だが、それ以外の言葉が浮かばなかった。
 夫であった隆史の前に正座をする雪子は、うなだれる彼の前に離婚届を差し出した。
 届けにはすでに自分の名前と印鑑を押してある。あとは、彼に必要な箇所を書いてもらい役所に届ければすべて終わる。

 それを見た隆史は顔を歪めた。
 雪子が屋敷を去ることを知っているのか、あるいは聞かされていないのか、この場に世津子の姿はない。
 事件のことがこたえたのだろう。
 あれ以来、世津子は部屋に引きこもり、何をするわけでもなく惚けた顔で一日を過ごしている。

 誰が何を話しかけても、曖昧な返事をするばかり。
 威勢よく屋敷をきりもりしていた頃の威勢も威厳も消え、背中を丸め座り込んでいる姿は、まるで一気に年老いたかのようであった。

 大勢いた使用人たちも、事件が発覚した後、次々と屋敷から去り、わずかに残った参の使用人が、気の抜けた世津子の世話をしながら何とかやっている状態であった。
 屋敷内はひっそりと静まりかえり、寂しさだけが残された。

「考え直してくれないか。それに、お腹の子は僕たちの子ではないか。な、雪子」
 頼むこの通りだと、畳にひたいをこすりつけんばかりに頭を下げる隆史に、雪子は頑なに首を横に振るだけであった。

 今回の事件が明らかにならなければ、自分はこの利蔵の家の嫁として、隆史の妻として一生縛られていく人生を歩んでいったのだろうか。
 雪子は胸の中で分からない、と首を振った。

 この決断が正しいかどうかも分からない。
 けれど、今の自分の心にはわずかにもこの男と添い遂げていこうと思う気持ちはないことは確かであった。
 これ以上どんなに隆史が歩み寄ろうと努力をしてくれたとしても、それだけは、はっきりといえる。

 顔を上げた隆史の表情が悲痛なものに変わる。
 それでもなお、すがるような目で見つめてくる隆史に、雪子は自分の意志が決して変わることがないことを伝える。

「この子は、私が育てます」
 雪子はきっぱりと言い切った。
 女手一つで子どもを育てていく。
 口で言うほどそれは簡単なことではない。
 生まれてくる我が子にも、父親がいないという辛い思いをさせてしまうことになる。
 それでも、決めたのだ。
 この子は自分の手で立派に育ててみせると。

「父親のいない子どもなどかわいそうではないか。雪子お願いだ。それに、その子は利蔵の跡継ぎだ」
 情けない声を発して土下座する男のの姿を、雪子はただ冷めた目で見下ろすだけであった。
「私はこの家の跡継ぎのために、子を産むわけではわりません」
 雪子はもう一度頭を下げると鞄を手に立ち上がった。
 隆史に背を向けた雪子はびくりとする。

 目の前に、目を剥いた形相の世津子が立っていたからだ。
 結い上げた髪はほつれて乱れ、着ていた着物も崩れている。
 きちんと睡眠をとっていないのか、目の下には黒々としたくまを作り、白目が血走っていた。
 こんな姿の世津子を見るのは初めてで、雪子は息を飲んでその場に立ち尽くした。
 世津子がゆらゆらとした足どりで歩み寄ってくる。

「その子だけでも置いていきなさい」
「はい?」
「その子は利蔵の跡継ぎです。おまえはいらないから、そのお腹の子だけは私によこしなさい!」
 突如、世津子が腕を振り上げた。
 その手には包丁が握られている。
「腹の子を出しなさい! 出せないなら私が出してやる! 出せ! だせーっ!」
「お祖母様……もう、おやめください。もう、もういいのです……お願いですから」
 髪を振り乱して暴れる世津子を、背後から羽交い締めするように隆史が押さえつける。

「その子を置いていけーーーーっ! その子は利蔵家の跡継ぎだ! 泥棒……泥棒よ! この女に跡継ぎが取られてしまうわ! 誰か来てちょうだい。お願い。誰か!」
 目を剥き、世津子は泡唾を飛ばして泣き叫ぶ。
 雪子は二人におじぎをした。
 すべての思いを断ち切るかのように、夫だった男と世津子に背を向け屋敷を後にした。

 あれから使用人に八坂医師を呼んできてもらい、興奮する祖母を診てもらった。医師に飲まされた興奮抑制剤のおかげで、祖母はぐっすりと自室で眠っている。
「雪子……」
 隆史は不抜けた顔で部屋から庭へ降り、のろのろとした足どりで歩く。

 その歩みが多佳子の遺体が発見された椿の木の前で止まると、隆史は気が抜けたようにがくりと肩を降ろした。
 その場に立ち尽くし、ぽっかりと穴のあいた木の根元を見下ろす。
 その穴が自分の心に開いた穴と重なる。
 虚ろで、何もない寂しい穴。

