見出し画像

音楽家は耳が良いっていうけど、、、耳って、なに???

今回はドラム話じゃなくて、音楽関係での気づきです。


僕は4ピースのバンド(Vo+Gt , Gt , Ba ,Ds)をやっているんですが、先日、とあるスタジオに練習に入ったんですね。

そしたら廊下挟んで隣の大広間で、ジュニアジャズオーケストラ(ビッグバンド形式)の練習をしていたんです。

で、僕はその演奏を聴いて、「小学生っぽい音だな~。リズムもピッチもアーティキュレーションも、その他いろんな要素がまだまだだな~。」という風に聴こえたんです(※)。

(※念のため。客観的に聴いて技術が未熟だなと感じただけの話であって、その小学生バンドをディスりたいわけではないです。むしろ、年齢相応の音で微笑ましくて好感が持てました。)

ところが、バンドの他の3人のメンバーがその小学生バンドの演奏を聴いて「うまいね~。プロかと思っちゃった。」というようなことを言ったのです。

で、僕は最初それを聴いて「(小学生の割に)うまい」という類の感想か、あるいはなにか大人の教育的な目線から「大げさに褒めてあげている」のだと思っていたんですが、よくよく会話を続けるとどうやらお世辞ではなく本当にそう思っていたみたいなんです。


僕は「えーーーーー!!!!!!」と思いました。


というのは、僕以外の3人は、みんな年上で音楽人としても先輩で、それぞれの担当楽器に造詣が深くて、技術も経験もあって、いろんな音楽を知っていて、自分の身内を褒めるようで恐縮ですがみんなすごく質の高いミュージシャンなのです。

それだけに結構な衝撃でした。こんなに質の高いミュージシャンが、なぜビッグバンドの上手い下手がわからないんだ・・・?と。


で、いろいろとこういうことではないかと考えてみたんですが、その3人は管楽器奏者とガチンコでやりあった経験が、僕と比べると比較的少ないんです。

その3人は、エレキギターバンド(←こういうのってホントはなんて表現するのが適切なの・・・)が音楽の原体験で、これまでの音楽キャリアのほとんどをそこで過ごしてきて、聴いている音源も大半はそれに準ずるものです。管楽器奏者との共演もありこそすれ、比較少ないでしょう。

一方、僕は中学の頃から吹奏楽を始め、マーチングバンドをやり、Buddy Rich にはまったおかげでビッグバンドサウンドが大好き、といった感じで10代~20代前半くらいまでのキャリアのほとんどを管楽器(しかも大所帯バンドの)と過ごしてきました。

吹奏楽経験者ならわかると思いますが、多くの部は吹奏楽連盟主催の吹奏楽コンクールに参加しており、7~8月に全国的に地区予選が始まるので、6~7月は狂ったように練習します(今思えば超ブラック部活の温床だけど少しはマシになったんだろうか?)。夏休みなんか当たり前のように毎日9~17時とか練習します。

その期間、コンクール用の曲の全ての音を隅から隅まで打合せし尽くし、ここはこうするどこはどうすると1音1音実践と検証を繰り返すわけです。

この作業は拷問です。。。同じフレーズを、何度も何度も何度も何度も繰り返しては繰り返させ、、、さらに参考音源がどういう風に演奏しているか何度も聴き、、、個人練習で自分の音を聴き、、、パート練習でみんなの音を聴き、、、全体合奏でも何度も管楽器サウンドを聴くということをやるわけです。

本当に頭がおかしくなるくらい聴きます(実際、頭がおかしくなる部員がよく現れます。)。


そんなことを繰り返しているうちに、言うなれば「吹奏楽耳」が出来上がります。

例えば、「ド・ミ・ソ」の和音を重ねたときに、「ドに対してソをこれだけ高くしてミをこれだけ下げて、かつ、音量バランスを3:1:2みたいなイメージにすると最も美しく響く」とか、「基準音より、これだけピッチが高くなるとこういう風にこれくらいうねり、低くなるとこうなる」とか、「和音を3人で鳴らした時に、誰が遅れて誰が速いかすぐ気づく」とか、そういう判断する耳ができてくるんです。


