HSPの私

大学生のころ「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」という本を読んで
涙が流れた。

私は、小さいころから人見知りで、「あの子は大丈夫かしら?」
と常に心配されてきた。

幼稚園のときは、お弁当を誰よりも食べるのが遅く、早く食べなければ
いけないというプレッシャーを感じるのが嫌で登校拒否するようになった。
毎朝幼稚園で流れていた「waになっておどろう」を聞くと今でも、嫌な気持がよみがえってくる。

小学1年生の時は、日直で前に出たときに、コードに引っ掛かり、ラジカセを落としてしまった。その次の日から、音の出が悪くなり
「私のせいだ!」と思い悩み、またしても登校拒否になった。
毎日学校に行く直前になると泣き出す私の様子を見て、母は優しく
「何があったの?話せるときでいいから話してくれたらうれしいな」
と言ってくれた。そんな母の優しさにまたしても大号泣しながら、母にラジカセのことを伝えた。そして、母と一緒に小学校の担任にラジカセを壊してしまったことを謝りにいった。
担任はキョトンとした顔をしており、「それを気にしていたの,,,?」と不思議そうな様子であった。

また、小学生の遊びと言えば鬼ごっこである。しかし、私は逃げるのは良いが、捕まえてしまったときの申し訳なさが嫌で鬼ごっこが嫌いであった。
それゆえ、誘われても断り続けた私は気づくと教室に1人でいることもたまにあった。
このときから、私は他の子と違い、どこかおかしいのではないかと思うようになっていた。

小学3年生の時に事件が起こった。今考えるとおかしな話だが、当時私の友達の間で、「体当たりごっこ?」のようなものが流行っていた。それが一種の愛情表現のようなものだった。休み時間や下校時にみんなでぶつかり合っていた。ある日、先生に突然呼び出され、教室へ入ると私の仲の良かった4人が全員集まっていた。そして先生の口から衝撃的な言葉が飛び出した。「あなたがよくぶつかってきてみんな痛い思いをしています」と。私は頭が真っ白になり理解できなかった。「みんなでぶつかり合っていたよね,,,。」と言いたかったが、当時の私は仲の良かった友達が一瞬で敵になった気がして何も言葉がでなかった。
その日から私は食欲がなくなり、19kgまで痩せた。
母は当然、心配して病院に連れて行ってくれたり、私が好きな食べ物を毎日作ったり、買ってきてくれた。しかし、友達を失ったショックと母に本当のことを言ってしまったら余計に心配させると思い、本当のことは言えなかった。

このほかにも、4人以上で集まると突然話せなくなったり、人と関わるとすぐ疲れて何もやる気が起きなくなる、においに敏感で人のにおいを覚えられるなど自分でも不思議な現象がたくさん起こっていた。
そんな自分に悩みながらも大学生まで生きてきた。

ある時、大学の図書館で気になって「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」
という本を手に取った。家に帰って読んでみると、電流のようなものが
身体の中を走った。そして気づくと涙がとめどなく流れていた。
「これ私だ」と。
今まで悩んでいたが誰にも相談できなかった性質に「HSP」と名前が
ついて、「私だけじゃなかったのか」と深く安心した。

今となっては「HSP」という言葉は広く知れ渡ってきて嬉しかったが、世間では「HSPは誰にでもあてはまる」とか、衝撃的だったのは、あるSNSの
ツイートで「HSPといえばかわいいと思っている女嫌い」という言われていることに気づき、悲しみと怒りがこみ上げてきた。

HSPと自己紹介に載せるのはつらかったことや感覚を共感できる仲間をみつけたいだけなのに。


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