「雪子……」
 もう一度雪子の名を呟き、隆史はうなだれた。
 雪子を失って初めて、自分が彼女のことをどれだけ愛していたのかに気づく。けれど、今さら気づいたところでもう彼女は戻っては来ない。
 どんなに頭を下げて説得をしても、もはや、無理であることは雪子の態度から明らかであった。

 なぜ、雪子を愛してあげなかったのだろう。
 大切にしなかったのか。
 彼女の気鬱に、どうして気づいてあげられなかったのだろう。
 守ると誓ったはずなのに。

 隆史は両脇に垂らしていた手をきつく握りしめた。
 初めて出会ったのは町の小さな神社。
 何度かその神社に参拝するうちに、雪子の方から声をかけてきた。
 話すと気さくで気持ちのいい女性だった。
 これまで自分の回りにはいなかった。
 彼女の屈託のない明るさにたちまち惹かれ、会いたいと思うようになり、何度も町へと足を運び会いにいった。

 本当に雪子のことが好きだったのだ。そうでなければ、わざわざ遠い町まで行く必要がない。その時は、跡継ぎ云々よりも、純粋に彼女を妻に迎えたいと心から思っていた。

 祖母にそのことを話すと案の定、大反対された。
 先代当主の事件もあり、余所者であっても町から妻を迎えるのは反対はしない。だが、跡継ぎが産めるかもどうかも分からない、年のいった女は絶対にだめだと。

 それでも、祖母に逆らい雪子を妻に迎えた。
 そう、最初は子など望めなくてもいい。ただ、彼女と一緒にいたいと、思っていたはずなのに。

 いつしか僕は雪子に利蔵の家風を押しつけ、跡継ぎを望むようになった。
 悪いのはすべて僕だ。
 すまなかった、雪子……。

 うなだれたまま、椿の木に背を向け屋敷に戻ろうと歩き出した隆史の足が止まった。
 足が前に進まなかったのだ。
 ゆるりと視線を足元に落とすと、土にまみれた手が足首をつかんでいる。
「……っ!」
 悲鳴をあげる暇もなく、そのまま強い力に引っ張られ隆史の身体が開いた穴の中へと引きずりこまれていく。

「なんだ!」
 最初は自分の身に何が起きたのか分からず、滅茶苦茶に手を振り回していた隆史であったが、ようやく、掘られた穴に落ちたのだと気づき這い上がろうとする。

 穴自体はそれほど深くも広くもない。
 すぐに抜け出せると思っていたが、落ちたときの格好が悪かったのか穴の中で足がおかしな具合に曲がり、体勢を整えられなかった。

 痛みはないから折れてはいない。
 ただ、どんなにもがいても穴から這い上がれないのだ。
 助けを求めようと口を開いた瞬間、背後から抱きつくようにして何者かの両手が伸びてきた。

 土にまみれた手。
 その細さからして女性のもの。
 耳元にかかる自分のものではない、他の誰かの吐息。
 その吐息に混じって。


 ―― 利蔵さん。


 と、ささやく声が聞こえた。
 頬を寄せてきた相手のぎょろりとした目。
 青ざめた顔に血走った白目。
 長い黒髪が身体中に絡みついて離れない。

「おまえは多佳子……多佳子なのか!」
 背後のそれは、口角を吊り上げ、にたりと笑みを刻む。


 ―― さみしい? わたしがいる。


「やめろ! 僕はおまえが好きだった男ではない。俺は隆史だ。利蔵の息子だ!」
 多佳子は口から舌をだし、ぺろりと隆史の頬を舐めた。
「う……」
 多佳子の生臭い息から逃れようと顔を振ったその時、頬のあたりにぽたりと何かが落ちた。

 視線を上げると、さらにボタボタと落ちてくる。
 それが顔に頭に、着物の襟の隙間から背中にと、入り込んではもぞもぞと動き回る。

 枯れた椿の木を蝕む毛虫だった。
 大量の毛虫が、次々と隆史の身体に落ちてくるのであった。
 黒の体に背に赤色の筋、白っぽい毛をまとった毛虫が、蠕動しながら隆史の頬を這っていく。
 さらに別の毛虫が落ち、まぶたの上で動き、頬を這っていた毛虫が鼻の中に入り込む。
「誰か!」
 助けを求めようと叫び声を上げる隆史の口の中にも、毛虫が落ち蠢く。

「わぷっ。助けて……たすけ、て……」
 ぐちゃりと毛虫を嚙む。
 苦い毛虫の体液が口の中に広がっていく。
 これでもかと落ちてくる毛虫は隆史の顔を覆い尽くす。



 ―― あいしてる 利蔵さん。

       利蔵さんは わたしのもの。

第48話に続く ー 

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