で、僕が吹奏楽に携わらなくなって10年以上経ちますが、そこはさすがに10代に作られた吹奏楽耳力(「すいそうがくみみりょく」ってすごい言葉だなw)が働いて、冒頭の小学生ビッグバンドの話に戻ると、その演奏を聴いたときに「この和音のトップのトランペットのピッチがこれくらい上ずっている」とか、「このトゥッティの出だしが揃っていない」とか、「ロングトーンの締めの音の長さが合っていない」とか、「打楽器や弦楽器が、管楽器の音の立ち上がりの遅さに配慮した演奏になっていない」とか、いろんなことが聴こえてしまうわけです(※)。

(※判断しようとして意識して聴いているわけじゃなくて、自然と判断しちゃうんですよ!うわ、自分で聴いていて病気だと思いました。。。)


ところが、冒頭のバンドの他の3人の話に戻ると、彼らは「吹奏楽耳」を持っていないわけです。他の音楽経験は豊富で、歌も歌うし、当然ですが弦楽器はチューニングを毎回するので、音感はとてもいいはずなんですが、管楽器に関しては全くわからないとは言わないまでも意外なほど鈍感だったりするわけです。

しかしですね、その3人はギターバンドサウンドやギターやベースの個々のサウンドの経験については僕の比ではないわけです。僕なんかより圧倒的に知識も経験も技術もあるし、なによりものすごい時間をそのサウンドを聴くことに費やしている。

するとなにが起きるかというと、他の3人がギターサウンドについて議論しているときに、僕一人だけ「違いがよくわかりません」ってなるのです(それでも最近はだいぶ聴きとれるようになった気がしますが)。


「前回と歪み(のエフェクター)変えました」と言われても、



「な、なにが変わったの?!?!」



となるという。。。


僕は、下手すりゃストラトもテレキャスも335も区別付かない(汗)。


「コーヒーの味」と同じで、単品でポンと出されてもよくわからない。味比べさせてもらって「あーなるほど」とわかるくらい。

「前回とギター変えました」と言われて、前回のバンドのサウンドを必死で思い出し、わかるときもあればわからないときもあるくらいw

ましてや、エフェクター1個入れ替えたくらいじゃ、僕の未熟な「ギター耳」にはさっぱりわからんw

「ギター耳」がある人って、絶対音感ならぬ「絶対ギター耳」なんでしょうね。「ストラト」って言われた瞬間、「テレキャス」って言われた瞬間、「335」って言われた瞬間、そのサウンドが頭に鳴る。

僕は、「それってどんな音だっけ~~~!」と悩んで、「これだよ」と弾いてもらって、「あーそれのことなんだね!」ってようやくわかるくらい。


ちょっと話がずれますが、僕にとってはエレキギターよりアコースティックギターのほうが音の差別化ができている気がします(もちろん、メーカーとか型番とか製造年代とかが断定できる、っていうような聴き方じゃないですが。。。)吹奏楽経験者ゆえ、アコースティック楽器の方が耳が慣れているんですかね。箱鳴り感とか、音の太さとか、繊細さとか、音量とか、こんなに楽器によって違うんだなーというのを比較的感じやすいです。



で、もうひとつ逸話を思い出しました。



高校生のとき、学校の吹奏楽局に在籍していたんですが、そこの1つ学年上の先輩でメチャクチャピアノが上手い方がいました。その先輩はチューバを担当していましたが、楽器歴は圧倒的にピアノの方が長くて、ものすごく明確に絶対音感があり(どんな音程でも迷いなく即答できるレベル)、簡単なポピュラーミュージックだったら1回聴いただけで耳コピしてしまう。

で、そんだけすごい先輩だったら、チューバもどんだけすごいのかと思うじゃないですか。その持ち前の絶対音感を活かして、常に音程ピッタリに揺るぎなく吹けるはずと思うじゃないですか。

ところが、その先輩、チューバの音程はビミョーだったんです(・・・先輩、このnoteをもし読んでいたらほんとにスイマセン。ディスってスイマセン。)。

和音を調和させるための細やかな音程の微調整が必要になるんですが、そこそこ良い音程は出せるけど、あと一歩の細かいところができない。

で、「まぁ、ピアノとチューバは全然違う技術だし、音程がずれていると感じても合わせられないことはあるよね」と思ってたんですが、ある日、その先輩が合奏練習時に指揮者として立って、チューニング練習を指導しはじめたんですが、ピッチについての指示が曖昧なんです。


「あれ。。。もしかして先輩、みんなの音程がズレていること気づいていない・・・???」


もしかしたら、他の部員に対し重箱の隅をつつくような指導をしてムードが険悪になりたくないゆえに遠慮していたという可能性もありますが、「ピアノが上手くて絶対音感を持っているからといって音程感覚がよいとは限らないんだなー」と僕は思いました。

先輩は、「ピアノ耳」は素晴らしかったけど「吹奏楽耳」は比較的未熟だったのだと思います。

この先輩は極端にわかりやすい例でしたが、ピアノ熟練者であっても音程に苦労する吹奏楽管楽器プレイヤーやかなり多く存在します。


これはどうしてこんなことになるんでしょう。


推測ですが、ピアニストは基本的に自分のピアノを自分で調律しないことも原因かなと。

ご存知、ピアノの世界には、ピアノのチューニングに特化した存在である調律師が存在します。調律師も当然ピアノはある程度弾けますが、専業ピアニストに比べると演奏の腕は劣ります(もちろん専業ピアニストもびっくりの超絶うまい調律師もいますが)。しかし、専業ピアニストよりはるかに絶対的で明確なピアノサウンドとそれに紐づけられた調整技法が頭の中に構築されています。

ピアニストの方がピアノを弾いてみて「なんかこの辺の音が響きが悪くなって、重くなった気がする」と曖昧に表現したとするならば、調律師が弾くと「この鍵盤とこの鍵盤の音程がこれぐらいずれていて、このピアニストさんが言うところの『重くなった』というのは、具体的にはこの鍵盤とこの鍵盤にこういう問題が起きているということであり、これらを調整すると、総合的にこうこういう問題が起こると思われ、かつ、いまこのピアニストさんが取り組んでいる曲はこれでこういう音色を求められているから、結論としてこういう風に調律します。」みたいなものがブワーッと出てくる(ものの例えですけど)。

「ピアニスト耳」と「調律師耳」と言うのかな。似ているようで異なる耳。

ピアニストの耳は、何十年も鍵盤と向き合うことで自分の身体感覚と感情と霊性が繋がったような耳。

調律師の耳は、毎日何時間も、無音の部屋で、ピアノというわけのわからない生もの相手に、音程や音色と調整技巧が繋がった耳。



「クラシック耳」「ジャズ耳」とかもあります。


特に長い歴史を経て洗練されてきた音楽って「ある程度、鍛えられた耳がないと理解できない」側面がどうしてもあって、なかなか一般人の耳に馴染むのに時間がかかったりするのね。


音楽が初見で楽しめないなんて不思議?!と思いきや、世の中って意外とそういうことありますよね。


例えば、みなさんはブラックコーヒーを最初から旨いと思いましたか?

大抵の人は「苦っ!!!」の一言で始まって、一部の人はコーヒーから離れる一方、もう一部の人は「・・・もう少し頑張ってみよう」といろんなコーヒーを飲み比べていくうちに、だんだんと「コーヒー舌」が作られてきて、本当に旨いと思うようになる。


「うに」とか「なまこ」とか「ほや」とか「わさび」とか、初見で旨いと思いましたかね?最初から旨いと感じた人もいるかもしれませんが、多くの人は「なんだこりゃ?!・・・でもまた食べてみよう」と経験を積むうちに「舌」ができたはずです。


「クラシック」や「ジャズ」も同じで、最初は楽しめない方も多くいます。でも「この先になにかあるかもしれない」と思った人が何度もいろんなものを聴いて勉強するうちに、あるいは自分でも楽器にチャレンジしていくうちに楽しめるようになったはずです。


そういう意味では、楽しい音楽って、自分を「教育」することで、「耳」を鍛えることで、本当の意味で楽しめるようになるものだと思います。


もちろん、その「教育」が「狂異苦」になるとマズイと思うんですが。

クラシックの例で言ったら、漫画やドラマで好評を博した「のだめカンタービレ」が良い教育の例ですね。「のだめ~」のおかげで、クラシック耳が開花した(クラシックの楽しみ方がわかった)という方はめちゃくちゃ多いと思います(コアなクラシックファンの方から見ればいろいろ思うところがあるかと思いますが。)。



もちろん、「ドラム耳」というのもありますよ。ドラマーじゃない人から見れば「なんでそんな音聴き分けられるの?!」っていうがたくさんあります。

でも、それって特に凄いことではなくて、要するに「みんな違う耳を持っている」っていうことなのね。

つまり、バンドというのは「違う耳同士の集大成」なわけです。だから、バンドの音楽ってマジカルなのですよ。



特にオチを決めずに書き続けたけど、こういうオチになりました。

「みんな違う耳を持っているから、音楽は素晴らしい。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?